「貴方が菊正宗・・・清四郎?」
その女はローズピンクの唇を艶めかせ、ゆっくりと口角を上げた。誰が行こうと言い出したのか・・・。
比較的安全にカジノが愉しめると評判の地下バーを訪れたのはクリスマス間近の事。
大学生になってからも6人は刺激を求めて彷徨う事が多く、今回もその延長線上でこの店を選んだ。
可憐と美童はいつもの如くパートナー探しに勤しみ、野梨子はスロットマシーンでささやかに遊んでいた。
清四郎は持ち前のポーカーフェイスを活かしてカードゲームを愉しみ、悠理は派手にルーレットを回している。
そういえば、魅録が見当たらない・・・。
その時は誰しもがゲームに夢中で気付かなかったが、確かに彼はその場に居なかった。
無論、警視総監の息子が違法賭博を愉しむのは色々厄介な問題が起こりそうだが、それも今更のこと。
残る五人は誰も彼を止めようとはしない。
さて、当の魅録はといえば・・・・。
地下バーのオーナーと楽屋で話し込んでいた。
歓楽街の景気を含め、店の客層や面白ネタ。
そして何よりも、最新のヤクザ事情が魅録のメモ帳に書き加えられるのだ。
「そういえばなあ。ここ一週間くらいなんだが、ヤクザの娘が出入りしてるんだよ。」
「へえ・・誰だ?俺も知ってるヤツか?」
「ほら、菊翁親分が目をかけている『設楽(したら)組』のお嬢さんだよ。」
「なに!?」
魅録の顔色が一瞬で変わる。
『設楽組』といえば、関東で急成長を続けている組だ。
魅録とてその情報は耳にしていたが、それ以上に特別な因縁があった。
「娘って・・まさか・・・」
「ああ、そのまさかだよ。あの姫御前(ひめごぜ)だ。」
「マジかよ!!いつ日本に帰ってきたんだ?」
声を荒げた魅録の反応は男にとって満足するものだったらしい。
うっすらと嗤う。
「先月だとよ。屈強な男二人連れての凱旋帰国だぜ?」
『姫』と呼ばれるその人物。
実は魅録との縁が深い。
何せ幼稚園から小学校卒業まで二人は同級生で同じクラスだった。
「設楽 姫子」、全国指定暴力団『設楽組』組長の娘。
その名前に負けず劣らず愛らしい顔立ちをしているが、性格は父親似でヤクザそのもの。
近隣では「リトルプリンセス」と呼ばれていたが、それは決して褒め言葉ではなかった。
中学に入った時、父母が離婚。
母に連れられシンガポールに渡るが、つい最近その母も他界したという。
結局父親の元へと帰ってきたのだが・・・・。
「荒れるな・・・このカジノ。」
魅録はぽつりと呟く。
「勘弁してくれよ~。俺、借金がたっぷり残ってるんだぜ?」
そう嘆き悲しむ男もまた、別の組の僕(しもべ)なのだが、魅録は同情的に肩を叩いた。
「想像したくねーけどよ、あの性格がパワーアップして帰ってきたのか?」
「ああ。でも見た目は極上なんだ。色気はちょっと足りねーけどな。それにドーベルマンみたいな男二人をいっつも従えてるんだぜ。」
深い溜息を吐いた男は魅録を縋るように見つめる。
「あのじゃじゃ馬、なんとかしてくれよーー!おまえ、幼なじみなんだろ?」
『こっちにも手に負えないじゃじゃ馬がいるけどな。』とはさすがに言えない。
「今夜も来てるのか?」
「そろそろ来るはずだ。滅茶苦茶強いからすぐに周りが持ち上げる。まったく良いこと無しだぜ。」
魅録はソファから立ち上がると、煙草を咥え楽屋を後にした。
幼なじみとは故、あまり会いたくない人物である。
何故なら幼稚園時代に一目惚れされ、まるでハイエナの様に追い駆け回された記憶があるからだ。
「出来る事なら会いたくねーなーー・・・」
溜息は深い。
いくら美人に成長したとしても、手に負えぬあの性格だけは、到底受け入れ難かった。
カジノへと戻った魅録は、まず最初に目を疑う。
清四郎を挟んで悠理ともう一人、長身の美女が派手な火花を撒き散らし、睨み合っているからだ。
よくよく見れば、それは間違いなく自分の幼なじみ。
「リトルプリンセス」だった。
ーーー悠理~!おまえのトラブル体質、なんとかしてくれよ。
胃が一気に収縮する。
かといって放置しておくわけにもいかず・・・
魅録は足早に近付き清四郎の後ろに立つと、「何事だ?」と小声で問いかけた。
「それが・・・」
珍しく困った様子で口ごもる男。
いつもの清四郎らしくない。
「あんた、何様なの?」
「おまえこそ何様だ!清四郎は嫌がってただろ?」
「は?だからって、関係の無い貴女にとやかく言われる覚えはないわ!引っ込んでなさいよ!」
その短いやり取りを聞いた魅録は眩暈がした。
これではまるで男を巡っての修羅場ではないか!?
「おい、清四郎。何だよこれ。」
「僕も何が何だか解りませんよ。だいたい彼女の顔すら知らないというのに・・・。」
「まさか、一目惚れされたのか?」
「違います。名指しで僕に声をかけてきましたから。」
「名指しで?」
首を捻った魅録は、取り敢えず狂犬のような女二人の間に入り込む。
このままでは暴力沙汰になりかねない。
間違いなく・・・・。
「他の客も居るんだ。その辺にしとけよ。」
悠理を庇うように立つ男。
それを目にしたリトルプリンセスこと姫子は、目を丸くする。
「え、まさか。あんた・・・魅録?」
「よぉ・・久しぶりだな。」
その瞬間、女は輝くような笑顔を見せた。
それはとても女性らしく愛らしい笑顔なのだが・・・如何せん、先ほどの遣り取りで魅力は6割減である。
「魅録、もしかして知り合いなのか?」
悠理は一瞬にして牙を引っ込める。
ダチのダチに喧嘩を売るわけにはいかないからだ。
「ああ、まあちょっとした幼なじみってやつだ。随分会ってないけどな。」
「幼なじみ・・・」
「悠理もどうしたんだ?こんなことに首を突っ込むおまえじゃないだろ?」
「だ、だって・・・清四郎が・・・・・」
もじもじとした様子に、姫子は勝ち誇ったかのように口を開く。
「はは~ん。なるほどね。あんた、彼が好きなんだ?へえ、そういうことか。」
「は?」
呆然とする悠理に代わり、魅録が訝しげに眉を顰める。
「何言ってんだ?」
「だってそうじゃない。この子、あたしが彼を口説こうとしたらいきなり邪魔してきたんだから。」
「悠理が?」
悠理は真っ赤になって首を振るが、その顔には全ての答えが書いてあった。
魅録は唖然としながらも尋ねる。
「おまえ・・・まさか・・・」
「そ、そうだよ!あたいは清四郎が好きなんだい!!!何かおかしいかよ!」
側にその張本人が立っているというのに、悠理は開き直ったように叫んだ。
「いや・・え・・・嘘だろ・・・。」
魅録の動揺は清四郎にも伝わる。
「悠理が・・・僕を?嘘でしょう?」
到底信じられる話ではない。
何かの罰ゲームでもなければ、彼女の口から男に、それも清四郎に対して「好き」等という言葉は出ないはずだ。
「・・・ほんとだもん。」
俯き加減の顔はやや不安げで、それでも目に宿った光が真実だと告げている。
「え~・・それは・・ちょっと・・驚きましたね。」
いつものありがちな告白では「ありがとうございます。」とそつない笑顔で丁重に断る清四郎。
今回ばかりはそうもいかないらしい。
戸惑いを隠せずにいた。
「ねえ・・。私、無視されるの大嫌いなんだけど?」
苛立ちのままに口を挟む姫子は、悠理と清四郎を交互に睨み付ける。
魅録もあまりの事態に言葉が出ない。
「実はね、菊翁おじさまから貴方の事聞いたのよ。すっごく強いんですって?私、強い男が大好きなの。」
「だから・・・」といって近付こうとする姫子に立ちはだかる悠理は、もう怖いもの無しの様相だ。
「清四郎はさっき断ってただろ!?」
「たった一度で諦めるような女に見える?」
「んなもん知るか!とっとと諦めろ!馬鹿女!」
「ねえ・・・あんた彼の恋人でもないくせにちょっと図々しいんじゃない?」
悠理は言葉に詰まる。
それは確かにそうなのだが・・・だからといって、目の前で大っぴらに告白劇などされては女がすたる。
当の清四郎は、いまだパニックの真っ只中。
明晰なはずの頭脳が混線状態を引き起こしている。
「じゃあ、あたいと勝負しろ。」
「はぁん・・・面白そうね。なら、方法を決めましょうか。」
「お、おう!」
力では負けない。頭脳戦には自信がないが・・・。
「あんた。」
姫子に目配せをされた屈強な男は、ジャケットの中から物騒なものを取り出した。
それはリボルバー式の拳銃。
易々と受け取った姫子は慣れた手つきで弾を抜き、金色に光る一粒だけを装填し弾倉を回転させた。
「ゲームをしましょう。知ってるわね?」
「・・・・ロシアンルーレット。」
「そうよ。素人の貴女には酷かもしれないけれど?」
勝ち誇ったような笑顔を見せる姫子を見て、しかし悠理は迷っていた。
いくら悪運強しと言えど、そこまでの覚悟はさすがにない。
だが・・ここでこの女に屈することは、プライドが許さなかった。
「やめろ!!」
「やめてください!」
二人の男が同時に叫ぶ。
「やめろ、んなこと許すわけねーだろ!悠理も馬鹿な挑発に乗るな!」
「そうです。貴女も銃をしまいなさい。」
脚の長い、黒の丸テーブルに置かれた、銀色に鈍く光る拳銃。
悠理はそれを見つめたまま、動こうとしない。
「本気の勝負よ。もちろん逃げるなら今しかないわね。」
姫子の執拗な挑発は続く。
埒があかないと感じた魅録は置かれた銃を奪おうと、手を伸ばした。
が、直前で屈強な男二人に羽交い締めにされ、呻き声をあげる。
「魅録!」
「くそ!離せ!俺にさわんな!」
「無駄よ。そいつら私の言うことしか聞かないの。死んでも離さないわよ。」
姫子はにっこり微笑むと、再び清四郎を見つめる。
「貴方がイエスと言ってくれたら話は早かったんだけど・・。」
「お断りします。」
「じゃあ、この勝負、指を咥えて見ていたら良いわ。手出し無用よ。」
「それもお断りだ!」
清四郎は悠理の肩を掴むと、テーブルから引き離そうとする。
しかしその手を払いのけ、悠理は睨むように清四郎を見上げた。
「邪魔すんな。黙って見とけよ。」
そう言ったかと思うと、すかさずテーブルにある拳銃を手に取った。
「悠理!!」
ガチッ・・・!
それは一瞬の出来事。
鈍い音が辺りに響き渡る。
悠理のこめかみに当てられた銃は、幸いにも火を噴くことはなかった。
「へ、へぇ・・やるわね。」
姫子の顔色がさすがに変わった。
かといって、今更なかったことには出来ない。
再びテーブルに置かれた銃を掴み取ると、彼女もまた躊躇いなく引き金を引いた。
鈍い音が再び響く。
「もう、やめろ!」
清四郎は悠理の身体を強引に抱き寄せた。
「駄目だ!これ以上は絶対にさせない。」
「ざけんな!せいしろ!離せ!」
「どっちがふざけてるんだ!いつもの意地で死ぬつもりか!!?」
「だって・・・だって・・・!」
「僕はおまえが大事なんだ!それを解ってるのか!?」
「・・・・え?」
「下らないゲームで・・・おまえを失うわけにはいかないんだ。」
強く強く抱きしめられた腕の中で、悠理は僅かな隙間すら与えられない。
激しくも鋭い口調が、清四郎の本気を物語っていた。
「僕だって・・・おまえが好きだ。命なんて賭けなくてもいい!おまえが大事なんだ!」
「せ、せいしろぉ・・・」
熱い腕の中で悠理は感激の涙を零す。
「どうしてもするというのなら・・僕が受けて立ちましょう。」
冷えた炎を黒い瞳に宿した男は、悠理の肩越しに姫子を射抜く。
それはぞっとするほどの殺気と共に・・。
その瞬間、姫子の背筋が凍り付いた。
今まで出会ったことのない他人の殺気。
それは決して立ち向かってはいけない類のものだった。
「わ、解ったわよ。両想いなら私の出る幕、ないじゃない?」
魅録はホッと息を吐くと、男の腕をねじり上げた。
「いつまでも触ってんなよ!」
そして一目散に姫子へと近付き、パンと音を立てその頬を打つ。
「おまえ、何考えてんだ!?もし悠理が死んでいたらどうするつもりだったんだ!こいつは一般人なんだぞ!?」
姫子は目を瞠る。
この年になるまで、親にすら手を上げられたことがない人生を歩んできたのだ。
その刺激ある痛みは、じんわりと心にまで届いた。
「魅録・・・素敵・・・・」
「あ?」
目をハートにした姫子は躊躇うことなく魅録へと飛びつく。
「やっぱ、私にはあんたしか居ないわ!結婚して!」
「ふ、ふ、ふざけんな・・・!こら、離せ!!」
清四郎と悠理は目を瞬かせてながらその光景を見つめるが、悠理の胸の内はようやく和らいでいた。
姫子の様な女がライバルになるのなら、命はいくつあっても足りないだろう。
いくら無鉄砲な悠理とて、その辺りの危険性はヒシヒシと感じ取っていた。
上を見上げれば清四郎が苦笑しながら見下ろしている。
「せいしろ・・あたいを好きってほんと?」
「ええ・・。」
「本気で?」
「もちろん。いつも命を賭けているじゃないですか。」
「・・・そ、そか。」
照れながら俯けば、清四郎の声が耳元に降ってきた。
「あんなこと、二度としないでください。おまえを助けるのはいつも僕の役目なんですから。自らの命を賭けるなんてこと絶対にするな。」
「・・・う、うん。」
「良い子良い子」と撫でられる悠理の姿は、すっかり「か弱い女子」に見える。
騒ぎを聞きつけやって来た可憐や美童、そして野梨子は事態を飲み込めないまま、ポカンと口を開けた。
美女に追い回される魅録の悲痛な声には気付かずに・・・。