悠理視点
沈む太陽を、眺めていた。
二人で。
たった二人きりで。
その時にはもう、充分過ぎるほど清四郎を意識していたんだと思う。
夕日に赤く染まる肌。
真っ直ぐに見据えた瞳。
風にもなびかぬ、セットされた黒髪。
だけど、その唇だけは微かに震えていた。
彼の本気を携えて。
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「アフリカ?」
「ええ。どうです?たまには二人で行ってみませんか?」
突然過ぎる誘いに、一瞬思考停止してしまったけど、アフリカの四文字は心を浮き立たせるのに充分だったようで、気が付いたときには「行く行く!」と手を挙げ、身を乗り出していた。
「ん?なんで、あいつら誘わないの?」
「野梨子と可憐がアフリカと聞いて、行くと思いますか?美童も然りです。魅録は…………」
清四郎は少し口ごもった後、「忙しいようで……」と続けた。
「おまえは?」
「え?」
「忙しくないのかよ?」
いつもいつも、何か難しそうな事に夢中で、知らぬ間に知り合いを増やし交流を深め、出来の悪い友人の家庭教師まで請け負ってくれている清四郎。
彼の時間が足りているとは、とてもじゃないが思えなかった。
「こちらが誘ったんですよ?」
「そだけど………」
「それに僕は優秀ですからね。時間など幾らでも調整できます。」
「ケッ、えらそーー!」
相変わらずの性格が表れた口調と態度。
友人だから見過ごせるけど、そうじゃなかったら……
『そうじゃなかったら?』
一瞬浮かんだその仮定を慌てて消し去る。
━━━━━何考えてんだ?あたい。
清四郎は友達じゃんか!
どんだけ扱い辛くても、ここぞと言うときには頼りになる男で、親友って言ってもおかしくないくらいの………
「んで、いつ出発!?」
気を取り直し尋ねれば、
「再来週にまとまった連休があるでしょう?その辺りでどうです?」
と用意されていた返事がかえってきた。
「オッケー!じゃ、ジェット機出すよ。」
「助かります。」
『二人きり』を意識したわけじゃない。
だけど何故か心拍数は上がり、男と二人、旅に出るということに、後ろめたさを感じた。
相手は友達なのに………
清四郎なのに………
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その国はとても暑かった。
乾燥した大地には、見たこともない植物が植わっている。
アフリカには父親と何度か訪れたことがあるけれど、清四郎が選んだのは南アフリカのとある保護区。
区域内で管理されている動物を、走るジープから間近で観察出来て、なんとホテルの部屋からも群れを成す象達を堪能出来るのだ。
「すっごい!こんなホテルあったんだな!」
「ここ数年、新しい形のリゾートホテルとして随分増えてきましたよ。プールも広々としてますし、まるで退屈とは無縁ですな。」
「へぇー!んじゃ、後で泳いでくる。」
バスルームからもサバンナが見渡せ、そこはもう、かんっぺき理想郷。
本気で移住したいくらいなんだけど、食べ物がなぁ。
……なんて、どうでも良いことを考えていたら、清四郎はさっさと自分の荷物を抱え、引っ込んでしまった。
予約した部屋は当然スイートで、ベッドルームは何故か三部屋もある。
お互いの選んだ場所で眠るのだが、なんとなく意識してしまうのは、やはり二人きりだからだろうか?
いつもは布団を並べ、平気でイビキをかいているはずなのに。
小さな違和感が積み重なり、それを振り払うかのようにプールへと走った。
ホテルの客は、海外からのリッチな人間ばかりで、至るところがヨーロピアンスタイル。
洗練されたデザインの家具や、色とりどりの花。
ここがアフリカってことを忘れてしまうほど、快適な空間が広がっていた。
プールから程近い場所に、動物達の水のみ場が作られている。
こちらとの境界線は切り揃えられた緑の垣根だけ。
運が良ければ、親子連れの象の大群が臨めるらしい。
強い紫外線が届く中、勢いよくプールに飛び込み、水飛沫を上げる。
真上を向いてプカプカと浮かびながら太陽を感じていると、『いつもだったら、魅録ちゃんとじゃれ合っているのになぁ。』と不意に寂しくなってしまった。
あいつは………相手してくんないだろうし?
プールサイドで、涼しい顔しながら本を読んでいるのがオチだ。
もやんとした気持ちを取り払い、猛スピードで泳ぎ始めると、いつの間にか誰かが並走している。
━━━あたいの本気についてくるなんて、ただ者じゃない!
相手の姿を確かめないまま、本気出して泳ぐ。
50メートルもあるプール、それを三往復。
さすがに辛い。
心臓が跳ねる。
結果、僅差で負けてしまった。
このあたいが、だ。
こんなことあり得ない!
息を切らしながらショックを受けていると、
「やはり速いですな。昔とちっとも変わってませんよ。」
水の中から立ち上がったのは、髪を掻き上げる清四郎だった。
嘘!?こいつ、こんなにも速かったのか?
いつもは魅録との勝負ばかりで、清四郎の本気なんて見たことがない。
広い肩幅、隆起する筋肉に流れる水滴。
ドキドキする。
ドキドキしてしまう。
あり得ない………
相手は清四郎なのに。
彼の視線が自分に注がれているだけで、背中を向けたくなるほど………恥ずかしい。
「ち、ちょっと調子が悪かっただけだい!次は勝つからな!」
そんな悪態を吐くのが精一杯。
やつに触れたくなった心を押し殺して。
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次の日は、大型のジープでサファリ体験をした。
運良く、ライオンの群れを目の当たりに出来て、まさに興奮の連続。
清四郎もいつになく楽しそうだったので、ちょっと嬉しくなった。
夜は静寂に包まれる大地。
二人でトランプや持ち込んだボードゲームをして遊ぶけど、やはり人数が少ないからか、盛り上がりに欠ける。
「なんで、アフリカに来たかったんだ?」
「……そうですねぇ。たまにはおまえを野生に帰してやらなくてはと思いまして。」
「人を猿扱いすんな!」
相変わらずの口振りにムカッとするが、穏やかに微笑む清四郎を見たら、それ以上怒るのは馬鹿馬鹿しくなった。
いつだってそう。
こいつには「動物」としか認識されてない。
むしろ動物の方が頭が良いと思ってるしな。
「明日は夕方までサバンナに出掛けましょう。ガイドを一人予約しましたから。」
「あ、うん。ホテルのサービスとは別ってこと?」
「ええ。違ったルートを走らせてくれるようです。滅多に見ることが出来ない珍しい動物に会えるかも。」
「ひゃっほー!楽しみーー!」
こういうところが清四郎だと思う。
ヤツが与える飴と鞭。
そしてその飴は、いつも、とてつもなく甘いのだ。
感謝の意味を込め、普段どおり擦り寄ると、清四郎の体がビクンと固まった。
━━━━え?
「さぁ、そろそろ寝ましょうか。お風呂、先に頂きますよ。」
「え、あ、うん。」
耳が赤い?
まさか、ね。
その日の夜はなかなか寝付けなかった。
隣にいる清四郎の気配が気になって。
こんなこと………初めてだ。
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それからまさかの告白をされて、頭がフリーズしたまま帰国した。
だって……分かんなかったんだ、本当に。
友人が恋人になるなんて……想像出来なかったんだ。
一時期、婚約者になったときも、女を意識させられるのが嫌だった。
あいつの思い通りに操られるのが嫌だった。
心が伴っていないのに、結婚だなんて━━━━
告白されたとき、ちょっとカッコ悪いけど、泣きそうになったのは事実。
清四郎の震える唇があまりにも切なくて、本気であたいを好きだと言うその心が沁々と伝わってきて。
でもいきなりの事に、反応できなくて。
返事なんて用意してないし、直ぐに断るほど憎らしくもなかった。
それから………
二人は特に変わらず、日常を過ごした。
仲間達に土産話をするときも、勉強を教えてもらうときも。
一切あの事に触れなかった。
だからその分、ずっと考えさせられた。
頬を掠めたキスを思い出し、震える唇から紡がれた言葉を反芻して、胸が苦しいくらい考えた。
清四郎はどちらかといえば苦手な男。
だけど、絶対に手離したくない男だ。
それが、恋なのか?
違うんじゃないか?
打算的な思いだけで、恋にすり替えちゃダメなんじゃないか?
難解な問題に頭を悩ませながら、ようやく答えに辿り着いたのはクリスマス直前。
学園の廊下で、下級生の女子からクリスマスプレゼントを受け取っている場面を見たときだ。
━━━男にしかモテないと思ってたのに。
逸り出す心臓。
優しい笑顔でそれを手にする清四郎は違う男に見えた。
もしかして……あたいのことは諦めた?
どうしよう!
あれは気の迷いだったんだろうか?
ジリジリとした焦りがこみ上げてくる。
━━━いいや、違う。
本気だった。
目も、声も、唇も、全部。
いつもの軽口なんかじゃなかった。
「この旅は僕の覚悟です。おまえと過ごせるのなら例え最果ての地でも構わない。それこそ宇宙であっても……ずっと一緒に居たい。だから………」
‘悠理の気持ちを下さい━━━’
そうハッキリ言ったんだ。
’あたいの気持ち’
イエスかノー。
果たして、そんな簡単な言葉で片付けて良いんだろうか?
清四郎の望む答えはきっと…………
足元を吹く風は冷たくて、二人の影が消えた後も、あたいはずっとその場に立ち尽くしていた。
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「悠理、風邪をひきますよ。」
背中から覆われる毛布の温もりに、思わず息が零れる。
あれから一年が経ち、二人の関係はすっかり変わってしまった。
クリスマスは再びやって来たが、今年は仲間達と騒がない。
静かで、ちょっぴり厳かな夜。
ここはローマ市街にあるホテルだ。
実は来年の春に向けて、結婚式場の下見に来ている。
もちろん母ちゃんのごり押しで、バチカン、サンピエトロ寺院での挙式となる予定。
クリスチャンでもないのに受け入れてくれたのは、やっぱり多くの寄付金のおかげなんだろうな。
「結婚、か……」
「おや、今更怖じ気づいたんですか?」
「うーーん。」
あの荘厳な寺の中で、5メートルのトレーンを引き摺って歩かなきゃいけないなんて。
ほんと、母ちゃんの趣味には参ったよ。
「おまえはいいよな。普通のタキシードだもん。」
「ああ、なるほど。そういうことですか。僕は是が非でも、おまえのドレス姿を見たいんですがね。何ならもう数着作りますか?」
「い、要らない!一枚で充分だってば!」
「残念。一生に一度のことなのに。」
そう、一生に一度なんだ……恐らく。
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去年の今頃、あたいは精一杯の気持ちを込め、清四郎のほっぺにキスをした。
緊張と恥ずかしさと、ごちゃごちゃの頭で。
直ぐにでも追っかけてくるかと思いきや、30分経っても現れない。
そろっとベランダを覗き見ると、ヤツは腰を抜かしたようにその場に座り込んでいた。
「あほ!風邪ひくだろ!」
恐ろしく冷えた身体で、ぼやっと見上げてくる。
「夢じゃない、ですよね?」
虚ろな瞳。
いつもの研ぎ澄まされた視線は見当たらない。
(……なんだ?この無防備な男は?)
その時、無性に可愛く感じた所為で、あたいは余計なことをしでかした。
冷え切った唇に、まさかのキスを……
「……ほら、夢じゃないだろ?」
呆然としたままの清四郎を無理矢理立ち上がらせ、部屋へと戻す。
雑魚寝する仲間達を避けながら大浴場に突っ込むと、入れ替わるように魅録が姿を見せた。
「お?清四郎も入るのか?」
「魅録!ちょうど良かった!こいつを風呂に突き落としてくれ。」
「は?なんだ、そりゃ。」
「早く!風邪ひいちゃうんだってば!」
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クスクス
思い出し笑いをしていると、大きな腕がぎゅうっと抱き締めてくる。
「何を笑っているんです?」
「へへ、なーいしょ!」
「僕に隠し事ですか?許せませんな。」
ベッドに運ばれ、大きな窓が遠ざかる。
あーあ、せっかくの雪だったのに……。
「もう……また?」
「たった3回で満足するとでも?」
「一年前はキスだけで満足してくせに?」
清四郎は目を瞠り、照れたように顔を背けた。
「あの時は…………胸がいっぱいで……」
「可愛かったよなぁ。純な清四郎ちゃん!」
「からかわないでくださいよ。」
初めて結ばれたのは正月真っ只中。
そん時には既に純情の欠片もなかったけれど。
キスが落ちる。
いろんな場所に。
いろんな角度で。
「清四郎。」
「ん?」
「また、アフリカ行こうな。」
「…………ええ、いつでも御伴しますよ。」
遠くで鳴る鐘はきっと、天からの祝福。
今宵はクリスマス。
来年もまた、同じ音色を聴けるといいな……。