悠理はイライラしていた。
元々気乗りしなかったのだ。
大学部に入ってからというもの、やれ新歓コンパだの合コンだのと、連日連夜飲み歩き、見慣れてきた顔ぶれにも正直飽き飽きしていた。今夜、この飲み会に来た理由はたったひとつ。
参加者の中に清四郎がいたから。
入学してからというもの、多忙を極める男は、仲間達の誘いにもなかなかウンと言わず、ひたすら人脈を広げるべく別の集まりに顔を出していた。
恋人である悠理すらなかなか会えず、不機嫌さは現在進行形で上昇中である。
今回の集まりは20人ほどのささやかなもので、カジュアルダイニングの一角を貸し切っての飲み会だった。
既に三杯目のビールをあおりながら、悠理は先程から清四郎を横目で捉えている。
――あんにゃろ、またあの女と喋ってやがる。
清楚系、といっても野梨子ほどではないが、それでも一般的に良妻賢母をイメージさせる柔らかな印象の女が、清四郎の周りをまとわりついていた。
―――清四郎はモテるらしいんですの。悠理も気を付けて。
交際を始めた時、野梨子がコソッとアドバイスしてくれた言葉が頭を過(よぎ)る。
野梨子の言う通り、あの男は確かにモテるだろう。
同性にすら色気を感じさせるその容姿。
悠理が把握していないだけで、本当は大学に入ってからも告白されまくっていたはずだ。
――そりゃ、格好いい部類だけどよ。
不機嫌そうに唇を尖らせ、ため息を吐く。
さっきから流し込んでいるビールも、味気ないものへと変化しつつあった。
悠理たちが座るテーブルは六人掛け。
ベンチタイプの椅子で、隣との距離は比較的近い。
互いの太ももが触れてしまうくらいなので、必然的に女子は女子で固まっている。
無論、悠理はそんなもの気にしない。
両隣は同じ学部の男子学生。
一人は小太りで、食うことに夢中。
しかしもう一人は何故だか悠理へと身体を傾け、ことあるごとに話しかけて来ていた。
「剣菱さん、サラダは?」
「あ、飲み物無くなってきたね、追加しようか。」
「ここに新しいおしぼり置いておくよ?」
甲斐甲斐しいまでの世話をしながら、悠理から少しでも言葉を引き出そうと頑張っている。
はじめは、‘世話焼きばばあかよ’と心で詰(なじ)っていたが、それも受け入れてしまえば意外と楽に感じたため、結局放置することにした。
だいたいそんなことよりも、清四郎が気になる。
少し離れた場所に座って居ようが、悠理の視力をもってすれば、まるで双眼鏡を覗いた様にありありと見える。
――あ、またあの女、清四郎の肩に手を置きやがった!ベタベタすんなよ!
嫉妬剥き出しの表情で、イライラと机を叩く。
それに気付いた隣席の男はそっと顔を寄せると、「あの二人、気になる?」
と小声で囁いた。
そこで初めて男をまじまじと見つめるが、今まで‘へのへのもへじ’だった顔がようやく人に見えてきた。
決して悪くない部類のしょうゆ顔。
しかし悠理にとってはカボチャ以下だ。
「ああ、そういえば彼女、菊正宗君に告白したことがあるみたいだね。もちろん剣菱さんが恋人だって踏まえた上でだよ?」
「大胆だよねぇ」と意味ありげな視線を投げかけてくる。
「まぁ、あの手の女の子は人気あるから、彼もまんざらでもないんじゃない?さっきからイチャイチャしてるみたいだし。」
―――イチャイチャ。
そのフレーズは悠理にとっては禁句。
知ってか知らずか呑気な男は、さらに続ける。
「大学生になったらそういった誘惑も多いからね。その辺は覚悟した方がいいよ?剣菱さんももっと軽く考えてさ、いろんな男と付き合ってみるのもいいんじゃない?」
「――いろんな、おとこ?」
確かめるように尋ねた女を、無神経な男は畳み掛けるように抱き寄せた。
「僕、とかさ。」
耳元の囁きは、悠理の健康的な肌を鳥肌に変えるに充分だった。
ガタンと音をたてて立ち上がり、驚いたように見上げてくる男を鼻で嗤う。
「ハッ!おまえが?清四郎の代わりになるって?」
喧騒が一気に静まりかえる。
「ざけんな。お前ごときがあいつの代わりになんてなるもんか!」
鼻息荒く叫ぶ女を、学生たちだけでなく店のスタッフも仕事の手を止め、何事かと見遣る。
「だいたい、あたいに気安く触んな!気持ちわりぃ!」
悠理はベンチを跨ぐと、その勢いのまま店の外へと飛び出した。
清四郎のテーブルを一瞥もせずに――。
店から出ると涼しい風が心地よく、
むしゃくしゃしていた気分は、男に吐き出した事で、幾分か和らいでいた。
せっかく参加したというのに、清四郎の側に座れなかったこと。
女とのイチャイチャを見せつけられたこと。
変な男に絡まれたこと。
その全てが悠理を憂鬱にさせた。
がしかし確信出来たことが一つだけある。
自分はどう足掻いても清四郎が好きだという現実。
もしかすると、一度くらいの浮気なら許してしまうかもしれないという驚愕の事実も知った。
もちろん未然に防ぐつもりではいるが、あの忙しい男のこと。
裏で何をしてるか解ったもんじゃない。
何せ自分達はあまり深い情を感じないまま、交際を始めた。
『おまえと一緒にいると、楽なんですよね。』
『ふ……ん。まぁあたいもそーだけど?』
意地っ張りな性格が出てしまったが、内心喜んでた。
ちょっと前から、清四郎を意識していたから。
『付き合ってみませんか?』
『―――別にいいよ。』
そんな色気もくそもない始まり方をした二人。
でも恋人になってからの清四郎は優しくて、過ごす時間はとても甘い。
男女交際などお互い初めてだったが、長年の付き合いから緊張することはほとんどなかったし、リラックスした関係で居られた。
キスもその先の事も、清四郎は上手にリードしてくれ、多少不可解に感じたが、それでも悦びが勝った。
友人だったはずの清四郎。
今はもう、‘男’として愛している。
「ちぇっ!あのムッツリスケベ!絶対喜んでやがる!」
足元の空き缶を思いきり蹴り飛ばせば、軽い音をたて電信柱に当たった。
「ムッツリスケベで悪かったですね。」
「ギャッ!」
背後、それもかなり間近に立っていた恋人は、不機嫌な声を頭上からはきかけた。
悠理は慌てて振り向く。
「あんな空気の中に置いていくだなんて、勘弁してくださいよ。」
「ふん!おまえ、楽しそうに女とイチャイチャしてたじゃんか!」
「ほう、嫉妬ですか。それならもっと判りやすくして欲しいものですな。」
「な、なにをぉ!」
振り上げた手は呆気なく掴まれ、気付けば清四郎の胸の中。
悠理の反論も怒りもすうっとその胸に吸い込まれて行く。
よしよしと髪をすく様に撫でられると、直ぐにでも借りてきた猫の出来上がりだ。
「悪かった。でもおまえも両側から男に挟まれていたでしょう?あれは許しがたい。」
「見てたのか――?」
「当然。なんて酷い女だと思いましたよ。」
悠理はクスッと笑う。
清四郎こそ判りにくいヤキモチを妬いているじゃないか!
「あいつ、気持ち悪かった・・。」
「彼には二度とおまえに近付かないよう、念を押しておきました。」
「‘脅した’――の間違いだろ?」
すりと頬を滑らせ、清四郎の鼓動を確かめる。
―――ああ、あたいのことを好きだと言ってる。
涼しい顔しながら、心臓を激しく打ち鳴らして、おまえが大事だと告げている。
「悠理……」
「せいしろう……」
互いを見つめ合えば、答えはその中にこそある。
「これからは僕の隣に座りなさいね?なんなら膝の上にでも・・・」
「プッ・・!」
「本気ですよ?」
「わぁったってば!」
らしくない清四郎は可愛いと感じる。
お互い嫉妬できるのも、きっと幸せな事なんだろうな。
その分、強い気持ちがあるって意味だから。
「あんまり、嫉妬させないでください。」
「ん?」
「僕は、おまえが思っているほどクールではないんですよ?」
「んなこと思ってないって。おまえ結構熱い男じゃん!」
「――――ほう。」
清四郎の腕に力がこもる。
「ん……いたっ!」
「解っているなら結構。なら今夜は覚悟することですな。」
「へ?」
いつものポーカーフェイスが、じわりと悪魔のソレに変わって行く。
「嫉妬に狂った男のセックスは、しつこいですよ?」
「・・・!!」
ギラリと光る目。
容赦ない力。
こんな男から逃げ出す事は不可能だ。
悠理はほとほと後悔したが、それでも清四郎の愛を余すことなく感じ、幸せだった。
シーツの中で…………
「せぇしろ。」
「はい?」
「やっぱ、浮気はダメ、だかんな?」
「おや、その口ぶりだと今までは許してもらえたんですかね。」
「ん~、だって、おまえ陰で何してっかわかんないもん。」
「ははは、なるほど。で、何故‘ダメ’になったんです?」
悠理はポッと頬を染める。
「こ、こんなエッチされたら、皆イチコロじゃん?あたいヤダぞ。これ以上ライバルが増えるの。」
―――パキン!
驚愕に目を見開いた男の箍が外れた音は、悠理にすら聞こえた。
「悠理………おまえという女は・・・」
「ひ、ひぇ!な、なんで?」
「今後一切手加減などしません!」
そんな宣言を聞いたとて、結局男心はよく解らない。
仕掛けて、仕掛けられて育つ、女の魅力。
悠理はこの春、それを嫌というほど教え込まれ、皆が驚くほどの成長を遂げることとなる。
清四郎が何かにつけて側にいるようになったのも、この頃からだったそうな。