本編~第二話~

 

裏社会を極めた男達が集うその日。
武富麻雪(たけとみ まゆき)は突然すぎる衝撃に顔をしかめ、胸を手で覆った。

それほどまでに激しい引力で惹きつけられる。
ピンク色の髪と鋭い眼光。
野性的な男らしい顔立ちはそれでも美しく整っていて、どことなく気品を滲ませている。

数多の男を見てきた麻雪。
過去、ここまで心を震わせる相手に出会ったことはない。
一目惚れ……というのなら、これ以上のものは無いと誓って断言出来るだろう。

「あの人………どんなことをしても………手に入れたいわ。」

周りの喧噪は耳から消え去り、ただ一点のみを見つめる。

喪服など似合わない。
でもそのストイックな姿の裏に隠された本性を知りたくて、胸が高ぶる。

────まさか、こんな場所でこんな出会いが待っているなんてね。父に同行して良かったわ。

麻雪はそっとほくそ笑んだ。

屈強な男達を顎でこき使ってきた彼女は、もちろんそれが許された立場だ。
多くの部下を持つ父は、横浜で最大の組を統べる伝説の男。
昔は相当な暴れぶりだったらしいが、母と結婚してからは、それも少しは落ち着いたと周りの人は言った。

麻雪は父が好きだ。
父のような男と結ばれ、そして組の更なる発展に貢献したいと考えていた。
命知らずな男は大勢いる。
まだ19ながらも幾度も口説かれ、その都度軽く袖にし、あしらってきた。
心に響く男などそうそう居ない。

三年前他界した母は、父を愛し抜いていた。
出会った瞬間からこの男と結ばれる、と直感したらしい。
そんな二人の娘に生まれ、自分もまたそのような恋に落ちるのだろうと確信にも似た予感があった。
だからその日までは、そう簡単に手を打たない。
打てないのだ。

父が敬愛してきた菊翁の葬儀でこうして出会えたのは運命のようなものだと感じる。
自分を可愛がってくれた祖父が如き存在の菊翁が、きっとあの世から巡り合わせてくれたのだ、と。

せめて名前を聞こう。

参列者がひしめき合う中、麻雪はその男の元へ小走りに駆け寄っていった。
人混みの中でもその髪色のおかげで見失うことはない。

だがあと数歩………というところで、彼は車の中から声をかけられ、その女と共に走り去ってしまう。

────誰?親しげな女。

直ぐ様、ボディガード兼若頭の“芝 梗太郎(しば  きょうたろう)”に調べさせた。
後々、車のナンバーから割り出せたのは、あの女が剣菱財閥の令嬢だということ。

密な空気感。
もしかして────デキてる?

嫌な予感に胸がざわついた。
だが、たとえ何者であろうと麻雪には関係ない。

 

「芝。」

「はい、お嬢。」

「参列者の中にピンク色の髪をした男がいたでしょ?」

「ええ。目立ってましたね。」

「調べて。出生、そして交友関係も全て。」

「……………気に入られたんですか?」

「余計なことよ。さっさとしなさい。」

「かしこまりやした。」

芝は父が認めた優秀な部下だ。
きっと思った以上の成果をあげてくるだろう。
もし、あの男に女が居たら────

「そんなの、退場願えばいいだけの話だわ。」

麻雪の中の冷たい氷がカランとひび割れた。

「野梨子、おはよっ!」

「悠理。おはようございます。いい天気ですわね。」

「へへ。でも寒いだろ?今日は石狩鍋セット持ってきたじょ?お昼、楽しもうぜ。」

登校する生徒で賑わうロータリー。
いつものように多くの高級車が列を成す中、大きな風呂敷片手に佇んでいるのは、執事である五代だ。
これまた、珍しくもなんともない光景。
目に入れても痛くないほど可愛がっている彼女の我が侭を、老人自ら聞き届けているのだから、こういった姿も見慣れたものである。

「五代さん。私が持ちますわ。」

見るからに重そうな荷物を、野梨子が手を差し伸べ助けようとするも、遙かに長い腕が現れ、老人の手から瞬時に風呂敷をすくいあげた。

「僕が持ちましょう。」

「清四郎!」

「清四郎どの。」

彼は、老人の曲がりかけの腰を労りながら、悠理に自分の鞄を押しつける。

「なんだよぉ。」

「こんな重い土鍋、お年寄りに持たせるだなんてどうかしてますよ。」

「だって五代が、あたいだと落として割っちゃうからって…………」

「なるほど。“がさつ”ですもんね。それも一理あるか。」

深々と頭を下げ、名輪の車へと戻ってゆく五代。
三人は爽やかな空気の中、歩き出した。

「石狩鍋だからさ。とっておきの日本酒出そうよ!」

「午後からの授業、酒の匂いを漂わせながら受けるつもりか?」

「えーいいじゃん。わかんないって!」

「私は絶対飲みませんわ!」

「僕も飲みませんよ。」

「ちぇ。付き合いわりぃの!」

無法地帯であるとはいえ、さすがに昼から酒盛りは良くない。
悠理にもそのくらいの常識は持ち合わせて欲しいものだが───

清四郎が人知れず溜息を吐いていると、背後から煌びやかな二人がその背中を叩いた。

「おはよっ!朝から大荷物じゃない?何持ってんの?」

「土鍋ですよ。」

「あら、良いわね。今日はいつもより寒いもの。これって悠理の機転?」

「へへん。そだよ。」

可憐に誉められ、満面の笑みを浮かべる悠理。
そこへ魅録が駆け足で合流し、いつものメンバーが全員揃った。

行き交う生徒たちは憧れの視線を投げかけ、感嘆の溜息を吐く。
彼らをこうして見つめる時間もあと僅か。
六人が居なくなった後の学園を想像すれば、とてもじゃないが同じ学び舎とは思えない。
他に類を見ない個性の彼らが、この先現れないと理解しているからこそ、寂しさもひとしおなのである。

「あと何回くらい、鍋出来っかなぁ。」

それは思わず洩れ出た一言。
この呑気な学園生活にも終わりが見えている。
呑気で、
平和で、
そしてたまに刺激的だった高校生活。

下駄箱付近でポソッと呟いた悠理の頭を、魅録がくしゃりと掻き毟った。
伊達に長く付き合っていない。
彼女の気持ちが手に取るように解った。

「何、しんみりしてんだ。まだクリスマスも終わってねぇぞ。」

魅録の言葉に、沈んでいた目を輝かせる悠理。
素直な、そしてその切り替えの早さは長所でしかない。

「うん。そうだよな!あ、今年のクリスマスは、皆でロンドンにいこーぜ。世界一派手なロックフェスティバルがあるんだ。」

世界中から集まるトップアーティスト達。
プレミアが付いたチケットは、もちろん最大限にコネを使い、手に入れたものだ。
魅録と二人分。
彼の喜ぶ顔が見たくて。

しかし───

「へぇ………悪かねぇな。…………ま、考えとくぜ。」

基本ノリの良い魅録が、その時は何故か口澱んでいた気がする。
悠理はそんな些細な変化に気付いたが、敢えて問いただそうとはしなかった。

────ここ最近、魅録は変だ。

野生の勘が光る。
だが何が理由かまでは想像つかないのも彼女ならでは。

まさか親友が恋に落ちているなんて───

時折見せる切なげな表情には気付いていたけれど、その先にある真実にまではたどり着いていなかった。

「ロンドンですか。悪くないですね。」

大荷物を部室に置いた清四郎が、開口一番発した言葉はそれだった。
どうやら二人の会話を聞いていたらしい。
悠理は彼の分の鞄を机に置くと、驚いたように首を捻った。

「おまえ、ロックコンサート、好きじゃないよな?」

「ええ。でもロンドンは好きですよ。最近ご無沙汰だった【大英博物館】にも行きたいと思ってましたし。」

「ふん。あたいは行かないぞ?野梨子に付き合ってもらえよ。美術館も博物館も懲り懲りだい!また変な騒動に巻き込まれるのはごめんだかんな。」

思い出すはイタリアでの過去。
嬉し楽しの修学旅行で起きた大騒動は未だ記憶に新しい。

「………どちらかというと、おまえの手癖の悪さが発端だと思いますがね。」

「ぐっ………」

言葉に詰まる悠理には、もちろん心当たりがありすぎる。
濡れ衣──などではなく、あれは紛れもなく犯罪だった。

「それはさておき………菊翁親分の葬儀はどうでした?何もトラブルは無かったか?」

「うん。あたいは焼香して直ぐ車に戻ったからあんまり良く知んないけど、母ちゃんは何も言ってなかったし、大丈夫だったんじゃないかな。」

「あれほどの組織を束ねていた人物ですからね。もちろん………不穏な輩も居ないとは限らない。まあ、無事で良かった。流れ弾にでも当たったら洒落になりませんし。」

清四郎の手が、不意に悠理の肩へと置かれる。
大きな手の温もりが制服越しに伝わってきて、それがどうにもくすぐったい。

「心配、してたんだ?」

「当然でしょう。」

親よりも口うるさい男だけれど、清四郎は基本的に優しい。
時々突き放した発言もするが、たとえどんなことがあっても最後の最後には助けてくれる。

悠理はそう信じていた。

「…………さ、そろそろ授業だ。行きましょうか。」

離れてゆく手が、ちょっとだけ寂しいと感じ、思わず縋るように頭をくっつける。
彼の腕に───まるで猫のように。

「悠理?」

「…………あとちょっと、だよな。ここも。」

“学園”を意味すると解り、清四郎も立ち止まる。
彼女なりの感傷は、言葉よりもずっと深いものだと清四郎は気付いていた。
誰よりも此処を愛しているのは、悠理だ。
寂しがり屋な一人の少女。
大学部へ上がってからの変化を不安に思っているらしい。

「まだまだ………時間はありますよ。それに………僕たちはあと四年、共に過ごすことを許されている。いや………下手すればもっとか。」

「…………え?」

不思議そうに顔を上げた悠理が、清四郎の不敵な笑みを目の当たりにする。

「おまえに付き合っていると、どんなトラブルに巻き込まれるか解りませんからね。こっちは元々留年覚悟でいますよ。」

「清四郎………」

「さ。しんみりしないで、勉強勉強。一応卒業前に試験もあることですし、頑張りなさい。」

大きな掌がいつものように悠理を慰める。
それは魅録と同じ行為でありながら、どこか違った安心感。
親よりも確かな───温もり。

「せ……しろ………」

「ん?」

「…………いや、何でもない。さ、行こ!」

喉まで出かかった台詞はあまりにも恥ずかし過ぎて、悠理は無理矢理飲み込んだ。

───ずっと一緒にいて。

そんなの、まるでプロポーズじゃないか。

悠理にはこの男の価値が解っている。
昔から……………
それはもう、初めて同じクラスになったときから、ずっと。

だけど、これが恋かどうかまでは解らない。
友人としてならワガママも言い放題で、多少の迷惑だって許してくれる。
でも恋人にはきっと、色んなモノが求められるだろう。
知性、教養、慎み───
そして何よりも彼にとって価値のある女でいなければならないこと。
清四郎はそこら辺にいるような甘い男では決してないのだから。

今は、友人だから面倒をみてくれている。
多少のデメリットも飲み込んで、悠理を楽しませてくれている。

昔はそれだけで充分だったはずなのに───
いつの間に、それ以上のものを求め始めていたのか。

悠理は戸惑いの中にいる自分を、消化しきれていない。
清四郎を手放したくない我が侭を、果たして本当にぶつけていいものか、迷っていた。

いつまでも変わらぬ友情。
いつかは変わってしまうかもしれない愛情。

どっちも不確かで、
どっちも捨てがたい。

ただ一つの本当は……………

清四郎の側に居たい。
それだけ。



その日の放課後。
野梨子は本屋に立ち寄るため、清四郎と別行動をしていた。
彼は道場に向かうと行って早めに下校。
近々大会が控えているらしい。
いつもの倍以上の特訓を自らに課していた。

「俺もバイク雑誌買うから。」

そう言って、魅録が隣を歩く。
プレジデントの学生らしからぬ髪色も、今はちっとも気にならない。
中学生の頃なら考えられなかったろう。
彼のような男と肩を並べ、街中を歩くことを。

野梨子は昔の自分を思い出し、少々恥ずかしくなった。

「魅録は、変わりませんわね。」

「なにが?」

「スタイル……というか、生き方というか。ブレないとでも言えばいいのかしら。」

「野梨子は変わったよな。“何なさるの!”って痴漢扱いされたことは、今でもよく覚えてるぜ。」

悪戯っ子のように笑われ、またしても頬が染まる。
愚かだった過去の自分。
長い間、こんなにも大切な宝石を見過ごしてきたのだから、当然自己嫌悪に陥る。

「魅録と…………いえ、他の皆とも出会えて、本当に運が良かったんですわ。わたくし、ずっと殻に籠もってきましたから。」

「清四郎が居たからな。」

「ええ。………あの頃、清四郎から突き放された時、初めて孤独を感じましたの。でも自分の何が悪いのか解らなくて、心細かったですわ。」

過去の苦さを思い出す野梨子の儚げな表情に、魅録は思わず見惚れていた。
基本、芯の強い彼女が片意地を張って過ごした何年間。
自分たちと知り合ったことで確かに丸くなってきたのだろう。
最近見せる笑顔は本当に花のようで、昔のような刺々しさがない。
それが恋心の所為かどうかまでは、さすがに解らないが────

「本屋の後、お茶でも飲まねぇか?」

「………美味しい紅茶専門店を知っていますの。其処でよろしくて?」

「ああ。」

二人は肩を並べて歩く。
大きな男と小柄な彼女。
髪の色は違えど、醸し出す雰囲気はほんのりと温かく、行き交う人の目にも自然に映った。

まるで長年付き合っている恋人同士かのように。

 

 

だが────

そんな彼らを静かに見つめる、四つの邪悪な瞳。

黒塗りのワンボックスカーが、距離を置き、あとをつけていた。

いつもの魅録なら気付いたかも知れない。だが彼は恋に落ちていて、鋭いはずのアンテナも若干錆びていたのだ。

その日、野梨子は…………
地獄の釜へと引きずり込まれ、気高き心を踏みにじられることとなる。

たった一つの誤解を発端として────