本編~第三話~

※このお話から少々陵辱的なシーンが加わります。ご了承ください。


 

武富組若頭、芝は夜遅くの電話を嫌う。
とはいえこんな稼業だ。
急な連絡を無視するわけにもいかない。

「何だ?」

不機嫌そうな声で携帯電話を取ると、部下の一人“萱島(かやしま)”が、緊張を隠さず「すんません。」と答えた。

「用件を早く言え。」

「実は…………」

それは芝自身、心のどこかで予期していた内容だったが、かといってこんなにも早く事態が動くとは考えてもみなかった。

「もちろん、断ったんだろうな?」

「……………はっきりとは…………。お嬢に逆らえば、俺ら無事じゃ済みませんから。」

「チッ。────とにかく手は出すな。いいな?勝手なことはするなよ?」

電話を切って溜息を吐く。
男の逞しい肩が自然と下がり、疲労がのし掛かる。
芝は、厄介な話を聞いたもんだ………と、頭をかきむしりたくなった。

女はこれだから困る。
感情的で短絡的。
後先省みずの行動はどれほど周りに迷惑をかけるか。

「どうしたの?」

そんな男の背中をひんやりとした手が絡みつく。
重さを感じさせない華奢な白い腕。

「曜子………」

芝はようやくここが愛人のマンションであったことを思い出した。
自分が買い与えた一等地の2LDK。
家具も家電もすべて望み通り揃えた。

「芝さんにしては珍しいじゃない?よほどのトラブル?」

「おまえには関係ない話さ。」

シルクのキャミソールは彼女の豊満な身体を更に魅力的にする。
栗色の髪は柔らかく、肌は透き通るように白い。
目鼻立ちのハッキリとした極上の美女。
元キャビンアテンダントがこんな所まで堕ちた理由は色々あれど、三十路半ばとは思えない美貌を彼女は上手く保っていた。
それなりに金をかけているのだから当然かもしれないが。

「もぉ、いっつもそれなんだから。」

芝は二年も続いたこの関係を居心地よく思っている。
たとえ相手が、組長のお下がりであったとしても、郷島 曜子(さとしま ようこ)の醸し出す雰囲気は日々の疲れを癒してくれる。
その優しい手と甘い声。
男を惑わす魅惑の瞳。

「ねぇ…………」

誘惑の目が潤んだように煌めく。
芝は飛び込んできた面倒な話を、一旦頭の片隅へと追いやり、しなだれる女を乱暴に押し倒した。
週に二日の逢瀬。
余計な事など考えず、没頭したい。

「あ………ん……………優しくしてよ………」

背中を覆う昇り龍に突き立てられた真っ赤な爪は、抗議の一端。
芝はそんな女の濡れた身体に沈み込み、二度目の快楽に溺れ始めた。

日々、命の瀬戸際で生きている男のセックスは執拗で激しい。
並大抵の女では相手はつとまらない。

「あっあ………!芝さん!!」

「梗太郎と呼べ。」

「梗太郎……さぁん………」

これから先────
予期せぬ災いが降りかかってくる事を、この時の芝はちらりとも考えてはいなかった。
修羅場を潜ってきた男の自信は、綻びを見落としてしまっていたのだ。

切っ掛けは一つ。
お嬢の暴走だった。

 

 

「おっはよ!清四郎。野梨子は?」

いつもの学園。
いつもの爽やかな朝である。
悠理は名輪の車から飛び降りると、姿勢正しく歩く男の背中をポンと叩いた。
普段ならば其処には必ず、おかっぱ頭の少女が付き添っている。
ほぼ毎日、そんな光景を目にしてきたため、居ないとなるとどうも不自然に感じる。

「おはようございます。どうやら今朝は頭痛がするらしく、早々に欠席連絡をしたらしいですよ。」

「へぇ~?風邪かなぁ?今、インフルエンザも流行り始めてるよな。」

「どうでしょう。放課後、様子を見に行くつもりですが、一緒に如何です?」

「うん!なんか手土産持ってってやるよ!」

「…………自分の分は別にしなさいね。」

清四郎の隣に並び歩き始めた悠理は、ふとその肩の位置の差に気付いた。

────野梨子はあたいよりもっと低いから、清四郎の顔が遠いんだよなぁ。

一般的な女性よりも背が高いこと、僻んだ経験は一度もない。
むしろ自分のスタイルは悪くない方だと思っていたし、胸はなくとも運動神経抜群の軽やかな身体は誇らしくもあった。
頭の出来については、数え切れないほど卑屈に思ってはいたが。

────清四郎は小柄な女が好きなんだろうか?

ふと胸に湧くそんな疑問。
悠理は深く考えぬまま、清四郎を見上げ、尋ねた。

「おまえってやっぱ、野梨子みたいな女が好きなのか?」

「────は?」

尋ねてから解る、質問の意味深さ。
悠理は慌てて、「あ、いや、答えなくていい」と手を振った。
しかし清四郎にとっては流せる話ではない。

「それは女性として、という意味ですか?」

「………う、うん。野梨子みたいな女は………ほら、モテるし?やっぱ……守ってやりたくなるだろ?」

“守ってやりたいのはおまえだけだ!!”

と、ここで叫べたら楽だったのかもしれない。
そうすれば───卒業を待たずして、悠理の心に想いを刻みつけることが出来たかもしれないのだ。

だが清四郎は行動に移せなかった。
いくらなんでも多くの学生達の前で、公開告白はしたくない。
遠くに見えるは美童や可憐。
後ろからは魅録の口笛が聞こえる。

────時期尚早ですな。

誤魔化すような咳払いの後、清四郎は悠理の頭をクシャッとかき混ぜ、「幼なじみを守るのは当然ですし、おまえのことだって、いつも守っているでしょう?」と微笑んだ。

「そ、そだけど………あたいと野梨子じゃ意味が違うんじゃ………」

「同じです───今のところ。二人とも僕にとっては大切な女性ですからね。」

なんという逃げ口上。
あまりの意気地の無さに辟易する。
清四郎は胸の内で唸った。

だがしかし、そんな自己嫌悪する男を見つめる悠理の頬はほんのりと紅くなっていて───おどおどと目線を彷徨わせるその姿は、まるで恋する乙女。

────悠理、まさか?
………いや、早合点は良くないな。

僅かばかしの可能性を感じつつも、決定的な確信は得られず、清四郎は何事もなかったように、その場をやりすごすことにした。

彼女が恋をするなんて想像も出来ない。
それも自分相手に………。

でも………
もし………
万が一、悠理の気持ちが少しでもこちらへ傾いているのなら、もはや躊躇うことはないだろう。
今すぐにでも手を引き、二人きりの場所へと向かい、彼女の初恋(断定)を実らせてやる。
嵐の如く渦巻く想いを告げ、どんな不安からも救い出し、一生側にいたいと暴露してやる。

清四郎は鞄を持つ手に力を込めた。
自分でもどう攻略すればいいのか解らぬ初恋。
他人の恋愛には冷静なアドバイスが出来るくせに、いざその立場に立ってみると心は乱れ、弱気になることも多かった。

「おまえにとってあたいは………犬か猿だと思ってたよ。」

「…………近いものはありますけどね。それでも、雌か雄かで言えば、雌ですな。」

「なんか、すっげぇ雑な括り!」

憤る悠理が可愛くて、どうしてもからかいたくなる習性。

「……………誰よりも“女”ですよ。」

そう小さく呟いた言葉は、幸か不幸か、魅録の爽やかな挨拶にかき消された。

放課後────

みんなで訪れた白鹿邸。
しかし野梨子に会うことは叶わなかった。

「お嬢様は朝から具合が悪く、今は誰にもお会いにならないと仰ってます。」

清四郎としては是非とも顔色くらいは見たかったが、「お医者様にはきちんと診て貰いました。」と断言されれば、それ以上なかなか踏み込めない。
仕方なく皆で菊正宗邸へと方向転換し、お茶を啜ることとなった。

「野梨子、やっぱインフルエンザかなぁ?」

「あら、それならそうとお手伝いさんが言うんじゃないの?」

「まあな。たとえ風邪でも俺らに移っちまうかも、って思ったんじゃねえか?」

「そうかもね。僕もナタリーちゃんの風邪移ったとき酷かったよ。何日寝込んだことか。人の風邪はもらうもんじゃないね。」

雑談しながらも、清四郎は野梨子の具合が気になっていた。
どうも様子がおかしい。
それはいつもの直感めいた何かだったのだが。

「せぇしろ。このお菓子旨いな。」

ヒョイと伸ばされた手が、清四郎の前に置かれた菓子皿を狙っている。
昔ならピシャリとその手を叩き落としたものだが、今はそれが出来ない。

「まだたくさんありますし……どうぞ。」

「やったぁ!」

天真爛漫。
裏表のない性格は清四郎のような男をホッとさせる。
人の裏ばかり読んできた彼にとって、悠理は唯一そんな苦労をしなくてもいい存在なのだ。
わかりやすく、愛おしい。
必ず手に入れて見せる、と決意したものの、もしそのことによって自分が彼女を変えてしまったなら、それは後悔でしかない。

どうすればこのままの悠理でいてもらえるのか。
身の内に住まう独占欲や支配欲と、どう折り合いを付ければいいのか。
清四郎には明らかな答えが見いだせなかった。

それでも他の男には譲れない。
たとえ魅録でも───

「清四郎。」

「え?あ、はい。」

声をかけてきたのはその魅録で………
清四郎は彼の鋭い眼光を目の当たりにし、ふと違和感が過ぎった。
だがそれも一瞬のこと。

「野梨子が心配か?」

「そりゃまあ……」

「あいつはおまえさんにだけなら、会ったかもしんねぇな。」

「…………そうですかね。」

「そうさ。だって野梨子が気を許してんのは………あんただけだろ?」

チクン
小さな刺が含まれている、断定的なその言葉。
清四郎はそれを感じ取った瞬間、ようやく彼の想いに考えが至った。

────なるほど、そういうことですか。

魅録が野梨子を想う───そんな可能性を考えたことも無かった。
だがこうして発覚してみると、それはとても自然なように思える。

基本、芯のしっかりとした女性に惹かれる彼が、全てを弁え、土壇場でも動じない根性を持つ野梨子を特別視しないわけがないのだ。

────いつからなんでしょうね。

もしかすると、自分と野梨子の距離感に苛立ちを感じたことは数え切れないほどあったのかもしれない。
魅録と悠理に対し、清四郎がそう感じていたように。

「信頼されているとは思いますが、それも長い付き合いですからね。でも………確かにこんな風な拒絶は初めてですな。」

「メール送ってやるか?」

「…………魅録が送ってやってくれますか?」

「え?俺?」

「僕はどうしても洗いざらい追及しそうになるので、よく煙たがられるんです。」

戸惑う魅録の目が一瞬、喜びに輝いた。
清四郎は彼のそんなところが好きだと思う。

「よろしくお願いしますね。」

「あ、あぁ。」

その日は一時間ほどで解散。
明日は野梨子も回復してるといいね───そう言いながら別れた。

その頃、野梨子は真っ暗な闇に居た。
暗く、重く、まるで墨の中に漂うような感覚。
いや、もっとどろっとした何かだ。
体の痛みが時折現実を思い出させるが、それ以外は闇の中に飲み込まれたまま。

足を捕らわれた状態では浮上出来ない。
一筋の光も見えず、一陣の風も吹かない。
これが夢ならば、どれほど良かったことか。

幾度目かも解らぬ絶望を、野梨子は痛切に感じていた。

食道が痛む。
夕べ、胃の中のものは全部吐き出した。
ひりつく痛みに何も食せず、水すら飲めない。
心配そうな母に渇いた笑みを見せることが出来たのは奇跡だ。

全身にこびりついた汚れを落とすため、浴槽には二時間入り続けた。
至る所、血が滲むまで擦り、若さに満ちた体は“いなばの白兎”のようになってしまう。

胸の中にぽっかりと開いた穴。
そこから絶望が容易く侵入する。
そして汚泥のように沈着し、腐食していく。
清く正しく生きてきた大和撫子が味わう、初めての穢れ。
それはもう─────地獄の淵に立たされるが如く、凄絶な経験だった。

 

昨日の夕方。
魅録と別れた後の記憶は曖昧だ。
いや、曖昧にしたかったのだ。
二人で本屋に行き、心がふわり、温かかったことは覚えている。

二度目の恋を自覚したばかりの相手は優しく男らしい。
野梨子は長年友人として頼ってきた彼へ、どう想いを伝えたら良いのかわからない状態だった。
言葉にすることは簡単だけれど、もし、彼が隣にいる破天荒な少女を愛していたら───
そんなことで、六人の関係は壊せない。
自分の気持ちを押し殺すことで、穏やかな平和が、楽しい日常が続くのなら、野梨子は堪える道を選んだ。

楽しい時間はすぐに過ぎゆく。
名残惜しくも魅録と別れ、人通りの少ない道を曲がった時、間の悪いことに小雨が降り始めた。

───タクシーを拾えばよかったかしら。

そう後悔し始めた頃合いだったと思う。
忍び寄る黒いワンボックスカーに、野梨子は気付かなかった。
足早に歩く自分の足音だけが聞こえていたからかもしれない。

一瞬の出来事。
天地が揺らぐ。

気付いたときには見慣れぬ車の中で───面識の無い男に羽交い締めにされ、薬を無理矢理飲まされた。
即効で感じる脱力感。
記憶は緩やかに途切れてゆく。
漢方薬のような嗅ぎ慣れぬ香りだけを残して。

次に目覚めた時、未だ真っ黒なスモークが貼られた車内に居ると解り、野梨子は軽くパニックに陥った。
だが口には布が噛まされ、叫ぶことも出来ない。
小さな車内灯が付けられた後、車は静かに停車。
外の景色は見えない。
ただ車の行き交う音すら聞こえないということは、随分と寂しい場所に居るのだろうと解った。

運転していた男が座席を跨ぎ、野梨子の隣に座った。
大柄な、おそらくは清四郎たちと同じくらいの背丈があるだろう。
腕も太く、胸板も広い。
薄いサングラスをかけたその姿から、年齢は30代と推測できた。

真っ黒のジャンパーとジーンズ。
首にはいかにもな金のネックレス。
野梨子の世界には関わってこない類の人間だった。

もう一人の男の手にはデジタルカメラ。
こちらはもう少し若いのだろう。
紺色のツナギを着ていて、整髪料の香りが鼻をつく。
こちらはサングラスじゃなく、ごく普通のマスクを装着していた。

ここまでくるともう────いやな予感しかしない。

野梨子は唾液を飲み込めない状況に息苦しさを覚えた。
しかし次に発せられた何気ない言葉には、呼吸を忘れるほど驚かされてしまう。

「“剣菱 悠理”。あんた写真よりもずっとべっぴんだな。」

─────え・・・・悠理?私が?

男がポケットから取り出した一枚の写真。
普通用紙にプリントアウトしたそれはいかにもな隠し撮り写真で、自分の横には魅録と悠理、そして清四郎が写っていた。
つい最近の光景だと判る。

首を横に振り、“違う”とアピールするも、男の思いこみは相当激しく───ニヤついた顔を近づけてくる。

「いかにも大財閥のお嬢様って感じだよなぁ。俺らとは住む世界が違うってか。」

顎を掴まれ、至近距離で吐息がかかり、野梨子はその悪臭に吐き気をもよおした。
涙目で睨むも、男は意に介さない。
自分のペースで話を続ける。

「なぁ………あんた、“松竹梅魅録”と仲良いんだって?」

魅録?
何故魅録が?

野梨子は薬の抜け切れていない朦朧とする頭で理由を探すも、それらしい事は思い当たらなかった。

悠理と間違われた自分。
魅録との関係?
この人たちは一体…………

「“とある人”がすごーーーく不愉快なんだってさ。で、こうして俺らが“説得”に遣わされたってわけ。」

とある人?
説得?

混乱に拍車がかかる。

「兄貴、そろそろ時間が……」

「うっせぇ、わあってるよ!」

首筋に這う指は、制服のリボンをあっさりと解く。
誰にもそれを許した覚えはない。
誰にも。

それなのに男の手は白磁の肌をたどり、制服の中へと侵入した。
頭かぶりを振り、必死に抵抗する野梨子だが、薬の所為で思ったように動けない。

「カメラ………ミスるなよ?」

「はい。でも兄貴…………脅すだけっすよね?そこまでしなくても……」

「馬鹿やろう。こんな旨そうな獲物前にして味見もしないなんて、男じゃねぇだろ!おまえは後から楽しませてやるから、とにかくカメラ回せ。」

「は、はい。」

そこからは、まさしく悪夢だった。
永遠かと思われる時間、男は白く透明な肌を嬲り、余すとこなく舌で味わった。

声を出せないことで苦しみは倍増する。
かさついた大きな手が野梨子の足首を掴み、そして乱暴に割り開く。
タイツは破られ、口に出すのも恥ずかしいくらいの姿を、男はカメラにおさめさせた。

「やっぱ………ホンモノのお嬢さんはたまんねぇな。どこもかしこも綺麗で……匂いすら甘い。」

「そんなにも違うんすか?」

「そりゃ、その辺の女とはひと味もふた味も違うぜ。」

野梨子はいっそ気を失いたかった。
それも出来ぬのなら舌を噛み切りたかった。

─────清四郎……………魅録────

頼りになる男達の名が脳裏に浮かぶ。
カメラのフラッシュが瞬く度、清らかだった体は汚れていくような気がした。

実際そうなのだろう。
男は鼻息荒く、野梨子の秘部を弄んでいた。
下着の中へ無遠慮に差し入れられた指。
掻き回される違和感と痛み。
強く握られた足は力なく広げられる。
狼狽していたはずの男も、ゴクリと唾を飲み込んだ。
空気を震わせる興奮が、野梨子の肌へと伝わる。

「さ、最後までやっちまうんすか?」

「そりゃ、ここまで来たら────なぁ?」

涙も枯れ、大きな瞳も力なく伏せられる。
諦めではない。
逃避だ。

そうして野梨子の意識は闇の中へと遠退いていった。

これは現実なんかじゃない。
夢なんだ。
目が覚めたら、そこは温かな布団の中で、いつもの眩しい世界が広がっているはず。
また仲間達の笑顔を前に、爽やかな挨拶が出来るはず───

彼女はひたすら──────そう信じていた。