六
時は遡り────
悠理達は華やかなパーティが終わった後の二次会を楽しんでいた。
週末の夜ともなれば、どこもかも貸し切り状態。
そんな中、洒落たダイニングバー全てを借り切って盛り上がる集団が、悠理達だった。
パリコレのトップモデルやデザイナーに交じり、美童はひときわ輝きを放つ。
持ち前の美貌と長い金髪、そして巧みな話術が彼を際立たせているのだ。
遊び上手な美人モデル達に囲まれ、いつもの如くアダルトな遣り取りを交わしている。
恐らくは一夜の関係を匂わせながら。
可憐もまた男性モデル達の中で水を得た魚のように活き活きとしていた。
チヤホヤされることで自らの美しさを認識し、より艶やかな女性へと変化するのも彼女ならでは。
いつもより強調した胸の谷間には、輝くパウダーがはたかれ、ロマンティックな薔薇の香りで異性を虜にしていた。
そして悠理はといえば────
当然ご馳走にしか目がない………はずだったのだが、何故か隣に寄り添う男が気になる。
先ほどの台詞や行動が頭を掠め、本気でご馳走に挑めないでいた。
胃袋はまだまだ余地があるはずなのに、何故か手が伸びない。
───あれ、何だったんだろ。
清四郎の腕が腰に回された時の、あのトキメキ。
女扱いなどされたことのない少女が、初めて感じた官能の灯火。
清四郎の逞しい腕が、伝わる体温が、胸をじわじわと熱くさせてゆく。
それはもちろん、彼を意識してのことだが、鈍感な悠理にはそれすら解っていなかった。
────にしても、緊張したなぁ・・・
思い出すだけでぽぉっとなってしまうほど、経験値は浅い。
慣れているはずの距離が、あんなにも気恥ずかしいと感じるだなんて。
緊張に肌が粟立つだなんて。
悠理の心は千々に乱れていた。
・
・
「どうしたんです?まさか食欲が湧かないなんて………言いませんよね?」
さっきの会場では洒落たオードブルばかりであまり満足出来なかった。
清四郎が触れた腰の感触が気になっていた所為もある。
だからこそ、二次会への期待も膨らんでいたのに────
清四郎の影が寄り添っているだけで、何故だろう、食欲が減る。
今まで無かった事態に悠理は軽い混乱を覚えていた。
「も、もちろん食うよ!このピザなんかすっげ~旨そうじゃん?」
大きな円卓に並ぶご馳走の数々。
主にイタリアンだったが、ところどころ多国籍料理が並び、ゲストを飽きさせないように考えられていた。
「ほら、皿を使って。ソースをこぼさないようにするんですよ。」
親ですら滅多に言わない気遣いを、彼は呟く。
清四郎はやはり、飼い主のつもりなんだろうか。
傍若無人なペットの首根っこを掴むいつもの姿が思い浮かび、悠理は哀しくなった。
「子供じゃないやい。」
「え?」
「い、いつまでも子供扱いすんな!あたいだってもう19だぞ?来年大学生なんだ。こんな………ガキ扱いされる年齢じゃないんだから。」
尻すぼみになった言葉に、驚いたのは清四郎の方だった。
悠理の真っ赤な横顔にいつもと違う違和感を感じ、胸が高鳴る。
────もしや・・・いや、思い違いでも良い。僕を男と意識してくれるなら大歓迎だ。
力の入った拳に汗を滲ませ、清四郎はほくそ笑んだ。
悠理の横顔を注意深く眺めながら。
「悪かった。………気に障ったのなら謝ります。」
素直な謝罪など、ついぞ聞いたことはない。
プライドの高い男は、必ずやイヤミを交えてくるはずだったのに。
悠理は驚き振り返るも、そこにあったのは優しげな微笑みで────
「余計なお節介でしたね。おまえはもう充分大人です。」
突き放された訳ではない。
ただ、その言葉はどことなく悲しみを帯びていて、悠理の心は締め付けられた。
「な、なんだよ。………ほんとは、んなこと思ってもないくせに!」
口から飛び出す悪態。
いつもの清四郎じゃないからこそ、語尾が強くなる。
「………本音ですよ。何せこの僕が………」
互いの視線が絡み合う中、しかしお決まりのように邪魔が入る。
割り込んだのはすでに深く酔っぱらったモデルの一人で、パリコレ常連の若いイケメンだった。
先ほどから、清四郎へと投げかけられていた意味深な視線は、いつものそれ。
この世界には当たり前の人種だ。
「ねぇ、おっとこまえの彼氏ぃ。女なんかほっといて僕と飲もうよ。」
彼はしなだれかかるよう清四郎の肩に腕を回した。
呂律も怪しいほど、酔っ払っている。
「……………勘弁してくださいよ。」
酒臭さと香水の香り。
あまり趣味の良い匂いではなく、清四郎は遠慮無く顔を顰めた。
腕を払い除けようとしたところ、タチの悪い酔っぱらいは端正な顔を強引に掴む。
そして高身長を活かし、清四郎の頬に熱烈なキスを落とした。
「あ!!」
怖いもの知らずだな───
悠理は目の前の光景にそんな感想を抱く。
同性からの秋波を何よりも苦手とする男。
そのモテっぷりはむしろ異常だ。
悠理自身そうであるため、彼の気持ちが手に取るようにわかるのかもしれない。
とてもじゃないが受け入れられない、歪んだ世界。
「…………大事な場面を邪魔した上、これはこれは…………。表へ出ますか?」
貼り付いた笑顔の後ろに、等身大の般若が見え、悠理は慌てて清四郎の怒りを宥めようと間に入る。
しかし酔っぱらいの力はわりと強く、なかなか素直に引き下がらない。
ただでさえ身長差があるのだ。
出来る事と言えば、説得だけだった。
「や、止めとけよ。な?殺されるぞ?こいつ、こう見えて・・・マジ強いんだから。」
「なーにー?僕の邪魔する気ぃ?」
揉み合う内、気が高ぶったのか、その男は悠理への攻撃性を膨らませていった。
無論、過度なアルコール摂取がたたっている所為でもある。
「“女”ってだけで、偉そうにするなよ!」
ドン!
本気の力ではなかったが、不意をつかれた悠理は彼の攻撃に身体をよろめかせた。
それをすかさずキャッチする清四郎。
言わずもがな、火に油を注ぐ行為だ。
「まったくもって……………不愉快な男ですね。」
清四郎は肩に回っていた彼の腕を捻り上げ、すかさず四本の指を握りしめる。
涼しい顔ながらも、怒りの度合いは計り知れない。
案の定、太刀打ちできない握力に、酔っぱらいは直ぐ様呻き声をあげた。
「イ・・・・イタタタタタ!」
「どうです?酔いがさめるでしょう?」
「ご、ご、ごめんってば!悪かった!」
「彼女にも謝りなさい。」
「…………す、すみませんでした!」
モデルの顔を殴るわけにもいかず、清四郎はゆっくり彼の手を解放した。
酔いが覚めきった男の遁走する姿に、悠理はホッと胸を撫でおろす。
にしても、いつもに比べ随分と攻撃的だったなと感じ、恐る恐る清四郎へと尋ねた。
「今日はどうしたんだ?………なんかおまえ、怖いじょ。」
すると清四郎はため息と共に、「当然です。」と吐き捨てた。
「人が一世一代の告白をしようとしているのに、あの男と来たら…………」
「“こくはく”?」
聞き慣れないフレーズに悠理は固まる。
────告白って、告白って、何だ!?
絡む視線が喧噪を遠ざけ、清四郎の真剣な瞳が彼女の鼓動を高めていく。
反射的に背を向けると、「悠理!」、逃すまいとする声がして、またしても動きは止まってしまった。
「────好きです。僕はおまえが好きなんです。」
夢かもしれない。
もしくは酔っぱらって、幻聴を聴いているのかも。
けれど肩に置かれた熱い手が、これは現実なんだと伝えてくる。
「清四郎…………」
怖々振り返れば、彼は困ったような目で悠理を見下ろしていた。
そして・・・・・
「この僕を本気にさせるくらい………おまえは…………」
甘く真摯な声。
耳の側でその台詞を囁かれた時、悠理の体はビクンと跳ね、心臓までもが止まった。
想像もしていなかった展開。
告げられた彼の想い。
そして自分の中で渦巻く歓喜。
──────魅力的なんですよ
ペット扱いしてきた男の思いがけない言葉に、悠理は何も言えぬまま立ち尽くすほかなかった。