第一話

「暇、だなぁ…………」

ぽそり、呟いた台詞はすっかり温くなったキールロワイヤルの中に消えた。
元々そこまで好きな酒じゃない。
どうせならとっておきのシャンパンだけを楽しみたかったのに………今、席を外している男が勝手にオーダーしたのだ。
女にはこれ、って決まりでもあるのだろうか。
確かに以前からオレ様的な部分もあり、それは決して嫌いではなかったが────

古いダチってだけで、ここ最近、飲みに出かけることが増えた。
何故か二人きりで。
本来、間に魅録が居て然りなのだが、彼はつい最近、初めての恋を成就させたばかりで何かと忙しい。
今頃は全く興味のない『クラシックコンサート』で眠気と闘っていることだろう。
片や隣の大和撫子は世界トップレベルの音楽に目を輝かせているはずだ。

「はぁ………つまんない。」

手の中にある酒と同じ、気の抜けた自分に、悠理は辟易していた。
人より一年遅れて大学生となった身。
本当はもっとワクワクする世界が見たいのに──────
可憐と美童は当然として、まさかの魅録や野梨子までもが恋愛にうつつを抜かしてしまうなんて、想定外だった。

「誰しも子供のままではいられない」

そんな詰まらない台詞を吐いたのは誰だっけ?

元生徒会長のデキる男は拍車をかけて忙しく、活動的な日常を送っている。
一応大学には顔を出しているようだが、こっそり怪しげな集まりに出入りしていることは周知の事実だ。
どうせオタクの集まり。
奴の交遊関係なんて想像しただけで頭が痛くなる。

悠理は小さなガラス皿からナッツを取り、ガリっと齧った。

そろそろ夏も盛りを迎えるというのに、この大好きなはずの季節が楽しくない。
予定はといえば、ボラボラ島に作られた別荘へ一週間旅行するくらいだ。
六人揃って旅出来るだけマシなんだろうか。
この際面倒なトラブルでも起きて、予定が大きく狂ってしまえばいいのに……とまで願う自分が恐ろしかった。

魅録と野梨子の恋を憎らしく思ったりはしない。
大好きな二人が仲睦まじく過ごす様は、悠理にとっても喜ばしいものだ。
デートを重ね、野梨子がどんどん女性らしさを増していくことも、魅録の年相応の笑顔も、長年付き合ってきて初めて見る変化だった。

「あたしたちには見せない顔よねぇ?」

可憐の言うとおり、魅録は変わった。
“野梨子だけ”の男になった。
それはほんの少し寂しいことだけど、それでいいと納得もできた。
二人がこの先もずっと仲良しであれば………六人の絆は繋がったまま。
どれほど大人になろうと、友人のままでいられる──────そう信じて。

「何か追加で頼むか?」

マルボロの匂いを漂わせ、男───源 早太(みなもと そうた)は椅子に深く腰掛けた。
魅録の真似をして十四の頃から愛煙家。
厳しい親父さんに何度も殴られたというエピソードは耳たこだ。

夜でも外気温は30℃近くあるというのに、彼は昔から革のパンツを好んで穿く。
バイク乗りは似たり寄ったりの格好をするが、早太は誰よりもそれに固執しているようだった。

「ううん。いらない。」

魅録と遊ぶとき、必ず一緒に居た男。
親が建設会社の社長だか何だかで、小さい頃から英才教育を受けてきたらしいが、案の定途中でドロップアウト。
中二の夏には、暴走族の旗を振り回すようになっていた。
活き活きと悪ぶっていた彼も、今や大人しくバイクショップで働いている。
仲間の中で誰よりも一足早く、大人になった。

「カラオケでも?」

「…………そんな気分じゃない。」

“そろそろ帰るよ”………と言いたかったのに、男は悠理の肩を抱き、「じゃ、別のとこへいくか?」と親密な距離で尋ねてきた。

「“別の”って………?」

酒をしこたま飲んだ後だ。
どうせバイクを走らせることも出来ないだろう。
流れる夜の景色が見たくても……さすがに厳しい。

抱かれた肩が妙な感じで、悠理は不機嫌そうに男を窺った。
酒に酔っていても、その目は“まとも”で、魅録と同じワイルドな顔立ちが今は猛獣のように感じる。
初めて見る早太の表情。
瞬間的に過る危機感。
強く抱かれた肩から鳥肌が立ち、それは明らかに拒否反応だと解る。

確かに店内は空調が効いている。
その上薄手のシャツだ。
でもこの寒気は決して室温によるものではない。

「早太…………」

緊張で強ばる肩。
昔からの悪ガキはいつの間にか『一匹の雄』となっていた。
魅録と同じ空気を纏わせながら。

「どうせ、詰まんないんだろ?俺も同じさ。………魅録が不抜けちまって、夜が長く感じるんだ。でも………悠理だけは側に居てくれるよな?」

いつになく饒舌な彼に、反論は出来なかった。
全くの図星。
同じ感覚をこの男と共有していることに喜びすら見いだせそうだ。

「側にいるって…………どういうことだよ。」

鳥肌を立たせながらも、悠理は尋ねる。
恐らくはその先に待つ言葉を予感しながら。

「俺たちも、特別な関係にならねぇか?俺はずっと前から………おまえに惚れてんだ。」

それは初めて聞く異性からの告白で………納得させられる真摯さが早太の目にはあった。

わんさかいる男友達の中で、唯一剣菱悠理を“女”と意識した男の勇気は、この先暴走の一途をたどる。

悠理が決して望まぬ世界。
しかし心の片隅で羨んでいた世界が、今、手の届く場所に広がっていた。