第二話

「悠理ってば、いつも喧嘩ばっかりしてるけど、ちょっとくらい気になる男の子居ないの?」

「ブホッ!」

可憐にそう尋ねられた悠理は口にしていた海老天を思いきりよく、吹き出した。

こうして5人、中庭に集まって昼食を食べるようになったのも、ここ二週間ほどのこと。
一ヶ月前のお茶会からこちら、お互いの過去や近況を楽しく語り合う仲となっていた。

「き、気になるおとこぉ?」

「だって付き合い広いんでしょ?もしかしてこっそりお付き合いしてる男の子とかいるんじゃないの?」

探るような流し目を見せる可憐。
悠理は吹き飛んだ海老天を恨めしげに見つめる。

―――やばい。
きく………清四郎との仲は内緒にしようって約束したし、ここはシラを切るしかない!

そう。
二人は中等部を卒業するまで、交際している事を内緒にしようと約束した。
理由として第一に、潔癖な野梨子の性格を考えてのこと。
第二に、お喋り好きな可憐が、万が一口を滑らせでもして、教師に呼び出されるなんてことになったら?
ただでさえ問題児の悠理である。
余計な詮索を受けること、間違いない。
特に清四郎にとっては、やっと手に入れた初恋の果実。
せっかく成就したというのに邪魔されるなんてこと、我慢出来るはずもなかった。

「んなもん、いるわけないだろ?男なんて興味ないもん!」

悠理は海老天の恨みもあり、多少つっけんどんに返事した。
もちろん、大嘘である。
目下、恋人である清四郎に興味津々な悠理。
夕べは、待ち合わせた本屋の中にあるカフェで、恋人同士の甘い会話をたっぷりと堪能し、
帰り際に味わった清四郎とのキスに、名残惜しさを感じるようにさえなっていた。
本当はもう少しじゃれあいたかったが、さすがに人目が気になる。
仕方なく名輪を呼び出した。

「悠理。」

「何?」

「今度の週末、うち、泊まりに来る?」

「え・・・・?」

「両親も姉貴も不在だから。」

「あ・・・うん。わかった。」

覚えたての若い二人が、そう長く我慢できるはずもない。
悠理は頬を染め、上目遣いで清四郎を見つめる。
すると穏やかな微笑みが返ってくる。
そんな表情に胸が高鳴り、「ああ、あたい、こいつの事好きなんだな・・」と自覚する悠理であった。

現在進行形で清四郎との恋に溺れている悠理は、嘘を吐くにも目が泳ぐ。
中学生とは思えない鋭さを持ち合わせている可憐は、そんな悠理の様子をじぃっと窺っていたが、結局「そうよねえ・・」と納得し、溜息を吐いた。

「可憐は恋愛について興味津々なんだねえ。野梨子とは大違いだ。」

美童は貢ぎ物であるスコーンを口にしながら、黒髪の美少女を見遣る。

「わたくしは・・・まだそういった事は早いと思いますの。今は勉学や習い事に精を出す年頃ですから。」

「相変わらずお堅いのねえ。ま、仕方ないわ。徐々に可憐さんが教えていってあげる。」

「・・・ほどほどに願います。」

小さく呟き、隣に座る幼馴染みを窺うが、しかし彼の視線は違う方向に注がれている。
その先が大きな口を開けて食事をする少女であることに、野梨子はやはり一抹の寂しさを感じた。



その日の放課後、生徒会の定例会議が行われた。
各委員会の委員長全てが集まり、生徒会長である清四郎を中心に、議題について話し合われる。
今回の議題は「校内の風紀と美化について」。
悠理と険悪な関係にある風紀委員長’東鶴 光武(ひがしづる みつたけ)’はここぞとばかりに奮起した。

「え~・・・最近特に、風紀の乱れが目立っています。遅刻、無断早退、廊下を疾走する。この間など学園の塀を乗り越えて脱走した生徒も見受けられました。誰とは申しませんが・・・。」

言いながら悠理へと、冷たい視線を投げる。
しかし本人は詰まらなさそうに窓の外を見ていた為、東鶴の不満は更につのった。

「他校の不良と大っぴらに喧嘩したという事件も耳にしています。ここは再び気を引き締め、徹底的に校則違反を取り締まらなくてはならないと考えます。」

「貴重なご意見ありがとうございました。では次に美化委員長から・・・・」

清四郎は胸の中で苦笑していた。
東鶴はあの事件について何のお咎めもなかったこと、相当不服に思っているに違いない。
あれからというもの、自分たち5人に対する監視は異様なくらい厳しいのだ。
しかし、それだけの理由ではないと、清四郎は知っている。
何のことはない。
彼は「生徒会長」の座に、誰よりも君臨したがっていた人物であるからして・・・・。

例の騒動に「菊正宗清四郎」が関わっていた事を耳にした彼は最大のチャンスだと捉えたに違いない。
清四郎を引きずり落とそう、と。
そしてそのチャンスが潰れたことで、フラストレーションは更に膨れあがっているはずだった。

・・・・たとえ再選挙が行われたとて、彼にそのチャンスは巡ってこないだろうな。

清四郎は確信する。
誰が好き好んで、風紀に口煩い男を選ぶというのだ。
清四郎が生徒会長に選ばれた理由は、優秀な成績の所為だけではない。
学園の生徒達にとって、ある程度融通の利く、懐深い人物だと認識されていたからだ。
その穏やかなポーカーフェイスが、時折人懐っこく崩れる点も人気の秘訣。
もちろん女生徒からはピンク色のハートが漂う。
そんな彼は絶大な信頼を得ていた。
無論、教師からも。

悠理は会議が終わるまで窓の外を眺めたままだったが、清四郎はそれでも嬉しかった。
詰まらないとばかりに唇を尖らしている姿も、可愛くて仕方ない。

「会長、美化委員長の報告が終わりました。」

「あぁ、はい。では―――」

会議は無事滞りなく終わり、その日、東鶴がそれ以上、攻撃的な態度に出ることはなかった。



「お疲れ。」

生徒会室の戸締まりを任された清四郎の背後から、悠理はそっと缶コーヒーを差し出す。

「おや、気が利くね。」

受け取った男は眉を上げ、軽快な笑顔を見せた。

「あいつ、相変わらずヤナ奴だよなぁ。」

「へえ、聞いていたのか?」

「ふん。あたいがあいつとまともにやり合ったら、会議が長引くだろ?」

「随分大人な意見だ。」

プルトップを引く音が窓に響く。
それを見つめながら、悠理は首を緩く振った。

「ちがう。」

「違う?」

「さっさと終わらせて、早くおまえと二人になりたかっただけ。」

驚くほど素直な台詞に、清四郎は思わず缶を落としそうになった。
もちろん、寸でのところで回避したが。

「びっくりさせないでくれ・・・。」

「へへ。意地悪したくなったんだよ。」

「どういう意味?」

それを聞いた悠理は、清四郎の持つ缶コーヒーに手を伸ばし、その飲み口にチュッと口付ける。

「美化委員の女、おまえ見てうっとりしてたからさ。ちょっとしたヤキモチ。」

「!!!」

「あたいの彼氏は意外とモテるみたいだからな。」

無意識なのだろう。
色っぽく上目遣いをする悠理に、欲望の箍は容赦なく外れ、缶コーヒーから離れた手が悠理の背中に回るまでほんの一瞬だった。

「あんまり煽らないでくださいよ。これ以上好きにさせられたら・・・自分でもどうなるか解らない。」

「・・・・清四郎。」

熱い腕の中で、悠理は満足そうに呟く。
清四郎はチラと扉方向に視線を配った後、誘われるままに唇を奪った。
それは二人が校内で初めて交わすキス。
甘い口付けは下校を促すアナウンスが流れるまで続いた。




「・・・・随分遅かったんですのね。」

いつもの帰り道。
野梨子はいつになくご機嫌な幼馴染みをそっと見上げた。

「ああ・・・・待たせて悪かった。」

「それは構いませんけれど・・・何かありましたの?先ほどから顔が緩みっぱなしですわ?」

「会議が思ったよりもスムーズに進行したからかな。」

『嘘つき』

そう胸の中だけで呟いた野梨子だったが、それ以上追及することもなく、視界に流れるポプラの木を眺める。

「そう言えば、明日の放課後、黄桜さんにお誘いを受けましたの。」

「へえ、どんな?」

「駅前に出来たカフェのケーキバイキングですって。剣菱さんも一緒に。」

「おや、楽しそうだね。僕も行こうかな。」

「え?」

想像もしていなかった答えに野梨子の大きな目が見開く。

「なに?」

「だって・・・清四郎、甘い物は苦手なんじゃ・・・」

「苦手というほどではないよ。和菓子なんかはどちらかというと餡子系統が好きだしね。どうせなら美童や松竹梅魅録も誘ってみようか。」

「え・・・ええ。」

積極的に動こうとする清四郎に、野梨子はたじろぐばかり。
ここ最近、彼は確かに変化した。
それは何かを取り払ったような、脱皮したような・・・清々しい成長。
他の者には解らないだろうが、近くで見続けてきた野梨子にだけはそれが解った。
確かに、彼は自分に内緒で色んな経験を積んで来たのだろう。
中学生にしては驚くほどの人脈を抱え、急ぎ足で大人の世界に近付こうとしている。

’置いてけぼり・・・・’

そんな孤独をつい最近まで感じていた野梨子は、清四郎の歩むスピードについていけない。
宝石となる友を手に入れた今でも、彼の存在は結局の所特別なのだから。

「そんな不安そうな顔をしなくてもいい。野梨子は野梨子のペースで少しずつ距離を詰めていけば良いんだよ。」

何もかもを見透かしたように笑う、優秀な幼馴染み。
「そうですわね。」と微笑んだ野梨子の心は、それでも小さく軋んだ。



翌日。

六人で集まったカフェの客は九割方女子だった。
そんな中、制服を着た男三人が黙々とケーキを食べる姿は失笑を誘う。

「どうせ誘ってくれるんなら・・ハンバーガーが良かったな・・・俺。」

「僕は平気。こういうお店はデートにもってこいだよね。」

「たまには良いでしょう?こうして6人揃ったことですし。」

悠理の前には全種類のケーキが並べられている。
それらが清々しいほど口に消えていく様を、一人を除く四人は唖然と見つめていた。
もちろん清四郎だけはニコニコと微笑んでいる。
野梨子は、彼の機嫌の良さが全て悠理に繋がっているのだと、改めて理解した。

「悠理、あんまり食べたらニキビ出来るわよ?」

「ニキビ?んなもん出来た事ないぞ?」

「え!?ホントに?あんたってば羨ましい体質してるのねえ。」

「あら、わたくしも出来た事ありませんわ。」

「うっそ!思春期と言えばニキビでしょうが!!」

可憐は手にしたケーキを見て、一瞬何かを迷ったようだったが、それを振り切るかの如く一気に頬張った。

「女の子のニキビも可愛いよねえ。一生懸命隠そうとするところがまた初心な感じでさ。」

天性の女たらしである美童の意見は可憐を少しだけ慰めてくれたが、その滑らかな肌を見て、再び落ち込む。

「あんたって、ほんっと嫌味なくらい綺麗な顔だわね。」

「ふふ、褒めてくれてありがと。これでも美容にはうるさいんだ。」

空気を読めない美青年は、可憐に深い溜息を与えたままロイヤルミルクティを一口啜った。

六人がカフェを出て、それぞれの帰路に分かれようとした時。
通りを挟んだ先から、小さな悲鳴が聞こえる。

「おい、悠理。」

「ああ・・・あいつら、またやってんのかよ。」

視線の先には、セーラー服姿の中学生らしき二人と、それを囲むガラの悪い男たち四人。
どうみても悪質なナンパだった。

「懲りない奴らだなあ・・・。あたいちょっと行ってくる。」

「俺も行く!」

言葉よりも先に飛び出して行った悠理を追い掛ける魅録に、清四郎は慌てて声をかける。

「あまり派手に暴れないでください。まだほとぼりは冷めていないので。」

「・・・ああ!解ってる。」

瞬時に理解する察しの良い魅録は軽快なウィンクと共に、大通りを素早く横断していった。

「清四郎は行かないんですの?」

「・・・・・僕は、守る立場なので。」

ギュッと拳を握りしめた清四郎には気付かず、野梨子は小さく息を吐く。
言わんとしていることは理解出来るが、それほど悔しそうに見つめるくらいなら、今すぐにでも飛び出して行けば良いのに・・・・と思わざるを得ない。

「これも・・・青春というものなのかしら。」

そんな呟きは可憐の耳に飛び込んだ。

「そうよ。野梨子も解って来たじゃないの!」

腕を軽く小突かれ、野梨子は笑う。

「なかなか・・・・厄介ですわね。」

あっという間に男達を蹴散らした二人の友人には、そんな複雑な感情は見当たらないけれど・・・。



週末の土曜日。
悠理は昼過ぎに菊正宗邸を訪れた。

「いらっしゃい。」

「おじゃましまーす。あ、これ手土産。」

手渡された二つの紙袋には大量の根菜。

「うちの父ちゃんが作ったんだ。無農薬だしうまいぞ?」

「ありがとう。母が喜ぶよ。」

未だ悠理の自宅を訪れたことのない清四郎はその家庭環境に興味を示していた。
剣菱財閥を大きくした万作は、悠理の話によると「農家風情の小太り」だという。
とてもじゃないが、悠理と結びつかないその容姿。
最近では、是非とも会いたいと熱望していたのだが、悠理はいまだ色よい返事をしない。
理由までは解らないが少し気落ちしていた。

『ただの照れくささなら良いんですが・・・。』

部屋に入った瞬間、清四郎は悠理を抱えるようにベッドへと連れて行く。

「あ・・・ちょ・・ちょっと!」

「なに?」

「まだ真っ昼間だぞ?」

「問題でも?」

カーテンは閉め切られているが、隙間から差し込む陽射しは充分に明るい。
ベッドに押し倒された悠理は慌てて首を振った。

「こんな明るいのに・・・恥ずかしいじゃん。」

「悠理の身体はもう全部知ってるよ?」

「そ、それはそうだけど・・・・」

不満そうにブツブツ言い始めた為、清四郎は仕方なく身体を離し、素早く窓際に向かう。
遮光カーテンの隙間をきっちりと塞いだ上、更に照明まで消すと、部屋の中はしっとりと薄闇に変わった。

「これでいい?」

「・・・・・・う、うん。」

「悠理としたくて堪らないんだ。」

「あ・・・そ、そう?」

「悠理は?」

「え?あたい?」

「僕としたくなかった?」

言いながらベッドの上でにじり寄ってくる男を、苦笑しながら迎える。

「・・・・・したかったよ。あたいも・・・したかった。」

まともに顔すら見えないというのに、お互いの目には欲望の炎がちらついていた。
自然と近付いた唇は、啄むようなキスを繰り返す。

「ん・・ん・・・・」

「ああ・・・甘い。悠理の唇はすごく甘い。」

合間にそう言われたが、悠理も同じ気持ちを味わっていた。
清四郎の唇は、どんなケーキよりも甘く感じる。
身体を引き寄せるよう首に手を回すと、清四郎の熱い吐息が頬にかかった。

「いっぱいシていいよ?」

「うん。とことん怠惰に過ごそう。」

二人はすぐさまベッドの中で縺(もつ)れ合い、宣言通り、次の日の昼まで自堕落な時間を過ごした。

剥き出しの欲望を宥め合いながら、気持ちを深めていく二人。
そんな青い果実たちは、未だ色付きを見せない。