青い罠

青い果実達・読み切りエピソードで再開します
※タイトル変更しました。

 

「剣菱さん。ちょっといいかな?」

刺百本分はあるかと思われるその声。
緩慢に振り向くとそこには、風紀委員の某がふんぞり返るように腕を組み、こちらを睨んでいた。

二人の性格は昔から、とにかく合わない。
だからこそ一定の距離を保っていたというのに……敢えて向こうから攻撃をしかけて来るとなると、悠理としても我慢するつもりはなかった。

「何だよ?」

剣呑な目で睨みつける。
喧嘩慣れしていない少年にとって、その眼力は恐怖にすら感じるのだろう。
ビクッと身を固くし、直ぐに視線を泳がせ始めた。

「だから、何?」

「こ、ここじゃなんだから………あっちへ。」

指し示された先にはヒトケのない美術準備室が。

─── 一体何を話すことがあるんだ?

嫌いな相手と内緒話する趣味はない。
悠理は不機嫌そうに詰め寄った。

「ここで話せよ。」

「そんなの………君が困るんじゃないか?」

「あたいが?どういうことだ?」

東鶴 光武(ひがしづる みつたけ)はようやくニヤリ、不敵に笑う。
その笑顔の裏に隠れた確信的な何か。
しかし悠理は全く読みとれなかった。

念の為言うことを聞き、準備室へと連なって入る。
どうせろくな事ではないはずだ、と覚悟を決めるが、次に聞かされた言葉は思っていたより遙かに大きな爆弾だった。

「君、菊正宗君とキス、してたよね?あの調子だと………不純異性交遊もしてるんじゃないか?」

悠理の性質上、嘘は吐けない。
吐いたとしてもすぐにバレる。
目が泳ぎ、挙動不審に陥るため、滅多に嘘は吐かないことにしている。

しかし────

やべ。
見られてたのか。

学園内でキスした初めての放課後。
興に乗り、途中で止めることも出来ず、校内アナウンスが流れるまで互いの唇を貪った。

中学生らしからぬ行為だと解っていた。
それでも離れられなかった。
清四郎との触れ合いは、どんなリスクを冒しても叶えたいものだから。

「…………で?何が言いたいんだよ。」

「認めるんだね?」

「脅すつもりか?」

「認めるんだよね?」

「うるさい!はっきり言えよ!何が望みなんだ!!」

胸倉を掴みかからん勢いで悠理は詰め寄った。
東鶴 光武は完全に腰が引けている。
それでも背後に壁があったことで体勢を立て直し、何とか咳払いすると、詰め襟を整え、悠理を見据えた。

「剣菱さん。」

「あ?」

「僕とデートしてください。」

「………………………は?」

「………ってのは冗談で、僕の兄とデートしてくれませんか?兄は君に一目惚れしたというんです。どこがいいのかは全くわからないけどね。」

想像もしていなかったいきなりの申し出。
それも犬猿の仲である男の、見たこともない兄について話され、悠理はさすがにたじろいだ。

「で、デートって………」

「今、君は菊正宗君とはお付き合いしてるんだよね?」

それは箝口令を敷くべき内容。
悠理は首を横にも縦にも振れずに佇んだ。
少しでも口を開けばボロが出そうだった。

「もちろん彼には内緒にする。一度だけで良いんだ。頼むよ。」

普段決して頭を下げるような男ではないが、よほど兄への思慕が強いのだろう。
ペコリ、深く頭を垂れる。

「んなこと言われても…………だいたいおまえの兄ちゃんっていくつだよ?」

「20歳。うちの大学に在籍してるんだ。」

「ハタチ!?」

普通にヤバい男だ───

悠理はそう確信した。
弟の、それも中学生にデートを申し込もうとするその神経。
いくら大人っぽく見られる容姿でも、さすがに問題ありだろう。大ありだ。

「一目惚れしたってのは本当なんだ。始業式の日、僕を車で送り届けた時に剣菱さんの顔を見て………好きになったらしい。兄は大人しくて、女性と付き合ったことは一度もないんだ。この先一生の思い出にしたいとも言ってる。だから、頼む。脅すような事言って悪かったけど、こっちも切実だから………」

そこまで言われたら、即断出来るはずもない。
悠理は困惑しながらも、拙い頭で正しい答えを導き出そうとしていた。

デート………
清四郎以外の男とデート。
普通に考えて、それはおかしい。
内緒とはいえ、交際まっ只中。
さらに人に言えぬほど深い関係でもある。

もし交際していることが教師達の耳に入ったら───
根ほり葉ほり聞かれるのは正直、辛い。
白鹿野梨子とも割といい関係に落ち着き始めているのに。

悠理は清四郎に対する罪悪感よりも、バラされることに意識を傾けた。
となると、ここは一度くらい目を瞑るに限る。
いくらヤバい男でも、自分の身を守る術は備えているわけで、相手が成人男性であろうとも怖くはなかった。

「いいよ………一回くらいなら。」

「本当に?」

「う、うん。」

「ありがとう、恩に着るよ。じゃあ、明後日、土曜日に●×駅で11時。待ち合わせ場所には僕も行くつもりだから。」

東鶴は晴れ晴れとそう告げる。
彼にしては珍しいほどの笑顔で。

しかし悠理がこの決断を後悔するまで、さほど時間はかからはかった。



土曜日────当日。
いつものラフな格好で指定された場所にやって来た悠理を、しかし待ち構えていたのは清四郎だった。

「あ、あり?」

「何が“あり?”なんです?」

目に見えて不機嫌な恋人に、思わずUターンしたくなる。

「東鶴は?」

「帰りました。」

「帰った??」

「ええ………”お帰り願いました“。」

ひときわ丁寧な口調に、清四郎の暗い怒りを感じた悠理。
思わず辺りを見回すも、縋れるものは何も見当たらない。
緊張が走る。
呼吸がしづらい。
当然目は泳ぐ。

────どういうこった??

そんな悠理を見つめつつ、清四郎は溜め息と共に愚痴り始めた。

「………ひどいと思わないか?僕という彼氏がいるのに他の男とデートするなんて。有り得ないだろう?」

「で、でも………あいつ、言うこと聞かなきゃ、あたいらのことバラす………って!」

「その時はその時。悠理が身を売るような必要はない。」

聞き慣れない言葉に悠理は目を剥いた。

「……身を売る!?何ソレ。」

「──知らなかったのか?」

呆れ顔の清四郎に慌てて問いただす。

「あ、あたい、一回だけデートすれば良いって聞いてたけど────まさか、違うの?」

「………ホテルまで、でしょ?」

「ホ、ホ、ホテルぅぅ!!??」

思いもしなかった話は悠理を混乱に導いた。
そんなふざけた展開、何一つ聞いていない。
てか、有り得ないだろう。
一度きりのデートは、せいぜい映画を観て、食事をするくらいだと思ってたのに。
まさかそんな悪質な罠が潜んでいようとは。

「東鶴が───そう言ったのか?」

「もちろん、全部白状させました。あいつはスキャンダルを仕立て上げ、悠理を退学させようと企んでいたんです。兄を使い、ラブホテル街を歩かせて、不純異性交遊を示唆するような写真を隠し撮りするつもりだったんだ。」

「うげっ!」

聞けば聞くほど恐ろしい計画だ。

───風紀委員のくせに、なんつー卑怯な手、使いやがる。

悠理は開いた口が塞がらなかった。

「………じゃ、一目惚れも嘘?」

「でしょうね。」

「あんにゃろ…………タコ殴りにしてやるぅ!!」

「当然。僕がしておきましたよ。」

「…………え?」

涼しげに言い放つ清四郎に微塵の後悔も見当たらない。
むしろすべてやり遂げたかのような爽やかな笑顔を見せている。

東鶴がどんな目に遭ったのか───
同情するつもりはないが、気になってしまう。

「まあ………さすがにタコ殴りはしていません。少しきつめに脅しをかけただけで。」

「別にいいよ。……………あんなやつ、地獄に堕ちろ。あたいがタコ殴りにしてやる!」

親切心を踏みにじった男への制裁は、悠理自身の手で行いたい。
そういうつもりで言ったのだが───

「やるなら早めにどうぞ。どうせ近い内に転校するかもしれないから。」

「え!?おまえ…………そんなにひどく脅しちゃったの?」

「何か問題でも?」

どうやら清四郎はかなり怒っているらしい。
東鶴の脅迫と策略。
元々は清四郎と東鶴の確執に、悠理を巻き込んだことは許し難い。

彼は将来…………必ず自分たちの弊害となる。

そう感じた清四郎は容赦なく彼を脅した。
ついで彼の兄に対しても。
学園に居られなくなるような、そんな弱みをちらつかせて。

「さて、僕たちは純粋なデートを楽しみましょうか。」

「プッ!純粋って………どうせ後から不純になるくせに。」

「不純?僕と悠理の間に不純なものなんて何一つないでしょーが。」

「………ん?まぁ、そだけど。」

清四郎は悠理の手を掴み、晴れ渡った空の下、歩き始めた。

こんな風に街中を、手を繋いで堂々と歩くのは初めてかもしれない。
いつもは清四郎の部屋で、子供らしからぬ爛れた時間を過ごすことが多かったから。

悠理はこみ上げる喜びに奥歯を噛みしめた。
今なら野梨子や可憐、他の生徒にだって知られても良いような気がする。

「さ、どこへ行きたい?」

「ん~、そだなぁ。デートらしく映画、とか?」

「確か、王道的ラブロマンスしかやってなかった気がするけど?」

「ん…………今なら───おまえとなら、観れる気がする。」

「へぇ………可愛いこと言うね。」

手が離れ、腰へと巻き付くその腕は悠理だけのもの。

「これ以上好きにさせないでくれ。」

「おい!………映画館で欲情すんなよ?」

「可能な限り、我慢するよ。」

笑顔で向かい合う二人は、どこにでもいるカップルのように甘いキスを送り合った。

 

そして清四郎の予言通り、東鶴 光武は一ヶ月も経たない内に学園からその姿を消す。

どのように脅したかは、永遠の謎。