第十一話

「やだわー。環境が変わったせいかしら。」

パタパタと足音を立てながら自室へと戻ってきた可憐。
急に始まった月のモノに、たった数日とはいえ用意してきて良かったと胸を撫で下ろしながら扉を開ける。
薄いカーテンが閉められた部屋は、グレーがかってはいるが程よい明るさで、照明を点灯しなくとも隅々まで見渡せる。
あろうことか、一番手前にあるベッドでは不良娘が寝息を立てていた。
それを見た途端、可憐はムッと口を歪める。

合宿二日目の夜。
彼女はとうとう部屋に戻ってこなかった。
それについて、一番煩そうな野梨子が無言を貫き、何となく事情を知った風を醸し出していることが癪に障っているのだ。

―――まるで自分は除け者扱いではないか。

ただでさえ悠理と仲良くしたいと思っている可憐にとって不愉快極まりない事態だった。

「呑気な顔で寝ちゃって。一体何しに来てるんだか。」

――本当に何をしに来ているんだろう。

噂に寄れば彼女は内部進学を希望しているらしい。
確かに成績は下から二番目と悲惨極まりない状況だが、彼女ほどの金持ちなら裏金を山と積めばどうとでもなるではないか。
今更成績なんて必要ないだろうに。
たとえ学力が必要だったとしても、この合宿に参加する意味が果たしてあっただろうか。
こうして夜は何処かで遊び呆け、授業の時間に眠る。
意味の無い行動が目立つ彼女の真の目的が見当たらない。

「んっ・・・・」

ごろり、寝返りをうった悠理は、シャツの裾から引き締まったウエスト部分を露にさせる。
世話焼きな性分である可憐は、ブランケットを手にすると、ふわりとその身体にかけようとした。
その時。

「…………んせぇ。」

―――せんせい?

可憐は目を瞠る。
ブランケットを広げたまま立ち竦み、悠理から目が離せない。
よくよく見れば、彼女の腹や首筋にちらほら見える紅い痕跡。

――ちょっと・・・これって、まさかキスマーク?

可能性を思い当たれば、それはとてもしっくりくる。
今回の合宿に若い教師は二人。
一人はもちろん清四郎。
もう一人は科学の教師だが、愛妻家と評判の男だった。
後は50を過ぎたハゲジジイばかり。
となると―――

「なるほどね。やるじゃないの。」

にやり、とほくそ笑む。
不思議と悔しさは湧いてこなかった。
ただ、教えてくれなかった事に対して、多少の水くささを感じる。

「ま。普通、言えないわよね。」

可憐は意味深な笑みを浮かべた後、ブランケットを優しく羽織らせベッドから離れた。

もう少し寝かせておいてあげるわ。
でも、目が覚めたら覚悟することね。
この可憐様からそう簡単には逃げられないわよ。

強化合宿も無事終わり、ようやく日常生活に戻って来た二人。
たった二、三日空けただけで懐かしく感じる部屋を眺め、悠理は口元をほころばせた。
自分の家よりも居心地良く感じるのは何故だろう。
大きな荷物を放り投げ、エアコンのスイッチをオンにすると、溜まっていた生暖かい風が吹き出した。

「あっぢぃ。せんせー!アイス食べよーー。」

冷凍庫は悠理専用と言っても過言ではない。
それだけではなく、冷蔵室にもたくさんのジュースや食べ物が詰まっていた。
夜中に「腹が減った」と喚く為、清四郎が渋々詰め込んだのだ。
冷蔵庫に向かおうとした悠理は、背後から伸びた来た手にあっさりさらわれてしまう。
気付けば清四郎の腕の中。

「ちょっ・・!」

振り返り非難しようとしたが、思ったよりも強く抱きしめられ、身動きが取れない。

「はあ・・・やっと帰って来れた・・・。」

耳元で吐かれた深い溜息。
そしてその声があまりにも感慨深く、嬉しそうだったので、悠理もくすぐったさを我慢して身を任せた。

「今日から声を押し殺さなくてもいいんですよ?」

「もう!せんせーのドスケベ。」

向き合い互いの目を見つめると、自然と笑みが零れる。
磁石の様に引き寄せられる唇。
二人は最初から激しい口付けを交わすと、足りなかった部分を補うように重なり合う。

「悠理・・・今日は良い声を聞かせてくださいね。」

「・・・・うん。せんせも、あたいをもっと呼んで・・?」

「ええ・・何度でも。」

汗だくのままもつれ合った二人は、シャワーを浴びる時間すら惜しみ、激しく交わった。




微睡みの中で。
悠理は清四郎の腕に抱かれながら、合宿で起きた話をする。
そう、可憐にバレてしまったことを・・・。

あの日、可憐は悠理を外に呼び出し、ズバリ尋ねてきた。

「水臭いわよ!あたしがベラベラ吹聴するとでも思ったの?失礼ね!」

その潔さと軽快さに思わず笑ってしまった悠理は、覚悟を決め全てを暴露した。
黙って聞いていた可憐の目の輝きはまるで宝石の様で・・・

「さすが菊正宗先生だわ。本当に悠理の事が好きなのね!あら、ちょっと羨ましいかも・・・」

・・・なんて、言い放つ。

「禁断の愛なんて素敵じゃない。うちの学園では前例もあることだし、あたし応援しちゃうわ!」

呑気な後押しとはいえ、悠理はホッと溜息を吐いた。
彼女は確かにお喋りだが、きっと自分たちの事を触れ回ることはないだろう。
そう確信する何かが可憐にはあったのだ。

「ねえ・・でも、合宿中にそんな事しちゃうなんて・・先生、意外とスケベなのね。」

興味津々に囁かれた時は、さすがに苦笑いするしかなかったが・・・。

その話を聞いた後、清四郎は野梨子の件を詳しく話した。
聞けば聞くほど、普段知っている野梨子とは思えない内容で、悠理は思わず疑ってしまう。
だが清四郎の言葉は真実なのだろう。
そして、それに心から安堵している自分がいた。

「良かった。ほんとに胸が痛かったんだ・・・あん時。」

「済みませんね。まさか悠理が居るとは思わなかったもので・・。」

「もう、あんな事、絶対言わないで?嘘でも嫌だもん。」

「解りました。」

スリ・・と頬を寄せ甘えると、そっとキスが降ってくる。
労るような、慰めるような、優しいキスが。
瞼やこめかみに触れていた唇が口元に辿り着く直前、清四郎は急に悠理から離れた。

「せんせ・・・?」

「そう言えば・・今度の日曜日、君の家に招待されました。」

「へ??」

「是非とも食事会に参加してくれ、と。」

「か、母ちゃんが?」

「ええ。さすがに最初は戸惑いましたが、結局は受けることにしましたよ。」

「ま、マジで!?」

心地良い微睡みが一気に吹っ飛び、身体を起こす。

「もしかして、あたいらのことバレたのかな?」

「あの様子では違うんじゃないですか?」

「母ちゃんは裏表激しいんだってば!せんせー、んなもん無視して逃げよう!」

「逃げませんよ。たとえバレていたとしても、僕は堂々と立ち向かって、話し合うつもりですから。」

「え!?」

「言ったでしょう?」

清四郎はそう言いながら、慌てふためく悠理をもう一度抱き寄せた。

「君が好きだと言ってくれたから、覚悟は固まりました。どんな困難をも取り払って見せます。僕は真剣ですよ?」

「でも・・クビになっちゃったらどうすんだ?母ちゃんが鬼の様に怒ったりしたら・・・」

「その時こそ二人で逃げましょうか。遠く異国の地まで。」

晴れやかに笑う男に少しの迷いも無いようで・・悠理は面食らってしまう。

「あたいなんかのせいで・・ほんとに仕事なくなっちゃっても良いの?」

「君さえ居てくれたら不思議と何も怖くないんですよ。もちろん出来うる限りの努力はしますけどね。」

感動したのか、涙目の悠理をよしよしと撫で、清四郎は優しく告げた。

「僕は悠理が好きなんです。だからこんな事で絶対に離れて行こうとしないでください。約束出来ますか?」

「・・・うん・・・・うん!約束する。」

昂ぶった気持ちのまま再び抱き合う二人。

しかし、二人はすぐに解る。
全てが杞憂であったことを・・・・・