それは突然の豪雨だった。
二人は一路、長野の高原にある菊正宗家の別荘を目指していた。
しかし途中、どうしても蕎麦が食べたいと喚く悠理の我儘を受け入れ寄り道した結果、降り出した激しい雨に足止めを余儀なくされてしまう。
山の中腹辺りだろうか。
人気も少なく、家らしきものも見えない。
視界を奪う横殴りの雨。
車がぎりぎりすれ違えるほどの細い道。
とてもじゃないが、まともに車を進めることなど出来なかった。
「やれやれ、困りましたな。ナビが正しければ、この先直ぐのところに小さな休憩所があるので、そこまではゆっくり走ります。」
「う、うん!」
清四郎は慎重にハンドルを切りながら、アクセルを踏んだ。
夏に向け、梅雨の名残り雨といったところだろうか。
煙り立つような雨足に思わず溜め息が溢れる。
やがて二分ほど進めば、木造の赤い三角屋根が見えてきた。
年季の入った建物。
どうやら公衆トイレのようだ。
灯り一つ点いてはいない。が、駐車場はわりと広く、強い雨で水浸しになってはいるものの、かろうじて白線は見えた。
「ここなら大丈夫でしょう。小降りになればまた出発しますよ。」
「ふはぁー!いきなりだもんな。びっくりしたよ。」
「山の天気は変わりやすいですからね。とはいえ、確かに激しいな。」
ワイパーを最大出力にしても役立たないほどの豪雨。
清四郎は一旦エンジンを止め、濁流のように流れ落ちる雨水をじっと見つめた。
まだ日も落ちていない時間帯なのに、この暗さは果たして天気の所為だけだろうか?
重苦しい灰色の空は一切の光を遮り、薄い闇を生み出す。
無論、こんな雰囲気を誰よりも嫌悪するのは助手席の恋人。
ちらと横目で見れば案の定、カタカタを膝を震わせていた。
「悠理、寒いのか?」
「別に………。でも、なんだろ、ちょっと怖い感じ……する。」
ギュッと肩を竦め、不安げに外を眺めるが、特に何かが見えるわけではない。
ただ漠然とした恐怖を、その身で感じ取っているようだった。
━━━━また何か、妙なものを察知したかな。
彼女の霊媒体質は今更のこと。
さすがにもう、驚くことはない。
鳥肌を立て始める悠理の肩を、清四郎の腕が強く抱き寄せる。
少しでも恐怖を取り除いてやりたいという思いから。
「僕がいるから、怖がらなくてもいいですよ。」
「………おまえ、実はちょっと期待してるだろ?」
「ふ…………バレましたか。」
この男と魅録だけは、いつまで経っても悠理の恐怖を理解してくれないから困る。
直ぐにでも捨て去ってしまいたい能力に、むしろ憧れすら抱いているのだから始末に負えなかった。
不満げに睨みつける悠理へ、清四郎は悪びれず接吻を求めて来る。
「こ、こら………何だよ、いきなり。」
「こうしていると、気が紛れるでしょう?」
そして不意にリクライニングが倒れ、それが彼の手によるものだと気付いた時、悠理は清四郎が何を求めているのかをようやく理解した。
魅録に借りたSUVの座面は革張り。
倒せば悠々ソファくらいの広さになる。
薄いブランケットを後部座席から引き寄せた清四郎は、それを悠理の上半身の下に敷く。
肌に触れる冷たさを緩和するための処置。
そんな清四郎の気遣いが心憎い。
その後、大きな体が覆い被さってくると、雨に閉じ込められている事も、訳の分からない恐怖で鳥肌が立っている事も忘れ、甘く爛れた雰囲気に飲みこまれてしまう。
それでも、この先の意思を尋ねようと口を開けば、清四郎はやんわりとその唇を摘まんだ。
「んぐ、って、まさか………やんの?」
「暇ですからね。」
敢えての問いに飄々と答える清四郎。
悠理は口を尖らせ、不満を洩らす。
「ちぇ………暇潰しかよ。」
「………おまえはさっき、充分に食欲を満たしたでしょう?今度は僕の性欲に応えて貰う番ですよ。」
そう言われれば反論など出来ない。
悠理は確かに満足するほどの蕎麦を啜った。
店主が目を剥くほど多くの蕎麦を。
恐らくは後から来る客の分など残っていない。
胃袋は充分過ぎる程、満たされていた。
「雨が………上がるまで、なら………」
結局、清四郎の望む言葉を選ぶ悠理。
自分も甘くなったもんだ、と小さく笑う。
昔なら突っぱねていたはずなのに。
恋人の甘い懇願に誘われてしまう・・・・・
・
・
ざぁざぁ
止みそうもない山の雨。
清四郎は悠理のゆったりとしたシャツを脱がせると、下着の上から優しく胸を揉み始めた。
「………冷えてるな。」
「…………ん。」
過去何度も愛撫されてきた柔らかな肉が、これから先の期待に震え出す。
大きな手の温もりがじんわりと肌を暖め、恐怖心すら拭うかのような心地よさに、悠理はうっとりと目を閉じた。
「………ふぅ」
蝋燭を吹き消すほどの小さな息が、ゆっくりと吐き出される。
敏感な肌がその瞬間に粟立ち、より明確な反応を強いてくる。
「………もう、尖ってきましたよ。」
「んっ!」
小さな紅色の突起をコリコリと摘ままれ、思わず浮いてしまう腰。
だが清四郎の腕はその細い腰をがっちりと押さえ込んだ。
「相変わらず、敏感ですねぇ………。僕が毎晩のように刺激を与えているのに、毎回初めてのような反応を見せる。堪りませんよ。」
キュッと強めに捏ねられれば、下腹部に直結する甘い痺れ。
悠理はその痺れの奥に潜む止め処ない快感を、イヤと言うほど知っていた。
「………おまえが、やらしいからじゃん。」
「それは、褒め言葉?」
「ち、ちがっ………んっ!」
反論は敢えなく封じられ、悠理は清四郎の踊るような舌に翻弄されていく。
もはや抵抗するつもりはない。
冷えた肌に熱を与えられる中、微睡むようなキスに身を任せた。
雨足が弱ってなお、清四郎は恋人の身体を貪り続ける。
湿気のこもった車内で、二人汗だくになりながら規則的に揺れていた。
「あ………ぁぁ!も……おかしくなる!せ、しろ……だめぇ!」
執拗過ぎる攻めに、悠理の身体は溶けたバターのように力を失っている。
絶頂する度に喉が枯れ、その都度清四郎の唾液を飲まされる。
こんなやらしい男だとは───知らなかった。
自分に対する執着は高校時代から気付いてはいたけれど。
「何が駄目なんです?悠理…………ほら、ここは涎を垂らしながら僕のモノをしっかりと咥えていますよ?」
グチュグチュ………
見なくとも判る白い泡立ち。
さっきから何度も吐き出され、しかし決して抜こうとはしない清四郎の腰は、まるで泡立て器のように悠理の愛液ごとかき混ぜていた。
そんな状態なのに、自分の媚肉は清四郎を放さないまま、より深くへと誘うような動きを見せる。
「んなの………わかんないよぉ!」
意志に反する淫らな身体。
どうしてこんなにも清四郎を悦ばせてしまうのか?
もう限界まで達しているはずなのに、どうして?
「解らない?本当に?」
繋いだ場所に清四郎の指がゆっくりと差し込まれる。
これ以上は入らないと思われた場所は、不思議とその長く骨ばった指を受け入れた。
「あ………あん………や、やだ…………」
「まだ足りないんじゃないですか?ほらこんな奥にまで入りますよ?おまえは自分を知らないだけだ………。どれほど欲張りで淫乱なのかを、ね。」
指と肉茎のリアルな形を、濡れた膣壁でまざまざと感じ取る。
するとより一層、粘着質な愛液が零れ出し、潤滑油となったそれは彼の挿入を更に助けた。
「あぁ………悠理………気持ちいい。こんなにも濡れているのに、締まりは最高だ。」
身体いっぱいで感じる異物感。
それでも徐々に快感が芽生え始め、擦られる場所から高い熱が放射する。
結合部から垂れ流される体液が、革張りのシートを汚していく中、絶頂の予感が再び頭をノックし始めた。
「ひぃ………ん……!も、イくのやぁ!!」
「嘘を吐くな。本当はイきたくて仕方ないくせに。」
清四郎の親指が硬く尖った真珠を軽く捏ねると、悠理は仰け反るように達した。
細いしなやかな身体から一斉に吹き出す、小さな汗。
「ひぁあああ!!!」
と同時に、大量の潮が溢れ出す。
清四郎は嬉しそうに指を引き抜き、濡れたままのそれを舐めしゃぶった。
痙攣する身体がエクスタシーの深さを物語っている。
彷徨う虚ろな視線と、艶めかしい口元。
悠理の全てが美しかった。
「………次は僕の番ですよ。」
細く気怠げな腰を掴み、清四郎は激しい律動を加え始めた。
角度を変え、全ての膣壁を擦るような動きを見せる。
「ひっ………ひっ………」
目から正気の色が失われていく。
悠理は涙を零しながら必死で首を振るも、男はそれに構わず、ただ己の欲望のみをぶつけようとした。
「せぇしろぉ………怖いよぉ!」
「怖くない。何も、怖くないんですよ。僕だけを感じていなさい。ほら、もっと快楽に流されればいい。」
心を探るように選ばれる言葉。
激し過ぎる動きの中でも、清四郎は顔の至る所に口づけを落とし、悠理をあやし、そして宥める。
「んっ………んっ………!!」
ビクビクと跳ねる身体にびっしりと汗が滲む。
断続的に吐き出される精液は、車内に濃厚な香りを漂わせた。
「嗚呼………止まらない。悠理………僕はどうかなってしまったのかな?」
落ち着く様子もなく、勃起したままの性器が再び悠理の中を掻き乱す。
白く濁った残骸が水たまりのようになっても、何を血迷ったのか、清四郎はやみくもに悠理を責め立てた。
「ひぃっ……んっ!!いやぁ……も、イったじゃんかぁ!」
「…………まだ…………まだだ。私の全てをおまえの中に注ぎ込んでやる。」
「─────え?」
快感に麻痺し、微睡んでいた脳が、その時はっきりと目覚めた。
それは自分を貫く恋人の言葉ではない。
冷たい、水底から現れたような湿気としゃがれた声。
淫蕩な目に浮かぶ、他人を見るような冴え冴えとした光。
瞬間、快感に震えていた肌は嫌悪感のそれへと変化した。
明らかな違和感。
何ということだろう。
清四郎には見知らぬ誰かが憑依していた。
生者ではない誰かが。
悠理は咄嗟に身を固くするも、膨張したペニスが奥深くに収まったままでは逃げ出すことも出来ない。
「せ、清四郎!」
快感は瞬く間に吹っ飛び、冷や汗が伝い始める。
自分は今、誰に抱かれているのか?
清四郎の意識は一体どこにあるのか?
悠理は歯の根が合わないまま、それでも恐怖をかみ殺し、抵抗を試みた。
「だ、誰だ、おまえ!?清四郎をどうしたんだ!!」
引き寄せられた腰が、より深く繋がろうとする。
「あ………!」
「気にするな……これは、この身体は間違いなくおまえの恋人なのだから。」
清四郎ではない誰かは口端を持ち上げ、淫らに笑った。
その笑みは決して愛しい恋人のものではない。
そんな下卑た笑い方をする男ではないのだ。
恐怖が鋭い矢となり悠理の胸を抉る。
「や、やだ……離せっ!清四郎!清四郎!!」
声は届くのか?
悠理は必死に叫び続けた。
穿つ腰は急速にスピードを上げていく。
清四郎じゃないと判れば、その逞しい動きすら暴力に感じてしまうから不思議だ。
「は……ぁ……おまえの肌は……此処は…………なんて心地良いんだ。暖かくて……柔らかくて……ずっとこうしていたくなるな。」
「ひっ!」
ねじ込まれたままの硬い先端が、奥深くを捏ねるように探り始める。
下腹部を重苦しい感覚が襲い、それでも快感を覚えてしまう身体は、全て清四郎の為だけに存在するはずなのに……。
「あぅ……やめっ…ろ……!」
「他の女は皆冷たかった……冷たくて、打算的で、逃げることばかりを考えている愚か者だった。だから皆、みんな…………」
譫言のように呟く男が悠理の唇を求めてくる。
それを拒否する為、顔を背けると、強い力で顎を掴まれ、噛みつくような口付けを与えられた。
野蛮な行為には愛情の欠片すら見当たらない。
これはあくまでも蹂躙。
悠理は涙を流し、嫌悪した。
「ん……っぐ!…………っ!」
差し込まれた舌は噛みきりたいほど腹立たしいが、この身体は間違いなく清四郎のもの。
香りも、柔らかさも、全て馴染みきったものだ。
傷つけるわけにはいかない。
「はぁ……唾液すら甘く感じるな。……この男がつくづく……羨ましい……」
涙目で睨む悠理の頬を、男はべろりと舐め上げた。
不快感が背中を伝う。
「いつもなら一度で終わらせるが……今回は少々難しそうだ……」
抱え上げた腰をさらに密着させ、男は再び動き始める。
容赦ない突き上げに悠理は呼吸すらままならない。
ただでさえ、先ほどまで責め立てられていたのだ。
体力は悉く奪われ、気力すら削がれている。
それでも…………
「せいしろ……せいしろ……戻ってこいよぉ……!あたいは、あたいは……おまえ以外にこんなことされたくないんだ!!」
悲鳴のような懇願が車内の空気を震わせる。
窓ガラスを鳴らすほどの絶叫は、清四郎の中に居る男を一瞬だけ怯ませたようだ。
「う……っぐ……」
途端に止まる動き。
するとようやく清四郎の意識が僅かな隙を狙い、復活する。
「悠理……僕の…………僕の頬を殴れ……」
「清四郎!」
「早く!」
「わ、わぁった!」
悠理は無理な体勢のまま拳を握り、彼の右頬を打ち付けた。
いくら鍛えられた身体とはいえ、悠理のそれはかなり痛い。
意識を乗っ取っていた何者かは、激しい痛みに耐えきれず、清四郎から出て行くほかなかった。
「っつ……!」
「せいしろ……?」
「効きますねぇ……さすがに。」
「……戻ってきた??」
「何とか……」
繋がったままの身体は静かに離れていく。
肉体的な痛みが彼のシンボルを小さくさせるのに充分な働きをしたのだ。
清四郎はバツの悪そうな顔で、未だ恐怖に凍り付いたままの悠理を見つめる。
「まさか、……こんな事があるとは信じられません。…………あの男は……あいつは……」
「誰?」
「凶悪な殺人犯です。追い詰められた挙げ句、この近辺で自殺していますが。」
「うそ・・・・・・」
どうやら意識を乗っ取られている間、彼の過去が清四郎の思考に流れ込んできたと言う。
共有されたといった方が正しいか。
男は前科7犯の殺人者。
その上、若い女性ばかり狙った、強姦魔でもあった。
年は40半ば。
13歳から22歳までの女性を次々に犯し、殺し、そして遺体を川やダムに放り込んだ。
警察に追われること半年。
所持金を使い果たした所為もあるだろう。
この休憩所の裏で、服毒自殺をしたらしい。
だがあまりにも人気のない場所の為か、猪や野犬に食い荒らされ、結局男の遺体が見つかることはなかった。
残忍な事件に眉を顰める悠理だったが、今は清四郎の意識が戻ってきたことに感謝する。
「おまえの中が良すぎて、気が緩んだときに入り込まれたんでしょうな。」
「………怖かった。」
「悠理………」
「清四郎の身体に違いないのに、怖くて、ちっとも気持ち良くなかったんだ。」
「そりゃそうですよ。僕はいつも、想いを込めておまえを抱いてるんですから………」
「うん…すごく良く分かった。」
抱き締められ、胸板に頬を寄せると、そこに宿る彼の想いがじんわりと悠理を包み込んでいく。
器だけじゃ駄目なんだ。
彼の心があってこそ、自分は全てが満たされるんだ、と痛感する悠理。
「せいしろ………好き………愛してる。」
いつしか雨は上がり、雲の切れ間からオレンジ色の空が見え始める。
山が朧雲に包まれ、幻想的な風景に彩られた。
肌の震えが治まっても、なかなか離れる事が出来ない悠理は、その美しい景色を眺める事もせず、ただひたすら清四郎の腕の中で安らいだ。
憎き男のしゃがれた声を、忘れ去る為に………