夢の中で悠理の守護霊が話す内容とは?
―――その日の夜。
悠理が見た夢はあまりにも突拍子無いものだった。
登場人物は30代とおぼしき一人の武士。
凡庸な顔だが、腰に差した刀が武士である確たる証拠だった。
長閑な田園風景を眺めつつ、二人仲良く?屋敷の縁側で茶を啜っている。
「おぬしもそろそろのぅ。」
「ん?」
「そろそろ 目合(まぐわ)わねば、剣菱家が絶えてしまうぞ?」
「ま、ぐわう??」
「そうじゃ。そして、子を成せ。」
「子供?」
「三人は必要かのう。」
「はぁ??何言ってんだ?」
「再び優秀な血を、剣菱に与えねば・・・」
武士は難しそうな顔で、ブツブツと一人呟きながら腕組みをしている。
悠理は横目でその様子を窺っていたが、何故か急に腹が減ってきて、それどころの騒ぎではなくなってしまった。
「なぁ、おっちゃん!腹減った!」
「・・・子を孕めばおぬしのその食欲、更に膨れあがるじゃろうぞ。う~む。」
「んなことどーでもいいから!なんか飯!!」
「う~む・・・」
結局相手にされず、苛立ちのままに立ち上がって歩き出したところ、何故かいきなり現れた大きな落とし穴。
悠理はスポンとその暗闇の中へ―――
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「なんだぁ?今の・・・」
ようやく夢から覚めたものの、未だ浮遊感を感じていたため、抱き枕でもあるクッションに力一杯かじりつく。
ゆっくりと内容を思い出そうとしたが、それより何より腹が減っていて、意識はすっかり朝飯へと移行した。
父、万作はここのところ、百合子を連れだってハワイで過ごすことが増えてきている。
いよいよ隠居か?と囁かれているが、役員どもがそれを許すはずもない。
豊作に跡目を任すのはいいとしても、やはり彼をサポートする人間は必要だった。
その大役に名乗りを挙げたのが、役員の中でも比較的若手である一人の男。
―――有光 雅臣(ありみつ まさおみ)
まるで皇族の様な名前だが一般家庭に育った、ごくごく普通の男である。
大学卒業後、剣菱に入社し早16年。
各地を転々とし、その頭角を認められるようになったのは、30を過ぎた辺りからであった。
現在40を目前にし、彼は堂々と役員の座についている。
これは本社でも異例の出世と言えるであろう。
彼に野心がないわけではない。
だが、万作の下で働くことに生き甲斐と喜びを感じている雅臣は、豊作に成り代わろうとまでは思っていない。
剣菱という大財閥を更に飛躍させるため、努力を惜しまず、日々真面目に着々と仕事をこなしていた。
そんな中での会長隠居説。
当然、名乗りを挙げないはずはない。
雅臣は数人の役員を説き伏せ、見事豊作の片腕に落ち着いた。
決断力に乏しい豊作。
その他にも色々欠点はあるものの、決して仕事の出来ない男ではない。
緻密かつ丁寧な仕事ぶりは、凡人と評される彼の隠れた美点だ。
雅臣はそこを大事にしつつ、後継者として育て上げようと考える。
二人三脚で剣菱を動かす未来も悪くはない。
自分にはその実力があると固く信じていた。
「はぁ~。」
「どうされました?」
朝から溜め息を吐く豊作に、本日の会議資料をチェックしていた雅臣が声をかける。
「いや・・・そろそろ結婚話が、ね。」
「まさか、お見合いですか?」
「ま、そんなとこ。でも僕は心惹かれないんだよねぇ。」
「何故です?容姿が気に入らないとか?」
ズバズバと切り込んでくる雅臣に、豊作は苦笑しながら頷いた。
「綺麗な部類なんだろうけど、・・どうもね。」
「なるほど。豊作さんの周りには百合子夫人や悠理さんがいらっしゃいますから、目が肥えていらっしゃるんでしょう。」
それは事実であるが、もちろん意識したことはない。
確かに母や悠理、そしてその周りに集う友人達は恵まれた容姿をしている。
豊作も決して悪くない見た目だが、彼らのような自信を纏っていない分、やはり格段地味に見えた。
そしてそれを、雅臣は勿体ないと感じる。
『この人は、萎縮しているだけなんだろうな。』
雅臣自身、決して目立つようなタイプではない。
しかし日々の努力、例えばジム通いや食生活、ファッション研究のおかげで、3割増しに良く見えた。
独身を貫いているのは、男の色気を纏わせたいが為。
所帯染みた雰囲気などもってのほかだ。
「悠理もそろそろ見合いの話が出てくると思うんだけど、それも可哀想な話だよ。まだ若いのにね。」
「え?悠理さんも?以前の婚約話で痛い目を見たんじゃ――」
「うちの母さんが諦めたままだと思うかい?」
――なるほど。
百合子の横暴さは、社員全員の知るところでもある。
それに万作が異を唱えることが出来ないことも――。
「君は野心的だが、うちの悠理と結婚したいとは思わないんだね。」
思わぬ問いかけに、雅臣は口ごもった。
―――あのじゃじゃ馬と?
いやいや、先ず無いだろう。
何度か近くで見たことはあるが、その見た目の美しさよりも粗雑さが目につく女だった。
とてもじゃないが扱いきれない。
優秀な元婚約者とやらも手を焼いていたくらいなのだから。
雅臣は軽く首を振る。
だが、確かに彼女を手に入れれば、他の役員へ何よりの牽制となる。
あの珍獣を上手く扱い転がすことで、地位が安泰するのなら、それはそれで美味しい話じゃないか?
雅臣の野心がムクムクと起き上がる。
最悪、仮面夫婦でも問題ないだろう。
何せ、彼女はまだ大学生。
適齢期までは遊ばせておいて、頃合いを見計らい子供でも作れば、決して悪くはない未来だ。
恐ろしく馬鹿だと噂されているが、それは優れた教育で何とかなるだろう。
そこまで考えて、雅臣はようやく口を開いた。
「悠理さんの様に魅力ある女性が、僕のような男を選ぶとは思いませんが、もし機会を頂けるのなら、是非一席設けていただきたい。」
豊作は目を瞠る。
冗談で言ってみただけなのに、まさか食いついてくるとは―――!
しかし今さら取り消す事も出来ず、「相談してみるよ。」と茶を濁すほかなかった。
悠理は大学部へ向かう途中、夢の中の話を思い出していた。
「子供なんて作れっか!」
相手も居ないのに――。
しかしあの武士の言葉が気になる。
『剣菱家が絶えてしまうぞ』
悠理とて、いつまでも『結婚』の二文字から逃げられるはずはないと解っていた。
兄である豊作がいつまでも纏まらなければ、確実に自分の出番だ。
母の執念はそう簡単にはおさまらない。
それを知る娘は、死刑宣告までの日を心置きなく遊ぼうと考えていた。
「あん時、清四郎と結婚してたら……」
そんな事を思い出すのも、夢のせいであろう。
悠理はブルブルと首を振る。
あの、情緒の欠片もない冷血漢と結婚していたら、今ごろ冷えきった夫婦になっていたかもしれない。
それは仲間としての清四郎を失うということ。
――そんなの、あんまりじゃないか。
悠理は思い出したようにしょぼんと項垂れ、苦々しく顔を歪めた。
そこへ名輪が声をかける。
「お嬢様、菊正宗様が歩いてらっしゃいますよ?」
「え、清四郎?」
「お乗せしましょうか?雨も降ってきましたし。」
「うん!近づいてやって!」
そっと車を寄せれば、清四郎は助かったとばかりにいそいそと乗り込んできた。
「ありがとうございます。予報は曇りだったので、傘を持ち合わせていなかったんですよ。」
「うん、通り雨だろうけどな。」
悠理の横に座り、ハンカチを取り出す。
綺麗に折り畳まれたそれは、清四郎らしさを感じさせた。
微笑ましく見ていると―――
グラッ・・・
突然襲ってきた眩暈に、悠理の身体は自然と傾く。
気が付けば清四郎の膝の上にコロリと倒れこんでいた。
「悠理?」
「わ、わりぃ・・・ちょっと・・・眩暈してさ。」
「なら暫くこうしていなさい。起き上がると酷くなるかもしれない。」
「う、うん。」
頬に当たる折り目正しいウール地のスラックス。
悠理はその柔らかな感触を心地よく思った。
おでこにあてられた冷たい手も、清四郎の香りに包まれていることも、何故か深く安心する。
「おまえって時々、優しい。」
「おや、今頃気付いたんですか?」
「・・・少しくらい謙遜しろよ。」
「難しい言葉を使えるようになりましたね。えらいえらい。」
馬鹿にされているのか、褒められているのか解らぬ言葉に、悠理は静かに目を閉じる。
そしていつしか、意識はゆっくりと沈んでいった。
・
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・
「‘この男が良い’と思ってるのだな?」
またもやあの武士が現れる。
同じ場所、同じ風景だ。
「清四郎のこと?」
「心がそう言っておるだろう?」
悠理は胸に手を当て考え始めた。
「あいつ、嫌味くさいし、」
「ふむ。」
「すごーーく陰険だし!」
「なるほど。」
「あたいのこと、馬鹿にすんのが趣味って顔してるし!」
「ほう。」
「でも―――」
悠理は先程の大きな手を思い出す。
「・・・たまに優しいんだ、あいつ。」
「では、それが答えではないのか?」
「え?」
武士は腰から抜いた長い刀を縁側に置くと、ぐんと伸びをした。
「おぬしの心は、いつも誰を求めておる?」
「誰って―――それは・・・」
「側に居て欲しいと思ったのは、どの男じゃ?」
悠理は促されるように目を閉じ、考える。
無論、深く考えなくとも解る。
いつも心から頼りにしていたのは、清四郎一人。
あの嫌みくさい男だけなのだから・・・・。
そう確信すると、納得と共に心が穏やかに晴れ渡ってゆく。
目の前に広がる空のように・・・・。
「――――あいつとあたい、上手くいくかな?」
「それもこれも運命であろう。あやつは雄としてバランスの取れた強さを持っておる。剣菱家にとって良い血脈となるはずじゃ。」
「ま、まさか!!清四郎と子作りしろってことかよ!」
「おぬしがそれを受け入れるのなら、剣菱は徐々に―――・・・」
微睡んでゆく意識の中、欠伸をした武士が見える。
呑気な顔で大きな口を開けて――。
「何、欠伸してんだよ……!」
「は?」
答えた男は武士ではない。
膝枕をしてくれている清四郎だった。
「欠伸などしていませんよ?」
「あ、わりぃ。夢見てた。」
「夢?」
訝しげに尋ねられたとて、悠理には説明しづらい。
夢の内容についても、さすがに気恥ずかしくて口に出せなかった。
しかし、興味を示した清四郎から逃れることも難しく、結局は話す羽目となる。
もちろん掻い摘んで・・・端的に。
一通りの話を聞いた男の目が、興味深げに輝く。
悠理はそろりと起き上がろうとしたが、それには「まだ横になっていなさい」と肩を押さえられてしまい、
結局再び膝の上から清四郎を見上げるしかなかった。
「その夢、なかなか面白いですね。」
「え?そう?」
「そのお侍さん、おまえの守護霊だったりするんじゃないですか?」
「・・・守護霊?」
『守護霊・・・ってアレか?あたいを守ってくれるヤツか。その割には色々ひでぇ目に遭ってきたけどな・・・。』
命からがらの経験が多い悠理だが、それでもギリギリのところで助かってはいる。
・・・となると、やはり守護霊とやらが存在するのかも知れないな、と胸を撫で下ろした。
あの呑気な欠伸姿を思い出せば、一抹の不安は過ぎるが・・・。
「で?子供を作らなくては剣菱家が途絶えると?」
「・・・あー・・・うん、んなこと言ってたような気がする。」
「ほう、誰と作るんです?」
「え?いや・・・’誰’とまでは・・・その・・・」
避けていたはずの核心を、清四郎はいともあっさりと引き出してしまう。
悠理は目を泳がせ誤魔化そうとしたが、それで済ませる男ではない。
「質問を変えましょうか?おまえは誰の子なら産みたいと思うんです?」
「は?んなこと聞くなよ!あ、あたいは・・・別に子供なんて・・・」
言葉尻が小さくなってしまうのも、清四郎を意識し始めたから。
頬を染めた悠理は首を傾げ、視線を外す。
これ以上直視出来ない。
「悠理・・・」
ふわり、撫でられた頭から、じんわりと伝わる体温。
呼ばれた名は、他の誰が口にするよりも優しく感じられた。
再び清四郎を見上げると、熱っぽさを伴った黒い瞳が見下ろしている。
瞬間、ドキリとした。
「僕は我慢できない。」
「え?」
「おまえが他の男の子を産むだなんて耐えられませんよ。」
焦れたような言葉。
再びドクンと波打つ胸。
「おまえを手に入れる男は、僕以外に存在しないと思ってるんですけどね。」
それは比較的解りやすい愛の告白だったが、悠理の頭はやはり混乱していた。
『え・・・と、それって・・・・どういうこと?』
苦笑した清四郎は身を屈め、チュッとおでこにキスをする。
「前向きに検討してみてください。」
『その少ない脳みそで・・・』とはさすがに言わなかったが。
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数分後。
悩んだ挙げ句、ようやく弾き出された結果が、「愛の告白」だと解った悠理。
瞬間、悶絶しそうになった。・・・・というか、悶絶した。
「わわ・・・清四郎!おまえ、あたいの事・・・す・・・好き・・・なのか??」
とうとう身を起こし、襟元を掴む。
「・・・・・どれだけ時間がかかるんです。おまえの思考回路は一度きちんと掃除したほうがいいんじゃないですか?」
そんな嫌みくさい言葉にも反応できず、悠理は至近距離で男を問い詰めた。
「す、好きなのかよ!!?」
「・・・・・好きですよ。」
まるで強盗に金を恐喝されているような姿で告白を強いられる清四郎。
「あ、あたいと結婚したいって思ってんの??」
「思ってますが・・・・一度きっちり振られてますからねえ。心の傷はなかなか癒えません。」
「んなことどーでもいいわい!!」
悠理は噛みつくように叫び、唾を飛ばした。
「なんでもっと早く言わないんだ!このおたんこなす!」
それにはさすがに清四郎もムッとする。
「言えば何か変わったんですか?」
「・・・・・え?」
「あれだけ嫌がられた上、結婚願望もない女に告白することがどれだけ虚しいか、解ります?」
「う・・・・!」
悠理は言葉に詰まる。
「まあ・・・実際、おまえを好きになってから随分経ちますが、正直麻疹に罹ったようなものだと自分を慰めていたんですよ。」
「麻疹??」
「そう。いつかは治って、友人関係で満足出来るはずだと・・・。」
自嘲気味に笑う清四郎は、見たことがないほど寂しげで・・・・。
「でも・・・・無理でした。おまえが他の男に抱かれているところを想像したら、内臓が飛び出しそうなくらい不快で、到底耐えられそうにありません。」
「な、内臓・・・・」
具体的な表現に悠理は唇を噛み締める。
そこまで本気なのかと分かれば、背中をくすぐったさが駆け抜けた。
「おまえが好きです。もうこの想いからは逃げられそうもない。」
黒い瞳が真摯に光る。
清四郎の真っ直ぐな告白を、心が温かくキャッチする。
それは一つの岐路。
頭の中で武士の言葉を反芻しながら、悠理は思わぬ言葉を口にしていた。
「あたいも・・・・・おまえがいい。」
「え?」
「おまえとなら・・・子作りしてもいい。」
「・・・・・本気、ですか?」
こくん
頷いた悠理は膝の上。
清四郎の腕が大きく広げられ、その細い身体を震えるように優しく包み込んだ。
「僕で・・・・いいんですね?」
「ん・・・清四郎がいいんだ。」
「キャンセル不可ですよ?」
「・・・・うん。」
「家の為に子作りするんじゃありませんからね。」
「うん・・・。」
「僕がおまえを欲しいから、そうするんです。」
「うん。」
ようやく力がこもった腕に、ホッと息を吐く。
『あの武士・・・もとい守護霊はなんて言うだろう・・・?』
次に夢で会える事を楽しみにしながら、悠理は静かに瞼を落とした。