「やっ………いたっ………!」
男の手は想像以上の強さで悠理を拘束した。
「せぇしろ………あ、あたい……………」
「言い訳は聞きません。この僕を怒らせた責任は、身体で支払ってもらいます。」
「ひっ……!」
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五日前。
悠理は大学構内のカフェテリアで可憐と共にお茶を楽しんでいた。
それはいつもの和やかな風景。
テーブルに広げられた多くのサンドウィッチやハンバーガー。
大学生になってもその食欲は衰えを見せない。
そんな彼女に目を付けたのは、同じ経済学部在籍の男。
富塚 昇太(とみづか しょうた)───だった。
彼は悠理の食べっぷりを見て一目惚れ。
フードファイターさながらの豪快さに心惹かれたのだと言う。
そして───富塚は意を決した。
剣菱財閥の令嬢を必ずや恋人にしてみせる、と。
純粋と言えば純粋なその気持ちに、しかし悠理が応えることはなかった。
否、応えられなかったのだ。
彼女にはたった一人、将来を誓い合った男が存在するのだから────
「あんたもねぇ………別に隠さなくてもいいことじゃない。堂々と言い切っちゃいなさいよ。」
「可憐の言うとおりですわ。一度は婚約まで交わしているんですもの。誰も気にしやしませんわ。」
「う~ん・・・でもさぁ、破局?したくせに、また“恋人になりました”ってのも言いにくいじゃん?」
三人娘は再び同じカフェテリアにいた。陽当たりが良く、風が抜けるテラス席。
富塚昇太から告白を受けた悠理を、可憐と野梨子は呆れ顔で見つめている。
理由は一つ。
交際の申し込みを速攻で断ったにも関わらず、「デカ盛りの店」へと誘われた瞬間、「行く行く!」と目を輝かせながら、二つ返事で応えたからだ。
食事の誘いには目を瞠るほどの瞬発力を見せる悠理。
そんな彼女の習性を嫌と言うほど知っている二人だったが、これはさすがに呆れかえる事態。
目の前の笑劇にポカンと口を開け、放心した。
だが、富塚昇太は確信していたのだろう。
悠理がうまい餌に釣られることを。
「ほんと馬鹿。あたし知らないわよ。清四郎にバレたらどうなるかなんて。」
「わたくしも、さすがにフォロー出来ませんわ。」
二人の友人は冷たく言い放つ。
悠理はテーブルに突っ伏したまま、その辛辣な言葉に涙が出そうになった。
清四郎と交際を始めたのは高校卒業後直ぐのこと。
長い春休みをどう過ごすか………で揉めていた時、彼は皆の前で堂々と宣言したのだ。
“────皆さんにご報告があります。僕は悠理が好きです。この春、本気で落とすつもりなので、是非とも二人きりで過ごさせてもらえませんか?”
寝耳に水もいいところ。
口を開け硬直する彼らに構わず、清四郎は優雅なほどゆっくり、想い人を振り返った。
“悠理、そういうことなので、覚悟してください。”
パニックになる暇すら与えられない。
目を丸くしたままの彼女を優しく見つめ、そして囁く。
“………必ず惚れさせてみせますよ。”
自信家の彼が根拠のない大口を叩くことは、皆無。
だからこそ、皆の前で宣言したのだ。
そして案の定、卒業から十日後のその日、悠理は陥落した。
それはもう、呆気ないほど簡単に。
時に厳しく、時に優しく。
緩急つけながら接してきた清四郎は、悠理の弱点を知り尽くしている。
甘い言葉を囁けば囁くほど、悠理は戸惑う。
単細胞な彼女に必要なのは、彼がどれほどの想いを抱えているかということ。
────おまえが好きです。
────悠理だけが欲しい。
────誰よりも大切にします。
シンプルかつありきたりな台詞だが、むしろ悠理のような人間には至極効果的で………。
意地も戸惑いもどこへやら。
結局、溶かされたバターのように心は砕け、清四郎の腕という名のケースにおさまってしまった。
皆は“なるようになった”と安堵する。以前のような反対票も挙がらなかった。
それからというもの、彼ららしい体当たりな交際を続けてきたわけだが、清四郎が思いの外、面倒な男だと気付いたのは交際して二ヶ月目のこと。
その日、ネイティブの英語講師(30才男)に呼び止められた悠理は、慣れない英会話を必死で受け止めていた。
焦るあまり高揚する頬。
遠目に見れば、戸惑いつつも喜んでいるように見えるのだろう。
そしてその姿を見た清四郎が、ムッとするのは当然だった。
「何を話してたんです!?」
人気のない廊下の端で、悠理は首ねっこを掴まれ、尋問された。
「知るか!あたいに英語なんて解るわきゃないだろ!」
「まさか………口説かれてたんじゃないでしょうね!?」
「ち、ちがわい!!いくらなんでも“アイラブユー”くらい解るぞ!」
ギリギリまで詰め寄ってくる恋人は、いつにも増して迫力があった。
残念ながら英語講師が伝えたかったことは、「提出したレポートの出来の悪さ」に違いなく、彼に刻まれた眉間の皺が、それをありありと物語っていた。
こんな馬鹿な学生には単位をあげられないとでも言いたかったのだろう。
野生の勘で察知したものの、詳しい内容まではわからない。
にへらと愛想笑いするに留めていた。
悠理は清四郎の嫉妬深さに驚く。
普段はクールぶっていて、感情を剥きだしにすることなど滅多にない男が、自分という恋人に対してはあからさまなほどダイレクトにぶつけてくる。
激情とも言える激しさで詰め寄られ、しかし悠理は驚きの中に喜びすら感じていた。
彼の独占欲が彼女の優越感を引き出す。
結局、その夜は英語の猛特訓。
加え、あの講師に近づくなかれと体に叩き込まれた。いつものことである。
そんな清四郎に、他の男…………それも自分に気がある男と飯を食いに行く、なんて言えば、どんな修羅場が待っているか解らぬ悠理ではない。
結局、野梨子と可憐に固く口止めをし、彼には断りをいれようと学部棟内を探し歩いた。
富塚昇太は経済学部でもわりと目立つ存在で、明るく活発な印象を与える好青年だ。
いつも周りに男女が集い、楽しげに歓談している。
悠理が気にしたことはなかったが、彼が悠理を意識しているという噂はわりと広まっていた。
清四郎との交際はもちろん周知の事実。
たが彼の仲間たちは冷やかし半分で富塚を後押しした。
命知らずな若者たちである。
だが運の良いことに、清四郎が通う理工学部にまで、そのような危険すぎる噂は届いていないらしい。
だからこそ彼らは今まで無事で居られたのだ。
知られたが最後、この学園に在籍し続けることは不可能だろう。
「あ、おまえ………えーと……“とみづか”!!」
講堂の一つで、富塚は案の定友人たちと楽しそうに歓談していた。
十中八九、悠理とのことだ。
皆が口笛を吹き、囃し立てる中、照れたように廊下へと駆けてくる富塚。
悠理は苦虫を噛んだような顔で、男を見上げた。
「剣菱さん、どうしたの?」
「あ、あのさ………さっき約束した………飯なんだけど。」
「うん、デートのことだよね?そっか………待ち合わせ場所決めてなかったかも。ごめん、浮かれちゃって忘れてたよ。」
────デート!??
目を丸くした悠理は口をポカンと開けた。
いつの間にそんな話になったんだ?
あれはデカ盛りの店を共有するだけの、あくまで友人、いや知人としての約束だったはずだろう?
「い、いや……えと、それは………」
満面の笑顔を潰すのは気が引けたけれど、ここは誤解させてはならない、と、悠理は慌てて口を挟んだ。
しかし間が悪いというか、悪いことは出来ないというか────
「ほぉ…………デートの約束をしたんですか。」
閻魔よりも恐ろしい男の、低くしゃがれた声が、悠理の全神経を凍らせた。
地の底から響く重低音。
容易に背後を振り向くことは不可能だ。
このまま富塚を盾にして、逃げ去りたい気分に駆られる。
「悠理。こっちを向きなさい。」
一見、冷静に思えるが、声のトーンが明らかに違う。
長年の経験から、顔を見ずとも清四郎の怒りが伝わってくる。
「せ、せぇしろちゃん、あの、これは、違うんだ。」
ゆっくり振り向けば、
「言い訳は結構。」
と冷徹に断られた。
完全に逃げ腰の恋人を、清四郎の腕が強引に引き寄せる。
富塚はその行為にムカッとしたようで───
「いくら恋人だからって、彼女は所有物じゃないんだし、好きにさせてあげたらいいだろ?」
さすが怖い者知らずの第一人者である。
富塚が顔面蒼白の悠理を奪い返そうと手を伸ばした瞬間、清四郎の片手が講堂の扉に掛かった。
メキメキメキ………
それは真新しいアルミ製の扉。
しかし今、富塚が目の当たりにしているのは、まるで粘土のように指の跡が刻まれた無惨な姿だった。
「ひっ!」
思わず息を呑む。
其の様子を見た悠理もまた、冷や汗と脂汗が全身を流れ落ちていった。
「何か────言いましたか?」
殺意すら感じる眼光に、富塚と背後から様子を窺う仲間達は言葉を失い、直立不動で首を横に振る。
あれほど冷やかしていたくせに、今は一言も喋れない。
そんな彼を見届けた清四郎は、悠理を小脇に抱えたまま、無言できびすを返した。
その背中には怒りしか見えない。漂う不穏なオーラ。
二人の影が完全に消えた後、富塚は床に座り込んだ。全身から力が抜けるとはこういうこと。
「あの男、やべぇわ…………」
呆然と立ちすくむ仲間達ももちろん、こくこくと頷くしかなかった。
・
・
・
タクシーに放り込まれ、連れ込まれた先はホテルの一室。
もちろん剣菱系列のラグジュアリーなホテルであるため、悠理達は顔パスだ。
剣菱一家御用達のスイートルームは、いつもなら支配人自ら案内するのだが、清四郎はそれを丁重に断り、鍵だけを受け取った。
死んだ魚の目をした令嬢は、恋人に連行される形で直通エレベーターに乗り込んだ。
箱は上へと昇るのに、気分は奈落の底へと向かっているように感じる。
神をも恐れぬ男が、今は何よりも怖い。
部屋に到着した途端、清四郎は悠理を壁に押し付け、睨みつけた。
手首にこめられた力は相当なもの。
悠理の顔が歪む。
「や………いたっ………痛いってば!せぇしろ!」
「言い訳は聞きません。この僕を怒らせた責任は、身体で支払ってもらいます。」
清四郎の宣言に恐怖する悠理は、慌てて身体を捩らせ、逃げようとした。
が、その前に腰を掴まれ、すかさず脚を封じられる。
彼の長い脚が悠理の股の間に差し込まれ、身動きがとれなくなってしまったのだ。
「せ………っんん!」
噛みつくようなキス。
頭を抱えられたまま、強引な舌が悠理の口の中を荒らしまくる。
息も継げぬ状態で洋服が剥ぎ取られてゆき、ブラジャーのホックがプチンと千切れる音が、耳へと届いた。
─────お気に入りだったのにな。
と思う暇もないほど、清四郎の口づけがより深くなってゆく。
舌先を甘噛みされ、何度も吸われ、上顎を乱暴なほど舐め上げられ、のどの奥へと唾液を押し込まれる。
激しいディープキスは何度も経験しているが、ここまで濃厚なものは初めてだ。
朦朧とする意識が悠理の身体から抵抗を奪い、いよいよ腰が抜けてくると、清四郎は瞬間的に胸の先を指で抓った。
「ゃ……んっっ!!」
口を塞がれたまま叫ぶ。
執拗に抓られ、捏ねられ、挫られる。
まだまだ経験の浅い柔な肉蕾が一気に色を濃くしてゆく。
甘美な痛み。
指と爪の先でねちっこく弄ばれる度、悠理は快感の吐息を清四郎の口に何度も吐き出した。
───も…………ダメ、気絶しそう!
酸欠状態の頭は全てを放棄するように茹だっている。
こんな乱暴な清四郎は初めてだった。
どれほど嫉妬しても結局は優しく、甘い行為で悠理を高ぶらせてくれるのに。
ズクズクとする痛みが胸を覆い、それでも濡れてしまう自分が情けなかった。清四郎に教え込まれた体が簡単に溶けていくのが、恥ずかしかった。
もう我慢できない。
破廉恥な行為だと理解していたが、悠理は腰を少しだけ下げ、彼の太股に擦り付けた。
途端に甘い快感が広がる。
筋肉質の脚がたまらなく心地良く、いつまでもしていたくなる。
それに気付いた清四郎はようやく唇を解放し、悠理はぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返した。
唾液で濡れた互いの唇が、妖艶な光を放っている。
「僕を嫉妬させるな。手加減出来なくなる。」
「…………ごめん。」
バツの悪そうな顔は、悠理だけじゃなかった。
清四郎もまた、自分の行いを振り返り、照れたように目を伏せる。
「…………デートなんて許しませんよ。絶対。」
「うん…………しないよ。ちゃんと断るつもりだったもん。」
「それなら………いい。」
清四郎の腕が悠理から離れ、しかし長い脚はまだ彼女の間にある。
もどかしい状態での中断に、悠理は泣きそうになりながら清四郎の胸に顔を埋めた。
「………でも、あたいが悪かったし………今日はお仕置き、していいよ?」
そんな健気な心意気は、雄のスイッチを完全にONにしてしまう。
元々煮えたぎるような憤りを欲望に変換させていたのだ。
今更収まりはつかない。
「なら………存分に堪能させてもらいましょうか。」
・
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・
壁に押し付けられた状態で何度も貫かれ、悠理は悲鳴ともいえる嬌声をあげた。
持ち上げられた身体は彼にとって大した重みではない。
しかし穿たれる方としては、より奥にまで突き刺さり、自分でコントロールすることなど不可能なのだ。
清四郎の逞しい肉茎にどんどんと侵略され、濃厚な快感に溺れゆくだけ。
こんな淫らな部分が自分の中に存在していたことを、悠理は知らなかった。
いつものセックスを物足りないと思ったことは一度もなかったが、今回のこれは、全てを覆すような快楽を与えてくれる。
「あぁ………せぇしろ!せぇしろぉ!」
喉奥から漏れる喘ぎに、清四郎も煽られるのだろう。
子宮にまで届く杭が、更に大きく膨らんだ。
「悠理っ………!」
キスを貪りあう唇から二人分の官能の息が漏れ広がる。
清四郎の剛健な肉体との密着に、悠理は悶え、強請り、そして腰を激しくくねらせた。
腰に絡み付く美脚は清四郎を掴まえたまま、促すように締め付ける。
「…………くっ………」
「イッて………清四郎………あたいも………もうダメだから………」
太く、圧倒的なモノが胎の奥底にまで届き、激しく突かれる度に意識が遠のくほどの快感が与えられる。
激しい律動と合わさる粘着質な音。
声は止め処なく溢れ、全身に火照りが広がる。
清四郎は半開きの色っぽい唇をとことん味わいながら、腰を振り続けた。
「悠理…………いくぞっ………」
限界まで我慢していた熱を放射した瞬間、細い身体は弓のように反り返り、小さな胸をふるると揺らした。
・
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・
その後。
講堂の扉はもちろん新しいものと交換されたが、証拠となる写真が富塚の友人によって拡散され、菊正宗清四郎の最強伝説がまた一つ、学園に加わることとなった。
「おーこわ。あいつだけは怒らせちゃいけないって、良い見本ね。」
「悠理も大変ですわ。最近、いつにも増して清四郎が側にいますもの。息が詰まらないのかしら?」
「でもあの子、どことなーくうれしそうじゃない?」
「………そう言われれば、確かに。」
度が過ぎる嫉妬は破局のもと。
しかし規格外の愛で結ばれる彼らにとって、それはあくまでスパイスでしかない。
こうして学園の中で悠理を狙う男は一人もいなくなった。
清四郎のほくそ笑む顔が今日も─────