untrue statement

せいしろうなんかキライだ。
だいっきらい。

白い紙は子供のような字で埋め尽くされる。
同じ文字を羅列した古典のノートは、もはや提出出来ないレベルとなっていた。

事の発端は二学期末の学力診断試験。
その三日前から六人は清四郎の家に集い、強化合宿に勤しんでいた。
可憐や美童は、既に弱点を克服しつつあったので、ほとんどがヤバイ悠理にだけ清四郎が付きっきりだった。

「ねえ。試験が終わったら、皆でスキーに行かない?北海道とかいいよね。」

勉強の合間の美童の提案に、誰よりも飛び付いたのはもちろん悠理で・・・。
可憐や野梨子はスキーという言葉に難色を示したが、温泉付きと聞いてすぐに態度を変えた。

「それはいいけどよ。悠理の点数が悪かったら年末ギリギリまで補習だぞ?その辺、大丈夫なのか?」

「やなこと言うな!あたいは大丈夫だい!こんなに勉強させられてんだからな。」

魅録の心配を退け、悠理は胸を張った。
それを聞いた清四郎は、ポコンとノートで頭を叩く。

「その自信はどこから来るんです?だいたい練習問題の半分くらい正解してくださいよ。でないとスキーどころの話でなくなりますからね。」

「わ、わぁってらい!」

慌てて鉛筆を握りしめ、問題に立ち向かう。
悠理とて自分の置かれた立場は分かっているのだ。
冬休みを賭けた戦いに破れたときの虚しさも―――。

だが残念なことに、当日。
悠理は蓄積した疲労の為、うつらうつらと試験に挑む。
解答欄が一個ずつずれ込み、結果は惨憺(さんたん)たるものであった。
それには流石の仲間達も呆れ果て、清四郎に至っては苦渋を舐め尽くした様な表情を見せる。

「おまえというやつは……。人の労力をどんな風に考えてるんです!」

三日三晩、睡眠を削ったのは悠理だけでなく、もちろん清四郎もそれに付き合った。
にもかかわらず、彼はオール満点を叩き出し、他の仲間達も過去最高得点を得たのだから、悠理の肩身が狭いのも当前である。

だからと言って、素直に謝れる性格でもなく―――

「ふん!補習受けたらいいんだろ!あたいなんか気にしないで、おまえらだけで遊んでこればいいじゃんか!」

と開き直り、不貞腐れた。
清四郎は溜め息を吐く。

「馬鹿はともかくとして、おまえは素直さが取り柄だったはずなんですけどねぇ。」

呆れたようなその言葉に打ちのめされ、悠理はその日から部室に顔を出すことが出来無くなってしまった。

自分でも解ってる。
清四郎はよく面倒をみてくれた。
苦手な部分は特に根気強く教えてくれたし、問題も全部手作りだった。
大切な趣味の時間を削っていたのも知っている。
あいつは意外と面倒見のいい奴で、それに甘えている自分はやはり情けない人間なんだとしみじみ思う。

ふと、書いた文字を見つめる。

―――せいしろうなんかだいっきらい。

心にもない言葉は、文字にしてみると思った以上に悲しくて、悠理はようやく消しゴムを握りしめた。

「ひどい仕打ちですな。」

頭上から降って来る聞き慣れた声。
それが誰かは一瞬で判る。
クラスメイト達が直ぐにざわめき出すような圧倒的存在感は、この学園でも数えるほどしか居ない。

「せ、せぇしろ・・・」

「落書きする暇があるのなら、少しでも勉強しなさい。」

「う、うっさい!」

慌てて隠したところで、もう遅い。
彼の鋭くも視力の良い目には、全てが晒されてしまったのだろうから。

「何の用だよ?こんなとこまで来て・・・」

ふて腐れたまま、上目遣いで尋ねる。

「折角良いニュースを持って来てやったのに、いい態度じゃありませんか。」

「え?良いニュース?」

素直に食い付いた悠理を、清四郎は余裕を持った笑みで受け止める。

「喜びなさい。補習は免除してもらえましたよ。僕が勉強をみるという約束で、ね。」

それは昔から清四郎だけが使える魔法。
口煩い教師陣を黙らせる為、彼が成績を落とすことはない。
今回の満点劇も、悠理の為の保険だったのだ。

「・・・・・・ほんと?」

「ええ。だから皆でスキーに行きましょう。」

優しい微笑みが、意固地になっていた悠理の心を柔らかく解してゆく。
いつもそう。
清四郎は優しくて、何でも願いを叶えてくれる。
これほど頼りに思える男は他に居ない。

「嬉しいですか?」

「うん!あんがと。」

「なら、そこに書かれた文字は訂正してもらえるんでしょうね?」

目で合図され、悠理は慌てて消しゴムを使い始めた。

「も、もちろん!」

「なんて書き直すんです?」

「え?」

ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
それはいつもの彼の仕草なのだけど――。
悠理は真っ赤になって俯いた。

「ほら、口に出して言いなさい。何と書き直すのか。」

「―――――‘スキ’」

「‘スキ’?それだけですか?」

何を求めているのかくらい悠理にだって解る。
意地の悪さは天下一。
納得するまで逃がしてはくれない。
男の指はとうとうノートを叩き始めた。

「‘せいしろうがダイスキ’。」

消え入るような声で呟く。
きっと周りのクラスメイト達は目を真ん丸にしていることだろう。

「良く出来ました。」

くしゃりと髪を撫でられ、ホッと息を吐いたのも束の間、清四郎は腰を曲げ、形の良い唇を悠理のこめかみに当てた。

「こんな酷い言葉、恋人に向けて書くもんじゃありません。・・・今夜はお仕置きですよ?」

低音で囁かれた色気溢れる声。
悠理はそれだけで腰が砕け、恍惚とした中に眩暈を感じる。

清四郎は満足そうに身を起こすと、放心状態の恋人をそのままに、晴れ晴れとした表情で教室から立ち去っていった。

ざわついた生徒達の隙間から、魅録だけが面白そうな笑いを浮かべ、口笛を吹いていたのだが・・・
悠理がそれに気付くことはとうとう無かった。
もちろん、清四郎は確信犯。

その日、仲間達に呼び出された悠理が、嵐の如き尋問を受けたのも、致し方のないことであった。