雨(聖夜の二人)

雨に濡れた石畳。
既に上がってはいるものの、路傍の人々は寒さに肩を竦めている。
イルミネーションは眩いばかりに輝き、寒々しい夜を飾った。
そう───今日はクリスマスイブ。
冷たい風に晒されながらも、恋人達の胸は暖かい。

此処にもまだ初々しいと呼べるカップルが一組いる。
一目で上流階級と分かる出で立ち。
誰も、彼らが高校生とは思わないだろう。
特に男は………行き交う男達の中でも一際落ち着いた装いで、恋人の手をしっかりと握りしめていた。

「なぁ、どこいくんだ?」

二人で過ごす初めてのクリスマス。
仲間たちの気遣いを有り難く受け入れた彼らは、甘い聖夜を目指しているはず。
悠理はドキドキしながら、男にそう尋ねた。

今日の衣装は可憐が全てコーディネートしてくれた。
知り合いのブティックは一点物の洋服を扱っていて、特にこの時期、クリスマスを意識したドレスはよく売れるらしい。
悠理もまた赤いコートとワンピース、そして下着までもサンタクロースをイメージした上下を身に着けていて、少々あざといと感じるほどだ。

「観覧車に乗りましょうか。イルミネーションが綺麗ですよ。」

「観覧車………」

悠理は戸惑った。
恋人達が楽しむ其れに、交際して間もない自分達が乗り込むのは、まだ少し早いような気がしてならなかったのだ。
しかし清四郎はご機嫌な様子で握った手を離さない。
光り輝く観覧車をまっすぐに目指す。

十人ほどの列に並び、悠理は大きな光の輪を見上げる。
おそらくは、ゴンドラのほとんどが甘いカップルに占拠されているはずだ。
ロマンチックな景色を見下ろしながら、愛を囁いているに違いない。

「せ、清四郎………」

「ん?」

「…………いや………何でもない。」

浮き足だった彼に、今はどんな言葉も無意味だと思える。
自分だって恋愛の初心者で、どこかワクワクした気持ちが湧き上がってきていることを否定出来ないからだ。

順番が巡ってきて、不格好なハート型の籠に乗り込む。
グラリと揺れる中、 悠理はバランスを取るよう向かい合わせに座ろうとしたが、しかし清四郎は彼女の手を引き寄せ、隣に座ることを指示した。

「べ、別に隣じゃなくても、いいだろ?」

「嫌です。」

あまりにも簡潔な答え。
反論する余地を奪われてしまう。
悠理は目を白黒させながらも大人しく腰掛けると、冷えた手に重ねられた清四郎の手をじっと見つめた。

───おっきな手。兄ちゃんよりもずっとでっかく見える。

この男らしい手がとうとう悠理だけのものになったのだ。
いつも優しく頭を撫で、慰めてくれる万能の手。
触れられることで心からホッと出来るのは───相手がこの男だからに違いない。

「こんな………馬鹿ップルみたいなことするだなんて……思ってもみなかったじょ。」

「そうですか?」

「清四郎は何とも思わないのか?」

「思いませんね。むしろもっと……おまえとの距離を近付けたい。」

それは悠理も同じだった。
ただ気恥ずかしさから素直に口に出来ないだけで。

「ほら、よーく見てみなさい。前も後ろも……彼らはお互いの肩を触れ合わせているでしょう?」

言われたとおり視線を配れば、確かにどのカップルも寄り添っていて、二人きりの空間を楽しんでいる。
中にはキスをするほど近付いている男女もいて、悠理は慌てて顔を背けた。

「あ…あんなの……おまえもしたいのか?」

「そりゃあ男ですから、当然です。」

再び簡潔に断言する恋人は、仄暗い籠の中でまるで別人のように見えた。

漆黒の目が、
熱い吐息が、
高鳴る鼓動が、
悠理の肌をビリビリと震わせる。

「せぇしろ…って、やっぱり……」

「ムッツリだと言いたいんですか?」

「ううん。」

悠理は彼の言葉を否定した上で、置かれた手にもう片方の手を重ねた。

「女ったらしかもしんない。」

「……な、何故です?」

「だって…………」

おまえにそんな言葉を吐かれたら、何もかも許してしまいそうになるじゃないか。
そんな瞳で見つめられたら、どんどん先に進みたくなるじゃないか。

「’女ったらし’じゃないありません。僕はずっと……悠理一筋なんですから……」

その時、
熱く火照る目頭が、
胸を打つ感動が、
悠理の身の内にあった衝動を呼び覚ました。

今、素直にならなくてどうするんだ?

「あたいも……あたいだって、おまえ一筋だよ。」

言葉と口付けは同時だったかもしれない。
以前よりもずっと深く、強く、触れ合う唇。
男の性を煽るその行為に、清四郎は一旦離した手を悠理の背中に伸ばし、強く抱き寄せた。
甘い唇を感じたままで。

「ん……っ……あ…ふ……」

逃さないとばかりに込められた力。
悠理は清四郎の口の中で熱い息を吐き出す。
その瞬間、伸びてきた舌が彼女の口腔内を侵略しても、悠理は逃げだそうとしなかった。

長く、永遠かと思われる時間。
周りの視線や眼下の景色。
イルミネーションなど、もやはどうでもよかった。
清四郎の香りと、柔らかく巧みな舌遣いに酔わされ、悠理の頭はすっかりのぼせていた。

「………可愛い服ですね。おまえがこんな装いをするようになるとは……」

コートの中に忍び込んだ手が、小さな胸をそっと包む。
それは初めての感触。
誰にも許したことのない聖域に触れられ、悠理は小さく喘いだ。

「あ……」

「これを降りたら……別の場所から夜景を見ましょう。」

「別の…………場所?」

「ええ。もっと素敵な景色を……夜通し、たっぷりと見せてやりますよ。」

彼の不敵な笑みは悠理の目に届かなかった。すぐさま塞がれた唇に頭の芯までしびれてしまったから───

恋人達の聖なる夜はまだ始まったばかり。
一歩先に広がる未知の世界は、悠理を虜にして止まないだろう。
赤いコスチュームもきっと、素敵なクリスマスプレゼント。
清四郎の暴走までもは、さすがに予想していないだろうが。

メリークリスマス。

甘い恋人達のこれからに…………