「なぁ、清四郎って義父ちゃん似?義母ちゃん似?」
家族揃っての夕食の後、風呂上がりの僕を待ち受けていたのはそんな質問。
先に浴びたという妻は、すっかりパジャマを着込み、ベッドに潜り込んでいた。
秋の夜長。
これから夫婦の大切な時間である。
悠理が我が家に嫁いだのは一年前。
当初、心配していた様々な事柄も、全てが杞憂であったかのように上手く順応してくれている。
最近では母と姉に挟まれ、食事を手伝うといったミラクルな光景が繰り広げられていたり、帰宅した父の肩揉みを率先して行ったりと、嫁として充分合格点が出せる成長ぶりだ。
朝に弱いはずの彼女が、出勤前の僕に温かい珈琲を用意してくれるようになったのも、ここ数ヵ月のこと。
可愛い悠理。
愛しさは日に日に増幅する。
「そうですねぇ。どちらにもあまり似ていないんですが、敢えて言うのなら、顔立ちは母似でしょうか。一番似ていると言われたのは他界した祖母でしたが。」
「ばあちゃん?あの仏間にある写真の?」
「そう。右端にある彼女の若い頃が僕とそっくりだったようです。」
「へぇ。」
祖母はとても頭の良い女性だった。
国語の教師をしており、開業医だった祖父とは見合いで結婚。
菊正宗病院の礎を築いた彼を、献身的に支えると共に、発展的な意見も提供していたらしい。
「美人だったんだろうな。あの写真も可愛いばあちゃんだもんね!」
「ええ、とても。祖父がベタ惚れして強引に見合い話を進めたらしいんです。」
「ふふ。ならおまえの性格はじいちゃん似?あたいの時だって、すごかったじゃん?」
「………あぁ、確かに。」
悠理への恋を自覚した僕は、とにかく必死だった。
周りを捏ね固めた上で告白し、彼女を逃がすまいと画策した。
卑怯でも無様でもいい。
手に入れたかった。
押せの一手だと確信していた僕は、自分でも笑えるほど毎日気持ちを伝えた。
あの手この手で食事に誘い出し、帰り際に愛をぶつける。
悠理は男慣れしていない為、そんな僕に戸惑いながらも、心揺れ動くのはわかっていた。
待ち望んだ答えを得ることが出来たのは、初めての告白から約三ヶ月後のこと。
嬉しさのあまり、その場でプロポーズした。
悠理は『バカヤロウ!』と詰りながらも、二人を待ちうける未来は一つしかないと認識していたらしい。
渋々ではあったが、了承してくれた。
そこからは早かった。
両家とも諸手を挙げて喜んだし、あれほど可愛がっていた娘をうちに嫁入りさせること、あの破天荒な夫妻は快く承諾してくれたのだ。
その代わり、剣菱財閥のため、身を粉にして働く毎日である。
それから半年で結婚。
大学を卒業した僕は、剣菱本社へすんなりと就職。
現在、会長秘書という肩書きで忙しく働いている。
悠理はというと、のんびり屋の母に色々教わりながら、菊正宗家のしきたりを学んでいる最中。
うちは比較的リベラルな家庭だが、当然人付き合いは多く、もちろんそれらを疎かには出来ない。
嫁の仕事は決して楽ではなかった。
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「あたい、おまえの義父ちゃんみたいな人、好きだなぁ。」
彼女のそんな思いは、ある程度予想していた。
親父は見た目通り豪快な性格で、度量の深さを誇れる人物だ。
おふくろもそういった所に惚れたのだろう。
性格の違う二人は、実のところとても仲が良い。
「…………僕はおまえの好みから、かけ離れていますからね。」
そんな卑屈な言葉が溢れ出てしまうのも、連日の会議で疲れている所為だろうか?
全くもって自己嫌悪である。
しかし悠理はキョトンとこちらを見つめ、そしてゆっくりと破顔した。
「ばっか!おまえ、なにヤキモチ妬いてんだよ!」
そう言って、強引にベッドへと引きずり込まれる。
「こら!まだ髪が濡れて………」
続く言葉は、すぐさま彼女の唇で奪われた。
強く押し付けてくる、柔らかな感触。
一年かけ覚えさせた積極的なキスが、燻っていた性欲を煽り立てる。
「は……ぁ………ゆう………り……」
陶酔する僕を、妻が見つめる。
何気なく唇を舐める仕草すら艶かしい。
「………好きだよ。おまえが一番好き。確かに好みじゃなかったけど、今は誰よりもカッコ良く見えるよ。」
動悸、息切れ、眩暈まで。
僕の頭の中では彼女の告白がこだましていて、感激のあまり目頭が熱くなってしまう。
「嬉しいことを言ってくれますね。これは一体何のご褒美ですか?」
ようやく体裁を整え、口を開けば、馬乗りになった妻は僕のバスローブを強引に剥ぎ取った。
「なぁ、覚えてる?今日は結婚記念日だろ?」
「………え?」
「やっぱ忘れてたんだ。おまえ、ここんとこ忙しかったからしゃーねぇけどさ。」
僕としたことが・・・!!
なんたる失態!
しかし悠理には怒った様子もない。
普通の女なら、激怒して当然の事態なのだが。
「す、すみません。今からでもどこかへ……」
「んなもん…………いいよ。」
彼女の細い指が、優しく胸板を這い回る。
あからさまな欲情を、その美しい瞳に浮かべながら。
「いつもよりも早く帰って来てくれたおまえが、何よりのご馳走だもん。」
━━━━プツン!
理性の最後の糸が、大きな音を立てて切れた。
恥ずかしながら、そこからの記憶はほとんど無い。
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たった数時間の眠りから目覚めた時、シーツは汗と体液でどろどろ。
不快度満点だ。
眠りこけた悠理のその白い肌は紅い花弁で埋め尽くされていた。
どうやら歯止めが効かなかったらしい。
だらしなく広がった彼女の脚がそれを物語っている。
そんな様子に、またしてもこみ上げてくる情欲。
朝日が昇るのを見て、仕事を休みたい気持ちになったが、一社会人としてそれは許されないため、仕方なく風呂場へと向かう。
身を清め、昂る熱を適当に処理した後、再び寝室へ戻れば、未だ屍のように眠る妻。
流石にこのまま出勤してはまずかろうと、彼女をバスローブで包み込みソファへと移動させる。
いつもなら家政婦に任せきりのリネン交換も、自ら行う。
真新しいシーツに横たえた妻の寝顔は、子供のようにあどけない。
昔と何ら変わらぬ悠理。
今はもう、僕だけのもの。
しかし夕べのあれは、嬉しい告白だった。
照れ屋な性格ゆえ、なかなか聞くことの出来ない言葉だった。
思い出すだけで胸がじんと熱くなる。
眠る悠理に名残惜しさを感じながら、そっと口付けを落とし、ようやくスーツに着替え始める。
あと20分ほどで迎えの車がやって来る。
急がなくては。
今朝は彼女の珈琲が望めない。
用意された朝御飯を食べるべく、階段を下りると、夜勤明けの姉と廊下で鉢合わせた。
そろそろいい年なのだから、結婚相手を探せばいいのに。
居心地の良さからか、なかなか実家から出ていこうとはしない。
「おはよ。」
「お疲れのようですね。」
「まあね。あんたは随分スッキリした顔してんじゃない。」
「そうですか?」
「惚けちゃって。やらしい男!」
通りすがりに踏まれた足も痛くは感じない。
今朝は何もかもが清々しい。
「あ、そうそう。」
呼び止められ振り向くと、姉は意味深な笑いを浮かべ、近付いてきた。
「夕べ、悠理ちゃんからプレゼント貰えた?」
「え?」
「彼女、真剣な顔で私とママに尋ねてきたのよ。結婚記念日は何を用意したらいいんだ?って。随分前から悩んでたみたい。で、あんた何もらったの?」
姉貴の好奇心を満たしてやる義理はない。
僕は何よりも貴重な悠理の愛情を貰ったのだから。
「内緒です。」
「ケチ!苛めちゃうわよ。」
「嫁に行けない理由はそこですかね。」
「清四郎!!」
振り上げられた拳を軽くかわし、口笛を吹く。
自然と弾む足取りに、姉はもう、何も尋ねようとはしなかった。
今日、世界で一番幸せな男は、間違いなくこの僕である。