あたいはどうかしている。
この男の声と香り。
そして、滑らかな肌に痺れるような甘さを感じて、クラクラする。
初めてだ。
男にこんな感覚を抱くなんて。
夕べは酒の勢いでチンピラと一悶着おこしてしまったところ、清四郎に助けられた。
いつもは傍観するくせに、相手が飛び道具を持っていると判り、即座に割って入る。
何も知らないあたいは、“邪魔すんな!”と喚き散らしたが、清四郎の腕に捕らえられ、あっさりそれ以上の反撃を封じられてしまった。
その時感じた力強さに、クラッとした。
ふわりと漂う爽やかな香りに、ドキッとした。
────こいつ、こんな匂いしてたっけ?
「喧嘩は、相手を見て買いなさい。」
いつものように説教が飛び出す口。
目の前でよどみなく動く形のいい唇。
意識する必要もないくらい、今まで何度となく密着してきた。
肌と肌が触れ合うことなんか初めてじゃないし、それどころか喉の奥までまさぐられたこともあるんだ。
んなの、いちいち意識してたら無理だろう?
なのに────
ヤツの腕と太い首はあたいの心をドキドキさせる。
がっしり掴まれた腰。
重なる体温。
あたいはまるで借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
「わ、わぁってるよ。」
声が上擦る。
汗がにじむ。
なんでドキドキするんだ?
なんでこんなにも顔が熱くなるんだ?
腕がそっと離れた後も、服の皺のように奴の感触が染み着いた。
それは初めての違和感。
そして────寂しさ。
・
・
夜が明けても答えは出ない。
睡眠はいつも通り八時間だったが、それでも眠る前や朝起きた後、奴の顔を思い出した。
学校で顔を合わせれば、やっぱり胸がキュウッとなって心臓が跳ねる。
本気で医者に診て貰おうかと思うほど、それはしつこく続いた。
「悠理、どうかしましたの?」
野梨子の心配そうな声に、「何でもない」と答え、いつものようにお菓子を食いまくる。
味気ない。
可憐が手作りした美味しいはずのケーキがまったく味気なく感じる。
紅茶を啜り、深く溜息を吐く。
自身の変化に戸惑っていても、清四郎は株価のチェックをしていて、パソコンから目を離さない。
凛々しい眉。
綺麗な目。
今更ながらに、この男のハンサムぶりを再認識する。
おっさんくさい髪型と美童の華やかさに隠れてはいるけど、わりといい顔してるんだよな、こいつ。
男にばかりモテるって言うけど、本当のところはどうなんだろ?
「悠理、お茶!こぼれてるわよ!」
「わわっ!」
気もそぞろ………なあたいは、何をしても失敗ばかり続いた。
解決策なんてもちろん、思い浮かばないさ。
「悠理、そろそろ定期試験の勉強を始めなさいね。」
お決まりの台詞が飛び込んでくる。
そういえば二週間後は期末試験だ。
ちっとも勉強なんてしていない。
それに────
あたいが聞きたいのはそんな言葉じゃないんだ。
あたいが聞きたいのは────
───って、じゃあどんな言葉が聞きたい?
自分でも解らないくせに苛立ちが募る。
淹れ直してもらった紅茶の表面をじっと見つめ、一つ溜息。
ユラユラ………
なんとも情けない顔が琥珀色に映っていて、恥ずかしくなった。
「悠理?腹でも下したか?」
「ちがわい。」
「今日はいつになくぼーっとしてるねぇ。」
「ほっとけ。」
今は清四郎以外に声、かけられたくない。
清四郎の声だけを聞いていたい。
お説教でもいいんだ。
───あたいのこと、もっと気にかけて?
もっと………見つめていて?
そうすればきっと───
今まで見過ごしてきた何かに気付く気がするから。