「ほら御覧になって。菊正宗様と白鹿様。」
「お二人とも素敵ねぇ。」
「雛壇に並んでも、遜色なくてよ。」
「是非、コスプレしていただきたいわ。」
「まあ、賛成!さぞやお美しいことでしょうね。」
あれは高校一年の時だったか。
学園の姦しい生徒達が噂していた。
梅がほころび、春の日射しを思わせる暖かな日。
仲良く肩を並べ歩く二人に、彼女たちはときめきを隠そうともしない。
憧れの眼差しで黒髪の彼らを見つめていた。
ああ、もう、こんな時期か────
ひな祭りの歌が流れる商店街で、悠理はふと足を止めた。
あの時、胸を過ぎった何とも言えぬ感情。
モヤモヤとした苦しみを、その時は弁当の食べ過ぎかと流したけれど、今は流石に正体を自覚している。
そう──あれは食べ過ぎなんかじゃない。
あん時、あたいは………
「お嬢ちゃん、引くのかい?」
ガラガラと音を立てる其れは、悠理が毎年楽しみにしているものだ。
応募券は二回分。
中華料理店の店主が抽選器のハンドルを促し、それに触れる。
「当たるといいね。」
若い子限定で愛想のいい中年親父は、ふと目の前にいる少女の顔を覗き込んだ。
「あれ?あんた………あん時の?」
「へへ。覚えてた?おっちゃん。」
「いやぁ、制服着てたらわかんなかったよ。聖プレジデントのお嬢さんだったのか。まさか……また肉まんを狙いに?」
「ううん、今日は違う。えーと、あたい………これ、当てたいかも。」
迷った指に示された物は「恋みくじ」と書かれたフォーチュンクッキーの袋。
ベージュ色のそれは三つ入りで、中華店にそぐわぬほど可愛くラッピングされていた。
つい先日、店主がおふざけ半分で作ったのだが、客からはあまり興味を示されず、そのまま店に放置されていたところ、とうとう景品にしてしまうことを決めたらしい。
「へぇ──珍しいねぇ。こんなんでよけりゃ、タダであげてもいいけど?」
「あ………いや、やっぱ要らないや。」
「??そうかい?」
「……………。」
黙り込んでしまった悠理を見て、店主はすぐにピンと来たのか、その小袋を半ば強引に押しつける。
「三日ほど経ってるから、早めに開けて食っちまってくれ。」
「え?」
「いいんだよ!あんだけの執念を燃やしてくれたお客さんは、今まで見たことなかったしね。持って行っておくれ。」
悠理は店主の心遣いを素直に受け取ることにした。
・
・
・
恋みくじの入ったフォーチュンクッキー。
こんなものを手に入れてしまうほど、自分はあの男を好きになってしまったのか。
吹き出すような現実だが、事実だ。
自宅へと戻った悠理はまず一つ目のクッキーを手に取った。
口に咥えてパキン!
中から小さな紙が現れる。
折り畳まれたそれをドキドキしながら開いた瞬間、悠理は思わず笑ってしまった。
それも大笑いだ。
「なんだよ、これぇ………中国語じゃん!」
語学を不得手とする彼女に解るはずもない。日本語ですら怪しいのに。
全くのチンプンカンプン。漢字の羅列がお経にも見える。
もう一つのクッキーも当然同じで、悠理はとうとう袋をシーツの上に放り投げてしまった。
「あーあ………柄でもないことしちゃったなぁ。やっぱ肉まん狙えば良かったか。」
後悔しても、それこそ時は戻らない。
かじったクッキーをバリバリ食べていると、控えめなノック音が耳に届いた。
「悠理。起きてるか?」
「兄ちゃん?」
アメリカ出張から帰宅した豊作が手土産を持って現れる。大きな紙袋が二つ。
「ほら、ハードロックカフェの限定シャツ三枚。あとシュワちゃんの手形プレート。大事にしろよ。」
「わーい!!サンキュー!愛してる、兄ちゃん。」
それは旅立つ前、悠理が強請った品だった。
なんだかんだと妹に甘い兄は、わざわざロスに立ち寄り、購入したのだ。
意気揚々、ベッドから飛び下りた悠理はフォーチュンクッキーのことなどすっかり忘れて喜びを顕わにする。
そんな妹の横で、お菓子に汚れたベッドを見つめた兄は、深い溜息を吐いた。
「布団の上で物を食うなといつも言ってるだろう?もういい年なんだから、しっかりしろよ。」
そう言って、こぼれたカスを一つずつ拾い上げる。
「へへ……ごめ~ん!」
そんな彼の指に白い紙が触れる。
豊作は何だ?と手に取り、おもむろに広げた。
「あ………それ………」
「“癞蛤蟆想吃天鹅肉”。ふーん、おまえにこの意味が解るとは思えないが?」
「え?兄ちゃん、読めんの?」
「中国語だろ?そりゃ読めるさ。」
世界中のVIPから招待される剣菱家の長男。
美童や清四郎ほどでないにしろ、当然語学には長けていた。
「な、何て意味?」
心の中で軽く感心しながら尋ねる。
「そうだなぁ……端的に言えば、“高望み”、“身の程知らず”ってとこかな?これ、フォーチュンクッキーだろ?みくじにしては、あまりいい言葉じゃないね。」
それを聞いた悠理は顔色を白く変える。
まさに今の自分はその言葉に相応しく、神に見透かされたかのような結果だ。
清四郎と野梨子。
彼らほど似合いの男女に割り込む隙などありやしない。
皆、二人をお雛様にたとえ、認めているのだ。自分と彼では、そんな風にならない。
絶対に。
「…………当たってるよ。わりと。」
「ん?」
「………何でもない。あたい、ちょっと寝るから!」
あからさまに不機嫌となった妹へ、気の利いた言葉の一つもかけられず、豊作は渋々寝室を後にした。
いくら語学が堪能でも、人の心を読むことは不可能だ。
特に恋とは無縁の生き方をしてきた彼女の心情など、想像もしていないだろう。
悠理はその夜、なかなか寝付けなかった。
占いに左右されるような性格でもないのに、トゲのような言葉が胸を攻撃する。
─────別にいいんだ。あたいはあいつの“何か”になりたいわけじゃなし。
意地っ張りな性格に加え、卑屈な心が垣間見える。
瞼に浮かぶは二人揃った雛壇。
いつかは金屏風の前で、そんな彼らを目の当たりにするかもしれない。
そう考えれば、喉が締め付けられるように痛んだ。
「……………せぇしろ……………好き。」
彼には届かぬ想い。
報われそうもない恋心。
涙が滲むほど想いは膨らんでいるのに、立ち止まるしかない自分を不甲斐なく思う。
カサリ
ふと手に触れた最後のフォーチュンクッキー。
袋の中から取り出し、じっと見つめる。
「どーせわかんないんだし、食っちゃえ。」
バクッ
パキン
バリバリ
占い紙ごと飲み込んでやろうと思ったが、やはりそれは勇気が要ったので、諦めて口から吐き出す。
唾液で湿った紙を広げれば、そこには───
【恋愛成就】
の四文字が書かれてあった。
とても見事な筆跡で。
「…………ぷっ。なんでこれだけ日本語なんだよ。」
自然と笑いがこみ上げてくる。
───これも三度目の正直、って言って良いのかな?
悠理は小さな紙を固く握りしめた。
諦めようとしていた心を後押しする一言。
単純な性格が、一気に前向きへと軌道修正してしまう。
「結局は“当たって砕けろ”なんだよな。」
立ち上がった彼女はもう迷わなかった。
雛壇に似合う二人、それはそれでいい。
自分はもっと違った似合い方をすればいいだけの話なんだと、腹を据える。
「高望み、身の程知らず、上等じゃん!でも、恋なんて早いもの勝ちだい!」
天に腕を突き上げた悠理の瞳は、いつもの光を取り戻し、漲る闘志に輝いている。
善は急げ!ぐずぐずしてるなんて、らしくない!
彼女は思いきり背筋を伸ばすと、寝室の扉を大きく開けた。
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その後、
彼女の恋が実ったかどうかは皆様のご想像通り。
幸せな春は、もう、すぐ、そこまでやってきている…………