夏休み期間中、外部受験生に向けての夏期強化合宿があると知ったのは、終業式前日の事。
他人事である悠理は、それをさらりと聞き流していた。
三泊四日で組まれたカリキュラム。
場所は、都内から車で二時間ほどのところにある自然に囲まれた白い建物だ。
そこをわざわざ購入したのは理事長であるミセス・エールと学園長である甥っ子。
無論、独断である。
夏休みは体育会系クラブも利用するため、広い敷地にはテニスコートや屋内型プール、小さな陸上トラックも完備されていた。
長く宿泊出来るよう部屋も細かく分かれ、快適に作られている。
この学園の外部受験生は少ない方だが、それでも30人は下らない。
それぞれの担当科目の教師が引率することになっており、もちろん清四郎もその一員だった。
「悠理も行くんですよ?」
「は?あたい外部受験しないじゃん。」
「一人でここに残していっても、どうせ勉強しないでしょう?」
「うっ・・・」
図星である。
「それに、目の届くところに居て欲しいんです。」
「え?」
「君は何をしでかすか解ったもんじゃありませんからね。夜遊びやら何やらで・・」
期待した言葉でなかった事に、悠理はムッとした。
しかし・・・
『期待?』
ふと自分の胸の内を探る。
『・・・あたい何て言って欲しかったんだ?』
『まさか・・甘い言葉を欲しがってんのか?』
清四郎は、悠理のくるくると変化する表情を面白そうに眺めていた。
『すこぶるいい反応だ』と頷きながら・・・。
教師であり年長者でもある清四郎にとって、悠理の考えていることは手に取るように解る。
単純で素直で、それでいて我儘で・・子供をそのまま大きくしたような悠理。
だけど時折ハッとするほど鋭く、そして美しく、それが汚れを知らぬ心から導かれたものだと知った時、自分が忌まわしいほど汚らしく感じた。
どれだけ悪ぶっていても、彼女の精神構造は同じ年の生徒達とは違う。
どれだけ身体を大人にしても、彼女の中枢は変化することがないのだ。
清四郎はそれがとても貴重だと感じていた。
そう思う反面、汚したい欲望も確かに存在する。
それは根底に巣食う「雄の本能」。
抗うことの出来ない、罪深き欲求だった。
「あたい一人でも勉強するぞ?」
「・・・ダメです。」
「信じてないのかよ!」
「僕が寂しくて、気になって、仕事どころじゃなくなるから、ダメです。」
清四郎は諭すように告げると悠理の頬をそっと撫でた。
「あ・・・」
ソファに並んだ二人の影が一つに重なれば、瞬く間に大人しくなる。
「・・・僕の側に居なさい。良いですね?」
「・・・うん。」
当たり前の様にキスを交わし、当たり前の様に身体を繋ぐ。
悠理にとっても、たとえ数日とはいえ、この心地よさが失われることは辛いのだ。
「せんせぇ・・・」
「ん?」
「合宿先でも・・こんなこと・・すんの?」
「さぁ?どうして欲しい?」
「・・・・・シテ?」
甘ったるい声は清四郎の情動を刺激する。
「良いですよ。・・・夜中に忍び込んで来なさい。たっぷりと可愛がってあげますから。」
教師と生徒の境界線よりも、今は男女としての結びつきを大切にしたい。
清四郎はそんな自分勝手な考えに逆らわぬまま、悠理の身体を押し倒した。
青々とした空の下。
合宿施設には全部で33人の生徒が集まった。
その中に外部受験を希望している黄桜可憐と白鹿野梨子の姿もある。
二人は互いに顔を合わせても滅多に口をきかなかったが、社交性のある可憐はすぐに合宿参加者と打ち解けていた。
この3泊4日は私服を持ち込んでもOKな為、人一倍気合いが入っている彼女。
豊満な身体は早速白いワンピースに覆われていた。
「あら?剣菱さんって外部受験なの?」
問題児悠理に目を付けた可憐は、すかさずその真相を聞き出そうと駆け寄って来る。
どんな些細な情報も自分の耳に入れておかなくては、気が安まらないタイプなのだ。
「あ・・・いや、ちょっと先生に無理矢理参加させられちゃって・・。この間のテスト、すげぇ悪かったからさ。」
「そんなに悪かったの?」
「う、うん・・・0点採っちゃったんだ。」
呆れた様子の可憐は、それでも朗らかに笑う。
「すごい!!逆に清々しいわよ。何の教科で0点?・・・ってまさか!」
「うん・・そのまさかだよ。」
「数学??菊正宗先生の教科で0点採ったの?」
目をまん丸にして驚く。
悠理は「そんな顔も美人だな」と見つめていたが、次の発言にはこっちが目を剥く番だった。
「ねえ・・もしかして、剣菱さんも菊正宗先生狙いじゃないでしょうね?気を引こうって魂胆じゃ?」
「は・・・はあぁ??」
「ここだけの話。今回の合宿、女子の参加者が多いでしょ?あれ、みんな先生狙いなの。」
それは初耳である。
悠理はオリエンテーションの為に集まった生徒達を見渡す。
確かに女生徒は多いには多いが・・・。
「それにほら、男にもモテるらしいのよ。見て、あの合唱部の男子なんかは菊正宗先生のファンクラブ筆頭よ。」
「うげぇ!」
悠理は思いっきり舌を出す。
確かに清四郎のクールな表情や、涼しげな目元、スーツに覆われた逞しい身体つきは、
万人が納得する魅力を備えているが、だからといって、男にまで・・・
ぞっとする話である。
「で、どうなの?興味ないの?剣菱さんっていつも、あたし達の恋ネタに食いついて来ないじゃない?
もしかしてすっごく大人な彼氏でも居るんじゃないかって、一時期噂してたのよ。」
「彼氏!?あたいに!?」
驚くのも無理はない。
まさかこんなにも女子力の高そうな可憐に「女認定」されていただなんて思いも寄らなかったのだから。
「剣菱さんってなにげに美人よね。スタイルは・・・まあ胸はないけど良い方だし。それに何だろう。
最近すごく綺麗になったわ。もしかしてエステにでも通ってる?」
美の追究に熱心な可憐の視線が鋭く光る。
「してない、してない!んなの興味ないもん。」
「あら、じゃあ気のせいなのかしら。でもほんと皆で話してたのよ。大人っぽくなった・・って。」
『嘘だろう??』
悠理は混乱していた。
確かに清四郎と毎日のように身体を繋げているが、自分では何も変化していないように思っていた。
心の変化はともかく、胸もさほど大きくなってもいないし、尻も膨らんでない。
可憐の指摘する「大人っぽさ」って一体何なんだろう・・。
自分の身体を見下ろしながら、首を捻る。
「し、身長でも伸びたかな・・」
「え?成長期、まだ終わってないの?」
「・・・・わかんないけど・・。」
可憐は悠理の全身を舐めるように見つめながら、そっと笑った。
「あたし、折角同じクラスになったんだし、剣菱さんとは仲良くなりたかったの。これから’可憐’って呼んで?
あたしも’悠理’って呼ぶから。」
「・・あたいと仲良く?」
「あら、おかしい?剣菱さんと友達になりたい女の子、たっくさん居るのよ?」
目を白黒させる悠理は、そろそろキャパシティの限界だった。
取り敢えず「うん」と首を縦に振ることで可憐から解放され、ようやく一息吐くことが出来る。
「・・・黄桜って、あんなにも強引なキャラなんだな。」
迫力ある美人に言い寄られ、なんとなく気分が良い悠理であった。
合宿での授業はきっと、ちんぷんかんぷんだろうと思っていたが、悠理は解る部分が見当たる事に驚きを隠せないで居た。
『あ・・これ、この間教えて貰ったヤツだ。』
『これも・・・確か何回も間違えてたけど、ようやく解けた問題じゃん。』
授業について行けるという事は、悠理にとって初めての経験。
思わずホワイトボードの前に立った清四郎を見つめる。
夏休みということもあるのだろう。
いつもは第一ボタンまでしっかり留めているくせに、今日は第二ボタンまで外し、更に腕まくりまでしている。
『色気ダダ漏れじゃんかよ・・』
そろっと周りを見渡せば、女生徒達は清四郎が書いたホワイトボードの公式ではなく、本体に視線が釘付けだ。
それもたくさんのハートを飛ばしながら・・・。
途端、悠理の胸に、もやもやとした灰色の感情が膨れあがる。
それは明らかに嫉妬なのだが、彼女にはいまだハッキリと見えてこない。
『くそ・・。』
鉛筆を囓りながら、ノートを指で叩く。
あまりの苛立ちに、とうとう足でも床をノックし始めた。
そんなどうしようもない状況下で、一人の生徒が突如手を挙げ立ち上がる。
「先生、質問よろしいでしょうか?」
それは学年一、強いては学園一の成績をキープしている白鹿野梨子であった。
「はい、どうぞ。」
清四郎に促されテキパキと質問を重ねる野梨子を、周りの生徒達は感嘆と共に見上げる。
というか・・何故、彼女ほど優秀な人間がこの合宿に参加しているのか・・・。
やはり噂は本当なのだろうか。
想いを寄せている男子生徒達は、その事実から目を背けたかったがそれも難しいと悟る。
何故なら・・
野梨子のその黒目がちな瞳はいつになく真剣で、心なしか頬まで紅潮しているからだ。
それは恋する乙女の表情。
誰が見ても同じ感想を抱いただろう、想いに蓋が出来ていない少女の顔だった。
悠理の視界にフィルターが落ちてくる。
清四郎が異常にモテるという現実を、彼女は想定していなかった。
まさかそんなモテモテの男に言い寄られているなんて、現実的ではないように感じる。
バカで、不良で、おっちょこちょい。
その上ちっとも女らしくもないのに・・・。
それでも清四郎の「愛の言葉」を信じたいという気持ちはある。
リスクを抱えながらも悠理との将来を考え、導こうとする男を思い浮かべると、心がじんわりと熱くなっていく。
『これって・・・』
教壇に立つ男を見つめる。
難解な言葉を話しながら、それでも実は生徒一人一人の反応を見ている。
あの唇があんなにも甘い言葉を吐くなんて、誰も想像していないだろう。
『あたいだけのもんだ。』
悠理の中で小さな炎が灯る。
『せんせいは、あたいだけの男だ。』
そう胸の中で断定すれば、それはとてもしっくりと落ち着いた。
『先生が好き。絶対に誰にも渡したくない。』
小さな嫉妬は独占欲を生み出し、悠理の恋心を瞬く間に成長させる。
そしてようやく、男の愛を受け入れる覚悟を決めたのだ。
彼女の性格は猪突猛進。
恋を自覚した女の暴走は、清四郎も想像出来ないほど激しく燃え広がることとなる。
朝から6時間の授業を受け、当然ながら疲労困憊の悠理だったが、広々とした大浴場はとても気持ちよく、心なしか疲れが半減したように思えた。
3人一部屋の寝室。
何故だろう・・・この組み合わせ。
黄桜可憐、白鹿野梨子両名と同室になってしまった。
「うふふ!剣菱さん・・・あ、悠理と同じ部屋だなんて嬉しい!」
ウェーブヘアを翻し、可憐は上機嫌に微笑んだ。
「ねえ、白鹿さん。私、窓際でいい?」
「どうぞご自由に。」
振り返りもせずに答える真面目な野梨子は、言わずもがな『可憐』のようなタイプが苦手だった。
無論、『悠理』も。
「じゃあ、あたいドアに近いところでいいよ。白鹿は真ん中、な。」
実家のベッドよりも、清四郎の家のものよりも硬いマットレスは、あまり寝心地が良いとは言えないが、
肌触りのよい白いシーツだけは好ましい。
「ねえ、白鹿さんはどうしてこの合宿に参加したの?いっつも成績はトップよね?」
可憐は話題を振り、真相を探ろうとしたが、野梨子は一瞥しただけで「特に理由はありませんわ。」と答えた。
『感じ悪~い』
ペロリと舌を出しながら、悠理に目配せする。
苦笑した悠理は、丁寧に着替えを畳み続ける白鹿野梨子の横顔をまじまじと見つめ、
『すっげぇ美人だよな。こいつって。』と今更ながらの感想を抱いた。
肩まで伸びた黒髪はくせがなく、真っ直ぐに切りそろえられている。
白い肌に赤い唇。どのパーツもハッキリしていて、それら全てが整っている。
「男どもが憧れるのも解る」と悠理は納得し、ふと昼間の清四郎を思い出した。
野梨子の質問を感心したように受け止め、丁寧に説いていく様はどこか嬉しそうに見えた。
悠理には到底出来ない芸当だが、清四郎はきっとああいった女に手応えを感じて喜ぶタイプなのだろう。
『その上、こんな日本人形みたいな生徒に好かれたら、そりゃ嬉しいだろうな・・・』
目の前の二人に比べ、自分の魅力に全く自信が持てない悠理。
だからといって、清四郎の言葉を疑っているわけではない。
彼の言葉には真実味があり「想われている」と深く実感できるのだから。
悠理は頭を左右に振ると、勢いよくベッドに横たわった。
「おやすみ!」
時計はまだ9時を過ぎた辺りだったが、それに異を唱える者はいない。
それほどまでに昼間行われた授業がハードだったのだ。
「あたしも寝るわぁ・・明日も早いもの。・・・おやすみ!」
「おやすみなさい。」
野梨子も倣って布団に入る。
『最低限の挨拶をするだけまだマシね。』
可憐はふっと口元を緩め、ナイトスタンドの灯りを消した。
・
・
・
二時間後。
悠理は携帯のバイブレーションで、浅い眠りから起きる。
それはメールが届いた合図。
『そろそろおいで。305号室』
その文字に心を浮き立たせながら、そろっと布団を捲り、静かにベッドから抜け出した。
扉側を選んだのも、こういった理由。
細心の注意を払ってはいるが、やはりキィと軋む音がして心臓がバクバクした。
廊下には足元灯だけが点々と続く。
悠理は早足で静かに駆け抜けた。
階段に辿り着くと、二階分の段をこれまた勢いよく駆け下りて行く。
こんなにも胸がわくわくすること・・・初めての集会の時を思い出すじゃないか。
『イケナイ事をしている』という背徳感。
先生に会えるという充足感。
そして、あの腕に飛び込んでいけるという幸福感。
恋に落ちた悠理の胸を、これらが甘く満たしてゆく。
空も飛べるんじゃないか・・・そう思うほどステップは軽かった。
部屋に辿り着くと、小さな隙間が光の筋を零していた。
よくよく見ればドアストッパーが挟まっている。
悠理はそろっと扉を開け、忍び込むように部屋へと入った。
もちろんストッパーは引き抜き、完全に扉を閉じる。。
「せんせい!」
「しっ・・・」
「?」
「隣も教師の部屋なんですよ。」
「うそ・・・!」
「まあ、しこたまビールを飲ませておきましたから、そう簡単に起きることはないでしょうが。」
しらっと告げる清四郎は、やはりどことなく黒い。
悠理は共に生活するようになり、さすがにそれを実感し始めていた。
「先生も飲んだ?」
「僕は一杯だけ。あとはウーロン茶で誤魔化しましたよ。」
「ふふ・・先生ってかなりワルだよな。」
にやりと嗤う女の手を掴む。
「誰がそうさせていると?」
「あたい?」
「当然でしょう。早くおまえをこの部屋に呼びたくて仕方なかった・・・。」
情熱を押し殺した清四郎の指が、悠理の手首から上へとゆっくり滑っていく。
「さあ・・・脱いで。僕に身体を見せなさい。」
悠理は言われた通り、薄いTシャツを脱いだ。
下着を着けていない肌が露になる。
あとはショートパンツだけ・・・。
さすがにもう、羞恥は感じない。
だが、こうして隣室へと意識を飛ばしながらの行為は初めてのことで・・・。
「せんせぇも脱いで?」
小さく囁く声はすっかり欲に塗れているというのに・・・
悠理は殊更ゆっくりと清四郎のシャツを脱がし始めた。
「今日はあたいが上で良い?」
「・・・良いですよ。声を押し殺しながら自分で感じなさい。」
その蠱惑的な誘いにうっすらと微笑んだ悠理の表情は、清四郎の心を妖艶に魅了した。
禁断の夜は、こうして更けていく・・・。