such an ideal couple

和子の婚約者と若夫婦な二人。

そぼ降る雨はいつしかみぞれ混じりとなっていた。
悠理はコートの紐を縛り直すと、足早に菊正宗邸へと向かう。
今日は和子の誕生日。
銀座で購入したプレゼントはカシミヤのマフラー。
悠理にしてはまともなチョイスである。菊正宗邸では滅多に誕生日パーティーなどしない。
しかし今回だけは例外で、和子の正式な婚約を含めて身内で祝うこととなったのだ。
お相手は菊正宗病院の心臓外科医。
まだ若いが将来を有望視されている青年だ。
過去、一度だけ会ったことがある悠理は、一目で好印象を抱いていた。
何せ手土産が『プティフラン』のシュークリーム20個。大好物だった。

「うっしっし!今日の土産は何かな~?」

食欲の権化である悠理にとって、和子の婚約者は『美味しいものをくれる人』と位置付けられた。
単純なものである。

みぞれが雪へと変わってくると、巻いていたマフラーを伸ばし、寒さから逃れようとした。
その時―――

「悠理さん!だよね。」

背後から声をかけられ立ち止まる。
振り向けばそこに、和子の婚約者が大きな荷物を二つぶら下げ佇んでいた。
それは間違いなく本日の手土産。
悠理の視線は当然釘付けとなる。

「え~と、ちわっす。」

名前は覚えていない。

「こんばんは。助かった!タクシーが掴まらなくて困ってたんだ。」

暗に荷物持ちを手伝えと言うことだろう。
しかし悠理は文句も言わず、片方の手にある紙袋を抱きかかえた。

「中身、何?」

「『ピエール・デュラン』の生チョコケーキと、トリュフの詰め合わせだよ。」

相変わらず素晴らしいチョイスである。

「やたっ!」

と素直に喜べば、和子の婚約者『月乃井 誠(つきのい まこと)』は優しく微笑み返した。

「悠理さんは、ほんと素直だねぇ。」

「あ、悠理でいいよ。親戚になるんだし。」

「え、いきなり?和子さんですら『さん』付けなんだけど。」

「ん~。なんかもぞもぞする。悠理でいいってば。」

「そ、そう。」

誠は困った様子で、しかし言われた通りに「悠理」と呼んでみた。

「い・・・いや、やっぱ悠理ちゃん!これにしよう。」

「『ちゃん』??んな年じゃねーよ!」

「でもなぁ。呼び捨てにしたら清四郎君が怖そうで。」

「うっ・・・」

誠の言う通りだった。
嫉妬深い夫を持つ悠理は、普段からその神経を、鉛筆の様に磨り減らしていたのだから。

「わ、わあった。じゃあ『ちゃん』付けでいい。」

ここは大人しく誠の意見を尊重することにした。

うっすらと雪を積もらせながら菊正宗邸に到着した二人。
出迎えた姉弟は慌ててその冷えきった身体を温めるよう風呂へと促した。

「じゃあ、悠理ちゃんが先にどうぞ。」

「悠理ちゃん?」

清四郎の眉間にシワが刻まれる。

「あ、いや、悠理’さん’だと他人行儀かなって。」

「別にいいじゃん。どんな風に呼んでも。」

「僕は何も言ってませんが?」

―――いや、その面(つら)は何か含みがあるぞ。

悠理は夫を横目で睨む。
清四郎の鉄壁ポーカーフェイスは、こと自分に関しては綻びを見せるのだから面白い。

「悠理、先に月乃井さんをお風呂へ。」

「あ、うん。」

「いいの?悠理ちゃんも随分濡れて、冷えてるけど・・・」

「あたい、頑丈だから余裕だい!先入ってよ。」

そう言って見送った悠理は、夫に引き摺られるような格好で部屋に連れこまれる。
結婚してからこっち、大学院生である清四郎は剣菱邸と実家を行き来し、どちらかというと実家に多くの荷物を置いていた。
部屋ももちろんそのままで、悠理が泊まりに来ればそこが二人の寝室となる。

清四郎は悠理の冷えきった身体からセーターを脱がせると、体温を分け与えるよう抱き締めた。

「こんなに冷えて・・。相変わらずバカですね。」

「悪かったな、バカで。」

「タクシー、掴まらなかったんですか?」

「うん。ほらクリスマス前だろ?道も混んでてさ・・。」

「電話してくれればすぐに迎えに行ったのに。だいたい姉貴のプレゼントなんか買わなくてもいいんですよ!」

「う~ん。でも今回くらいは、な。」

和子にいつも美味しいモノで餌付けされている悠理は、ここぞとばかりにお礼がしたかったのだ。
ちなみに購入したマフラーは某有名ブランドの物で20万円は下らない。
和子の普段の持ち物から推測し選んだ物だが、独特のセンスを持つ悠理にしては気が利いていた。

「では、‘悠理ちゃん’・・・と呼ばれるようになった経緯を伺いましょうか。」

―――やっぱりきたか。

悠理は気付かれぬよう溜め息を吐く。
何を隠したとて、どうせ捩じ伏せられバレるのなら、最初から堂々とそのまま真実を伝えよう。
そう覚悟した。

「まさか、彼に懐いたんじゃありませんよね?」

「懐く?」

「美味いものを貰えるなら、魂でも売り渡しそうだからな、おまえは。」

「あほぉ!あたいはそこまでガキじゃないわい!」

「ふん、どーだか。」

やけに突っ掛かる夫は、間違いなくいつもの嫉妬心を発動させている。
最初の内はそれに驚かされ、面白がっていたが、結婚して二年ともなれば若干鬱陶しい。
だがここで油を注ぐのも得策ではない。
悠理は気持ちを鎮めると、清四郎を上目遣いで見上げた。
媚びるように・・・。

「あたいが魂を売り渡す相手は清四郎だけだぞ?」

「え?」

「おまえ、いっつも美味いもんくれるじゃん。ほら、甘くて蕩けそうになるヤツ。」

「!!!」

それは暗にキスを意味していた。

清四郎は歓喜する。
こんな駆け引きが出来るようになった妻の成長ぶりがどことなく恐ろしいが、でも結局は可愛くて仕方がない。

「悠理。」

「ん?」

「僕を一瞬でその気にさせるとは、良い覚悟ですね。」

「え?」

「なぁに、20分もあれば満足させてやりますよ。」

「んぎゃっ!!」

まるでマジシャンのように妻を裸にひんむくと、清四郎は憎たらしいほど官能的に笑った。

「もっと美味しいものをあげましょう。僕に全てを投げ出したくなるほどね・・・。」

悠理の浅はかな作戦は、果たして効を奏したと言えるのだろうか。

その後―――

無論20分で終わるはずもない愛の交歓は、和子が激怒して部屋に突撃するまで続いた。
悠理は腰が抜けた為、風邪を理由にパーティーへは参加せず、清四郎は和子へのプレゼントを渡した後、あっさり自室へと戻る。

「妻が心細く感じているでしょうから・・・。」

そんな白々しい台詞を誰が信じるというのだろう。
菊正宗家の面々は深い溜め息を吐いた。

―――次の日。

いつも通り寝坊した悠理は、清四郎のベッドから起き上がると、軋む身体をじわじわと伸ばした。
隣に夫の姿が見当たらない。
いつもなら汗ばむくらいくっついているはずなのに。

トントン

扉をノックする音に、悠理は慌てて着るものを探した。
何せ素っ裸。
いつまでも肌の感触を味わおうとする夫のせいで、大概は裸で眠ることになる。

ぐるりと辺りを見回すが夕べまで着ていた服も下着も無い。
洗濯にでも出されたのだろうか。
仕方なく、その辺にあった清四郎のシャツを羽織ることにする。

「はい!」

「悠理・・・ちゃん、起きてる?」

誠の声だった。

「うん、起きてる。どーぞ!」

恐る恐る開けられた扉からひやりとした冷気が忍び込む。
無意識に身体が震えた。

「おっはよ。」

部屋に入った誠は悠理の挨拶には応えられず、一瞬で目を剥く。
驚きのあまり咄嗟に口を押さえ、息を飲み込むほどの衝撃。

目の前に立つ将来の義妹は、男物のシャツ一枚だけを羽織り、その長い脚を惜しげも無く見せている。
透けるような肌が、否応無く目に焼き付き、あっという間に頬が火照った。

「ゆ、ゆ、悠理ちゃん、それはちょっと!」

「は?」

吃る気持ちも理解出来よう。
相手は黙ってさえいれば超のつく美人である。
それも結婚してからの悠理は、清四郎の功績で一層美しく柔らかな曲線を帯びた身体となっていた。
女は男の手で如何様にも変わるのだから当然のことではあるが・・・。
それでも変わり過ぎだと仲間達は唸る。

ちなみに誠は今年33歳。
交際した女性は和子だけである。
ようするに、完全なる免疫不足だった。

患者の裸ならどれだけ見ても仕事の内と割りきれるのだが、
こうして女性を意識してしまうとまるで思春期の少年のように恥じらう。
薄手のシャツは、悠理の身体のシルエットをしっかりと浮かび上がらせている。
あまりにも刺激的な格好に、誠は血圧が上昇していく音を聞いた。

「なに?朝飯?」

「あ、う、うん。そう。」

「わぁった。行くよ。」

「え?その格好で!??」

悲鳴のような声をあげる誠に、悠理は目を瞠る。

「なに?おかしい?」

『膝上10㎝まで隠れているから、ノーパンには気付かれないはず。』

悠理の恥じらいは誠の1/10くらいしか存在しない。

「せ、せめてズボンか何か履いたほうがいいんじゃ・・ほら、風邪ひいてるんだよね?」

「ん?あ、そっか。」

ごそごそとクローゼットを開け、チェストの引き出しから夫のハーフパンツを引っ張り出す。
誠はホッとした。
これであの魅力的な脚が覆われるのだから、と。
彼は一般男性よりも随分損をしているが、これも全て免疫不足のなせる業。
美童辺りが鼻で嗤うだろう。

悠理は無防備にも、誠の目の前でハーフパンツに脚を差し入れる。
その時、ほんの一瞬、脚の間にある翳りが男の目に留まった。

『うわわわーーーー!ヤバイ!ヤバイ!!ノーパン!!』

まるで童貞かの様な反応だが、彼は医者である。
無論、裸の患者など大勢見てきたはずなのに・・・。

「何、してるんです?」

地獄からの呻き声とはこういうものか。
誠の背筋が凍りつく。

自分よりも10㎝は高い位置にあるその顔は、目の当たりにしなくともその表情が読み取れた。

「清四郎!あたいの服どこやったんだよ!」

「洗って乾燥機に放り込みましたよ。」

「パ、パンツくらい置いてけ!」

「あぁ、それは失礼。濡れて使い物にならなかったものですから。」

「ぐっ・・」

誠の頭はクラクラしていた。
いや、夫婦歴二年の彼らにとってこれは日常茶飯事なのかもしれない。
’夫婦とは奥が深いものだな’と納得させられ深く頷くが、もちろんそれは誠の大きな誤解である。

「さ!飯いこーぜ!」

「悠理、待ちなさい。」

清四郎の瞳はシベリア寒気団よりも冷たいだろう。

「ん?」

「ああ、誠さんは先に食べていてくださいね。僕たちは少し遅れていきますから。」

「あ、そ、そう?解った。じゃあ先にいただくよ。」

パタンと閉じられた扉の向こう。
そこで何が繰り広げられるか、初心(うぶ)な誠にはまだ解らない。
無論、清四郎が嫉妬深い男とは知っている。
だが、まさか朝っぱらからコトに及ぶとは考えもつかないだろう。

「せ、せいしろ!飯は!?」

「飯?そんなもの食えると思っているのならおめでたいな、おまえは。」

「つか、なんで怒ってんだよ!!」

「他の男の前で着替えるなど言語道断です!どんな神経をしてるんだ!」

怒りを露にさせ、清四郎は悠理のシャツを剥ぎ取った。

「ひぃ!!」

「それとも誘ってるんですか?彼を。」

「んなわけあるかーーー!」

果てしない嫉妬心をぶつけられ、悠理は憤る。

「どうでしょうね?おまえは油断出来ない女ですから。」

「そ、そんなこと思ってんの?」

目が醒めたかの様に、真顔になる。

「あたいがおまえしか好きじゃないって解ってないの?そんな簡単にふらふらする女だと思ってんのかよ?本気で?」

それを聞いた清四郎もまた、ハッと我に返る。

「い、いや、違う。済まない・・・」

「あたいにとって、男はおまえだけだよ?他はカボチャか何かだ。」

「悠理・・・」

単純な妻の言葉に嘘は見当たらない。
それが清四郎に歓喜をもたらす。

「愛してる。お前の事は信じてるんだ。けれど、どうしても嫉妬で目が眩んでしまう!心配で仕方ない。
だって・・・・おまえは、綺麗になりすぎたから。」

「清四郎・・・」

悠理は慰めるようなキスをした。
頬へ何度も・・・。
そして最後に唇へと。

「馬鹿。ほら、とっとと抱けよ。」

「―――良いんですか?」

「そうすることで、あたいを信じられるんだろ?」

その通りだった。
清四郎は悠理を抱くことで、痕跡を残すことで妻の愛を確かめる。
この男が、些細な心の変化を見逃すはずないのだから。

「悠理、悠理!」

『・・・ったく、何がそんなに不安なんだろうな。』

悠理は毎回そう感じる。

自分は決して浮気心などおきない。
清四郎を心から欲しているだけでなく、身体が反応しないのだ。
どれほどの男と出会っても、清四郎には敵わない。
それは昔から与えられてきた現実。

『ま、シュワちゃんと張り合えるくらいには愛してるからな。』

――それを聞いた夫はどんな顔をするだろう?

そう思い、ほくそ笑んだ。

朝から熱烈に愛されて、悠理は再びベッドの住人となる。
ようやく起き上がることが出来たのは昼食の頃。

病院へと向かう誠達を見送る若夫婦は、見たことがないほど晴れ晴れとした表情をしていたという。

~おまけ~

「か、和子さん。」

「なに?」

「僕たちはどんな夫婦になればいいでしょうか?」

「・・・ん~、そうねぇ。」

「やはり、清四郎君達のような・・」

「は?いやーよ!あんな盛りまくった夫婦!」

「え?」

「誠さんは知らないでしょうけど、あの二人、事あるごとにヤッてんのよ!ほんと、いい加減にしてほしいわ!」

「は、はぁ。」

「気を付けなさいね。悠理ちゃんは良い子だけど、清四郎を敵に回したら面倒よ。我が弟ながらほんと怖くって。」

『やばい・・・もう、敵に回してるかも。』

憤る婚約者を横目に、誠は静かに言葉を飲み込んだ。
菊正宗家の一員となる第一歩は、果たしてこれで良かったのだろうか?

しかしあの二人を少しだけ羨む自分も居る。
あんな風に互いを隠さない関係も悪くない。
いつか彼らのような夫婦に近付きたい。

和子には言えない言葉を胸に、誠は冬の空を眩しそうに見上げた。