初恋、自覚、そして暴走

──────I love you …………… ユウリ

それは大学に来た交換留学生の台詞。
金髪碧眼の彼、ジョシュ(アメリカ人)は、破天荒な美少女、剣菱悠理に一目惚れしたらしい。

異性から初めて告白された彼女が、どう反応したか?

もちろん、目をひん剥いて、飛びずさったに違いない。
悠理にとって恋愛はあまりにも遠い存在だったし、自分のことを好きになる男などそうそう居ないだろうと高を括っていたからだ。

だが彼女は色んな意味で自覚に乏しい。
その美しい顔立ちや、裏表のない性格。
普通なら高飛車になってもおかしくはない家柄なのに、フレンドリーで庶民的な部分も多く、決して取っ付きにくいタイプではない。
女としての色気は少ないが、くるくると変わる愛らしい表情は、見ている者をほっこりさせる。
少し余裕のある男なら、掻き立てられる保護欲を色恋に結びつけるのも簡単なのだろう。

ジョシュは典型的な兄貴肌で、悠理を見た瞬間、故郷に残してきた従妹を思い出した。
野山を駆け巡る、まだたった十歳の従妹を。

目が離せない存在だった少女を悠理に置き換え、日々愛しさを募らせていく彼は、見ている方が恥ずかしくなるほどの猛アタックを開始した。

朝昼晩、彼は愛の告白を口にする。
圧倒的な恋愛パワーと押しの強さ。

感情に素直とでも言うのか。
ジョシュに僅かな照れも見あたらない。
見た目は今時のクールなイケメン。
決して女に不自由しないだろう容姿で、悠理に迫る。

「もぉ、止めてくれよぉ。」

何度もそう強請ったが、彼の辞書に“諦める”といった単語は無いらしい。
運悪く同じ学部に在籍している為、いつ何時でも、悠理の目の前に出没するのだ。

最初は面白半分からかっていた仲間達も、さすがに気の毒に思い始めたのだろう。
今では彼から匿うように悠理の不在をジョシュへと伝えた。

しかし敵もさる者、引っかく者。
ふとした隙を狙い、悠理の前に現れる。
徐々に精神を消耗し始める悠理だったが、害を加えられたわけでもなく、蹴り飛ばすには至らなかった。

そんな友人の窮地を、清四郎は苦い気分で眺めている。
何故苦いのか………

自分でも説明出来ない、生煮えの魚を食べたような不快感が、胸を覆い尽くしていた。
悠理を女性として意識する輩が現れるとは、露ほども予想していなかった清四郎。
それも相手はなかなかの美丈夫。
優雅な物腰から、わりと裕福な家庭に育った青年だろうと推測された。

甘いルックスと素直な感情表現。
誠実そうな声と、悠理しか見つめない青い瞳。
美童のチャラさが浮き彫りになるような比較対照に、ジョシュのファンへと転向する女学生が後を絶たなくなっていた。

そんな彼が野生ザルと称される剣菱悠理に一目惚れし、付きまとっているのだから、彼女たちも面白くはない。
どうせならさっさと人の者になってくれれば諦めもつくだろうに───と考える輩も少なからず存在した。

しかし悠理にとって、彼の猛攻撃は迷惑でしかなく、女として求められることは恐怖そのものだ。
悠理は恋愛に疎く、出来ることならいつまでも今のままで居たいと願う幼い精神の持ち主である。
その事実を清四郎はよく知っているし、むしろそのおかげで刺激的な学生生活を送れていると自覚していた。

猪突猛進という言葉が似合う少女。
悠理が恋愛に走れば───自分たちなどあっという間に捨てられてしまうことを、彼は予感しているのだ。

だが…………
本当にそれだけが惜しいと思っているのか?

自分の不快感を分析し始める。
ジョシュという不穏分子が現れてから、清四郎は多忙な毎日の日課に、悠理の様子を確認するという項目を書き加えた。

彼女が彼からうまく逃げているか、告白をきちんとかわせているかを確かめる日々。
疲れた様子で秘密の小部屋に避難すれば、今日はどんな言葉をかけられたのか、事細かに追及する始末。
ありのままを迷惑そうに語る悠理をこの小部屋から一歩も出したくないと思ってしまうのは、何故なんだろう。

波立つ心に、未だ答えは見つからない彼だった。

「あーー、もう、ほんっとしつこい!あたい大学辞めたくなってきたじょ!」

机を叩き、半泣きの様子で訴える悠理は、清四郎の顔を見上げると、「なんとかしてくれー、清四郎!」といつものように泣きついてきた。

「本気で何とかしたいと思ってます?」

「当ったり前だろ!何言ってんだ!」

憤り露わに、噛みつく悠理。
しかし清四郎は彼女の本音を探りたかった。

本当は絆されてきたんじゃないか?
情熱的な告白に、少しくらいクラッときたんじゃないか?

相手が初恋も未経験の野生ザルだと解っていても、清四郎は探らずには居られなかった。

「わりと良い男ですよね、彼。」

「…………知るか。好みじゃないし!」

「そうですか?躯つきからして、相当鍛えられている方だと思いますが。」

「でも、あたいより強くないだろ?」

「闘ったこともないのに、解らないでしょう?」

突如、無言になった悠理を見て、清四郎もまた口を閉ざす。

こういう会話は───苦手だ。

そう思ってはいても、僅かな変化すら見逃したくないと必死になる。

暫くした後、悠理はふてくされたように肘を机につき、顎を乗せた。

「…………おまえの意見としては、さっさと諦めて、付き合っちゃえってこと?」

「………違います。」

「どう聞いても、そんな風に感じるけど?」

「違いますよ!僕は────おまえが………」

何を言いたいのか頭がまとまらない。
不機嫌な友人のまっすぐな視線を、まともに受け取る事も出来ない。

あの金髪の青年と付き合う悠理を想像したら、胸がギリギリと絞られる。
不快感で埋め尽くされ、口の中な苦くなる。
そんなこと、許せるはずもないのに───適当な理由が浮かばない。

「………あたいは恋愛ってよくわかんないし、それにハマるつもりもない。今のままでも充分楽しいから………おまえらと遊んでる方がずっと。」

「したこともないくせに、そんな断言、何の意味があります?」

「じゃあ、おまえは…………経験あんのか?」

言葉に詰まり視線を外すと、悠理は執拗に覗き込み、清四郎を探ろうとした。

「そーいや、せーしろちゃんの初恋って聞いたことないな。もしかして…………野梨子だったりする?」

「あり得ませんね。野梨子は昔から妹のような存在でしたから。」

「へぇ………あん時、初めて出会った時、そんな風には見えなかったぞ?お姫様を守る騎士見たいな感じで突っかかってきたくせに。」

ケケケと笑う悠理は、確かに恋愛話など似合わないのだろう。
こんな生産性のない会話はもう止めにしなくてはならない。
そう思いつつも、決定的な安心感を得る為、清四郎はどうしても深追いしてしまう。

「悠理こそ、初恋などしたことないでしょう?まさか例のハリウッド俳優が相手だなんて、言いませんよね?」

「うーん…………初恋なぁ。シュワちゃんは大好きだけどそれはさすがに憧れだって、わぁってるよ。」

「へぇ───」

解っていた事とはいえ、清四郎はホッと胸を撫で下ろす。
自分よりも先に経験されることが許せなかっただけかもしれないが。

「でも、昔、それっぽい気持ちになったことは………ある。」

「え?」

「ま、ちょっとだけな。」

「あ、あ、相手はだ、誰です?」

思いがけない言葉に動揺が隠せない。
どもりを訂正しないまま、身を乗り出し、答えを得ようとする。

「んなもん、言うかよ!どーせ馬鹿にされるだけだし。」

「言いなさい!」

隠し事などさせませんよ!とばかりに詰め寄られ、悠理は思わず身を引いた。
意外なほど食いついてくる清四郎の態度が、不思議で仕方ない。
というか怖い。

「なんだよぉ。もう、過去の事じゃん!」

過去───過去に悠理の心を揺さぶった男が居る。

そう考えただけで喉奥が熱くなり、血圧すら高まる感覚に囚われる。
たとえそれが幼き頃の勘違いであろうと、悠理と恋を結びつけたくない自分がそこにはいた。

彼女が認める男など…………いったい何処に居ると言うんだ?

「そ、そんなに聞きたいのか?」

無言の圧力をかけられ、悠理は戸惑う。
清四郎とこんな話をしているだけでも、相当レアな状況である。
恥ずかしくて仕方ない。

「聞きたいですね。」

「…………まぁ、ちょびっとだけだし、いっか。」

悠理は逡巡した後、内緒話をするように清四郎の耳へと顔を近付け、小さく囁いた。

「おまえ、だよ。」

「…………………え?」

「だからおまえだってば。」

「どういう………ことです?」

高鳴る胸を噛み殺し、冷静に尋ねる。
“からかい”などとはさすがに思いたくはない。
かといって彼女の言葉に信憑性は見出だせないが。

「ほら、中学三年ん時。野梨子と可憐がさらわれた事件あったろ?あん時のおまえ、いきなり強くなってて、あたいすっごくビックリしてさ。悔しい反面、ちょっとだけときめいたんだ。かっこいいなーって。ほら、あたいって、自分よりも強い男に弱いからさー。」

唖然とする清四郎に対し、へへっと照れ笑いを見せる悠理。
早口の告白は、彼女の言葉が真実であると感じさせ、清四郎は戸惑った。

想像もしなかった展開。
それ以上に喜びが身を覆う。
深い安堵に先ほどまでの焦燥が掻き消されていき、彼女に認められた過去の自分を誇らしくすら思う。

なるほど────僕は悠理に認められたかったんだな。

清四郎は皮肉げに笑った。

「な、なんだよ?」

「いえ…………それならそれで結構。しかし………」

「なに?」

「二度目の恋も、ほかの男になんて譲りませんよ。」

「は!??」

至近距離を更に縮め、清四郎は顔を近付けた。
相手は何も気付いていない馬鹿者。
清四郎とてついさっき気付いたばかりだが。

「おまえを…………誰にも、譲りません。」

チュッ
そんな軽やかな音を立て、悠理のファーストキスは奪われた。

停止する時間。
そんな隙だらけの友人に自覚させるべく、もう一度口づけを。

いつもの反射神経が滞った悠理は、もはや何をされてもおかしくはない状態だったが、そこはそれ。
清四郎は苦笑しながら、彼女の肩を抱き寄せる。

「…………僕の初恋も………………おまえのようです。」

声は届いているだろうか?
届いていなくとも、何度も伝える努力はしよう。
異国の青年などに奪われてはならない。
もちろんほかの誰にも。

そして清四郎は変わった。
ジョシュが後退りするほどの迫力で、悠理の周りをつきまとう。

「うざい!」

「やめろ!!」

そう言いながらも彼女の顔は真っ赤で、意識していることは一目瞭然。

それを見て、仲間達は知ったのだ。

「あれほどのイケメンに言い寄られても真っ青だったくせに、清四郎の時はちゃんと照れたりするのねぇ。」

「好きなんだな………結局は。」

「そりゃ、初恋だもん。意識しちゃうよ。」

「清四郎も嬉しそうですわ。追いかけるのが趣味ですから。」

二人の行方はハッピーエンドに違いない。
でも眠り姫の覚醒はもう少し先のこと。

それまでの間、二人の甘く賑やかな鬼ごっこは世界を股にかけて続くのである。

おしまい