第一話

―――ごきげんよう

朝の爽やかな挨拶が交わされる中、ひときわ元気な少女が一人、颯爽と歩く。
剣菱悠理、十五才。
現在、クラス委員副委員長という役職に就いてはいるが、元は教師泣かせの問題児である。

そんな彼女に声をかける四人の影。

金髪の貴公子、美童グランマニエは転入してきたばかり。
スウェーデン大使を父親に持つお坊っちゃま。
母がスウェーデン人と日本人のハーフな為、彼は必然的にクォーターとなる。
そんな彼とペンパルだった黄桜可憐は宝石商の娘。
女手一人で育てる母を楽させようと、良い男(=金持ち)探しに余念がない。
その為に自らの美貌を磨き上げ、現在学園内でモテる事を生き甲斐としている。

そして可憐と人気を二分、いや若干こちらに軍配が上がるだろうか、白鹿野梨子は日本画の大家を父に、茶道の家元を母に持つ、今時珍しい純粋培養のお嬢様。大和撫子の肩書きは伊達ではない。
日舞をはじめ、おおよそお嬢様らしい習い事は全て嗜んでいる。
問題は運動神経が少々悪いだけ。
しかし生粋のお嬢様には必要ないのだ。

彼女のナイト役は隣家に住む幼馴染み、菊正宗清四郎。
天才心臓外科医として名を馳せ、大病院を経営する豪快な父とそれを支える母。
医大に難なく入学した姉との四人暮らしだ。
彼は現在、生徒会長として活躍しているが、それに平行して剣菱悠理と共にクラス委員委員長にも就任中だ。
そして幼少期に知り合った彼女とようやくお近づきになり、つい先日、恋人関係にまで辿り着いた次第である。
そう―――
彼は素晴らしいことに、困難とされるはずの初恋を見事実らせたのだ。
それもお相手は野蛮人(野梨子談)と評される成金娘、剣菱家令嬢。

彼が恋を自覚した時期は、中学二年の夏休みにまで遡る。
その時、彼ら二人はほとんど話すこともなく、全くの他人であった。
昔のいざこざから多少意識はしていたものの、特に接点もなく穏やかに過ごしていたのだ。



その日、図書館に向かおうと清四郎は暑い陽射しの中、歩いていた。
こんな日は涼しい館内で読書に限る。
自宅に居れば母に色々こき使われる為、あまり居心地は良くなかったのだ。
白いポロシャツに紺色のズボンといった、やや年上に見られる格好で、日陰を狙いながら歩く。
図書館までは徒歩20分ほどの距離。
直射日光は身体に良くないだろうとの判断だ。

ふと、目に留まったのは、その人物がいつもとは違い、一人ではなかったから。

―――剣菱悠理。何してるんだろう。

クレープ屋の前で、お世辞にも柄が良いとは言えない男と馴れ馴れしく話をしている。
その人物はすぐに暴走族だと判った。
染めた長めの金髪を無造作に束ね、黒い改造バイクに悠々と腰かけていたからだ。
貼りつけられた、けばけばしい金色のステッカー。
『独露魂』というチーム名が書かれてあったが、意味は解らない。

楽しそうな笑い声が辺りに響く。
彼女はあんな風に笑うのか。
通りを挟んだ場所で、思わず佇んだ。
学園では詰まらなさそうな表情を見せるのに、今は太陽の日差しよりも明るい笑顔を見せる。
白い歯を見せながら笑い、小麦色に焼けた肌を薄いタンクトップだけで覆う。
デニムのショートパンツにスニーカー。
うちの学園の生徒とは思えない出で立ちだったが、しかし彼女にはそれが一番似合っていると感じた。
そんな彼女がバイクに乗った男の後ろに颯爽と跨がり、大きなエンジン音を立てながら消えていく姿を見て、清四郎の胸がギリリと軋む。
それは生まれて初めて感じた、小さな小さな嫉妬だった。

目が離せなくなったのはそれからで、三ヶ月後には完全なる恋の形を成していた。
かといって、清四郎は動けない。
野梨子と悠理の確執はいまだ続いており、とてもじゃないが上手くいくとは思えなかった。
女とは面倒な生き物だなと辟易し始めていた矢先、まさか、三人が同じクラスになるとは――。

―――売り言葉に買い言葉。
まさに剣菱悠理の為にあるかのような諺だ。
野梨子が、自分の隣で副委員長になりたがっていたことは知っていた。
さも当然かのように。
確かにそこは野梨子の定位置であるからして、異を唱える者は見当たらなかった。

だがそれがひっくり返る事態が起き、清四郎の心が弾んだ。
これはまたとないチャンスだ。
だから野梨子の肩を持たないまま、成り行きに任せたのだ。
息巻く悠理の姿に惚れ惚れしながら。

彼女の仕事振りは、多少乱暴ながらもきちんと成果を上げてくる。
清四郎は色んな顔を持つ悠理に、すっかり嵌まっていた。

―――ああ、早くもっと親しくなりたい。

うずうずする心を抑え込み、クールな男を演じる。
こんな高揚感は久々に味わう、と清四郎は暇さえあれば悠理の後ろ姿を見つめていた。

―――細いな。

まだ成長途中の身体は肉付きも薄く、どこかしら子供っぽい。
身長は高いが、付くべきところに付いていないのだ。

だが、清四郎の目には十分女だった。
普段、道場で鍛える自分が相手をするのは筋肉だらけの屈強な男たち。
それに比べ、なんと華奢なことか。

あの白い手首をひとまとめに掴み上げ、細い腰を抱き寄せる。
そうして、驚いた顔を見せる彼女にたっぷりと囁くのだ。

―――君が好きだ、と。

「おい、菊正宗!」

―――清四郎、と呼んで欲しい。

「おいってば!」

ドンと机を叩かれ、清四郎は白昼夢から目覚めた。

「あ、はい。」

「これ、提出する英語の宿題。集めたぞ。」

ドサッと乗せられたノートは確かに人数分揃っていた。

―――最短記録だな。すこぶる良い。

「ありがとう。あ、そうだ。」

「なに?」

「帰り道、アイスでも食べに行かないか?奢ってやるよ。」

「え?アイス?」

目を輝かせたのは一瞬。
すぐ、伏せ目がちにそっぽを向いてしまう。

「白鹿も一緒かよ。」

「え、違うけど?」

「あ、そうなの?」

くるりと顔を明るくさせる。
そんな単純過ぎるほどの素直さが、心から羨ましいと感じる。

「野梨子は今日お稽古事があるから早めに帰ったしね。さ、これを職員室に預けたら、行こうか!」

「うん。」

初めて上手く誘えた事に、ホッと胸を撫で下ろす。
その日のアイスの味は一生忘れられないものとなった。




それから色々あって、野梨子と彼女は和解し、新たな友人が集った。
気になるのはピンク頭の彼、松竹梅魅録。
彼女とはとても親しく喧嘩仲間だと言うが、果たしてそれだけなのだろうか、と邪推してしまっていた。

でも、今、彼女は僕の腕に包まれ、眠っているのだから、それも杞憂だったのだろう。
幼子の様な寝顔と、安らかな寝息。
胸をくすぐるこの存在全てに、愛しさが込み上げる。

子供には子供の世界がある。
そして、僕たちはその世界の中で存分に楽しめるはずだ。

そう。
折角貴重な仲間を手に入れたのだ。
彼女と共にそんな世界をたっぷりと味わってやろうじゃないか。

「…………んっ?せぇしろ、起きてた?」

「まだ夜中だから、寝てていいよ。」

「…………そぉする。」

そう、まだ目覚めなくて良い。
君のために、
そして僕のために、
飛びっきりの面白い舞台を用意してやろう。

それまでは、こうして僕の側で大人しく、優しく、存在していればいい。

ま、彼女には無理な相談かな?