狐の婿入り~第一話~

とある山道を、帝の遣いを済ませた清四郎は足早に歩いていた。
ここは近道だが獣が多く住む。
日が暮れる前にどうしても通り過ぎたかった。

「雨が降りそうですな。もう少し急がなくては・・・」

抱えた書簡をもう一重、布でくるみ、もしもの時に備える。
世の男達よりも上背のある清四郎は足も長く、当然歩く速度もずば抜けていた。
馬にも乗らず、坂道を苦も無く進む姿は、とても貴族とは思えない。
帝の寵愛を授かるその知性溢れる容姿、そして並外れた体力。
彼が朝廷で一目を置かれるにはそれなりの理由があった。

雲行きの怪しさをその目に留めながら、清四郎はどこか雨宿り出来る場所はないだろうか、と考える。
ここのところの急激な雨は土砂崩れを起こしやすい為、出来れば頑丈な岩穴が好ましかった。
そうこう考えている内に、ポツリ、ポツリと降り出す雨。
慌てて周りを見渡すと、横道の先に岩山らしきものを見つけた。

「取り敢えず行ってみますか。」

清四郎が予想した通り、その岩山には人が三人ほど入れる穴があり、雨風を凌ぐに充分な場所だった。
大きな身体を曲げ、腰を落ち着けると、まずは書簡が無事であるかを確かめる。
小雨の内に此処を見つけられたことは本当に運が良い。
ホッと一息吐いた後、腰にあった竹筒から水を口に含んだ。

「通り雨だと良いのだが・・・・」

強まる雨足。
生い茂る雑草が旨そうに水を弾く。

「やはり、馬を調達すべきだったか。」

思ったよりも仕事が早く終わった為、夕べ泊まった宿場町では馬を用意しなかった。
宿の人間はそれを窘めたが、彼の見事な体躯を見て、渋々納得したのだ。

「この先は化け狐が出ると噂もある。気をつけなされ。」

「化け狐?それは面白い。一度くらい化かされてみたいものです。」

冗談まじりの返答を受け止めた宿主は小さなお守りを渡し、道中の安全を祈願してくれた。

「化け狐でも化け狸でも良い。旅の共をしてくれないだろうか。」

都に到着するまで、少なくとも三日はかかる。
さすがに少々人恋しくなってきた。
この際、お調子者の猿でもいい。
楽しませてくれさえすれば人外とて構わなかった。

ピシャピシャ・・・・

ふと、濡れた地面を駆ける足音が聞こえ、清四郎は意識をそちらへと集中させる。

こんな山道を、今時誰が?

頭に乗せていた傘を少しだけ持ち上げ、穴の外へ顔を出す。
埃立つような強い雨。
灰色の景色の中で、その生き物は不思議と金色に輝いているように見えた。

「狐?・・・・・・いや、人間か。」

白っぽい装束に身を包み、か細い身体が濡れるのも気にせず立ち尽くす。
何を探しているのだろう。
キョロキョロと辺りを見回し、その後、がっくりと項垂れる。

「腹、減ったぁ・・・」

激しい雨音にも負けず、何故かその声は清四郎の耳にきちんと届いた。
若く凜々しい少年かと思いきや、よくよく見れば若い女。
濡れた衣装が身体に張り付き、華奢なつくりを露わにしている。

清四郎は荷物を置いたまま穴から出ると、驚かせぬようそっと声をかけた。

「もし。雨宿りがしたいのならこちらへ。」

これ以上無残な姿を見るのは忍びない。
若い女人ともなれば尚更のこと。
しかし、振り向いたその顔はまるで天上人のように美しく、清四郎は思わず息を呑んだ。

「わ!!人が居たのか・・・」

頬に張り付いた色素の薄い髪。
目鼻立ちの整った美貌。
桃色の唇は可憐で、そこにこぼれ落ちる雫が更なる潤いを与えている。

「びっくりしたじゃないか。」

だがそんな見た目とは不釣り合いな口の利き方をする女に、清四郎は苦笑してしまう。

まさか、山賊の娘じゃあるまいな。

「ささ、そのままだと風邪をひく。早くこちらへ。」

女は少しだけ躊躇いを見せた後、ゆっくりと近付いて来る。
明らかに警戒心を抱いていたが、強まる雨と空腹に負けたのか、言われるがまま岩穴の奥へと身を落ち着かせた。

「私は清四郎。都に向かう途中ですが馬もなく、ここで雨宿りをしていたんですよ。」

「あたいは・・・・悠理。狐の長の娘だ。」

「はっ・・!狐・・・・?巷で噂になっている化け狐か。」

思いもがけない返答に目を丸くする清四郎。
しかしそれには肯定せず、悠理は濡れた袂と裾を絞り続けた。

小さな水たまりがいくつも出来る中、言葉を無くしたままの清四郎は、じっと悠理を見つめる。

これほど美しい人間はこの世にいないだろう。
後宮に揃う女御たちにも引けを取らない。

人とは思えぬ美貌は、悠理の言葉が真実であることを示している。

人間を化かす狐の娘。
これはなかなかに面白い。

「お腹が空いているのなら、ほら・・・・・・」

「え?・・・・くれんの?」

濡れた荷物から差し出したのは、僅かな干し肉と先ほどの宿場町で手に入れた饅頭三つ。

「どうぞ。」

もちろん小腹が空いた時の為に残しておいたものだが、目の前で腹を鳴らす女を無視は出来ない。
清四郎の手から恐る恐る受け取ったそれを、悠理は驚くべき速さで胃袋におさめた。

「あ~・・うまかった!清四郎、あんがと!」

「どういたしまして。」

子供のような屈託のない笑顔だが、身体は充分大人である。
張り付いた着物には小さな二つの膨らみが主張していて、清四郎はつい欲情してしまいそうな自分を窘めるよう咳払いをした。

「狐の一族とは、この辺りに住処が?」

「ううん、三つ向こうの山だよ。実はあたいも、母ちゃんに頼まれた簪を買う為に都へ行く途中だったんだ。」

「なるほど。では先ほど、雨の中で何を探していたんです?」

「ああ・・・あれは・・・。夕べ兎を獲る為に罠を仕掛けてたんだけどさ。逃げられちゃったみたい。」

「兎・・・、好物は油揚げじゃないんですね。」

「そりゃもちろん、食えるさ。でも、んなの腹の足しになんないじゃん。」

悠理の答えは単純明快。
どうやらこの狐は、人一倍食い意地が張っているらしい。
人の食料を食べてなお、指を咥えながら、逃げた兎を惜しんでいた。

「旅は道連れ、と申します。私と共に都を目指しませんか?」

「え?あたいと?」

「雨が上がったら出発しましょう。その前に・・・濡れた着物では身体に障る。私の物を貸しますのでそれを身に着けて下さい。」

「いいの?ほんとに。」

「道中、寂しかったんです。なので歓迎しますよ。」

悠理は迷い無くその提案に頷いて見せた。
これが二人の出会い。
然しもの清四郎とて、まさかこの狐が近い将来自分の妻になろうとは思ってもいない。

結局雨は上がらず、その夜は穴蔵で一晩明かすこととなった。

火を熾し、暖をとる。
夜に蠢く獣達から身を守るためでもある。

炎の影が岩壁に揺らめく中、二人は遅くまで互いの身の上話を交わし続けた。