嗚呼、勘違い

金曜の午後。
街の時計塔は五時半を指し示している。
悠理は行き交う人々の中に、ちらほらと高校生が混じっているのを見て、ほっこりと和んだ。そう言えばつい一年前まで、自分もあんな風に制服を着ていたよな。
多少窮屈そうに━━━。

卒業してからこっち、感じることの無かったノスタルジックな気持ちにクスッと笑みが零れる。

そんな中、一人の女子高生が、隣に立っていた制服姿の男の元へと駆け寄ってくる。

「ごめーん!遅れて!」

今時珍しい黒髪の真面目そうなカップル。

━━━ふ、昔のあいつらみたいだな。

少しだけ苦い気持ちになったが、二人が仲良さげに手を繋いで駅へと歩いていく姿を、微笑ましく見送った。

金曜日のせいか、気付けば周りはカップルだらけ。
これから美味しい食事でもして、デートを楽しむことだろう。
自分たちと同じように・・・。

悠理は時計塔の四本柱の一つに背中を預け、人々の流れをぼぉっと見つめていた。
待ち人はまだ来ない。
珍しいことに・・・。

「剣菱様?」

鈴のように可愛らしい声が恐る恐るといった感じで耳に飛び込んできた。
振り向くと、ロングヘアの美少女が大きな瞳を輝かせながら佇んでいる。

「ああ、やっぱり悠理様だわ!お久しぶりでございます。」

記憶を辿るがなかなか思い出せない。
元々、彼女の脳はキャパシティが少ないのだから。

「時折、‘吉升’のお弁当をお届けしておりました、満寿泉(ますいずみ)です。」

「ああ!!三段重の華やかなおべんと!あれ、すっごく美味しかったんだよねえ。」

「ふふ・・・思いだして頂けました?」

白魚のような手をそっと口元に当て、美少女は笑う。
野梨子よりも少し儚げな印象を抱かせた。

「悠理様は待ち合わせですの?」

「ああ、ちょっとね。」

「もしかしてデートですか?」

「え・・・・・うん、そんなとこかな。」

「まぁ!では、お相手は松竹梅様、そうでしょう?」

満寿泉は手を叩き、それがさも正解かのように表情を輝かせる。

「魅録?え、なんで?」

「だって、あの頃からわたくしずっと思っておりましたの。悠理様と松竹梅様はいずれ結婚なさるんだと。だからこそ、菊正宗様との婚約を拒否されたのでしょう?」

大きな思い込みを暴露する美少女に、悠理は困ったように頭を掻く。

『参ったな。そんな風に思う人間も居たのか・・・。』

「いや・・・あの・・・・」

「だいたい菊正宗様には白鹿様がお似合いですわよね。お二人ともお元気でらっしゃいますの?」

儚げな印象の割には、言いたい事をズバズバと尋ねてくる彼女は、きっと興奮しているのだろう。
悠理の顔を覗き込みながら、溢れ出る興味を隠そうとはしない。

「あ、うん、二人とも元気だよ。」

「良かった!ならもしかすると、婚約されていたりして?」

「え?してないしてない!」

「あら、そうですの・・・残念。では、悠理様達のご結婚は?」

「・・・・・・・。」

ここまで来ると、誤解をどう解こうか悩みどころであるが、悠理のお馬鹿な頭は上手く回転しない。
だいたい目の前の少女の思い込みは相当なもので、理想と現実の違いを見せつけるのは少々気が引ける。
そうなると、茶を濁してあやふやにするのが一番だ、と悠理は単純な脳みそで覚悟した。

「いやぁ、まだなんだよね。ほら、まだ大学生だしさ。ハハハ・・・」

「良家の子女は早くに結婚してもなんら問題ありませんわ。松竹梅様も何をぐずぐずなさっているのかしら!」

「・・・・・・いや、ほら、あいつも色々あって・・・・。」

悠理は今、自分が間違いなく「魅録と結婚を前提をしたお付き合いをしている女」と太鼓判を押されている事に、居心地の悪さを感じていた。

違うんだよ、満寿泉ちゃん・・・・あたいは、あたいの恋人は・・・・。

「悠理!」

そこへようやく待ち人来たる。
確かに待ってはいたが、今のタイミングは非常に拙いような気もする。

「せ、清四郎・・」

「済みません、待たせましたね。知人に声をかけられて話し込んでしまったもので・・・・。」

少しだけ乱れた髪を搔き上げた後、清四郎は悠理の肩に手を回した。
それはいつもの馴染んだ仕草。
悠理が清四郎のものであるという証。

案の定、目をパチクリ瞬かせる満寿泉。
その表情はまさしく「鳩が豆鉄砲を食ったよう」なものである。

「菊正宗、さま・・・・?」

「おや、確か君は・・・・・満寿泉さん?」

「あ、はい、そうです。お久しゅうございます。」

丁寧に挨拶を返すが、突然湧いた疑問に目が泳いでいる。

「悠理さま・・・・魅録様とは・・・その・・・・」

彼女の脳内では危険な考えが駆け巡っていた。

『も、もしかしてお二人は、禁断の恋を・・・?そ、そんな、悠理様に限って二股など・・・。』

珍しく表情から考えを読み取った悠理は、慌てて首を振る。
いたいけに澄んだ瞳が、どんどんと濁っていく様がありありと見えたからだ。

「ご、ごめん、満寿泉ちゃん。あたいの恋人はこいつなんだ。」

「悠理様!?では・・・・松竹梅様とは・・・」

「うん・・・・あいつは今でもすごく仲の良いダチなだけだよ・・・。あんたの理想じゃなくてごめんな。」

「・・・・・・・。」

直後、不穏な空気を見せたのは、もちろん隣に立つ恋人で・・・・・。
清四郎は肩に回した腕に力を込めたまま、しかしいつものポーカーフェイスで微笑んでいた。

『イテテ・・・・馬鹿力め!ああ、でもヤバい・・・。折角、映画観る予定だったのにな・・・また今度かぁ。』

この後、自分の身に降りかかる災難を脳内で思い描くと、悠理は溜息を吐きたい気分になった。

「悠理の言う通り、僕が彼女の恋人なんですよ。ええ、もう一年ほど’正式’に付き合っています。済みませんね。」

瞬時に全てを悟った男の台詞はどことなく刺々しい。
満寿泉はそれに勘付くと、慌てて頭を下げて見せた。

「申し訳ありませんでした!私の勝手な思いをぶつけてしまって。悠理様、菊正宗様、どうぞお幸せに!」

脱兎の如く走り去っていく後ろ姿を、悠理は苦々しい思いで見つめる。

『満寿泉ちゃん・・・・言い逃げ?』

「悠理・・・・。」

頭上から降り注ぐ闇色の声。
恋人の嫉妬深さと独占欲と支配欲を、この一年で嫌と言うほど思い知らされてきた悠理は、小刻みに震えながらも恐る恐る見上げる。

「せ、せぇしろちゃん、あ、あのね・・・」

「何故、すぐに誤解を解こうとしなかったのか、理由をじっくりと聞かせて貰いましょうか。ええ、この後はきちんとホテルまで予約していますから、少しくらいチェックインが早くても問題ないでしょう。さあ、行きますよ。」

舌の滑らかな清四郎の言葉には温度が感じられない。
世間は春だというのに・・・・悠理は大きな氷に包まれたかのように身を強張らせた。

金曜の夜。
周りはラブラブムードのカップルだらけ。

しかし、清四郎と悠理の二人は、まるで刑事と容疑者のような風情で賑わう街へと消えていった。