「せぇしろぉのばぁたれー。」
「あんたねぇ、こんなとこであたしに愚痴ってる暇あるなら、直接言いに行きなさいよ。」
「だって…………ぐすっ」
見目麗しい女二人はホテルのランチビュッフェを堪能したあと、ロビーのカフェに居座っていた。
誘ったのは悠理。
相談を受けたのは可憐だ。
中性的な顔立ちながら、さすがにもう誰が見ても男と間違うことはない柔らかさを帯びた悠理は、それでも子供のように鼻を啜る。
「仕方ないじゃない。清四郎だって社会人でしょ?ただでさえ付き合いの広い男なんだから。」
呆れたように諭されたとて、悠理も後に引けず………
「で、でも、すげぇんだぞ?軽く去年の倍は貰ってんだから。それに、中身はチョコレートだけじゃないんだ!」
と憤る。
「何だっての?」
「ホテルの宿泊券とか、ブランドもんの財布とかタイピンとか、とにかく色々金目のもんを貰ってやがるんだ!」
夫のモテ自慢を聞かされているようにしか感じない内容だが、本人は至って真剣で、可憐は湿った溜め息を吐いた。
「清四郎がモテるなんてこと、大学時代から知ってるでしょう?あんた、何回嫉妬にかられて騒ぎを起こしたか覚えてないの?」
グッと言葉に詰まるが、怯んだ様子はなく、悠理はカフェオレを一気にあおる。
「あいつが鬼のようにモテるなんて事知ってらい!あたいがいるのに交際迫られたり、ホテルに誘われたり、ラブレターに婚姻届まで紛れ込んでたこともあるしな!」
それはさすがに初耳だったが、然もありなん。
清四郎ほど将来性があって、頼り甲斐を感じさせる男にはそうそうお目にかかれないのだから。
大学時代も、ハイエナに群がられた草食動物の様な状態で、哀れなことに、恋人であるはずの悠理の存在は完全に無視されていた。
なので彼女の怒りについても解らなくはないのだが―――。
「結婚までしたんだから少しは落ち着きなさい。清四郎が浮気しようとしたならともかく………」
慰めの言葉にならないと解っていても、他に見当たらないのだから仕方ない。
可憐は優しく悠理の頭を撫でた。
しかし―――
「ほんとに浮気してないかな?」
ポソリ、告げた気弱な台詞に、可憐は思わずたじろぐ。
もちろんここでは『んなわけないでしょ!』が適切な対応なのだろうが、残念なことに過去の経験上、断言出来るまでに至らない。
――男は浮気するもの
実績に裏付けられた彼女の認識は、全くもって夢のないものであった。
かといって、あの男が浮気するはずがない。
気が狂ったかのように悠理を溺愛する、あの男が―――
「馬鹿ばかしい………」
つい本音が出てしまう。
「堂々としていなさいよ。あんたが、自信なさげにフラフラしてるから女たちも寄ってくるんじゃないの!だいたい清四郎がそう簡単に惑わされるタイプじゃないって知ってるでしょ?あいつがそんなハイリスクな危険犯すわけないじゃない。」
可憐の激しい叱咤に、悠理は目から鱗が落ちたかのように瞬かせる。
「そ、そうだよなぁ。うん!可憐の言う通りだよ。えへへ。よしっ!ちょっと浮上したぞ!」
単純な友人で良かった。
可憐は胸を撫で下ろしたが、次の瞬間、彼女はこれ以上ないほど目を見開く。
「可憐?」
悠理はキョトンと頭を傾げ、可憐の視線を辿る。
「ゆ、悠理!何でもないわ!!」
慌てたとて、時すでに遅し。
アフリカ原住民並みの視力を持つ悠理は、その光景をしっかりと捉えてしまった。
黒髪の美男子。
その長身と落ち着いた雰囲気は、ホテルスタッフの視線をも釘付けにする。
ダークグレーの三つ揃えスーツをかっちりと着こなし、えんじ色のタイを絞めた男の横には、年上であろうか。
これまたまったりとした色気ある女が柔らかく微笑んでいた。
腕を組んで。
それは間違いなく夫の姿。
今朝早くから、悠理の体を散々弄んだ男の姿だった。
「ゆ、ゆうり・・・」
可憐の胸の中は暴風雨。
悠理にいたっては、特大ハリケーンだろう。
何せその雰囲気ある男女は今、チェックインロビーにいるのだから。
「ま、待って・・・何かの間違いよ。ね?」
真っ青、いや真っ白になった顔色は、その衝撃度合いを示している。
可憐の言葉など耳に届いていないだろう。
可憐が手を掴もうと伸ばした瞬間、悠理は持ち前の瞬発力で飛び出していた。
「悠理!」
呼び止める声など、もちろん聞こえていない。
悠理が目指すは夫、ただ一人。
隣の女すら目に映っていなかった。
フロントデスクでチェックインを済ませ、鍵を受け取ったらしき二人の前に飛び出した悠理は、憤怒の形相で清四郎に掴みかかった。
「この浮気やろーー!!!」
それはロビー全体を響かせるような大声。
皆は何事かと振り向く。
可憐は凍りついていた。
「嘘つき!!あたいだけを愛してるから結婚してくれって土下座したくせに!!!たった一年で浮気すんのかよ!」
「悠理……なに、を!」
「それともなにか!?この間の腹いせか?朝まで寝かせないって言われて、結局二時に寝ちゃったあたいへの仕返しかよ!?」
顔面蒼白したのは清四郎ではなく可憐だ。
――ちょっ!何言い出すのよ、あの子!
慌てて事態の収集の為、走り出す。
「浮気しないって言ったじゃん!言っただろ?もう忘れちゃったのかよ・・・酷いよぉ、せーしろーーの馬鹿ァ――――――!!!」
おんおんと泣き始める妻を、清四郎は呆れたように、しかしバツが悪そうに頭を掻きながら見つめる。
横に立つ女は、ようやくクスクスと笑い出した。
「可愛い奥さまね、菊正宗くん。」
清四郎は苦笑しつつ答える。
「―――ありがとうございます。」
そこへ………
「なんの騒ぎだろう?」
現れたのはまさしく英国紳士。
清四郎と似たような格好で、女の元へと寄り添う。
「うちの妻が何か粗相をしたかね?」
悠理は真っ赤に泣き腫らした目で、二人を見た。
「Mr.ボールドウィン!」
「セイシロウ、済まないね、遅れて。折角のランチタイムが無くなってしまっただろう?」
「いえ、それは構いませんが、トラブルは無事解決しましたか?」
「あぁ、お陰さまで。君が妻の案内をかって出てくれて助かったよ。彼女は東京には詳しくなくてね。一人では心許なかったんだ。」
ニコニコと笑顔を振りまく紳士は、目の前の悠理にようやく気付くと、「おや。」と瞠目した。
「これはこれは。ようやく会えましたね。噂通り可愛い奥さまだ。」
「か、わいい?」
涙を拭いながら聞けば、英国紳士はにっこりと笑って見せた。
「清四郎が写真を持ち歩いているのでね。以前拝見したことが――」
「ミスター!その辺で勘弁してください。」
真っ赤な顔をした清四郎がストップをかける。
悠理の胸にじんわりと温かい風が吹き込み、さっきまでの怒りはどこへやら・・・。
すぐにでも清四郎の腕に自分のモノを巻き付けたくなった。
仲睦まじい年の離れた夫婦は、そのままホテルの部屋へと消えていき、残されたのは苦渋を噛み締めたような清四郎と、涙顔の悠理、そして駆けつけたは良いが状況の飲み込めていない可憐だけ。
「参りましたね・・・・まさか浮気者扱いされるとは・・・。」
ようやく口を開いた清四郎。
しかし怒っている様子はなく、照れたような困ったような、妙な表情を浮かべている。
「ご、ごめん・・・なさい。」
珍しく神妙に謝罪する悠理の背中を、可憐がバンと叩く。
「この際、言いたいコト言っちゃいなさい!なんなら部屋でも取ればいいじゃない。」
「可憐・・・・」
悠理は消え入りそうな声で縋った。
が、可憐はそれを余裕の笑みであしらう。
清四郎は綺麗に整えられた髪をもう一度だけくしゃっと掻き毟ると、「行きますよ。」と悠理の腕を取った。
さすがにこれ以上、人の目に晒されるのは勘弁して欲しい。
「可憐、済みませんね。またいつかお詫びを・・・」
「いいのよ。可愛がってやってね。」
しかし、清四郎は部屋を取らず、向かった先はホテルの地下にある駐車場。
買ったばかりであるベントレーの後部座席に悠理を押し込むと、そのまま貪るようなキスを始めた。
真新しい革の匂いが、そしてひんやりとした感触が一瞬で消え去る。
「あ・・ちょ・・・っ・・・んんっ・・・」
反論は許さない。これ以上、否定されるのはごめんだ。
・・・とばかりに清四郎はキスで責め立てる。
悠理はもう何も言うつもりはなかった。
ただただ謝罪するつもりだったのだが、清四郎の唇は離れようとはしない。
思わず熱がこもり、自分から搔き抱くように清四郎の頭を寄せた。
もっと、もっと・・・して・・・・
その合図を皮切りに、清四郎は悠理の服に手をかける。
唇を交じり合わせたまま急くように、セーターを脱がせた。
荒い呼吸だけが車内に響く。
スモークフィルムで覆われた真っ暗な空間で、悠理は真っ白な身体を晒していた。
ドキドキする。
車の中でこんな風に抱かれたことは一度も無い。
清四郎の切羽詰まった感じが、悠理の心を疼かせる。
いつもは丁寧過ぎるくらい前戯をほどこす男が、今は一刻でも早く悠理に収まりたいと願ってる。
「ゆうり・・・・」
ようやく小さな声で名を呼ばれた。
「せいしろ・・・・・」
悠理もそれに反応する。
「絶対におまえ以外抱かないから・・・それは約束するから。信じて欲しい。」
解ってる。
でも不安になるんだよ・・・清四郎。
あたいは馬鹿だから、すぐに短絡思考に陥っちゃう。
周りが見えなくなって、清四郎しか見えなくなって、あとはぐちゃぐちゃに塗りつぶされた絵の具のようで・・・。
「・・・・・チョコレートは受け取って良い。あたいも食べるから・・・・。でも、物はヤダよ・・・・。」
「解りました。他には?」
「・・・・・・・どんな相手でも、腕組んじゃ・・・・ヤダ。」
「了解です。では僕からも一つお願いして良いですか?」
清四郎は暗闇の中、同じ色の瞳を輝かせた。
「なに?」
「これからヤキモチを妬いた時はキスしてください。」
「え?」
「どんな場所でも良いです。こうやって腕を絡めて僕を引き寄せて、キスしてください。必ずそれに応えますから。」
「んな、恥ずかしい事・・・おまえ嫌だろ?」
「あんな罵詈雑言を聞かされるよりはずっとマシです。解りましたね?キスですよ?」
悠理は迷った挙げ句、こくんと頷く。
「あたいのこと、愛してる?」
「誰よりもおまえのことを愛してます。」
「なら・・・・いい。」
清四郎は満足そうに笑う妻を、車の中で抱いた。
キスをしたまま、何度も達する悠理は、空気を震わせるように啼き続ける。
愛が満ちていく。
心の中に・・・
そして身体全体に・・・・・。
悠理は考える。
これからも自分は些細な事で嫉妬してしまうだろう。
でもその時、清四郎に浴びせるキスを考えれば、何故だか心がふわりと浮いたような、柔らかい気持ちになる。
『さっすが、アイデアマンだよな。』
とげとげしい苛立ちはすっかりと消え去り、残るは甘い快楽だけ・・・・。
それに浸ることが出来る悠理は、幸せを噛み締めたまま一筋の涙を零した。