仕掛けられた恋心

 

ここ最近、毎晩同じ夢を見る。コチコチコチ………

置き時計の音に吸い込まれるかのような眠りの始まり。
白い霧の中から現れる男に抱き締められ、そのまま心乱される。
自由の効かぬ身体は、重力に逆らえず、まさぐる手を振り払うことすら出来ない。

「せ……しろ………」

見上げ懇願しても、彼は決して離してはくれず、耳の側に息を吹き込まれ、そのまま意識が蕩けそうになる。

眠っているはずなのに。
これは夢のはずなのに。

肩に回された腕と密着する腰。
大きな掌で優しく揉まれる小さな胸が、ピクピクと反応してヘソの下が熱くなる。

「悠理………」

特に何を言うわけではない。
しかし、自分の名を呼ぶ彼の声はとても濡れていて、その色っぽさに肌がぞわっと粟立つ。

「せぇしろ……なに……すんの?」

にっこりと微笑みかけられ安心していると、長い指は次第に下半身へと下りていき、そこは触れちゃダメな場所なのに、抗えないまま、与えられる快楽に溺れてしまう。

「あ………いや………やぁ…!」

頼りない声は自分のものではないように感じるが、奥深くまでかき混ぜられながら耳を甘く噛まれると、より甲高い声が飛び出てしまい、それは紛れもなく自分の声であり、恥ずかしさに激しく首を振るも、彼は戒めをほどこうとはしなかった。

この夢は何?
どうしてこんなにも自由が効かないんだろう。

とろとろと溶けてゆく自我の中、清四郎の袖を掴み、涙を溢す。

「なんか……言えよ!」

いくら詰っても男は答えない。
これが夢だからか、それとも自分がそれを望んでいるからなのか。
何もかもが、分からない。

RRRRRR………

けたたましい音で目覚める時、いつも思考はぐちゃぐちゃのまま。
濡れた下着の切なさに、ため息が溢れる。
時計の針は七時を指していて、そういえばこの置時計のお陰で寝坊しなくなったな、と気付く。

これはクリスマスプレゼントとして清四郎がくれたもの。
他の皆にはもっと気の利いた、色気ある物を選んだくせに。

「これで寝坊しなくなるでしょう?万年遅刻魔さん。」と、耳障りなほど五月蝿いアラーム付きの時計を手渡した。
その時、いつもの悪態が吐けなかったのは何故だろう。
彼の見透かすような目を見つめ、黙って受け取ってしまったのは、何故?

清四郎の夢を見始めたのは、その頃からか?

決して寝不足ではないはずなのに、講義を受けている身体は、やたら重く感じる。
隣にいる可憐に小突かれ、何とか瞼を開くけれど、頭はぼんやりしたまま。
ただでさえチンプンカンプンなのに、今はもう子守唄にしか聞こえない。

「あんた、最近たるんでるわよ?」

カフェテリアの昼食時にもそう指摘され、「だよな。」と納得する。

でもしょーがないだろ?
どんだけ足掻いても思い出してしまうんだから。
夢の中のあいつを。

「悠理、具合でも悪いんですか?」

不意に、後ろから声をかけられ、漫画のように肩がびくついた。

「あら、清四郎。珍しいわね、こっちの学部に来るなんて。」

「ええ、少し用事があったもので。」

当然のように、清四郎はベンチ椅子の隣に座る。
慌てて距離を取ろうとしたけど、太股が密着され、あからさまには避けられない。
変に思われることが怖かった。
理由を問い詰められることが怖かった。
勘の鋭い清四郎から、逃げられやしないのだし。

「また腹でも壊しましたか?」

いつもの調子で覗きこまれたとて何も言えず、食べかけのカレーライスに目を落としたまま、首を横に振った。

夢の中と同じくらいの距離。
でも夢では感じられなかった体温と匂い。
テーブルの上で紙コップを持つ彼の手は、夢と同じに大きくて、長く美しい指をしていた。

呼吸が苦しくなる。
毎日上書きされる記憶が、あまりにも生々しくて、勝手に身体の奥が反応してしまう。
じゅくじゅくと膿んだような、熱をこもらせて。

スプーンが進まない様子を心配してか、清四郎は額に手を当ててきた。
あの大きくて、いやらしい手を。

「や、やだ!触んな!」

「…………悠理?」

驚いて引っ込めた手は、それでも宙に留まったまま。

━━━しまった!!

気付いたとてもう遅い。
漆黒の瞳が、大きく見開かれる。

「ご、ごめん、清四郎!あたい気分悪いから帰る!」

「あ、こら!待ちなさい。」

椅子から腰を上げ、ダッシュで走り出したのに、カフェテリアを出る頃にはしっかりと腕を掴まれていた。
そのまま、隣接する自販機コーナーへと連れていかれ、両腕とその大きな身体全体で退路を絶たれる。

「何を意識してるんです?」

「い、意識?」

「ここ最近、あからさまに僕を避けているでしょう?何故です?」

彼の追及する目から逃れられた試しは一度としてない。
チカチカ光る自販機に顔を背けたまま無言で立ち尽くしていると、清四郎はそっと髪を撫でてきた。
いつものように優しく。

「何か嫌われることをしましたか?」

「…………ううん。」

「なら、どうしてです?」

「だって………」

だって、夢に見るんだもん。
毎晩、毎晩。
あんな夢、おかしいだろ?
やらしくて、気持ち良くて、すごく哀しい夢。
おまえは、ただの友達なのに。
ただの清四郎なのに。

溢れそうになる涙を堪えながら、ポソポソとかいつまんで白状すれば、「ふむ。」と顎に手を当て、考え込んでしまった。

━━━━やっぱ言わなきゃ良かったかな?

もちろん『やらしいこと』の中身を具体的には伝えていない。
抱き締められ、耳元で名前を囁かれること以外は秘めたままでいよう、そう思った。

「潜在意識下で僕に惚れているんじゃないですか?」

「え?」

「………なんてね。冗談です。」

━━━惚れてる?あたいが清四郎に?

「ば、馬鹿言うなよ!!」

「だから冗談だと言ったでしょう?これはあくまで………」

途切れた言葉を追うように振り向けば、清四郎の目は切なそうに細められ、いつもの尊大な雰囲気は完全に失われていた。

「僕の願望です。」

「あ……………」

その表情は反則だ。
打ち寄せる波のように、じわじわと新しい感情が胸に広がってゆく。

「まさか、おまえ………あたいのこと…………好きなの?」

「………どうでしょうね。」

「はっきり言えよ!!」

苛立ちと好奇心と、少しの喜び。
それをごちゃ混ぜにして、清四郎の逞しい胸に拳をぶつけるけれど、彼はビクともしない。
それどころか、握られた拳をそっと掴み取られ、身体ごとさらわれてしまった。

「言ったらどうなります?おまえは僕のものになりますか?夢のように、耳元で名前を囁くだけじゃ済みませんよ?」

目と目がぶつかる。
鼓動が重なり合い、呼吸すら制限される中、頑丈な腕が逃がすまいと力をこめてくる。
せめてもの抵抗を見せようと、清四郎の首筋に歯を立てれば、ようやくその手を緩め、隙間ができた。

「っつ!」

「いいから、言えよ!あたいだって知りたいんだ!なんでこんなにもおまえのことが気になるのか!ただの夢なのに、ただの…………」

「好きです。僕こそ、毎晩夢を見る。この腕に抱き締め、キスをして、悦びに流すおまえの涙を吸いとりながら、深く繋がる夢を。」

「え!?」

キャパシティオーバー。
彼の腕の中で眩暈がした。

「夢を現実にしたいと、どれだけ願ったか…………わかりますか?」

「せぇしろぉ……」

「悠理、僕を好きになれ。おまえの望むことを全て叶えてやるから。退屈な人生から救いだしてやるから、この僕を選びなさい。」

それはいつもの清四郎だったけれど、光を宿す目はいつになく本気モードで、吸い込まれるように近付いた二人は、とうとう唇を重ねてしまった。

蕩けるような感触。
夢の中と同じ浮遊感。
彼が作った世界に、たゆたう心地好さ。

「悠理?」

「……………もっと気持ち良くして?」

気付けば懇願していた。
夢よりもリアルに清四郎を感じたかった。

「……いいですよ。二人で、どこまででも感じ合いましょう。」




きっともう、あの夢は見ない。
現実の方がもっとすごかったから。
もっと、淫らだったから。

彼と結ばれた日に消えた置き時計が、今どこにあるのかは知らないけれど。

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「これはもう用済みかな。」

男の手からゴミ箱に放り投げられたプラスチックの時計。
そう、必要ないのだ。
彼女がこの先、寝坊することはないだろうから。

「僕が優しく起こしてやりますからね。」

夢も見ないであろう熟睡する恋人へ、そう囁く。

「しかし………効果覿面だな。多少の罪悪感は感じるが。」

男は催眠術に長けていた。
秒針の音をアイテムに仕掛けたそれは、思った以上の効果をもたらし、自分を意識させることに成功する。

禁じ手だと分かっていた。
だが、どんな手を使ってでも欲しかった。
それほどまでに想いは膨らみ、夢でしか会えない現実にうんざりしていた。

「しかし、本当はどんな夢だったんでしょうね。今度白状させますか。」

寝返りを打とうとする彼女を引き寄せ、しっかりと抱き締める。

「僕の目は誤魔化せないんですよ。どれだけ注意深く観察してきたと思ってる。」

おまえのことなら何でも分かる。
どんな些細な嘘でさえ。

それはきっと━━━━
強すぎる愛がもたらす副産物なのだろう。