アリサ

映画を観に出かけた二人。そこに現れた二人の女に清四郎は?

その日━━━
清四郎は悠理と二人、映画館にやって来ていた。
タイトルは「X-m⚪n vs メ●ゴジラ」
どっち付かずの内容なのは明らかだったが、悠理はこれが観たいと駄々を捏ね、いつものように清四郎と魅録を誘い出した。(※美童はデート。女性たちは興味がない)
しかし………運の悪い(良い)ことに、魅録は土壇場で用が出来た為、急遽キャンセル。
悠理はあからさまにノリの悪い清四郎と二人、上映前の時間を隣接するカフェで潰していた。


そこへ…………

「菊正宗君!偶然ね。」

明らかに、見た目よりも1オクターブ高い声を出した女が二人を交互に覗き込む。
30代半ばといったところだろうか?
緩いウェーブヘアに小さな眼鏡。
地味な顔を引き立たせようと意識したのか、服はパステルカラーで統一している。
よくよく見れば彼女だけではない。
陰にもう一人、若い女性がひっそりとこちらを窺う様に立っていた。

「こんにちは、赤坂さん。」

清四郎は別段驚くわけでもなく、携帯電話から視線を外すと、軽く頭を下げ挨拶する。
紹介された相手が「ESP研究会」のメンバーだと知った悠理は「ちわっ、剣菱でっす。」と元気いっぱい名乗った。

「もしかしてデート?にしても菊正宗君にこんな美人の恋人がいるなんてちっとも知らなかったわ!そりゃあアリサのアプローチにも靡かないはずよね。」

‘アリサ’らしき女は、赤坂と呼ばれる饒舌多弁な三十路女の陰からそっと顔を覗かせる。
見た目は悠理と同じ、二十歳そこそこの娘盛り。
異なる部分と言えば、彼女が驚くほど痩せていることだろうか。
ふっくらと健康的な赤坂に比べ、アリサはその半分。
手首は枯れ木のように細い。
肩で切り揃えられた黒髪は艶があり美しいが、痩せこけた輪郭のほとんどを覆ってしまい、正直、あまり良い印象を与えない風貌だ。
アイライナーがくっきり引かれた瞳だけは生命力が結集したかのようにギラリ、輝いている。
もちろん、恋しい清四郎を目の前にして興奮気味なのかもしれないが・・・・。

「あたい、恋人なんかじ・・・「やれやれ。とうとうばれてしまいましたか。僕はそういった話題で、からかわれる事が苦手でして…………敢えて皆さんには伏せていたんですよ。」

悠理の言葉に被せ、清四郎は赤坂を肯定する。
赤坂は悠理を流し見た後、再び清四郎に視線を戻した。

「水くさいのねぇ。私たちだけに、こそっと教えてくれたらよかったじゃないの。そうしたらこの子だってさっさと諦めもついたでしょうに、ねぇ?アリサ。」

「赤坂さん、そんな…………私なんか元々………」

印象通りのか細い声と自己否定が板についた女に、悠理はイラっとさせられたが、それをグッと堪え、清四郎の出方を待つ。

「彼女との交際は貴女たちだけでなく、大学でも内緒にしているんですよ。済みませんね。」

あからさまな困り顔。
しかし黒い瞳に明らかな拒否を滲ませ、これ以上踏み込んでくるなと言わんばかりに語気を強める。

流石にまずいと感じたのだろう。
二人は気圧されたかのように、少し離れた場所にあるボックス席を選び、そこへと座った。
とはいえ、後ろ髪を引かれている様子でチラチラと視線を投げかけてくる。
そんな不快とも言える環境下ですら、彼は涼しげに珈琲を飲み干し、慣れた様子で無視し続けた。
だが不思議そうに見つめる悠理に対しては軽く目配せした後、小さな声で「協力してください」と懇願した。

「なんだありゃ?」

悠理も合わせて声を落とす。

「少々、厄介な二人なんです。」

詳しく聞けば、彼らは二ヶ月ほど前、突如研究会に入ったばかりの新参者。
二人ともあまり耳慣れぬ‘新興宗教’の熱心な信者で、年が離れていても仲が良い。
特に年長者の赤坂はアリサを家族のように可愛がり、少々お節介なくらい、妹分の恋の支援を買って出ていた。

「ふ~ん。ということは、おまえはあの‘アサリ’ちゃんにどっぷり惚れられてるってことか。やるじゃん。」

「‘ア・リ・サ’。往年の名漫画みたいな名前じゃありませんよ。……ったく、勘弁してください。ああいう女はタイプじゃないんです。」

本当に参っているのだろう。
清四郎は珍しく重々しい溜め息吐き、上目遣いで悠理を窺った。
まるで同情を誘うかのように。

「んじゃ、どんな女がタイプなんだ?」

あの二人に聞こえないよう、ギリギリまで顔を近付けた悠理。
そんな近すぎる距離は端から見れば仲の良いカップルにしか見えない。
その上、タイプは違えど明らかに美男美女である。
カフェにいる他の客達もチラチラと盗み見ることを止められなかった。

「好みはうるさい方なんです。」

「ふふん…………だろうな。」

「…………だからそう簡単に女性と付き合ったり出来ませんよ。」

「だよな。」

クスクスと声を抑えて笑う悠理に、清四郎はもう一度深くため息を溢した。

「もしかして……………知ってたんですか?」

「ん?何が?」

「僕の気持ちを。」

「し、知らないじょ?」

「ふん。嘘が吐けないヤツだ。目が泳いでますよ。」

慌てた悠理は片手で目を隠す。
そんなバレバレの行為に清四郎は軽く舌打った。

「参ったな。………魅録ですか?それとも美童?」

「………………えへへ、野梨子だけど?」

観念したかのように指の間から瞳を覗かせる。

「はあ~・・・野梨子にもばれていたんですか。」

そう。
清四郎は悠理が好きだった。
高等部時代からずっと。

真っ先にそれに気付いたのはやはり美童。
そして可憐へと伝わり、魅録に至る。
まさか、野梨子にまで知られているとは思わず、清四郎は苦々しく顔を歪めた。

「バカにしてたんですか?」

「うんにゃ。いつ告白してくるんだろうって思ってた。」

「告白されたら…………困るでしょう?おまえは僕を好きじゃないんだから。」

「好きだよ?」

「え?」

いつになく穏やかな笑みを湛え、悠理は告げる。

「おまえのこと…………結構、好きだよ。」

それは清四郎が何よりも望んだ彼女の気持ち。
何度も諦めようとして、諦めきれなかった悠理の心。

「ほ、本気ですか?」

「うん。だって好かれてるって知った時、嬉しかったもん。野梨子が、‘清四郎は必ず動きますわ’って言ったから、あたいらしくもない、ずっと待ってたんだけどな。」

彼女はおどけた様に舌を出す。
いつもの子供っぽい感じではなく、男を惑わすよう、媚びを含んだ仕草で………。

━━━━なるほど。

頭の良い幼馴染みは全てお見通しだったのだろう。
しきりに何か言いたげな表情だったことを今更ながらに思い出した。

複雑な感情を努めて静かな表情で覆い隠し、彼は心を決める。
そう。
こうなれば開き直るしかない。
それにこれ以上、想いを伝えることを躊躇う必要はないのだ。

胸の鼓動を抑える為、清四郎はごくっと唾を飲み下した。

「悠理、好きです。僕と真剣に交際してください。」

ごくありきたりな告白をこれ以上ない真顔でぶつける。

「ほんっとおまえって真面目だよな………」

思わず笑った悠理を見ても崩さない。

「ふざけた気持ちなんかで、おまえを恋人にしたいと思えませんよ。」

「うん。」

「悠理………さっきの言葉が本当なら……返事はどうか、’イエス’でお願いします。」

「………………わかってんじゃん?」

「おまえに関しては……ここぞというところでひっくり返される事が多いですからね。しっかり言質を取りたい。」

悠理は清四郎の整った手を見つめ、そっとそれに触れる。
神経質そうな彼に相応しく、隙無く揃えられた爪。
彼の温もりはそんな爪の先からでも伝わってきた。

「おまえ、好みがうるさいんじゃなくって………変わってるんだよ。あたいみたいな女を好きになるなんて……。」

「珍しく自己評価が低いようですが、僕は悠理の魅力をたくさん知っていますよ?」

「………ならあたいのどこが一番好きなんだ?」

ふ、とその表情が崩れる。
それはあまりにも不意打ちだった為、悠理は目を瞠った。
長い付き合いの中で初めて見る柔らかな笑顔。
まるで心をほどいてゆく魔法の鍵だ。

「そういうところです。おまえは鈍感なようでいて、他人の心の機微に敏感だ。情にも厚い。それらは僕に最も欠けている部分です。」

一息でそう告げた後、清四郎はようやく照れたように顔を俯けた。

「何よりも僕は、おまえの不屈の精神に魅せられてる。昔から、ね。」

今度は彼が悠理の薄い手を包み込む。
明らかな大きさの違いと繊細な肌の感触に、彼女の胸がトクンと音を立てた。

「悠理……………焦らさないで、答えてください。」

再び真っ直ぐと射抜く瞳はとても熱っぽく、波打つ胸のベールがこじ開けられて行く。
照れ隠しの意地は呆気なく取り払われ………
悠理は思っていた以上に心惹かれていることを、否応なく自覚させられた。

「い……イエス。」

瞬間、全ての緊張が解放された笑顔。
青い風が通り抜けたような爽やかさ。

悠理はこんな無防備な彼の笑顔を随分と長い間見ていなかった、と感じる。
中学生のように屈託のない清四郎。
もしかするとそれが彼女の心を一番大きく動かしたのかもしれない。

長く友人だった彼らは、こうして新たな関係へと変化した。

しかし━━━━

照れ笑いしながら互いを窺う。
そんな甘酸っぱさ漂わせる二人を、一人の女が不気味なほど無表情に見つめ続けていた。



「あー面白かった!」

「確かに。想像していたよりも良かったですね。脚本が千林宗次とは………構成がしっかりしているはずだ。」

満足そうに頷く清四郎にこれまた悠理も嬉しくなり、ぶんぶんと手を回す。
子供のように幼い仕草だが、彼女がすればその喜びの感情がダイレクトに伝わってきて、彼自身も楽しくなる。

「なぁ、これからどうする?」

いそいそとパンフレットを手に入れた清四郎に悠理は尋ねた。

「お腹空きましたね。何か食べに行きますか?」

「うん!!あたい肉食いたい!」

「それならば確か評判の焼肉店がこの辺りに………」

携帯電話で調べ始めた彼の背を見つめる。

━━━━気付いてんのかな~?これってあたいらの初デートなんだぞ?

普通、初デートに焼肉をチョイスする女子は少ないだろうが、彼らの間柄で遠慮など無意味である。

━━━好きなものを好きなだけ。

どれほど関係が変化しようとも、このスタンスだけは変わらない。

「さ、予約しましたよ。少し距離があるのでタクシーで向かいましょうか。」

「うん!」

手際の良さは流石である。
清四郎は片手で一台の空車を呼ぶと、レディファーストよろしく先に悠理を乗り込ませた。
その後に続こうと清四郎が頭を下げた瞬間………

ドン!!

その衝撃は座る悠理にまで伝わった。
車体全体を包む異様な揺れと、清四郎からの呻き声。

「……うっ……くっ…………」

「………………せぇしろ?」

不安そうに尋ねる悠理へ、彼は何故か笑顔を作って見せた。
そしてタクシーの天井を支えに、ゆっくり身体ごと振り返る。

「馬鹿なことを………」

清四郎は悲しげにそう呟く。
振り向いた先には…………黒髪を振り乱したアリサが立っていた。