※剣菱家の事情より。IF設定です
剣菱邸では夕食の準備がすっかり整い、10人は座れるであろうダイニングテーブルに、悠理一人が着席していた。
「五代、清四郎は?」
「は。清四郎様は帰宅された後、書斎に隠っていらっしゃいますぞ。」
「またぁ?あいつめーー!」
家族なら飯は一緒に食うもんだろ!?
・・・・ん?家族?
違う違う!
あいつはただの居候。
家族になんてなってたまるか!
プリプリと憤る悠理は、揚げたてサクサクの天ぷらを見て、乱暴に箸を突き立てた。
あの騒動(婚約披露)から、かれこれ二週間が経つ。
妻を追いかけったきり戻ってこない父、万作。
人に多大な迷惑をかけながらも、とことん自由な両親を、悠理は重い溜め息と共に待ち続けていた。
会長不在の剣菱財閥はカオス状態だった。
半ば拉致するかのように引き摺ってきた清四郎がいなければ、パニックに陥っていたことだろう。
もちろん別の意味でパニックになる役員たちであったが。
鶴の一声で跡取りから外された息子は致命的なほど優柔不断。
はなから期待されていない。
白羽の矢を立てられた即席婚約者は、すっかり仕事人間に様変わりし、豊作に成り代わって、あれやこれやと指示を出す。
古株たちの反感など、どこ吹く風。
清四郎の独裁政権は日に日にその勢いを増していた。
そんな彼の命令でレディ教育を受けることとなった悠理。
『飯が不味くなる!!』とちゃぶ台をひっくり返し、暴れても、優秀な家庭教師が次から次へとあてがわれ、逃げることもままならない。
仲間達の居る学園にも通えない始末。
このままでは清四郎の独断場。
誰よりも楽しいはずの人生が、グレー一色の詰まらないものへと変化してしまうではないか!
「あんにゃろぉ!ひとこと文句言わなきゃ気が済まないじょ!!」
くじ引きの結果、どうやら一人の幸運?なメイドが夜食を運ぶらしい。
頬を染める彼女からトレーを奪い取った悠理は、彼の書斎兼寝室へ勇ましい足音と共に向かった。
まさかそれが己の運命を変える行動になるとは、その時の彼女が知る由もない。
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清四郎の部屋は悠理の寝室の隣にある。
━━━いつでも赤ちゃんを作ってくれていいのよ?
婚約したときに聞かされた百合子の大胆な発言が頭を過るが、今まで清四郎が彼女の寝室に押し入ったことは一度もない。
そして悠理もまた、彼の書斎には入らなかった。
身体どころか、心も許していないのだから当然の帰結。
もちろんそれだけでなく、彼は仕事に邁進中。
会うこともままならない上、普段、悠理という婚約者の存在など、頭の片隅にすらないだろう。
━━━母ちゃんってば、あたいのことなんてほんとどうでもいいんだよな。可愛い孫さえ出来れば、きっとそれで満足なんだ。
当然ながら剣菱家では百合子が絶対的権力者。
誰一人として逆うことは許されない。
逆らったが最後、阿鼻叫喚の地獄が待っている。
実のところ、娘を溺愛する万作ですら、孫の誕生を心待ちにしていたという。
そんな無責任な親たちに呆れ果てる悠理が、彼らの望みを叶えてやるつもりはさらさらなかった。
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ノックもせずそっと扉を開けば、フロアスタンドの薄明かりの中、清四郎の気配を感じない。
「あり?どっかいったのかな?」
中へと踏み込み、扉を閉める。
ぬくもりの感じられる重厚な家具も、人気(ひとけ)がなければ殺風景だ。
悠理はトレーにある夜食を見つめた。
温かい紅茶とハムサンド。
『朝御飯じゃないんだから、もっとしっかりしたもん食えよな。』と、清四郎のリクエストにケチをつけたが、恐らくはこんなメニューしか身体が受け付けないのだろう。
トレーを静かにテーブルへ置き、周りを見渡すと、彼はソファに横たわり眠っていた。
ジャケットを腹にかけ、小さな寝息を立てている。
悠理は側に近付くと、寝不足と疲労でやつれて見える友人の顔を、こっそり覗き込んだ。
端正な顔立ちに濃い陰影。
まるで病人だ。
「ばーか。高校生のくせに、無茶するからだよ。」
清四郎がどれだけ優秀だとしても、いきなり社会人、それも剣菱のトップを張れるとは思えない。
「父ちゃんはな、ああ見えて、すっごく偉いんだじょ?」
「知っていますよ。だからこそ無理をしてでも頑張っているんです。」
目を閉じたまま、彼は口を開いた。
「ぎゃ、起きてたのかよ!」
「今起きたんですよ。紅茶の良い香りがしたのでね。」
そう言ってむくりと身を起こし、腕時計を見つめる。
「二時間、か。熟睡した方だ。」
「おまえなぁ・・・身体壊すぞ?」
「鍛え方が違います。大丈夫ですよ。」
清四郎はテーブルに置かれたサンドウィッチを頬張り、紅茶を啜る。
「少し食べますか?」
「要らない。」
「では遠慮なく。」
優雅な食べっぷりだが、決して食事を楽しんでいるようには見えない。
ただ栄養を与えている、それだけ。
「清四郎。ガッコいかないの?」
「暫くは難しいでしょうね。」
「皆、寂しがってると思うよ?」
「今、剣菱の仕事から離れるわけにはいきません。悠理、おまえもしっかりレディ教育をこなしてください。」
「あんなんやだよ!」
思い出したかのように悠理は叫ぶ。
「あんなん、ちっとも楽しくないやい!ご飯だって美味しく食べれたらそれでいいじゃん!あたい、独りじゃヤだし………おまえだってこんなとこで寂しそうに食うなよ!」
「悠理………」
「なぁ、ガッコいこ?前みたいに楽しく高校生しよーよ!」
しかし清四郎は首を振る。
「出来ません。おじさんから預かった剣菱を潰すわけにはいかない。もちろん、お前の為にも、ね。」
「がんこもん!んな疲れた顔して言うな!」
「疲れて見えますか?」
「見えるよ!全然清四郎っぽくない!」
「ふむ…………」
何かを考えるように腕組みした男を、悠理はジリジリとした思いで見つめた。
このままじゃ、お互いにとって良いことは一つもない。
自由を望む悠理は、付けられた足枷を外すことで頭がいっぱいだった。
だから、次に彼が吐いた台詞には、目を皿にして驚く羽目となる。
「最近、性欲を発散出来てませんからねぇ。」
「………………はっ?」
「仕事が忙しすぎて、プライベートな時間がもてないでしょ?あぁ、それともおまえが相手してくれますか?一応、婚約者ですし。」
「……………相手?なんの?」
決してとぼけているわけではない。
悠理は本気で解らなかったのだ。
清四郎と性欲。
繋がりが全く見えてこない。
「こっちに来て。」
ソファに促され、呆然と座る。
「僕もこう見えて男なんですよ。今までは適当に処理してきましたが、おまえという婚約者を得て、それはもうしません。不貞行為にあたりますからね。」
「ふていこうい?」
「ようするに、浮気、です。」
浮気━━━━
え、それって…………?
人よりも脳みそが少ない悠理にも届く、不穏な言葉。
婚約者だなんて認めていないけど、何故か胸が、不愉快な感情に埋め尽くされる。
「う、浮気なんかダメだぞ!!」
「ええ。だからこそ、僕の相手はおまえしか居ないんです。この先、一生ね。」
いつの間に伸ばされたのか。
清四郎の手が、悠理の膝をなぞる。
この行為がどういう意味かは分からないが、なんとなくエロスを感じる指先に、彼女はビクリと反応した。
「相変わらず、細い脚ですねぇ。」
太ももをやらしく撫でられても、何故逃げ出せないのか?
あの清四郎が、
性的なものを一切感じさせない男が、
目の前で豹変していく様子があまりにも衝撃的だったからに違いない。
「すべすべの肌だ。良く手入れされている。」
「ま、待てっ!な、何考えてんの!?」
「悠理のことを。この身体がどう啼くのか、どう感じるのか、どう甘えてくるのか………そんなことを考えてます。」
「!!!」
「ふ………気分が上がってきましたね。そろそろおばさんの望みを叶えてあげましょうか。」
「せ、せぇしろ…………」
心なしか呼吸が荒く感じる。
もしかして自分が?
恐ろしくて清四郎の顔が見れない。
初めて味わう、こんな恐怖。
怯えも戸惑いも、不安も。
何もかもを見透かされそうで、首を上げることが出来ない。
「悠理………」
耳をくすぐる甘い呼び声。
身体の中心でのろりと起き上がるそれは、もしかして………?
動揺を隠そうとする悠理は、彼が辿る指の先を、ただひたすら見つめ続けていた。