前置き
この作品は、サイトの読者様でもある若菜様のご友人の提案をアレンジしまくった上で、書き綴ったものです。
内容は少しダークですが、最終的にはハッピーエンドとなりますのでご安心下さい。
いつもののほほんラブ・・・という感じではありません。
少々重苦しい進行な上、暴力的なシーンなど登場することもございます。
苦手かも・・・と思われる方は早めに離脱して下さい。
─────壱
菊翁文左衛門の訃報は、全国に散らばるヤクザにとってあまりにも大きな衝撃だった。
彼の目と耳は、日本のあらゆるコネクションと繋がりを持ち、時には味方に、時には敵に───杯を交わした者でさえ、その逆鱗に触れれば、生きて寿命を全う出来なかったと言われる。
葬列は800人とも1000人とも報道されたが、実際は警察の手で留められ、およそ500人の参列者のみ焼香を許された。
その中にはもちろん、松竹梅魅録や剣菱百合子の顔があり、マスコミは繋がりの複雑さに顔をしかめつつも結局は公表出来ず、記事に書き記すことも無かった。
上層部からの圧倒的な力が働いたのだろう。
記者とて命は惜しい。
お騒がせ一族の交友関係に口出しすれば、翌日には僻地へ飛ばされること間違いなしだ。
魅録は手を合わせ、深くお辞儀をした。
いつもの制服ではなく、きちんとした礼服を着て。
さすがに学園の象徴である詰め襟で参列は出来ない。
彼のピンク色の髪は当然目立っていたが、特に口出しするものは居なかった。
巷でも、魅録を評価するヤクザは多い。
だが菊翁ほど本気で極道の道へ導こうとした存在はいないだろう。
自分が死んだ後、群雄割拠の如く荒れ始める東京を、信頼に値する誰かに委ねたかったのかもしれないが、その望みは叶うことなく彼はこの世から去った。
年から考えれば大往生。
しかし彼の心残りは、想像に余りある。
穏やかな死に顔からは読み取れるはずも無いが・・・・・。
・
・
「よっ!」
「悠理か。」
「乗ってくだろ?」
「助かるぜ。」
彼の親友は二人居て、其の内の一人は女だ。
もう一人は………好敵手とも言えるため、純粋さは半減する。
悠理だけは裏も表も探る必要がなく、心地良い関係を築ける人物なのだ。
魅録はその貴重さを思い知っている。
一生、真の友で居られる相手は悠理だけ。
無論、他のメンバーも大切だが、彼女との付き合いだけは決して崩れることがないと信じているし、たとえ互いに恋人が出来、家庭を築いても、この友情だけは不変であるとの確信があった。
事実、彼は今、片恋に悩んでいる。
チチの時と同じで恋と呼べるかどうかは解らないが、とにかく気になる相手が出来たのだ。
たとえ硬派と呼ばれてはいても、彼もお年頃。
恋に悩んだとておかしくはない。
そしてそのお相手は、自分と生き方も性格も違う生粋のお嬢様。
日本全国探してもこれほど純粋培養された娘は居まい。
美しさと教養。
そして全てに置いて花を思わせる仕草。
釣り合わないと分かっていても、止められないのが恋心。
だからこそ厄介なのだ。
昔から野梨子は清四郎を好きだと思っていた。
美童は「極度のブラコン」と位置づけたが、恋愛に疎い魅録にその違いはわからない。
とにかく彼女の世界には清四郎が必要で、自分など歯牙にもかけてもらえぬだろうと諦めていたのだ。
しかし最近───
気のせいかもしれないが、視線がよく絡む。
お茶を差し出す手と触れたら、何故か緊張が走り、頬が熱を持つ。
互いに。
その鈍い痛みを伴う甘い感覚は、南の島で経験した仄かな想いと同じ。
あの時の、美しく責任感の強いお姫様は、風の噂で地元の有力者と結ばれたという。
めでたいことだ───今は素直にそう思えた。
たとえ野梨子が魅録に恋をしていなくても、立ちはだかるは、誰よりも強く賢く、そしてプライドの高い男だ。
彼は魅録にコンプレックスを抱いているらしいが、魅録も彼同様の劣等感を常々感じていた。
それでも友人であり続けられるのは、尊敬という名の緩衝材が常に二人の前に横たわっているからである。
魅録はつくづく思う。
万が一、もしも、清四郎が野梨子を好きだとしたら、その最大のライバルを一体どうやって始末すればよいのか、と。
彼らの中に割り込むには相応の覚悟が必要。
だいたい、あんな男に惚れられたら野梨子とて悪い気はしないだろう。
ただ、今の段階では自分に分があるように思うだけのことで………
────やっこさんとは、やり合いたくねぇな。
それは果たして本音だろうか。
本当はあの出来過ぎな男を打ち負かしたい、そう思っているのではないか?
魅録は男のプライドと友情の狭間で揺れ動いていた。
恋が絡むと……なかなかどうして、難しい。
「自宅に送ろうか?」
車に乗るなり沈黙した親友を、悠理は覗きこむ。
彼と老人の関係は悠理ももちろん聞いていたし、何よりもあの母が仲良くしていた相手だ。
そんじょそこらの爺でないことくらい理解していた。
そしてそれに伴う喪失感の深さも。
「わりぃ…………一杯、つき合ってくれるか?」
「………うん。」
親友の心を察し、二つ返事で頷く悠理。
結局は一杯に留まらず、深夜遅くまで馴染みの店で飲み続けた。
故人に対する哀悼の意味を込めて───何度もグラスを交わす。
心を預け合える二人に、まだ見えぬ闇は静かに近付いていた。
・
・
長年友人で居ると、たとえ恋をしても口に出しにくいものである。
心地良い関係を崩すリスクはあまりにも高く、かといって今更距離を広めるわけにもいかない。
互いをよく知るからこそ、相手の魅力にノックアウトされてしまうのも必然と言えば必然。
男女合わせて六人。
友情の垣根を越えれば、其処から一体どうなるのか?
切れ味鋭い魅録とて、その回答を得ることは出来ないでいた。
存外真面目な彼は、恋と友情について悩んでいる。
白鹿野梨子嬢への想いと、彼女に付随する厄介な男。
尊敬するが故、争いたくはない。
かといって、負けるには少々プライドが邪魔をする。
清四郎が野梨子を大切に思う気持ちが、もし異性に対するそれなら───
地球上で最大のライバルといっても過言ではないその相手に、魅録はどうしても勝算を感じ取りたかった。
────野梨子の気持ちを確かめたい。
彼の意識はその一点にのみ、注がれている。
少しでも優位に立ちたい。
彼女と絡み合う視線に意味を持たせたい。
そしてそれが、恋であると証明したい。
あの小姑のような男に気付かれぬ前に───
だが、魅録の心配はあくまで杞憂。
全くの見当違いだった。
菊正宗清四郎。
彼もまた恋愛とは程遠い生活を送ってきた人物で、仲間達は彼をまともな神経の持ち主だと認識していない。
超人、変人、冷血人間。
優秀である分、人の心に疎い。
恐らくは、恋愛よりも宇宙の誕生に思いを馳せている方が性に合っているはず。
血の通った異性関係にはとんと無関心である───と、長らく信じられてきた。
だが、そんな辛辣すぎる評価の人物もまた、ここに来てようやく恋の芽吹きを感じ始めていた。
遅すぎる初恋………とでも呼べば良いのだろうか。
もしくは自覚していなかっただけかもしれないが。
お相手は………
犬とも猿とも評される、容姿だけは人一倍美しい少女。
馬鹿でがさつで、残念なほど下品。
オツムの軽さは水素並み。
たとえそれがどんな危機的場面でも、持って生まれた権力を笠に着て、体力を最大限に使い闘う無鉄砲人間。
トラブルメーカーを代名詞に持つそんな彼女が、清四郎の人生を彩りあるものにしてくれたのは確かだが、少々刺激が過ぎることも多く─── 命からがら………なんて経験、本来ならばそう何度もしたくはないというのが本音だ。
トラブルが日常化していること自体、不本意なのだから。
婚約の話が持ち上がった時も、初めは大いにはね除けた。
これ以上人生を掻き回されるのは御免だった。
けれど結局は隠れていた野心に火を点けられ、万作に対するライバル心が剥き出しとなってしまう。
プライドの高さが災いしたとしか言いようもないが、それならばこの際、面倒ごとついでに悠理をもらい受けようと発憤したのだ。
結果は失敗。
和尚に阻まれずとも、いつかは破綻しただろう茨の道。
悠理のような女を手懐けられるはずもなかった。
実力不足もいいところ。
少なくともあの時の自分はそうだった。
力で押し込め、雁字搦めにするだけの偏った愛情。
そう、あれは一種の愛情だ。
たとえ周りがどう思おうとも、清四郎は自分なりに良かれと思って行動に出ていた。
もちろん剣菱の未来の為でもある。
そして其れはいつか悠理の為になると信じていた。
世界の大舞台に立てる女に育て上げれば、たとえこの先、自分や万作夫妻に何があろうとも生きていける。
清四郎は本気でそう思っていたのだ。
………当然、彼女には理解されなかったものの。
清四郎は悠理をよく知っている。
男勝りな性格に隠された弱さと優しさ。
そして、思わず抱きしめ、慈しみたくなるような少女の顔を───清四郎は知り尽くしている。
逆に花の顔を持つ幼なじみの強さもよーく知っていて、内面だけなら野梨子以上の女はそうそういない、との確信もあった。(百合子を除く)
清四郎は恋よりも強く、悠理を求めていた。
それはもはや運命に近い、自分ではどうしようもない引力だ。
恋と定義付けることも正しいかどうか解らない。
ただ悠理が欲しかった。
小さく生まれたはずの竜巻がハリケーン級にまで膨らんでいく。
幼い頃負けたあの日の屈辱。
それをバネに成長してきた男は誰よりも貪欲だったのかもしれない。
六人の調和を崩してでも彼女を手に入れたい、と清四郎の身体は毎夜噎び泣いた。
誰にも言えず、ただ心と体が締め付けられるような苦しみに苛まれる。
欲しいものはおおよそ手に入れてきた男だ。
努力することは怠らない。
だが、心底欲しかったものは、あっさりとその手からすり抜けていった。
それらの後悔は口に出せねど、あの頃からより強く、悠理を意識してきたように思う。
どう接すればいい?
優しく?
時に厳しく?
どうすれば彼女の心がこちらへともたれ掛かる?
誰よりも、 魅録よりも………近い存在で居たい。
悠理の心の拠り所となる男は自分一人でいい。
彼女が持つ全ての悩みを解決し、望みを叶えてやれる存在になりたい。
高校最後の夏が過ぎ、秋風が頬を撫でる頃、清四郎は覚悟を決めた。
卒業までに、必ず悠理を手に入れてみせる。
もし、万が一にもライバルが現れるようなら、どんな手を使ってでも排除してやる、と 強い決意を抱いた。
たとえその相手が魅録であっても、清四郎の心は変わらない。
元々遠慮する性格ではないのだ。
求めるものを、
請うものを、
全て手に入れなくては気が休まらない。
それが初めての恋というなら尚更のこと。
清四郎が本気になれば、誰も立ちはだかることなど出来ないだろう。
魅録であっても…………いや、魅録だからこそ容赦するはずがないのだ。
そんな決意を知る者は、未だゼロ。
口は堅く閉ざされたまま、想いだけが膨らみ続ける。
清四郎はそれでも、悠理捕獲に向け、次の行動を慎重に思い描いていた。
・
・
喪服姿の魅録を送り届けた悠理は、名輪の車の中でうつらうつらと船を漕ぎ始めた。
酒が程良く回っている。
未だ菊翁の自宅にいる母は、親しい組員達と共に故人の思い出話を語り合っていることだろう。
一通り気が済めば、勝手にハイヤーを呼びつけると悠理に言い残し、まるで本物の姐御のような扱いを受け、消えていった。
深夜の街並み。
いつしか雨も降り出している。
涙雨とでも言うのだろうか。
冷たく、細く、窓ガラスを打つ。
季節は晩秋に差し掛かっている。
ネオンに混ざり、色づいた銀杏が美しかった。
「魅録、落ち込んでたよな。」
誰へともなく呟いた言葉。
それを知る運転手も、敢えて応えようとはしない。
他界した菊翁の存在は、悠理が想像しているよりも遙かに大きい。
日本全国に彼の息はかかっていて、中国マフィアですら一目を置いてきた老人なのだ。
そんな偉大な男に気に入られ、是非とも跡目を継いで欲しいと頭を下げ請われた魅録は、もちろん是と答えるはずもなかった。
彼は警視総監を父に持ち、更に華族の血までその身に受け継いでいる。
たとえどれだけ不良少年としての経歴が長くとも、やくざの世界に入れるはずもない。
住む世界が違う、とはこういうことを言うのだ。
明らかな結界がそこにはあった。
「可愛がられてたもんな。当然か。」
魅録の望みなら何でも叶える………
それは菊翁が最期まで口にしていた言葉だった。
友人として親しかった百合子は「あら、羨ましい」と冗談めかしたが、老人は本気の本気でそう言っていたのだ。
「おやっさん。気持ちは有り難いが、他を当たってくれ。」
「他が居ないからこそ、わしゃあ、おまえさんに頼っとるんじゃぞ?」
それは悠理の目の前で交わされた会話だ。
親分の望みを是非とも叶えてやって欲しいと、直属の子分達は懇願する。
それほどまで、適性ある人物が見あたらなかったのだろう。
大勢の男たちが、誰を殺めても欲しがるポジション。
魅録は頭を掻き、困り顔で唸ったが、何度頼まれても首を縦には振れず───
「俺だっておやっさんが好きだ。何でも言うことを聞いてやりてぇと思う。だけど………俺はやっぱり部外者なんだよ。こっちの世界には馴染めねぇ。」
それは本心だった。
どれだけ闇の世界を覗いても、彼は真っ当な生き方を望むだろう。
どれほど闇の住人と関わっても、決して飲み込まれることはないだろう。
魅録の魅録たる所以は、その真っ直ぐな心根にある。
六人の中で、誰よりも正義感が強いのは、恐らく彼だ。
朱に交わることのない清々しいまでの白。
裏世界に通じながらも、汚れることはない。
魅録がそうであるからこそ、悠理も安心して付き合えた。
同じ土壌に生まれ育った兄妹の如く───心を預けることが出来た。
目を閉じると、より本格的な睡魔が訪れる。
ふと・・・・・
もし清四郎が跡目を継いだら?といった、どうでもよい妄想が頭を過ぎった。
───あいつ、根源は“悪”っぽいから、意外とうまくやるかも。
有り得ない結論は笑いを誘う。
もちろん清四郎とヤクザなど繋がりようもない。
天地がひっくり返ったなら・・・・・・・・もしくは可能性が生まれるかも知れないが。
「ふふ。今流行りの’インテリヤクザ’になれそうだな。」
「お嬢様?」
独りでブツブツと呟く令嬢に名輪はとうとう声をかけた。
彼女の酔いっぷりを確かめる為にも。
「なんでもないよ。ちょっと寝る!」
「かしこまりました。」
たった十五分しかかからぬ距離で、悠理はぐっすり寝入ってしまった。
夢の中では何故か入れ墨をした清四郎が居て、「お互い生きていく世界が変わっちゃったな───」なんて寂しげに目を潤ませる。
「なにを言ってるんです?次期組長はおまえでしょう?」
「はぁ??」
「僕はこれからおまえの盾となり、剣となります。どんなことがあろうとも、一生離れませんよ。」
「せぇしろ……」
胸が熱くなるような台詞。
唐獅子牡丹が鮮やかな逞しい胸に包まれ、安堵する自分。
ヤクザでも、清四郎は清四郎だ。
悠理はその温もりに身を預け、息を吐く。
彼にしか出来ない、彼しか与えてくれない、心からの安堵感。
いつしか悠理はそれに気付いていた。
父親とも魅録とも違う、絶対的な包容力を。
飼い主に信頼を寄せる犬の気持ちに例えられるのなら、それはそれでいい。
清四郎は手放せない。
その事実だけはこの先も変わらないのだ。
“恋情”などというものから縁遠い悠理は、生来の我が儘で清四郎を求めた。
それこそが本能のアンテナ。
しかし彼女は年相応、知って然るべき感情を深く追及せぬまま清四郎に依存しようとしていた。
単純なつくりの頭が、甘えてきた環境が、厄介なものから目を背けるよう出来ている為、其れも仕方のない事かもしれない。
たとえ恋でなくとも、清四郎の側に居続けたい。
これからもずっと・・・・・・・・・。
愛も恋も容赦なくやってくることを、未だ幼い彼女が知る由もなかった。