Holy night

 

幼稚舎に入って初めてのクリスマス。
僕たちはその特別な日を、家族ではない誰かと共に過ごすことも初めてだった。

学園の近くにある教会で、ミサの一部として行われた讃美歌のイベント。
子供達は情操教育の為、強制参加。
父兄と共にやって来る。
そんな中、悠理はひときわ目立つ存在だった。
母の手を振り払い、詰まらなさそうに辺りを見回すその姿。
今でも鮮やかに思い出せる、まるでヨーロッパ人形のような出で立ち。
既に彼女の乱暴すぎる性格を知っている大多数の子供達は、目を丸くして見入っていた。

黙っていればお人形。
口を開けば野生猿。

しかしその夜の僕は、決して中身が伴っていない、彼女の愛らしい姿に釘付けだったのだ。

━━━━可愛い。すごく可愛い。

隣に並ぶ野梨子にも劣らない、天使のような顔立ち。
凝った衣装は、とても少女趣味なものだったが、その夜には相応しく感じた。

奏でられるアヴェマリア。
何度も練習させられた楽曲に、子供たちは恐る恐る口を開く。
皆が自信無さげに歌う中、彼女から大胆に溢れ出す1オクターブ高い歌声は、まるで本物の天使だ。
聴く者をうっとりとさせる。

『華美な衣装よりも真っ白な羽だけのほうが、彼女は似合う』

その時、そう確信したことを今でも覚えている。

だが、讃美歌が終われば、天使も飛び去ってゆく。

僕と目が合った彼女は、思いきり嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。

━━━どうせ、こんな関係だよね。

野梨子と僕を嫌悪する悠理はあまりにも幼かったが、それをフォロー出来ない僕もまた、情けない男だった。

「ちっとも似合ってませんわ。」

刺々しい感想を、比較的大きな声で告げる野梨子も拙い。
それとも彼女に対する僕の視線を読み取っての発言か?
子供ならではの嫉妬心。
気付いたのは随分後になってからだが。

「そう………だね。」

━━━━そう、かな?

剣菱悠理は乱暴者だ。
けれどその見た目は美しい。
そして歌声は見事なものだ。

クリスマスの夜にインプットされた彼女の印象。

僕には何故か、まだまだ知りたいと言う欲求が生まれていて、悠理から目が離せなくなっていた。

幼稚舎を終え、小学部に入ってからも、時折見かける彼女に意識が奪われる。

━━━━恋ではない。
ただ、興味があるだけ。

他にどんな顔を持っているの?
喧嘩以外の特技は?
心からの笑顔は?

ねぇ………僕にだけ教えてほしい。




「せーしろ?」

ハッと顔を上げれば悠理のキョトンとした目が飛び込んできた。
流れる讃美歌。
ドイツ屈指の聖歌隊はその天使の歌声を存分に披露している。

「寝てた?」

「あ………いや。ちょっと昔を思い出していました。」

巨大なパイプオルガンが響く歴史ある教会で、僕たちは新婚旅行真っ只中。
分厚いコートを着込み、身を寄せ合いながら、荘厳な雰囲気に包まれている。

あれから20年も経つのか━━━━
時の流れは早いな。

こうして二人が結婚することも、あの夜のキリストはお見通しだったのだろうか?

柄でもない、そんな気分に陥る。

「あたいも。」

「え?」

「おまえ、覚えてる?幼稚舎の頃、皆で讃美歌歌ったこと。」

「・・・ええ。」

━━━ええ、もちろん。

「こんなにも上手じゃなかったよな。」

「当然ですよ。」

同じ頃へ思いを馳せていたのか。
悠理はギュッと腕にしがみついてきた。

「あたい、母ちゃんに似合わないかっこさせられてさ。ほら、フリフリのビラビラ!」

━━━いいや、似合ってましたよ。

「…………おまえもそう思ってたろ?」

上目遣いに見つめられ、心臓が痛む。
あの時の野梨子との会話が聞こえていたとは思えないが、地獄耳の彼女なら然もありなん?

「…………‘似合ってました’、とは言い難いな。」

「やっぱり。」

「おまえにはもっと似合う格好があるから。」

「猿の着ぐるみ?」

自嘲する彼女の声を奪いたい。
そう思った僕の身体は勝手に動き始めた。
冷たくなった唇に指を重ね、優しくなぞる。

「何も必要ない。白いシーツがあればそれだけで………」

━━━━おまえは天使になる。

意味を悟った悠理は真っ赤になり、顔を埋めてくる。

「バカ」
そんな小さな呟きもきっちり拾い、僕は彼女を抱えるよう立ち上がらせた。

「さぁ……行きましょう。神への賛辞も大切だが、クリスマスの夜は短い。」

神聖な讃美歌が透明な尾を引く中、二人で教会の外へ出る。
先程までの雪は止み、イルミネーションに彩られた街を行き交う人は皆幸せそう。

「清四郎。」

「ん?」

「メリークリスマス!」

白い息を吐く彼女は、あの日の夜よりもずっと美しく輝き、やはり僕の心を捕らえて離さない。

メリークリスマス。
この幸せが永遠に続くことを祈って。