体育倉庫に閉じ込められた二人。恋の発芽。
体育祭を翌日に控えたその日。
空は見事秋晴れで、この天気が明日も続けば良い、と生徒達は皆、期待している。
聖プレジデント学園唯一の運動部部長・剣菱悠理は当然、事前準備に追われていた。
追われている、といっても後輩の男共(通称:下僕)を使って適当に指示するだけ。
特に自分が動いているわけではない。
しかし、何かにつけモタモタと鈍くさい下僕達。
イライラしながら見つめていた彼女はようやく立ち上がると、大将よろしく偉そうに仕切り始めた。
「えーい、ちんたらしやがって!おまえらはとにかくグラウンドの準備だ!障害物競争の道具くらい4人で用意できるだろ!?あとチョークを引くやつも忘れんなよ。あたいは体育館の準備をするかんな!いいか?一時間だぞ!・・・ったく、これ以上長引いたら夕飯に遅れるだろうが!」
「「「はいっ!剣菱先輩!」」」
体育会系のノリは悠理の好むところ。
彼らの潔い返事に満足した彼女は、体育館を目指し、一人駆け足で走り出した。
「今日は母ちゃんがフランスから帰る日だし、絶対に早く帰りたいんだよーー。」
お土産(食べ物のみ)を期待する19歳の悠理は当然色気とは無縁。
仲間たちとの男女を超えた気楽な関係に居心地の良さを感じている。
身体をめいいっぱい動かし、美味しいものをたらふく食う。
それだけで悠理の心はすこぶる満たされていた。
後はちょっとした暇潰しさえあれば文句はない。
お陰さまであの五人と居れば、なかなかに刺激的な高校生活を送ることが出来ている。
たまに嫌なことにも出くわすが、それでも退屈な人生などお呼びでない。
恋なんか後回しでいい!
むしろ機会がなくても生きていける!
彼女はその日まで、そう信じていたのだ。
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「え~と、体育館は玉入れと組体操か。よっし、楽勝!」
指をポキポキ鳴らしながら倉庫へと向かう悠理の足取りは軽かった。
力仕事には自信がある。
玉入れ道具と安全マットくらいなら、ものの10分で用意できるはず…………。
「終わったら名輪呼ばなきゃ。」
何故か開きっぱなしだった扉をすり抜け、僅かな光しか届かぬ倉庫に飛び込んだ悠理は、目が慣れるまで瞬きせず、ただ一点を凝視した。
広さ12畳ほどのそこには跳び箱をはじめ、バレーボールに使うネットや支柱が散乱している。
むやみやたらと歩き回るのは危険だ。
20秒ほど経ち、ようやくうっすら景色が見え始めた頃、
「おや、悠理。」
闇に紛れて……とは言い過ぎかもしれないが、聞き馴染んだ声と共に黒髪の男が現れる。
彼は何故か、自分が探し求めていた玉入れの道具を両腕に抱えていた。
「清四郎?何してんの?」
「何……って。明日の準備ですよ。」
「それ、あたいの仕事じゃん。」
「手伝いに来たんです。どうせおまえのことだ。妙な風に手子摺っているかと思いましてね。実際、此処に来て何の準備もされてなかったわけだし…………僕の読みは正しかったと見える。」
見透かしたように言われると反抗したくなる。
「んなことないぞ!ちゃんと全部、この悠理様の指示で準備させてんだ!余裕だい!」
━━━だからこそ不安で手伝いに来たんですが。
とは口に出さなかったお利口な清四郎。
小さく溜め息を吐き、首を振った。
「まぁ、良いじゃないですか。一人でも多く手伝えば時間短縮になるでしょう?」
「そりゃそうだな。」
あっさり認め、悠理は次に安全マットを探し始める。
「あぁ、それなら奥の方にあるんです。暗くて足元がよく見えないから気を付けてくださいね。」
「オッケー。しっかしなんでここには電灯がないんだよ。あぶねーじゃんか。」
ブツブツ言う悠理を尻目に、清四郎は手際よく玉入れの準備を済ませ、再び倉庫へと戻る。
折り畳まれた安全マットは決して軽くない。
だが悠理はそれを三組も抱え、顔色も変えずに登場した。
「半分貸しなさい。」
「いや、大丈夫。それより前が見えない。誘導してくれよ。」
こうしててきぱきと協力しあった二人はあっという間に体育館の準備を整えたが、予想だに出来ぬ落とし穴は直ぐそこにまで迫って来ていた。
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「ふむ、マットはもう二組必要かな。」
「え、そう?」
「最近、組体操の事故が多いと聞きます。念には念を入れましょう。本来ならプログラムから外されてもおかしくないんだが、うちでは伝統がありますからね。」
そう言って歩き出した清四郎の後を悠理は追いかける。
あまり使われていないであろう残りのマットは、倉庫の一番奥にある4畳半ほどの小部屋にあって、二人は辿り着くや否や、換気の悪さから来る埃の匂いに眉を顰めた。
より一層光の届かぬ場所。
ほぼ闇と言っても良い。
それでも手探りで探し始めた悠理は、不機嫌に呟いた。
「窓無いのかよ。」
「ありませんよ。」
すげなく言われ、ムッとする。
しかし左右に動かしていた手がそれらしき物に触れると、これで仕事は終わりだ!と声を明るくした。
「あ!!ここにあるこれだな!………ゲホッ!おい……こんなマット使うの?」
「仕方ないでしょう?何年も放置された予備道具なんてどれも似たようなもんです。」
うへぇと舌を出しながらも、悠理はそれを抱え上げる。
白い制服が一気に汚れたかもしれないが、そんなことなど今はどうでもいい。
早く終わらせて帰りたい。
心なしか腹が減ってきているのだ。
しかし急ぐ彼女は足元を気にしていなかった。
昔使われていた小さなダンベルが床に転がっている事も、あまりの暗さで目に届かない。
つんのめって初めてその存在に気付く。
「ぎゃ、なんか固いヤツ落ちてる!」
「大丈夫ですか?」
悠理はマットを抱えながら、小部屋を仕切る内開きの扉へとぶつかり、派手に転んだ。
しかし幸い痛みを感じることもない。
埃臭いマットのお陰である。
カチャン
━━━カチャン?
金属音に違和感を感じつつ、悠理は立ち上がる。
「悠理、怪我は?」
背後からは心配そうな清四郎の声。
「大丈夫。ところでさ……今、なんか変な音、したよな?」
「ん?」
悠理はマットを移動させ、手探りで扉の取っ手を探す。
ガチャガチャ
「あり?なんでぇ?鍵かかっちゃったじょ。」
「は?」
「ほら、あたいがぶつかった衝撃でさ………」
何度も試すが、結果は同じ。
錆び付いていた鍵が、彼女の突撃で見事その役目を果たしたのである。
要するに二人はこの小部屋に閉じ込められたわけで……。
「どきなさい。」
全くの暗闇となってしまった中、清四郎は恐れることなく足を踏み出す。
ガチャガチャ…………
「あぁ、確かに。完全に鍵が下りていますね。」
「げぇー!どうしよ!」
「悠理、携帯電話は?」
「んなもん部室に決まってんじゃん。」
「僕もです。」
暗闇の密室。
窓も光も無いそこで、二人は暫く沈黙した。
もちろん清四郎は体当たりをするが、古びた扉は意外にも頑固に作られており、結局は『肩を痛めるから止めとけ』との進言に従う。
体育館に悠理がいることを知っているのは下僕たちだけ。
いつもは頼りになる仲間も既に帰宅していて、助けは期待出来なかった。
「あいつら、こっちに来るかなぁ?来ないだろうなぁ。」
終わり次第解散、と告げて別れた為、その可能性はゼロに近い。
「仕方ありませんな。見回りの警備員に期待しましょう。メインの扉が開いているから、きっと気付いてくれるはずです。」
「そだな!」
互いの顔は見えないが、清四郎の声に安心する悠理。
彼女の不安は、腹が減ったらどうしようということだけ。
念のためポケットを探ると、小さなチョコレートが四つ現れた。
「清四郎、チョコあった。食べる?」
「いや、悠理が食べなさい。」
狭い密室で腹が減ったと喚かれるのは流石にうんざりだ。
これは保険的措置だな、と清四郎は考えた。
「もうちょっと後で食う。それよりさ、見回りって何時ごろ来るんだろ。」
「六時過ぎですな。皆が下校してからだと思います。」
「そっか。」
この時はまだ呑気だった二人。
埃臭いマットの上に座り、明日の話で盛り上がる。
しかしおおよそ一時間を経過したあたりから、清四郎は腕時計を頻繁に見るようになっていた。
ボタンを押すとぼんやり光るそれは、既に六時半を指し示している。
「……………来ないな。」
「来ませんね。」
足音ひとつ、物音ひとつしない。
自分達の声と吐息だけが、世界を表しているかのよう。
思わずブルリと震えた悠理は、向かいに座る男の隣へ身を寄せる。
気配を察知する感覚はある程度働いているのだ。
「寒い?」
「いや……ちょっと…………」
「あぁ、怖くなったんですね。大丈夫、幽霊なんか出ませんよ。」
たしかな情報か?と聞きたくなったが、悠理は口を開かず、清四郎の袖を握った。
彼女のそうした行動は友人の範囲内。
特に恐怖に怯えた時は一番頼りになる清四郎を縋る。
ギュッと握られた袖口から伝わってくる不安と緊張。
それらを解してやりたいが為、彼は小さな肩に腕を伸ばした。
既に見知ったそれは、いつもよりも細く感じた。
闇から逃れようとする彼女が極限まで身を縮めていることが判る。
胸がざわめく。
彼の秘められた想いが、闇の中で騒ぎ始めている。
だが、友人であるからこそ、悠理はこうして身を任せているのだ。
安心を得るためだけに、苦手な男へ身を寄せる。
━━━冷静になれ、清四郎。
そう自分に言い聞かせると、彼は再び腕時計の光を点け、彼女に時の流れを教えた。
この頼りない光がどれほど落ち着くか。
悠理は息を洩らすように呟く。
「よかった。」
「何がです?」
「清四郎が居てくれて。………あたい独りだったら怖くて、きっとパニックになるとこだったよ。」
珍しい弱音に驚くも、清四郎の胸に愛しさがこみ上げる。
押し殺そうとした友人以上の想いが、むくむくと頭を擡げ始め、無意識に歯を食いしばっていた。
「悠理……」
「へへ。頼りになるね、せいしろちゃん!」
茶化す悠理は、更にギュッと身体を押し付けてくる。
男の忍耐を揺さぶるかのような甘えた行為。
清四郎は意識を逸らすための思い出話を口にした。
「そう言えば昔もこんなことがありましたね。あの時は六人揃っていて、おまえたちのペットまで混じっていた。」
「あぁ…………懐かしいな。」
「絶望的な状況でも、悠理だけはひたすら前向きで、僕は…………」
‘僕は…………そんなおまえが好きだと思った。’
声には出さず胸の中で告げる。
「今は絶望的じゃないよな。ただ閉じ込められただけだし、爆弾もない。」
(しかし爆弾よりも怖い男が此処に居ますよ…………)
友人としての信頼を今ここで崩すことは、あまりにも容易い。
だが、清四郎はそれに踏み切れないでいた。
彼女の心地よい重みが信頼の深さを表しているようで、失うことへの恐怖が募る。
「せぇしろ?何か喋ってよ。」
無為の沈黙に不安を見せる悠理。
清四郎の肌がピリピリと震える。
「悠理…………」
「うん?」
「おまえとなら、こんな暗闇でも恐怖を感じないのは不思議ですね。」
「え?怖くないの?」
「ちっとも。」
「あたいと一緒なら…って、どういうこと?うるさいって意味?」
無邪気に問いかける彼女をきつく抱き寄せる。
その意味が理解出来るとは思えないが、それは今の彼が出来る精一杯の愛情表現だった。
「そう。おまえはどんな状況に置かれても五月蝿いですからねぇ。」
「むぅ!!」
「良い意味でムードメーカーだと言ったんですよ。」
その言葉を信用したわけではない。
いつものようなからかいであることを悠理は知っていた。
しかし清四郎の腕の強さに温もりと安心感を与えられ、それ以上の悪態が吐けないでいる。
━━━━なんだろ………清四郎がいつもと違う?あたいもなんか違う。だってもし、今、この腕が離れたら、あたい必死で縋り付きそう。幽霊もいないのに……なんで?
次々に湧いてくる疑問を彼の腕の中で考え始める。
自分の感情を整理することはなかなかに難しいらしい。
悠理は首を捻った。
「それを言うならおまえだって、ムードメーカーだじょ?」
「僕が?」
「うん。どんなヤバイ状況でもおまえが一言‘大丈夫、僕に考えがあります。’って言えば、みんなが安心するだろ?あたいは何とかしろ!って喚くだけだけど、清四郎は違うもんな。」
期待していなかった高評価に、清四郎は言葉を失った。
いつも「上から目線で偉そうに!」だの、「説明がくどくどしい」だの、文句ばかり言う彼女が、本当はそんな風に思ってくれていたとは━━━━嬉しすぎる誤算である。
堪えようとしていた想いは堰を切って溢れ出す。
清四郎は腕時計のボタンを押し、それを顎の位置まで上げると、青白い光で悠理の横顔を照らした。
もちろん自分も同じように照らされていることだろう。
何?と、見上げてくる悠理は清四郎の真剣な顔に息をのんだ。
絡む視線が外せない。
「悠理。」
「清四郎?」
「こんな場所と状況で告げる言葉ではないかもしれないが…………」
「う、うん。」
何を言われるのか、と緊張が走る。
彼のその表情は初めて見るもので、否が応でも胸が高鳴る。
「僕はおまえが…………」
「………………え?」
ガチャガチャ。
「誰かそこに居るのか?」
瞬間、開いた扉から真っ白な光が差し込んでくる。
闇に慣れた目が眩しさに細められ、二人は自然と手を翳した。
「あちゃあ、学生さん。閉じ込められてたのか。怖かったでしょう?」
それは待ちに待った警備員のはずなのに、悠理は無性にその存在を疎ましく思った。
あれほど怖がっていた闇。
それを切り裂いてくれた懐中電灯の光さえ、邪魔だと感じる。
━━━━清四郎の言葉………聞きそびれちゃったな。
マットから立ち上がった二人は、先程までの雰囲気を忘れたかのように黙々と準備を整え、帰宅の途についた。
・
・
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それから三ヶ月近くが経ち━━━━━
二人は何故か再び暗闇の中に取り残される事態を迎えていた。
今回は真っ暗闇ではないものの………二人きりであることに違いはない。
モデル仲間が主催するクリスマスパーティに、仲間五人を誘った美童。
選ばれた会場は新宿にある比較的大きなテナントビルの14階だった。
所要で遅れた清四郎の後を、渋滞で動かなくなった名輪の車から飛び出し、駆け付けた悠理が続く。
仲間達は既に盛り上がっていることだろう。
ご馳走を期待する彼女はエレベーターの中で足を交互に踏みしめる。
気が急いているのだ。
「落ち着きなさい。まだ30分ほどしか遅れてませんよ。飯も酒もたっぷり残ってます。」
「だってぇ、めちゃくちゃ腹減らして来たんだもん。早く食いたいじょ。」
「おまえは…………まったく………」
‘相変わらずですね’
そう言おうとした清四郎の前から、その相手は消えた。
もちろん実物が消えたわけではない。
視界が真っ暗になり、上昇していた箱が急に止まったのだ。
即座に反応する非常灯。
天井から照らされるそれは仄かに赤く、清四郎は直ぐにエレベーターを管理する会社と連絡を取った。
聞けばこの地区一帯、大停電が起こったらしい。
暫く待てば回復するとの答えだった。
「まじかよぉ!すんげぇ腹減ってんのに!!」
「会場も真っ暗かもしれませんよ。食べるどころの騒ぎじゃない。」
「あたいなら、どんな状況に置かれても食うね!」
その言葉は真実だろう。
長年の経験からそう確信している清四郎は、不意に前回の事件を思い出し始めた。
あと一歩のところで告げられなかった想い。
もう一度鍵を閉め、その想いを閉じ込めることは難しく、この数ヵ月間、ジリジリとした焦燥に悩まされてきた。
自分自身、こんなにも消極的な性格だったのか………とショックを受ける。
だが結局は行動に移せず、時の移ろいを眺め続けてきた。
それほど悠理という存在は大きく、失いがたいのだ。
しかしこれも何かの掲示。
おあつらえ向きに今日はクリスマスイブだ。
神の加護くらい………もしかするとあるのかもしれない。
清四郎は大きく深呼吸すると、苛々と爪を噛む悠理を両腕で抱え込んだ。
「うわっ………なに?」
「悠理。」
「なんだよ!」
「以前言おうとした言葉、今告げてもいいですか?」
「え?」
瞬く間に大人しくなる悠理。
そろっと見上げれば、慈愛に満ちたような瞳が自分を見下ろしている。
「あの時………僕はこう言おうとしたんです。」
ドキドキドキ
煩いほどの鼓動が悠理を包む。
鼓膜にまで響く中、清四郎の声だけを拾おうと神経を研ぎ澄ませる。
━━━━━そう、あたいは聞きたかったんだ。清四郎。
真っ直ぐな目で、あの時のように二人は絡む。
「僕はおまえが………………」
「あーー、そろそろ回復します。衝撃に備えてください。」
小さなスピーカーからの大きな合図。
またもや邪魔された告白を、しかし彼はもう飲み込むことはしなかった。
「おまえが好きだ!!!」
ガタン
動き始めたエレベーター。
眩しい光が二人を包む。
その狭い箱の中で一組のカップルが誕生した事を知っているのは、管理会社で働く50過ぎの男だけ。
「停まったままのほうが良かったかな。」
そんな呟きはきっと彼らの耳に届かないだろう。
「メリークリスマス、お二人さん。」
光を失った僅かな時間。
互いの心を素直にさせる闇色のシチュエーションは、まさしく神からのプレゼント。
こうして悠理はようやく恋を知ったのである。