後編 |
世の中はクリスマスイブである。
街に飾られた青と白のイルミネーションは寒々しいが、流れるBGMはクリスマスソング。
心弾むような選曲ばかりが流れている。
雪こそ降らないものの、空気は凍てつくように冷たい。
家路を急ぐサラリーマンも居れば、予約したレストランへいそいそと入っていくカップルも居る。
そんな中、悠理と清四郎はゼミのクリスマスパーティに参加していた。
二人が所属するゼミは他の物と比べ、比較的大人数で構成されている。
「世界規模の経済対策」を学ぶ集まり。
もちろん悠理が付いていけるはずもないが、清四郎は敢えてそのゼミに彼女を誘った。
片時も離したくない、そんな我が侭から。
30人近くの学生達が一同に介した場所は大衆的な居酒屋の一つで、チェーン店のわりには味が良いと評判だった。
教授や准教授も混じっての大賑わい。
離れた距離をぐんと近付けるにも一役買っている。
悠理は清四郎の真向かいに座り、ゴクゴクとビールを飲み続けていた。
両隣は見たことのある顔ぶれだったが、そこまで親しくはない。
それでも冬休みの予定について雑談していると、学生の一人が離れた場所から清四郎の名を呼んだ。
「菊正宗君!教授がお呼びよ~!」
定年間際の柏崎教授は、紳士的な風貌と穏やかで丁寧な語り口調が学生達に人気だった。
清四郎は悠理に一言「飲み過ぎないように」と釘を刺し、立ち上がる。
その重力を感じさせない立ち上がり方を、両隣の女学生はうっとりと眺めていたが、悠理の鋭い視線を感じ取り、慌てて取り繕うように咳払いをした。
二人が恋人関係であることは周知の事実。
だが、まさか婚約関係にあるとは想像もしていないだろう。
悠理のジョッキが空になったところ、ちょうど良いタイミングで店員が通りがかる。
「お兄ちゃん!こっちにも一杯追加ね!」
お目付け役が居なくなり、急加速するピッチ。
「モテる恋人を持つと辛いね」・・・なんて冗談めかしても、気持ちはさほど晴れなかった。
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三十分ほど他愛ない話を繰り広げていただろうか。
悠理は視界の端から清四郎が消えていることに気付いた。
ほろ酔い加減の目をゴシゴシを擦るも、見当たらない。
しかしロマンスグレーの教授は同じ場所に座っていて、慌てて辺りを見渡すと「例の准教授」が居ないことに気付く。
嫌な予感をヒシヒシと感じる。
あの准教授が清四郎に気があることなど、入学当時から知っていた。
もちろん立場上、大胆に迫ったりはしないが、彼女は何かに付け清四郎を呼び出すことが多く、鈍感な悠理も流石に気付かされたのだ。
「あの女、嫌い」
いつだったか、文学部に在籍する古き友人達に洩らした時、可憐がこう答えたことを思い出す。
「あらやだ。あんたも女の子らしくなったじゃない。昔、あたしが恋のライバル相手にジェラシーを燃やしていた時はいつも呆れ顔だったくせに。」
確かに、恋愛体質の可憐を馬鹿にしていたことは否定できない。
それほどまでに「恋愛」というものは、彼女にとって遠い存在だった。
黙り込んだ悠理の肩を野梨子が労るように擦る。
「どんな女性が登場しても、気にすることありませんわ。清四郎は悠理らしいところを愛しているんですから。」
「あ、あ、愛って・・・なんか恥ずかしいなあ!」
「んま!悠理ったら、真っ赤よ?」
「可愛いですわ。」
心底笑い合える友が居ることは幸せだ。
悠理は幾分軽くなった心で、友人達の有り難さを感じ取った。
嫉妬する醜い自分は苦手だけれど、これもまた、恋愛の醍醐味だと言われれば納得せざるを得ない。
清四郎さえ強く求めてくれるのなら、自分の立ち位置をきっと間違ったりはしないだろう。
わざわざ、闘う必要はない。
彼女はそう信じていた。
しかし・・・・・・・・・・
「くそ!もう限界だ!!」
急に叫び声を上げ、立ち上がった悠理。
杯を重ねていた学生達が驚いた顔で見上げてくる。
「剣菱・・・さん?どうしたの?」
「あたい、ちょっと席外すから!」
自慢の俊足で大広間を飛び出して行く悠理を、皆は呆然と見送った。
テーブルに置かれた20杯目のジョッキはすっかり空になっている。
「彼女、お酒強いのねぇ。」
ぶれない足取りを見ていた隣人はそう呟いたが、実のところ、悠理はしっかりと酔っていた。
見た目にそう見えないだけで・・・。
居酒屋を隈無く探すも、清四郎は見当たらない。
せめてあの憎たらしい女を見かければ・・・大人しく21杯目のビールを注文し、席に戻れるだろうに。
トイレ
喫煙所
待合室
二人はどこにも居なかった。
やはり彼女は酔っているのだろう。
そこでようやく思いだしたかのように携帯電話を取り出す。
客でざわつく店から一旦抜け出し、電話をかけようとしたその矢先、悠理の視界に飛び込んできたのは、あの日の光景と似た二人。
居酒屋から数歩先にあるガードレール前で、清四郎は准教授と顔を付き合わせたまま、沈黙していた。
その姿はまるで見つめ合うカップルのようで・・・悠理はもう我慢ならなかった。
「離れろ!!!」
大声で叫び、二人の間に割り入る。
そして清四郎を背にしたまま、女の顔に指を突きつけ、宣言した。
「清四郎にちょっかい出すな!!この男はあたいのもんだ。どうしても欲しけりゃ、決闘しろ!」
行き交う人々が「何事か」とざわめく中、悠理は真っ直ぐに女の顔を睨み付ける。
酔っ払い、熱をもった身体に冷えた空気が心地良い。
悠理は思った。
・・・そうだ。あたいはずっとこうしたかったんだ。こう断言したかったんだ。
清四郎は自分だけのものだと、この女に示したかったんだ。
驚きの展開に目を丸くする准教授。
しかしその表情は徐々に憤怒へと変わっていく。
「冗談じゃないわ!!」
「へ?」
「どうして菊正宗君を巡って、剣菱さんと決闘しなきゃならないのよ!!」
「は?」
「私が好きなのは・・・・・・・柏崎教授よ!!!」
悲鳴に近い声で女は叫んだ。
悠理が慌てて振り向くと、清四郎はバツの悪い顔で頬を掻いている。
「え…………そなの?」
「どうやら・・・そのようです。」
准教授は年老いた教授の事が好きだった。
それはもう学生の頃からずっと。
そして彼が気に入っている清四郎のことは大嫌いだった。
何かと呼びつけ、面倒な雑務を与えていたのも嫌がらせの一つ。
もちろん淡々とこなす、可愛げの無い男にさらに苛立ちは募っていく。
コンタクトのトラブルに関してはただの偶然だった。
本当は触れられたくないほど嫌悪していたが、目の裏に滑り込んだレンズが引き起こす痛みは猛烈で、背に腹をかえられなかったのだ。
「なんで私じゃなくってこんな男が好きなのよぉ!!!私の方があの人の事、理解してるのにぃ~」
二人仲良く歓談する様子を横目に、自棄酒に溺れていた彼女が、しこたま酔っているのは明らか。
酔った勢いで清四郎を連れ出した准教授は、とうとう全てを暴露し、柏崎教授から離れるようにと命令する。
嫉妬に苛まれ続けた女の脅迫は、とても執念深いものだった。
「貴女こそ、この男のどこがいいの!?」
突如ふっかけられた追及に、悠理は一旦たじろぐも、ここは「恋人」として言い返さねばならない!と胸を張る。
「せ、清四郎は良い男だもん!意外と優しいし、頭も良いし、すっごく強いし。そりゃ嫌味なとこもあるけど、あたいにとっちゃ一番の男だもん!教授なんかよりずっと!」
酒の勢いは恐ろしい。
普段、絶対口に出さないような台詞を、悠理はとうとう言い切ってしまった。
「悠理・・・・」
思わぬ感動に、清四郎が背後から抱き締める。
グエ!と潰れた蛙のような声を出す恋人をさらに強く、激しく。
「もっと言って下さい。」
「も、もっと!??」
「もっと聞きたい・・・・。最高のクリスマスプレゼントだ。」
甘える清四郎は思いの外可愛かった。
悠理は真っ赤な顔で「す、好きだから・・・・」と続けたが、その先は准教授の鋭い声でぶった切られる。
「教授’なんか’ですってぇ!??」
怒りの炎に油を注いでしまった悠理。
それからの二人は人目を無視したまま、互いの想い人について惚気合い、掴みかからん勢いで女同士の闘いを繰り広げた。
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「随分と騒がしいですねえ。」
いつの間にか現れた柏崎教授は涼しげな口調で、蚊帳の外に居る清四郎へと語りかける。
「いつの世も、女性が元気なのは良いことです。」
「教授は彼女の気持ちをご存知だったんですか?」
「そりゃまあ、長い付き合いですから。けれど私には離婚した妻との間に彼女と同い年の娘が居ますので・・・。」
「なるほど。」
「それでも・・・可愛いと思ってしまったのが運の尽きですかな。」
「・・・・・・え?」
目を見開く清四郎に、老紳士はパチリとウィンクしてみせる。
「君は口が堅いでしょう?オフレコでお願いしますよ。」
暗い夜空を見上げれば、白い羽根のような雪がふわりふわりと舞い始めている。
冴え冴えとしたイルミネーションと軽やかな音楽。
闘う女達の吐く息はいつまでも白く、幸せな男達の目に優しく映っていた。