the trigger of love

週末の松竹梅邸では、いつものように悠理が魅録の部屋でコーラ片手に音楽雑誌を捲っていた。
外は肌寒く部屋は暖かい為、窓は結露に覆われている。
そんな中、悠理はふと思い当たったように口を開く。
その内容は魅録にとって、まさに不意打ちとも言えるものだった。「なぁ、魅録ぅ。」

「なんだ?」

「魅録の初恋って、やっぱチチなんだろ?」

「なんだよ、いきなり。」

「教えろよーー」

悠理から積極的に‘恋話’をするだなんて、今までの記憶にない。
魅録は訝しく思いながらも、答えを用意した。

「違うぜ。」

「えっ!?そなの?」

「初恋は、おまえだよ。」

「はぁ??」

「はは!!冗談だよ。おまえに女は感じねぇからな。」

からかわれたと解り、悠理は微妙な表情をする。
無論、魅録の初恋の相手になりたかったわけではない。

「こんな話を振ってくるってことは、なんだ?好きな男でも出来たのか?」

「す、す、好きっていうか、なんか気になるっていうか・・・良くわかんない!」

ガシガシと頭を掻きむしりながら悠理は何をどう伝えたらいいかを悩んだ。
魅録だから相談できる。
むしろ魅録以外には相談出来ないその悩み。
ズズズっとコーラを吸い込み、悠理は向き直った。

「あたい、恋なんかしたことないから、これがそうなのかなんてわかんないんだよ。」

「あぁ、そうだよな。」

魅録も悠理の話を冗談で流す事が出来ないと感じ、弄っていた無線機から手を離す。
ダチの真剣な相談にきちんと向き合うスタイルは、魅録の大いなる魅力のひとつである。

「で?誰だ?その相手は。」

「・・・せ、せぇしろ」

「・・・清四郎?」

「う、うん。」

「へぇ、なるほど。」

やっぱりな・・・という言葉は飲み込み、悠理の出方を待つ。

「ちょっと前から、あいつのことが気になって仕方ないんだ。」

「どんな風に?」

「ほら、あたいたま~にあいつとじっちゃんとこ行ってるだろ?そんで一ヶ月くらい前にさ・・・」

ボソボソと話す悠理のとりとめのない話を総合的にまとめると―――

和尚の言いつけで清四郎と組手をするようになった悠理は、汗だくで絡み合っている内に相手が‘男’だと意識してしまったらしい。
しかし魅録はそこに疑問を抱く。
そんなことくらいでこの鈍感バカが男女の境目を感じるはずがない。

―――何かあったな?

魅録の鋭い観察眼がいかんなく発揮される。

「それだけか?」

「え?」

「他にも理由あるだろ?」

何もかもを見透かす様な眼力の前で、悠理はがっくりと項垂れてしまう。
事実その通りだった。

「裸・・・・見ちゃった。」

「は?」

「せ、清四郎が悪いんだぞ!いや、あのオンボロ寺が悪い!風呂場の鍵がきちんと閉まらないんだから!」

ようするに、清四郎が風呂場で身体を洗っているところをまともに見てしまった・・・そういうことか。
魅録は簡単に要約すると顎を撫でながら考えた。
それにしても、こいつにそんな恥じらいがあったのか?
さすがの魅録も驚くべき新発見である。

「だいたい何だよ、あの身体!すんげぇ鍛えてやがる!あたいがちっとも勝てないのは、あいつがあんな身体してるからじゃんか!!」

言い掛かりも甚だしい。
しかし魅録はそこには頓着せず先を促した。

「で?おまえは清四郎が男だと感じたってわけだ。それと‘好き’とはまた別物じゃないのか?」

「そ、それが・・・」

グダグタとした話を根気強く聞こうとする魅録は、とうとうタバコに手を伸ばす。
長くなりそうな予感がしたからだ。

「あたいおかしいんだ。」

おまえはいつもオカシイ・・・と心で呟きながら煙を吐く。

「せ、清四郎に、その、えと、え、エッチされる夢見るんだ。」

ポロリ・・・

吸いかけの煙草が絨毯を焦がす。
魅録は慌ててそれを拾い上げた。

―――エッチ?こいつの口からエッチだと!?

あまりにも急転直下な展開に瞬きすら忘れてしまう。

「あたい、おかしいよな!?エッチなんかしたこともないのに!!それも相手は清四郎だぞ!?チューもぶっ飛ばしてエッチしてんだぞ!」

「は、はぁ。」

千秋さんがいなくて良かった、と心から思った瞬間だった。
最近盗聴器の扱いに慣れてきている母親が恐ろしい。

「あたい、あたい、どーなっちゃってんだーーー!?」

とうとうワンワン泣き出した悠理を、魅録はどう慰めたら良いのか解らぬまま、煙草を灰皿に擦り付けた。
わしゃわしゃと髪を撫でてやるが、適当な言葉が見つからない。
結局、一通り泣かせておこうと放置する。

―――30分後。

悠理は赤らんだ瞼で魅録を窺った。
さっきからムスッとしたままベッドに凭れている男は、どう見ても思案げな様子だ。

「ごめん、いきなりこんなこと言われても困るよな?」

恥ずかしそうに謝罪する悠理を、魅録は苦笑しながら見つめる。

「で?おまえさんはその夢をみて嫌だったのか?」

「え?」

「気持ち悪いとか、ムカムカするとか、悪寒が走るとか。そんな風に感じたのか?」

悠理は首を横に振る。
それこそが困った事情なのだ。

決して嫌がってない自分がいる。
むしろ、ドキドキと興奮状態にあって、まるでジェットコースターに乗る前のようだ。

「イヤ、じゃない。これって、あたいが清四郎を好きってこと?」

無垢な瞳に翳りは無い。
魅録は断言することを避け、「そういうことかもな」と言うに留めた。

「おまえはもっと自分の気持ちに向き合った方がいいぜ?シンプルに考えろよ。どーせ複雑に考えられねーんだからよ。」

「シンプル?」

「あぁ。清四郎に側に居て欲しいか、欲しくないか。あいつが他の女のモノになってもいいのか、良くないのか。な?簡単な二択だろ?」

悠理の単純な頭に見合った選択式。
さすが魅録である。

「あたい、あいつに側に居てほしい・・・それに、あいつが他の女とあんなことするなんてヤダ!!!」

―――はい、良く出来ました。

清四郎ならきっとこう言うだろう。
しかし魅録は頭を撫でることで、代わりとした。

「解ってんじゃねぇか。なら後はどーする?」

「告白すればいいんだな!?」

単純すぎて泣けてくるが、ここはそれで正解だろう。

――だって、なあ?

弾丸のように飛び出していった悠理を見送り、魅録は自室の隣へと足を踏み入れる。
そこには、黒髪の男が滅多に見ることの無い三角座りをしていた。

「だとさ。どうだ?‘初恋の君’になった気分は。」

「・・・・複雑です。」

悠理よりも先に松竹梅邸を訪れていた清四郎は、隣室にある魅録の書斎兼趣味部屋で興味ある本を物色していた。
日々、知識を広げるための努力を、決して怠らない男だ。

「ありゃあ、マジだな。とうとう悠理も人並みの女じゃねーか。」

「信じられません。」

「で?どーするんだ?答えが用意できたら、おまえん家に送ってやるぜ?」

バイクのキーをちらつかせ、魅録はニヒルに笑った。

「あいつは本気・・・なんでしょうか?何か勘違いしてるんじゃ・・」

「たとえ勘違いしてたら、どうだってんだ?おまえさんは悠理をどう思ってる?」

清四郎は押し黙る。

『悠理をどう思ってる?』

そんなもの決まってる。
答えなどとうに出ている。

「魅録。送ってください!」

「ほいきた!メットかぶれよ!」

そうして二人は菊正宗邸を目指したのだ。

タクシーに乗って辿り着いたのだろう。
悠理は家の前でウロウロしていた。
魅録に最寄りの公園で下ろしてもらった清四郎は、息を整え何事もなかったかのように自宅へと向かう。

「おや、悠理。どうしたんです?」

「清四郎・・・お、おかえり!」

後ろ手でもじもじとしながら、頬を赤らめる悠理は、どう見ても挙動不審者だったが、敢えて触れずに家の中へと促す。
自室までの距離を、彼女は無言で歩いた。

「随分冷えますね。ココアを淹れましょうか。」

暖房のスイッチを入れる清四郎の背中に衝撃が走ったのはその直後のこと。
広く逞しい背にしがみついた悠理は、勢いよく心の中をさらけ出した。

「清四郎!好きだ!!」

前もって解っていたとは故、その時の感動は清四郎の胸にじんわりとした温もりを与える。
体当たりの告白がこれほど嬉しく感じるのもたった一つの理由なのだが。

暫く沈黙していた清四郎だったが、頃合いを見計らいゆっくりと振り向くと悠理を見下ろす。
その瞳には慈愛が込められていた。

「僕のどこが好きですか?」

「ど、どこ??」

まさかそんな質問が返ってくるとは思わなかったのだろう。
悠理はたじろいだ。

――どこ?

嫌みくさくて、いつもからかわれて、たまに苛められて、あまつさえ人身御供にされる。

――あたい、こいつのどこが好きなんだ?

魅録の言葉で、自分の気持ちを確信したつもりだったが、実際『どこが?』と聞かれると具体的に答えられない。
例の夢について話すことはさすがに恥ずかしく、悠理はとうとう俯いて黙りこくってしまった。

――しまったな。いつもの悪い癖が出た。

清四郎はふるりと頭を振ると、悠理を抱き寄せた。

「悠理。僕の告白を聞いてくれますか?」

「え?」

思わず見上げた先で、清四郎は優しく微笑んでいる。

「女に見えなかったはずのおまえが気になり始めたのは少し前からです。二人で道場に行くようになり、組手を交わすようになって、おまえが思っていた以上に華奢に感じてしまい戸惑いました。些細なことですが、胴着の胸元から見える薄い下着なんかに女性であることを認識させられ、かなり動揺していたんです。練習の組手だというのに、本気で向かってくるおまえが可愛くて、でも気を抜けばすぐに負けてしまいそうで、だから必要以上に力が入ってしまいました。」

そこまで一気に告げると、清四郎はふっと力を抜き、腕を離した。

「毎晩のように、おまえの夢を見るようになったのもそれからです。」

「え?清四郎も!?」

「おや、悠理も夢を見るんですか?」

「あっ!!えーと・・・・・うん。」

内容は流石に口に出せないらしい。
頬を染めたまま、視線を移ろわせる。

「夢の中のおまえは、僕のキスを求めて来てくれるんです。でも、その先に手を伸ばそうとすればシャボン玉の様に消えてしまう。夢とはやはり儚いものですね。」

「き、キス・・・あたいがキス・・?」

「ええ、とても女の子らしく、ね。」

自分の夢とは違い、随分と甘酸っぱいじゃないか。
悠理は途端に恥ずかしくなった。
淫らな夢を見る自分が欲求不満かのように感じる。

「悠理の夢の中の僕はどんなですか?」

「え!!?え、えと、あ~・・」

何をどう説明しても行き着くところは一緒。

悠理は夢の中で繰り広げられる清四郎との甘い時間を思い出す。
いつものポーカーフェイスじゃなく、優しい微笑みと優しい仕草。
そして、逞しい身体に翻弄される自分。
しがみついて、はしたなく啼き叫ぶ姿を、清四郎は愛しいとばかりに抱き締めてくれるのだ。

「や、優しい、かな。」

「おや、普段は優しくないとでも?」

「い、嫌みくさいだろ?」

「・・・それが本音なんですね。」

「あ!いや・・・でも、たまに優しいよな。」

過去の経験から、清四郎が優しい人間であることは十分理解している。
仲間に対しても、そして自分に対しても。
腕の温もり、掌の柔らかさ、視線の細やかさ。
先を見通す能力だけではない。
清四郎は人の思いや感情をしっかりと見抜くのだ。
その冷徹な観察眼は確かに頼りになるが、時として寂しくも感じる。

―――清四郎の目に、一体あたいはどんな風に映ってるんだろう。

そう何度か考えたことがある。

単細胞の猿もどき?
大飯食らいの世間知らず?
女未満の野生児?

否定的な比喩ばかりが頭に浮かぶ。

でも、もし、本当に女の子として見てくれたなら、きっと自分は変わることだろう。
清四郎の心に寄り添える女に変化したいと感じることだろう。

魅録から問われた二択。

『他の女になんてやれない!』

それだけは間違いのない覚悟なのだから。

「うそ。ほんとはいつでも優しい。」

悠理は小さく呟いた。
そして、清四郎の目を射るように見つめる。

「清四郎。あたい、おまえのこと好きでいてもいい?どこが好きかなんて解んないくらいおまえのことが好きなんだ。」

「悠理・・・!」

完璧な答えを求めていたわけではない。
しかし清四郎の胸に歓喜が押し寄せた。
単純過ぎる脳みその持ち主である悠理が、色々考えた末、出した答え。
それこそが信頼に値するものなのだから。

清四郎は再び手を伸ばし、悠理を抱き締める。

「僕もおまえが愛しい。想いをくれてありがとう。」

「い、愛しいって・・・」

「‘好きだ’ということですよ。もう、誰にもやれないくらい、ね。」

「ほ、ほんとぉ?」

「ええ。」

腕の中で泣き出した悠理は、今まで見てきた中で一番弱々しく感じた。

清四郎は魅録への感謝を胸に、これからの二人を思い描く。
見通す先は刺激ある幸せに満ちた人生。
全てに完璧を求める男、菊正宗清四郎は満足そうに微笑んだ。

~おまけ~

「あいつら上手いこといったかなぁ。」

清四郎を送った帰り、コンビニでタバコを買っていた魅録。
寒空の下、紫煙を燻らせていると、ふと自分の初恋を思い出す。

「ま、初恋なんてぇのは麻疹みたいなもんだけどな。」

―――それでも、あの二人はきっと突っ走るのだろう。
互いの想いだけを信じて。

「ちぇっ、俺も恋したくなってきたぜ。」

ぶるりと身を震わせた魅録の背中は、いつもよりも小さかった。