「ん?ゼミのクリスマスパーチー?」
深酒のせいで呂律が怪しい女を横目に、清四郎はやれやれと溜め息を吐いた。
「そうですよ。明後日の予定は空けていますか?」
「うーーん、どだったかなぁ?でもタダ酒飲めるなら這ってでも行くじょ!」
「タダじゃありません。3000円の会費は僕が立て替えておきました。同じゼミのよしみで、ね。」
「そこは‘婚約者のよしみ’で、が正しくなあい?せぇしろちゃん!」
「僕の婚約者なら、こんな場末の居酒屋でぐでんぐでんになるほど飲まないはずですが?」
「ええ~?なんでぇ?ここ安くて旨いんだぞ~。ほら特にネギマなんか香ばしくって何本でもいけちゃう。」
酔っぱらいの相手ほど面倒なものはない。
長年の付き合いといえど、清四郎の気分は重かった。
相手が、将来の伴侶と決めた女だからこそ、こうしてあれこれ世話を焼くが、他の奴なら完全に放置するだろう。
そこまでのボランティア精神はさすがに持ち合わせていない。
肩から滑り落ちそうになったニットカーディガンをしっかり羽織らせた後、優しく抱えるように、悠理をカウンターから立ち上がらせた。
これほど泥酔する彼女は珍しく、しかしその責任の一端が自分にある為、ここは甲斐甲斐しい気遣いを見せる。
「悠理、もう充分でしょう?そろそろ甘いものでも買って帰りませんか?」
「やらっ!まだ飲むもん!」
「これ以上は身体に毒ですよ。それに明日は今年最後の講義もありますよね?」
「やらやら(やだやだ)!!あんなケバい准教授の講義なんか絶対受けないぞ!」
「悠理…………」
よほど胸くその悪い光景を思い出したのか、苦い顔で大きく首を振る恋人。
カウンターを噛む勢いでしがみつくその姿はまるきり駄々っ子のようで………とても二十歳を過ぎた女子大生には見えなかった。
酔うと余計に幼く見えるな。
そこがまた可愛いのだけど━━━。
クールな言動とは違い、彼女への深い愛情を隠し持つ男はやれやれと苦笑し、その柔らかい髪を撫でる。
今回、悠理が大虎になった理由。
それはいわゆる‘嫉妬’であり、二人が在籍する経済学部の若き准教授と清四郎の間柄を疑ってのことだった。
高校時代の『無事卒業するまで、学業の面倒を見る』という脅しのような口約束を延長した彼は、それをしっかり守り続けている。
同じ学部に入学させたのも、何かと世話を焼くのに便利だから。
彼女の学力では到底無理だったのだが、そこはそれ。
裏工作はお手のもの。
無事、学部推薦を取り付けた。
告白は清四郎からだった。
大学入学直前に「僕を恋人にすれば、何かと便利ですよ?」という、旨味をたっぷり匂わせた言葉で悠理を捕獲。
「え?そうかな?確かにそうかも………」と、おつむの弱い悠理はものの見事に引っかかってしまう。
だがもちろん、清四郎が無償愛など授けるはずもなく、二人きりの部屋で押し倒されたのは告白から三日後。
それからは彼の独断場で物事が進んで来た。
あれから8ヶ月が過ぎ、二人の交際を見ていた剣菱夫妻が勝手に婚約を取り決めたわけだが、何の不満もありはしない。
むしろウェルカム状態でそれを受け入れ、輝く未来に思いを馳せつつ、学業に励んでいた。
捕獲された悠理は、というと。
好き、嫌い、といった、中学生でも分かる感情をしばらく持て余していたのだが、
ここ最近は「嫉妬」という新たなステージに突入することで、「ああ、あたいは清四郎が好きなんだ」と自分の気持ちと向き合う機会が増えていた。
それもそのはず。
大学生になった清四郎は恐ろしくモテていた。
そんな現実を目の当たりにし、悠理はとても驚かされる。
あの嫌味でクールぶった男が、女の視線を射止め、本気のアプローチを受けるだなんて・・・。
まったくの大誤算である。
「僕には心に決めた、大切な人が居ますから。」
慣れた様子でそれらを断る姿も・・・・どことなく格好良くて、悠理としては想定外のトキメキに胸を絞られる思いなのだ。
それからというもの、ちょっぴり乙女になってしまった悠理は、立ちはだかる壁を前にしてどう対処したら良いのかが分からない。
分からないから逃亡し、酒に逃げる。
「喧嘩は真っ向勝負」が基本だったはず。
しかし彼女は「女」を剥き出しにして闘うスキルがなかった。
「それについては何度も説明しましたよね?コンタクトがずれた彼女の目を確認していただけだ、と。」
そう。何度も聞いた。
准教授の研究室で、キスかと見まごうほど接近していた二人を偶然にも目撃してしまった悠理。
奈落に落とされたような衝撃を受け、パニックに陥ってしまう。
嫉妬、暴発、逃走。
追い掛けてきた清四郎が何度も説いたが、悠理にはそれを受け止めるキャパシティがなかった。
彼を振り切るように構内から逃亡。
比較的地味な居酒屋へと飛び込んだ彼女は、それから破竹の勢いで飲み続けている。
もやもやする気持ちを払拭するには酒が一番。
悠理は分かっていた。
自分には「女」として彼を惹きつける要素が、あまりにも乏しいことを。
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携帯の追跡装置のおかげであっさりと探し出した清四郎。
もちろんその他にもGPS機能が搭載されたキーホルダーを持ち歩かせている為、ほとんど憂いはない。
愛しい婚約者はペットよりも厄介だった。
「知らない!」
意固地に首を振る悠理を、清四郎は溜息で受け止める。
「嫉妬もいいですが、度を越すと可愛くありませんよ。」
冷たい台詞に悠理の意地がむくむくとわき起こるが、それよりもいじけた心が勝利した。
「や、やっぱ、あたいなんて可愛くないんだ………おまえはあんな女の方が良いんだ………」
「馬鹿なことを言ってないで、ほらしっかり掴まって……」
「やら!!!清四郎のバカたれ!」
振りほどいた手が、偶然にも清四郎の頬を打つ。
いつもなら見事な反射神経でかわすくせに、敢えてぶたれたようにも感じた。
「うわっ、ご、ごめん!!」
衝動的に謝ると、不機嫌そうな目で見つめられる。
萎縮し、涙目になった悠理に、もう片方の頬を差し出した彼は、
「………いくらでも。気が済むまでどうぞ?」
と恐ろしく冷静に言い放った。
「ち、ちが……たまたま……」
「しかし僕は事実無根の罪でぶたれるつもりはありません。次、あの教授に会った時、おまえが妄想していることを現実にします。」
「え………?」
「彼女にキスするということです。それで良いでしょう?」
悠理はぞっとした。
脳裏に浮かんだその光景に、一瞬で腸が煮えくり返る。
フラッシュバックされる、あの時の二人。
確かに清四郎の繊細な指は、彼女の瞼を開いていた。
そして覗き込むように、何度も角度を変え、何かを囁いていたではないか。
それはキスではない。
むしろ医者が行う診察と言えよう。
「………や、やだ。」
「嫌?」
こくり。
頷く悠理を清四郎は優しく撫でる。
「キスなんて、してほしくないでしょう?」
「当たり前だい。」
「僕だっておまえ以外にしたいとは思いません。」
「ほ、ほんとに?」
「………ここまで惚れさせておいて、そんな疑問を抱くとは………僕の愛情表現には補うべきところがあるのかな。」
苦笑する清四郎は、それでも優しい瞳で見つめてくる。
嬉しくなった悠理は逞しい腕にしっかりとしがみつき、絡め合わせると、「んなことないよ………」と小さく呟いた。
今はまだ、「愛される恋人」として闘う術は知らないけれど、いつかちゃんと胸を張って頑張るから。
━━━しかしその機会は、さほど時をおかずして訪れたのである。
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