欲望(R)

────どうしてこんなことに?

理性的であるはずの思考が片っ端から奪われてゆく。
あってはならない現実にただただ混乱が生まれ、だが今は目の前の女を犯し、泣かせ、思うがまま腰を打ち付け、止め処ない欲望を注ぎ込みたい。
そんな雄の本能だけが猛り狂う。

────どうして?

誘ってきたのは悠理だ。
僕は決して思わせぶりな態度を見せてはいない。
そう。
心の奥に封じ込めてきた想いなど、彼女の前に吐き出してはいないはずだ。
だから間違いなく、今宵の事は悠理に非がある。

可愛い目と、震える唇。
舌足らずの甘い声で誘ってきたのは彼女。
心から大切にしたいと願うただ一人の女が、濡れた瞳で迫ってくる。

「せぇしろ………」

「悠理…………」

互いを確かめるよう呼び合えば、頬を染めた少女はそっとはにかんだ。
その見慣れぬ表情に胸が疼く。
僕は彼女のなだらかな肩へと手を伸ばし、力一杯引き寄せる。

「いいのか?」

「────うん。」

答えは簡潔だった。
最後の一枚、猫柄の幼稚な下着を取り去り、普段寝ているベッドへと押し倒した。

ついさっきまで、僕たちはただの友人だったはずなのに。
未来永劫、そうであるかもしれなかったのに。


高校最後の冬休み。
皆が期待していた北欧旅行。
出来たばかりの温泉付バンガローで、一週間ほどスキーを楽しむ予定だった。

しかし───
間の悪いことに、悠理が麻疹にかかってしまい、高熱を出す。
彼女は旅行を断念せざるを得なかった。
五人で楽しむのは気が引けた為、一度すべてをキャンセルしようとしたが、「いいから行ってこいよ!」と半ば押し出される形で見送られる。

しかし僕は………たった三日で帰国した。
その理由は一通のメール。
恐らくは誤送信したのだろう。
相手は悠理で………

“サミシイ”

その一言だけが僕の携帯電話に届けられた。

帰国して直ぐ、見舞う為に剣菱家を訪れると、彼女は真っ赤な顔で熱に魘されていた。
どうやら夜中、暇すぎて屋敷内をウロウロしていたらしい。
滅多に体調を崩さない悠理は、【暇】が何よりも堪えるのだ。

「安静に、と言われませんでしたか?」

「………だって…………暇、だったんだもん。身体鈍っちゃうよ。」

「食欲は?」

「ん──あんまし、無いかな?」

「ゼリーなら食えるだろう?持ってきましたよ。」

果汁を多く含んだそれを一口ずつ差し出してやると、彼女は嬉しそうに頬張った。
まるで子供のような笑顔で。
いつもの調子のそんな顔に、心はほころぶ。

整った顔立ちは、時に凛々しさすら感じさせるも、こうして甘えてくる姿は中学の時のまま。
僕は懐かしい記憶を脳裏に漂わせながら、悠理の汗ばんだ前髪を梳くように掻き上げた。

「おまえは時々、こうやって寝込むんですよね。心霊騒ぎなんかの時も直ぐ熱を出しますし。果たして頑丈なんだかどうなんだか。」

「ふ、普段は元気だい!」

「麻疹なんて子供が罹患するものですよ。」

「あたいが子供だって言いたいのか?」

ふむ、確かに子供───ではないな。
子供に対するような庇護欲は湧くけれど。

「子供じゃないぞ!」

いつになく必死なその抵抗に、僕は「はいはい」と宥め賺し、大人しくさせた。

熱が上がってきている。
坐薬か何かが必要だな。

咄嗟に対処法を思い浮かべ、一旦自宅へと戻り必要なものを取ってくると言えば、悠理は泣きそうな顔でそれを拒否した。

「やだ…………側にいて?」

いつになく弱気な声。
差し出された震える手をしっかりと握り、よしよしと慰める。
幼子のような彼女は可愛いが、弱っている姿は見るに耐えない。
いつもの溌剌とした笑顔こそが好ましい。

水枕を替えてやると、幾分マシになったのか、ゆっくりと目を閉じた。
このまま眠ることができれば何よりも薬となる。
しっかり握られた手を離せない自分は、内ポケットから携帯電話を取り出し、多少躊躇ったものの姉、和子へとコールした。

───別に良いわよ。

某有名フレンチのディナーをさりげなく要求されたが、彼女は快く引き受けてくれた。
いつものことだが、高くつく身内だ。

それから丸一晩。
坐薬が功を奏したのか、汗はどんどん排出され、朝方には平熱まで落ち着いてくれた。
彼女の楽になった呼吸を見て、こちらも安堵する。
赤みの引いた寝顔に安らぎが浮かび、握られていた手をそっと外す。

辛いとき、苦しいとき、助けを呼ぶのは僕だけであって欲しい。

そんな気持ちに名前を付けぬまま、僕は友人として長年過ごしてきた。
押し殺した感情を友情という名でコーティングし、理性という頑丈な鍵をかけ続けてきたのだ。
今更そう簡単に外れやしない。
外したくもない。
悠理を怯えさせるような事は、あまりにもリスキーな現実だから。

この先ずっと、かけがえのない友人でもいい。
それはあくまで“逃げ”だったのかもしれないが、僕は本気でそう思っていた。

友情は何物にも勝る宝石だ。

昔、野梨子がとある人から聞いた言葉を、僕も信じている。

汗の引いた頬を指で撫でると、安定した呼吸が伝わってきた。
柔らかく滑らか、そして吸い付くような肌。
子供のようで居て、もう充分大人である証。

本当は触れたかった。
指じゃなく、唇で。

この無垢で美しい顔に優しく。

あまりにも甘美な肌触りに、蓋をしてきたはずの想いが急速に膨らみ、僕の胸は痛みを伴う激情に張り裂けそうになった。

それでも──悠理を汚すことは出来ない。

悲痛な叫びを飲み込み、再び強固な鍵で感情を閉じこめる。
価値のある友情という名の鍵を。

深く息を吐き出した後、彼女の小さな爪先に口付けを落とし、僕は剣菱邸をあとにした。

ゆっくり休めばいい。
そしてまたいつもの笑顔を見せてくれ。



翌日届いたメールはすっかり回復した様子を示していた。

────腹減ったよ~。せぇしろちゃん!どっか連れてって?

苦笑しながらも、そんな我が儘に付き合ってやりたい自分が不思議で仕方ない。
いや、悠理の側に居るのが楽しいのだ。
早くあの元気な笑顔を目にしたい。

僕はすぐさま行動した。

 

タクシーで到着したのは最近出来たばかりの商業施設。
軽いスポーツや、VR体験、ボーリングなど、とにかく楽しめる要素満載のテナントが入っている。
最上階はレストラン街で、わりと耳にする有名店の支店が軒を連ねていた。

「病み上がりなんですよ。無茶な遊びは控えなさいね。」

言っても無駄な台詞を吐いて、悠理の後を追いかける。
キョロキョロと見渡した挙げ句、案の定ボーリング場へと飛び込んだ彼女は、鈍った身体を思い切り動かし、かつ僕への挑戦状を叩きつけた。

こちらももちろん、手加減はしない。
悠理だってそれを望んではいないだろうから。
本気には本気を。
菊正宗清四郎のモットーだ。


「ちぇっ。オールストライクって………おまえ、バケモンかよ。」

「たまたまですよ。」

300というスコアは過去二度ほど採ったことがある。
一度目はビギナーズラックだと思っていたが、どうやら割と才能があるらしく、二度目も簡単に叩き出せた。
ただ周りの目を考えると、ほどほどに手を抜いていた方が良いと解り、それからは点数をわざと操作している。
我ながらあざとい性格だ。

それでも、悠理に対して本気で挑んでしまうのは昔の名残りか。
あの日の悔しさをバネとし、自分が成長した姿をこういった場面で見せつけたくなる。
ただムキになってくる悠理を、面白半分にやりこめたいだけかもしれないが───。

「飯でも食いに行きますか?」

「うん!腹減った。」

「居酒屋?焼き肉?」

「…………んーと………」

結局彼女が選んだのは、スパイスをふんだんに使った多国籍料理店。
最近、ネットで見つけたその店は、確かに本格的な味を提供していた。
ネパール人とインド人の夫婦が手を取り合って営業している為、料理のバリエーションも豊富に楽しめる。

僕たちのテーブルに並べられた多くの皿を、他の客達は興味を持って眺めていた。
悠理の飢えた獣のような食べっぷりにも。

結局、慣れないスパイスが胃を直撃したのか、腹痛を引き起こした悠理は早々と店を出る羽目に………
僕は彼女を伴い我が家へ連れ帰り、手製の薬を水と共に差し出した。

「ほら、早く飲んで。」

「う~・・・」

脂汗が滲むほどの痛みは、ソファに腰を下ろし暫くすると、うまく落ち着いてきたようだ。
悠理の目に生気がよみがえる。

「マシになりましたか?」

「………うん。さすが、せぇしろちゃんの薬は万能だな。」

「そりゃどうも。」

時刻は九時を回ったあたり。
あと半時間もすれば親父が帰ってくるだろう。
悠理を見て宴会でも始まれば、治りかけの胃に堪える為、僕は先手を打つことにした。

「さ、そろそろ、迎えを呼びましょう。」

すると、寛ぐ彼女はおもむろに掛け時計を見上げる。

「まだ早いじゃん。」

「遊び足りないとでも?それとも腹が満たされていないのか?ですがもう、我が家では何も食べさせませんよ。」

「そんなんじゃ………」

突如として黙りこくる悠理。
仕方なく手にした電話機を再び元の場所におさめ、様子を窺う。

「どうした?」

隣に座り覗き込めば、暫く沈黙した後、何とも頼り無げな表情で見つめてきた。
胸が一つ、大きな音を立てた。

「あたい…………まだ帰りたくない…………」

甘く絡んだ声は微かに震えていたように思う。
幽霊に脅かされているわけでもなく、熱に浮かされているわけでもない。
潤んだ瞳は見たこともないほど真摯なもので、僕の喉は緊張に鳴った。

不意に立ち上る女性特有の匂いが鼻を掠め、脳が揺さぶられる。

悠理の?
これが悠理のものなのか?

僕の鋭い嗅覚は仄かに漂うフェロモンを嗅ぎ取ってしまった。
本能を突き上げてくるような甘い匂い。
戸惑いが胸を覆う。

とはいえ、彼女が何を求めているのか解らぬ年でもない。
問題はそのアンバランスさ。
僕を男と見ているだなんて、想像もしなかったから。

「せぇしろ………」

そんな呟きだけで、易々と煽られてしまう自分に驚く。理性の鍵がカチャリと外れ、瞼が唐突に熱くなった。

悠理────おまえは・・・・

煽られた心と身体。

気がつけば彼女の服を手早く脱がせていた。
そして自らもまた、急くようにシャツを脱ぐ。
互いの目にちらつく欲望は、既に輪郭を顕わにし始めていて、リアリティのない現実に心は揺れる。

こんな事をする予定は、露ほども無かったのに。

互いの間に長年敷かれてきた、友情という名の境界線を今、飛び越えようとしている。

「………いいのか?」

「───うん。」

その答えが合図となった。



「ん………ん…………ぁ………」

階下には家族がいる。
父を待つ母と姉。

二人は既に飯を済ませているが、お手伝いさんは父の遅めの夕食を準備しているはずだ。
そんな日常の夜に、僕は─────
友人だった女と一線を越えようとしている。

薄暗がりのベッドルーム。
小さなテーブルランプだけ点いた其処に、裸の悠理を連れ込み、仕切り戸をぴしゃりと閉める。少しでも防音になればいい、そんな思いで。
そして二人して布団の中に潜り込むと、後はもう欲望に身を任せるがまま、互いの唇を貪り合った。
初めてのキスだというのに、まるで昔から知っているようなその感触。
悠理は必死で応えてくれた。
僕の荒々しい技にだって、たどたどしく舌を絡めてくる。

「……っは………ゆうり、もっと口を開けろ。」

「んぁ……」

全ての吐息を封じ、喉の奥深くにまでねじ込む舌。
柔らかな粘膜を激しく擦り上げながら、彼女の身体を優しく撫でて行く。
最初は慣れない行為にカタカタと震えて居たけれど、拒否反応は見あたらない。
それが僕の背を強く押した。

唾液で濡れそぼった口を解放したとき、悠理の目は官能に堕ちてしまっていた。
とろんと視線を彷徨わせ、僕の向こうを見つめる。
溢れんばかりの色気がそこに横たわっていて、きっと今だけなら可憐も敵わないだろうと本気で思った。

「悠理、もう、止めませんよ?」

「………うん。止めなくて良い。」

「解ってるんですか?続きをしてしまったら、友人ではなくなるんですよ?」

「友人…………」

そう言えば、悠理の瞳がほんの少しだけ見開いた。

「おまえと僕は……………これから”男女“でしかなくなる。その関係に意味を持たせるつもりはありますか?」

「関係って………どういうこと?」

理解の遅さに慣れてはいるが、今ここでその反応は致命的すぎる。

「おまえが僕の特別な女性になるということです。それともただのセックスフレンドがいいのか?」

敢えてわかりやすい言葉を使えば、悠理は慌てて首を振った。

「や、やだよ!セックスフレンドなんて!」

「では恋人に?」

「あ、あたりまえだろ!!あたいは………あたいは…………おまえが…………」

「悠理。僕もおまえが好きです。」

「………え?」

何が、え?なんだろう。
僕が簡単に友人と寝る男だと思っていたのだろうか?

「好きです。どれだけ煽られても、大切な友人をその場限りに抱くつもりはありません。」

すると、悠理の顔がみるみるうちに喜びへと変化し、涙がこぼれ始める。
圧倒されるほどの感情の放出。これぞ悠理だ。

「あたいも好きだった……ずっとずっと好きだった!清四郎が好きで…………どうしたらいいのかわかんなかった!」

大声ではない、その押し殺した小さな悲鳴は、僕の仮面をパリンと割ってしまった。

涙声を奪い、再びキスを始める。
より深く感じさせるため、舌をまんべんなく舐め啜り、やや乱暴に吸いついた。
脳が興奮に支配され、消え去ったストッパーを捜す気にもなれない。

片方の手で、忙しなく身体を割り開いて行く。
胸の先端を捏ねながらのキスに、ひくつく肌はどんどん甘く匂い立っていった。
自分でもどうしたんだ?と思うほど性急に、悠理の中へ押し入りたかった。
だがそんなことをすれば、彼女が壊れてしまう。
初めての痛みに怖がらせてしまうだろう。

名残惜しさとともに唇から離れ、首筋から胸にかけての愛撫に集中する。

「あ………胸、やだぁ………」

「なぜ?可愛い胸ですよ。」

淡い光が未成熟な体を照らし、その小さな膨らみをこの上なく美しく見せてくれる。
震える突起が僕の指で、口で、硬く尖って行く様は、あまりにも淫靡で目眩がする。

「美味そうな色をしている………」

咥えた先端がまるで果汁を湛えているように感じ、夢中で舐り、啜った。
事実、何か甘いものを口にしている気になり、甘噛みし、中身を味わうよう強めに吸い付く。

「ひぁぁあ………んんっ!!やぁ、やぁ!」

溢れんばかりの声。
悠理の掠れた声が、脳天を揺るがす。

「ゆうり………」

自分でも驚くほど甘い呼び声に、悠理はゆっくりと口を開いた。

「………なに?」

「誘ったのは………おまえだ。」

断言されたことに目を瞠り、恥ずかしそうに瞬く。

「……………だって……………」

「僕もおまえが欲しかった。おかしくなりそうなくらい。」

「せぇしろ…………」

「抱きますよ?……………最後まで。」

細く柔らかな体のラインを、大きな手でなぞる。
悠理は覚悟を決めたように、瞼を閉じた。