Phantom~本編~

※悠理への片恋に思い悩む清四郎。
夜の街で彼女そっくりの青年に会い、そこから始まる乱れた関係。
このお部屋で公開されている作品は「ノーマル」なお話ではありません。

清四郎はどことなく陰鬱で、報われぬ片恋に悩む性(青)年であります。
ただ、うちのサイトのスタンスとして、私なりの「ハッピーエンド」を目指しますので、
それでも良いという方のみ、読み進めてください。
ちなみにBL要素満載のR作品です。苦手な方は今すぐUターンですよ!


 

それは夜の街中で見た幻だと思った。

━━━━━悠理?いや違う。雅央?

想い人でも、アメリカに渡ったはずの雅央でもなく………彼らに良く似た第三者。

これは運命なのだろうか。
こんな孤独な夜に出会ったのは………。

「…………なに?あんた。」

呼び止めれば彼は不機嫌そうに振り向いた。
悠理よりもシャープな顎。
瞳の色は日本人らしい黒だが染めた髪は明るく、ある程度の軽さを保っている。
小振りな唇は尖ったまま。

━━━やはり似ているな。

雅央をほんの少し老けさせた感じか?
男のわりに細い首、しかしきっちりと喉仏が見える。
グレーのパーカーは大きくて、隠された身体の華奢な感じもまた、二人に良く似ていた。

「君を買いたい。いくらだ?」

「は?」

此処が、そういう類の人間が集まってくる場所だと知っているからこそ、不躾に尋ねることが出来た。
彼は大きな目を見開き、そして直ぐ様細める。

「……………初めて、だろ?あんた。」

「おや、一見さんお断りなんですか?」

「……そうじゃないけど………」

こちらに何か不審な点が感じられるのか、歯切れの悪い様子の彼。
何度か周りを見渡した後、ようやく僕のコートの袖を引っ張って、雑居ビルの陰へと連れていく。
そこは人が二人通れるほどの狭い路地。
彼の仕事場の一つだった。

「口だけで…………いい?」

「いや………出来るならフルコースでお願いしたい。」

「今夜は無理。ちょっとヤボ用でさ?」

地面に膝を折ると同時、彼はスラックスのファスナーを静かに下げた。

「あんた、好みだから………安くしとく。」

「…………光栄ですね。」

━━━━これが悠理の言葉なら、即座に昂ったことだろう。

まだ芯を持たない性器をそっと掌に乗せ、意外と長い舌を最初から巧みに絡みつかせる彼。
とても手慣れた仕草だ。

「一つ、頼みがあります。」

「ふぁに?(なに?)」

「‘ユウリ’、と呼んでもいいですか?」

半勃ちのソレを咥えながら彼は苦笑する。
恐らくは肯定。

毎夜、夢の中の彼女へ甘く呼びかけ、気が狂いそうになるまで抱いていた僕は、喉を振り絞る。

「……ユウリ、もっと深くまで飲み込んで?」

言葉通り、喉の奥深くへと導かれる肉茎。
慣れた調子で舌を回しながら、頬を窄める。
ジュプジュプ
淫らで汚らわしい音が狭い路地に響く中、足元から震えるような快感が這い上がってくる。

「あ……いい!ユウリ、気持ちいい………!ユウリ!」

質感の異なる明るい髪を、それでもくしゃくしゃとかき混ぜながら、僕は彼女の名を切なく呼んだ。

喉が蠢く。
完全に勃ち上がった熱き棒を、彼の口腔が柔らかく締め付け、適度な滑りで擦られる。
見下ろせば、僅かな光の中で、彼女によく似た男が苦しげな様子で扱いているのだ。

これはあくまで幻。
夢のような時間だ。

実際にはあり得ない光景に、腹の底から熱がこみ上げてくる。
ビクビクと跳ねる陰茎を彼の舌は逃がさない。

「くっ………」

直接的な快感を必死で追う僕に気付いたのだろう。
淫猥な音を響かせながら、口淫の激しさが増してゆく。

いつもよりも早く訪れた限界に瞼がチカチカと光り始め、僕は彼の頭を掻き寄せた。

「ユウリ…………悠理!!」

ドクドク
眩暈を感じるほどの射精感。
吐き出された白き欲望は最後の一滴まで彼の口で丁寧に拭われる。
サービスとばかりに先端を優しく吸い付かれ、あまりの名残惜しさに腰を押し付けてしまったが、彼は再び嬉しそうに口を開いて見せた。

「ほら、見て……こんなに出たよ?」

自分の吐き出した物など気持ち悪いだけ。
しかしその時、悠理の顔に似た彼がおこした行動は、僕の嗜虐心を煽った。

「全部、飲み込んで……」

コクリ
そんな素直な彼の細い喉を、汚れた液体が通り過ぎている。
それは身が震えるほどの高揚感だった。

その夜、彼は結局お金を受け取らなかった。
代わりに次の約束をし、僕たちは薄汚れた雑踏で別れる。
燻ったままの欲望はまだ腰を疼かせたけれど、先ほどよりは随分とマシに感じた。

━━━━酒でもあおるか。

そう思い、一つの店を思い描いたその時。

「清四郎?」

何処に居ても、どれほど離れていても判る愛らしい声に、足が地面へと貼り付いた。

「ゆ、うり?」

「何してんの?こんなとこで。」

ネオンに浮かぶフワフワの髪。
美しい顔立ちと力強い目。
紛い物ではない、本物の美。

彼女だって知っている。

’こんなとこ’、がどんな場所かを━━━━

「僕は……」

『今し方まで、おまえによく似た男を玩具にしていました』

などと言えるはずもなく、お得意のポーカーフェイスを引っさげ、笑顔を作る。

「少し用事がありまして。そろそろ帰るところだったんですよ。」

「用事?ここで?」

「……ええ。」

「ふ~ん。」

いつになく猜疑心を露わにする悠理は、僕を見上げるように近付いてきた。

「清四郎。目が赤いじょ?」

「……え?そうですか?」

「嘘吐き。」

「う、嘘なんか吐いていませんよ!」

「ううん、吐いてるよ。長い付き合いだもん。あたい、おまえのことなら何でも解る。」

そんな台詞を恋い焦がれた女から告げられたら、感涙ものだ。
慌てて目を掌で覆い、彼女から顔を背ける。

「そっちこそ、何してるんです?」

「ん?魅録の付き合い。ほら、あいつのダチにニューハーフいただろ?今日、店開くんだって。」

「ああ、確かに聞きましたね。」

「おまえも行く?オープン記念でタダ酒飲めるし、料理もそこそこ旨いらしいよ。」

細い腕が僕の腕に絡みつき、彼女は答えも聞かないまま店の方向へと引っ張り始めるが、僕はその緩やかな強制力に抵抗出来ない。
否、したくないのだ。
柔らかい髪が肩口に触れ、甘い香りが鼻をすり抜ける。
幸せな一時。
いつまでも……永遠に、このままでいたい。

店の扉は磨かれた一枚ステンレスに一本の薔薇が添えられているだけ。
しかし開けた途端、むせかえるほど濃厚な百合の薫りが立ちこめていて、思わず眉を顰めた。

「魅録!」

「悠理?おまえ、どこ行ってたんだよ!」

「清四郎見つけたから、連れてきちゃった。」

「こんばんは。突然お邪魔して申し訳ない。」

「よぉ!良いタイミングだな。楽しんでけよ。人数は多けりゃ多いほど盛り上がるしな。」

胡蝶蘭が飾られた目映いばかりのカウンターに「件のニューハーフ」と何人かのスタッフが忙しなく働いている。
そして魅録が連れてきた多くの「ダチ」とやらはすっかり酒に酔い、テーブル席でだらしなくくだを巻いていた。

「おまえさんは初めて見る顔だろ?」

「ええ。」

「あの派手なオカマ、いやニューハーフが’達史’、通称’マリアンヌ’だ。」

’マリアンヌ’……名前と姿は見合っていない。

「んで、その影に隠れてるなよなよしたヤツが……’輝良’(あきら) 。ちょっと悠理に似てるんだぜ?笑えるだろ?」

直後、僕は目を疑った。
彼は……
彼は先ほどまで、僕の下半身をその見た目と見事なテクニックで絶頂に導いた人物。
うっすらと化粧を施し、髪型を整えている所為か、さっきとはまた違った印象を抱かせる。

「清四郎?」

凍りついた僕を訝しげに見上げる二人の友人。
心臓が鷲掴みにされたような動悸が、喉を締め上げる。

「へへ!あたいに似ててビックリしたのか?でも雅央ん時に耐性ついてるだろ?」

悪戯っぽくにやける悠理が可愛くも憎らしい。

ゆっくりとカウンターに視線を戻せば、こちらに気付いた彼もまた苦い表情で見つめてくる。

悠理、ユウリ…………輝良…………

まるで天が嘲笑ったかのようなこの偶然に、僕の胸は複雑な怯えと悦びに打ち震えていた。


三度目の夜がやって来た。

とあるホテルの部屋。
まだ日も変わってはいない。
一戦を終えたあとの彼の肌がしっとりと汗ばみ、それが自分の所為であると気付いた時、言い知れぬ征服感がこみ上げた。

「………随分と慣れてるんですね。」

「そう見えたから、声かけてきたんだろ?」

ふてぶてしい答え方をするが、彼の瞳はセックスの余韻に甘く濡れている。
男の精を散々浴びせつけられ、気怠い腰がシーツに沈みこんでいても、クールに煙草を吹かすその姿は、まるで手慣れた娼婦の様で、僕は必要以上の罪悪感に囚われずに済んだ。

「‘ユウリ’…………あの子に告白しないの?」

「言ったでしょう?彼女は‘大切な友人’だと。」

「プッ!意外と臆病なんだね、あんた。」

「……………何とでも言ってください。」

その馬鹿にしたような台詞に苛立った僕は、彼の手から奪い取ったタバコを灰皿に押し付け、再び背後から覆い被さる。

「……あっ………ん、また?」

「’悠理’の身代わりになってくれる約束でしょう?」

「確かにそう言ったけど………。俺もこんなにされたら、腰がもたないよ。」

「お金は払ってる。僕の好きにさせろ。」

緩慢に動く彼の尻をぴしゃりと叩き、肉を割り開く。

━━━━そう、黙って足を開けばいい。

肩甲骨が美しく浮き出た背中。
そこに唇を押し付けながら瞼を閉じると、脳裏に現れる相手はただ一人。
鮮やかな幻影。

悠理━━━━こんな僕を蔑むか?
おまえに似た男を蹂躙することでしか満足出来ない僕を嘲るか?

汚らわしいと忌み嫌ってきた男同士の関係。
たとえ性的な欲求が満たされても、心はカサカサと渇き、僅かな潤いすら見当たらない。

埋め込む場所がおまえの柔らかで初な胎内なら、どれほど満たされるだろうか。
回した手の指先に幼い胸が震え、小さな桜色の蕾がプクリと勃ち上がるその姿は、さぞや可憐なことだろう。

幻想(ゆめ)で酩酊することにも随分と慣れた。
求める女は彼女だけのはずなのに、暴走する身体を押し止めるため、輝良を抱く。

不意に目を開けたとき、それが悠理に似ていれば達することが出来よう。
眠る顔を覗き見た時、そこに彼女の片鱗があればそれでいいのだ。

ヘドが出るほど陳腐な理由付け。
自己嫌悪しか湧いてこない。

本当は悠理の、その白く滑らかな背中に無数の痕跡を残したい。
僕だけの印をたくさん刻んで、二度と消えないようにしてしまいたい。

悠理

悠理

こんなにもおまえが欲しいのに━━━━
僕はただ、光のない地獄を彷徨っている。


「はっ……ぁあ!!も、無理だよ……壊れるってば!」

現実は………醜い。

彼を知れば知るほど、悠理との違いを見せつけられ絶望する。
それでも彼を犯していると、彼女と繋がっているような錯覚に酔いしれることが出来る為、僕はこの不健全な行為を止められない。

「喘げ。もっと甲高く!」

「ひぃぁ…………っん!!」

深くまで抉ると、彼はまるで女のように啼く。

違う。
悠理はもっと………か細い声で啜り泣くはずだ。
哀しいほど怯えながらも僕にすがり付き、「せぇしろ……」と甘く絡むような声を出すはずだ。

「…………っく………ユウリ!」

結局は妄想の中で吐き出される欲望。
彼を気絶するほど攻め立てて、一体何を得ることが出来るのか。

あの夜の偶然を僕は忌々しいとまで思い始めていた。

¤
¤
¤
あの夜━━━━━
ちっとも酔えない酒を三杯ほど重ねた後、僕は尿意をもよおし立ち上がった。

「清四郎?どこいくんだ?今からビンゴゲームするんだぞ。」

「お手洗いですよ。僕の分も見ておいてください。」

「よし来た!」と張り切る悠理を横目に、真新しい匂いの漂うトイレへと向かう。
用を足し、手を洗っていると、そこに現れたは悠理の紛い物………輝良(あきら)だった。

「まさかあんたが魅録の言ってた『清四郎』とはね。鬼のように強いってほんと?」

「………こんなところで話しかけないでください。あらぬ誤解を抱く。」

しかし彼は引き下がらない。

「‘ユウリ’………ってあの娘?確かに俺に似てるね。」

「…………。」

洗面台を前に黙り込む僕を、彼は気の毒そうに見つめてきた。
明らかに同情を意味する視線。
たったそれだけのことで、積み上げてきたプライドが、音を立てひび割れていきそうだった。

「で、どうする?次の約束しちゃったけど、キャンセルする?」

「……………しませんよ。何なら今すぐ、そこの個室で楽しみますか?」

「その提案は悪くないけど、あんたとセックスしたら、仕事になんないだろうからさ。また日を改めようよ。」

「ふ……。一体どっちが本職なんです?」

小馬鹿にしたような台詞を彼は真っ向から受け止める。

「個人的嗜好もあるけど、本当は金に困ってる。姉貴がめんどくさい病気なんだ。」

「…………え?」

「険悪で醜悪な両親から逃げて、二人暮らししてるんだ。よくある話だろ。」

言葉を選べないままの僕へそっと近付いてきた彼は、スラックスの上から華奢な掌を静かに押し付けた。

「あんたが好みっていったのはリップサービスなんかじゃないよ。本当なら無料でサービスしてあげたいけど、こっちも事情があるからさ。」

「心配しなくても…………きちんと支払いますよ。」

「なら、明日の十時、このホテルに来て。」

メモ用紙を手渡された僕は、そこが以前、雅央が仕事で使っていたシティホテルであると直ぐに気づいた。
なるほど。
人目を気にする輩にはメリットがあるのだろう。
立地を思い出しながら、そんな感想を抱く。

「…………いいですよ。では、明日そこで。」



この男を悠理に見立て、欲望を突き立てる魅力には抗えなかった。
本人には到底出来ない、醜く爛れた衝動を思う存分ぶつける。
慣れた肉が被膜越しに擦れ、女とは違う締め付けを見せる中、さらに野蛮な気持ちがこみ上げてくる自分に驚いた。

これがもし悠理なら、きっと壊してしまっていたことだろう。

相手が男だというだけで、容赦する必要性を感じなかった。
彼の性器は僕のものに刺激されるだけで絶頂を迎える、そんな浅ましい身体だ。

正面から抱けば、どうしても悠理との違いが判り、仕方なく後背位を選ぶ。
けれど、時々見せる切ない表情が、堪らなく悠理に似ていた。

そんな二度目の夜はろくに話もせず、ただひたすら体を繋げるだけだったが、それが三度目の約束に導く要因であったかは定かじゃない。

僕は悠理が抱きたかった。
恋心よりも強く、悠理の身体を奪いたかった。

そうしてしまえば、友人としての彼女を失う。
今まで築いてきた心地よい関係を壊してしまう。

たった一つの欲望でそんな過ちを犯すことは愚かだと分かっている。

だから人形が必要だったのだ。

どうしようもないほど淫らな、僕の情欲を受け入れる素直な傀儡が━━━━


悠理を女と意識したのは高三の冬、いつもの六人でハワイに滞在した時だった。

いくら赤道に近い土地とはいえ、肌寒いと感じる日も多い。
そしてその日は特に風が強く、遠くの空からどす黒い雲が近づいていた。

しかし向こう見ずな悠理はプライベートビーチでサーフィンを楽しもうとウェア片手に張り切っている。
危険を省みず突き進むその性格は、たとえ彼女が大人になっても改善されることはないだろう。
皆が諦めの溜め息を溢した。

「波たっかーい!魅録、勝負しよ!」

「悠理、今日はやめとこーぜ。どう見ても雲行き怪しいだろ?」

「えーーー!こんな日だからこそ楽しめるんじゃん。」

「あほぉ!俺はやらねぇよ。命を懸けてまでするもんじゃねえし。」

尤もな意見に不承不承ながらも諦めた悠理は、一人、白いビキニ姿で波打ち際を歩き始める。
その背中に大きな落胆を背負いこむ彼女。
僕は見るに見かねて、『旨い肉でも食べに行こう』と、声をかけようとした。

━━━━その時

大きくうねる波が彼女を襲い、あっという間に足を取られてしまった。
慌てて駆け寄ったところ、悠理は這いつくばりながらも、かろうじて引き波から抜け出し、鼻に入った水を出そうと躍起になっている。

「ゆ、悠理!」

「やっべぇ波!もってかれるところだったー!」

鼻水を垂らしながらもあっけんからんと笑う。
だがホッと胸を撫で下ろす僕の目に飛び込んできたのは、あられもない姿。
スクリュー状の強い波に、ビキニの華奢な紐がほどけたのだろう。
上半身は人魚の如く、すっかり裸だった。
しかし、本人は気付いていない。
ツーンとする鼻にかかりきりだ。

それを良いことに、僕の視線は男特有の下卑たものへと変化する。

僅かに膨らんだ柔らかそうな乳房と、桜色の胸先。
その慎ましやかな色にこそ目が奪われ、鼓動がなる。
彼女自身、コンプレックスに感じているかもしれない胸の大きさだが、ほっそりとした体に充分見合ったものだと、僕はその時確信した。

「悠理、これを………」

冷静さを装い、腰に巻いたパーカーを差し出すと、ようやくキョトンと首を傾げた悠理は恐る恐る視線を下げた。

「んぎゃっ!!!」

慌てて隠すも、すべてを目に焼き付けている。
僕の優秀な記憶媒体から消えることは、決してないだろう。

「み、み、み、見た!?」

普段人一倍恥じらいの薄い人間が、真っ赤な顔で腕を交差させる姿は、男心を擽る。

「済みません。少し………」

「わぁ!忘れろー!」

「…………努力します。」

大嘘だ。
そんな僕を置いて、パーカーをすっぽり着込んだ悠理は砂浜を逃げるように駆けていく。
その足跡をゆっくりした速度で追いかける僕は、そこでようやく下半身に滾るような熱がこもっていることに気付いた。

「嘘………でしょう?」

完全に硬くなった陰茎は下腹を擦る勢いでそそり立っている。
コントロール不可能なほど強く。
それが悠理を女として意識した最初だった。

自分の中に隠れた何かを自覚した僕は、その原因を突き止めようと必死になった。

女性っぽさの欠片も見当たらなかった友人。

そんな彼女の貴重ともいえる『女の部分』を盗み見てしまったから、これほどの動揺を覚えるのだろうか。

珍しいペットとして、長年可愛がってきたはずなのに。
あの日から夜毎夢に現れ、その可憐で清らかな身体を使い、僕を惑わす。

そんな日々が二ヶ月ほど続いた頃、仕方なく夜の街で女を探した。

しかしどの女も、あの時の悠理ほど興奮させてはくれない。
甘い香水の香りも、艶やかな髪も、豊満に揺れる肉も…………ちっとも心をときめかせることはなかった。

悠理を見つめる度………触れたくて、触れたくて仕方なくなる。
だが以前のように気軽に髪や背中を撫でたりすれば、間違いなく欲情してしまうと解っていた僕は、適度な距離を保ちながら、忍の一文字で接していた。

━━━━万が一触れれば、より苦しさが増し、きっと止まれなくなるだろう。

それは肉欲なんかじゃ、決してない。
初めて抱いた恋心。

ようやくそれに気付いた僕は、愕然と顔を覆う。
葬り去るしかないその想いに、背筋が寒くなる思いがした。

━━━━彼女が僕を好きになることなど…………皆無だ。

そうして高校生活が終わりを迎え、僕たちは無事大学生になった。
日々蓄積される想いが純粋さを失い、持て余す身体だけが不健全に熱く燃え盛る。
堪えきれない夜はぶらり街を歩き、適当なバーで釣糸を垂れ、女が引っ掛かるのを待った。

しかし飢えは、そう簡単にはおさまらない。
学業に専念しようとしても、学内を闊歩する悠理を目の端に捉えるだけで、トイレに引きずり込んで無理矢理犯したくなるほど、自己中心的な情欲に振り回されていた。

報われぬ初恋が腐食してゆく。
澱みきった感情は、確実に理性を侵食していった。

そうしてそんな中、出会ったのが‘輝良’だったのだ。


「あっ、ち、ちょっと………はぁ……ん。」

五度目の夜。
僕はいつもより少し乱暴に彼を抱いた。

同じホテル。
同じ時刻。
そして同じ体位。

真正面から向き合うことは到底耐え難い。
どうしても有るべきはずの存在を、そこに探してしまうから。

彼との情事に必要なのは、強めの酒と多くのコンドーム。
吐き出しては咥えさせ、屹立したものをなし崩し的に突き入れる。
たったそれだけの行為。
しかしチラチラと目に入る悠理に似たその表情が、僕を何度でも昂らせてくれた。

あぁ、悠理。
これがおまえだったら、こんな乱暴なことは決してしないはずなのに。
もっと優しく、執拗なほどやらしく愛撫し、何度も口と舌と指だけでイカせて、これ以上耐えられないと涙するおまえにゆっくりと挿入し、その恍惚を手繰り寄せる。

こんな俗物的なセックスなど、絶対にしない。
おまえとのそれは、もっと高尚で、美しく……そして、愛が溢れる行為でなくてはならない。

自分勝手な思い込みに酔いしれるが、そうでもしなければ、この悲惨過ぎる現実に立ち向かえるはずもなかった。

立ち向かう?
本当に立ち向かおうとしているのか?
ただ単に都合の良い夢が見たいだけじゃないのか?

そんな禅問答のような遣り取りを繰り返しながら、僕は情欲に溺れていく。



四度目の吐精の後、輝良は軽く気絶した。
小刻みに震える背中だけが、彼の絶頂を示している。
ベッドの端に腰掛け、彼の吸う煙草を手にし、酒を一口啜ると、不意に涙がこみ上げてきた。

好きだ

好きだ

悠理、お前が欲しい。

でも、きっとおまえは僕の想いを知ると逃げ出すだろう?
そして手の届かないところへと身を隠すだろう?

あれほど嫌がった結婚話。
僕を頼りながらも、決してそれ以上近付いてはくれないボーダーライン。
それでも友人なら側に居れる。
仲間としてなら、楽しく過ごしていける。
なに食わぬ顔で、妄想の果てにおまえを汚しながら、微笑んでいられる。

女と意識した途端、これだ。
万が一、一線を越えたなら、彼女は空恐ろしいほどの執着を目の当たりにするだろう。
決して誰にも渡さない。
独占欲を剥き出しにさせ、愛し、奪い尽くしてやる。
逃げることが叶わぬよう囲い込み、その甘い身体を一生味わい尽くしてやる。

それが出来ないのならせめて、あの可憐な胸に顔を埋めて死に行きたい。

「ねえ………俺にも、ちょうだい。」

 

無粋な声に涙は止まり、僕は背中越しに煙草を放り投げた。
今日はもう止めよう。一度広がった虚しさは、興奮を遠ざけてしまうから。

しかし彼は背中から被さるよう凭れ、慣れた手つきで鎮まったはずの肉竿を弄び始めた。

「………まだ、欲しいんですか?」

「こっそり泣くくらいなら、俺にぶつければいいだろ?」

気付かれていたのか。
ばつの悪さを感じ、憮然と振り向けば、輝良は嬉しそうに微笑んでいた。

「あんた、見た目よりもずっと可愛いな。あの娘もほんと……見る目ないよ。」

「………悠理のことを口にするな。」

「いいだろ?どうせあんたは俺のこと、彼女の身代わりとしか思ってないんだ。このくらい………」

掌で覆った口に、彼の熱い吐息が当たる。

「うるさい。突っ込んでやるから、黙って後ろを向け。」

連なったコンドームを噛みきり、いつの間にやら怒張したソレに被せる。
輝良は僕の言葉に従うようゆっくりと薄い尻を突き出し、まるで娼婦さながら妖しげに腰をくねらせた。

━━━そうだな。彼は娼婦そのものだ。

「ねぇ、あと二回は欲しいんだけど。」

彼は僕が断らないと知っている。
その瞳に宿る傲慢で貪欲な光。

「…………欲深いな。」

どの口が言うのか。
せせら嗤う自分がいた。

昔、和尚に身を持って教えられた己の傲慢さ。
剣菱を手に入れ、あまつさえ悠理を自分の玩具にしようとした僕は、彼を嘲笑うことは決して出来ない。

━━━誰よりも傲慢で欲深き男はおまえだ、清四郎。

汚れた欲望を突き立て、吐き捨てる。
こうした自分の姿は、端から見ればどれほど醜いのだろう。
美童や可憐。
恋する者達を上から目線で眺めてきた僕は、今や、彼らに顔向けすら出来ない立場だ。
振られる勇気さえあれば、この泥沼から抜け出し、彼女に想いを伝える事ができるのに。
卑怯で臆病な僕は、どうしても悠理から離れたくない。

彼女の側にいる。
たったそれだけの事に、必死でしがみついている哀れな男なのだから。

「あっ………すごぃ……!清四郎!」

呼ぶな。
僕の名を、そんな声で呼ぶな。

「……………ユウリ!」

アイシテル

飲み込んだ言葉はあまりにも重く、彼を穿つ腰に力が入る。

もう、引き返せないのか?

堕ちた世界は闇色に支配され、僕の足はその重力から立ち上がれる気がしなかった。



「清四郎、おはよ。」

愛しい女の声に弾むよう振り向けば、彼女はバツが悪そうにおでこを掻いていた。
大学部のポプラ並木もすっかり葉を落とし、寒々しい景色へと様変わりし始めている。
カサカサ………落ち葉を踏みしめると、途端に冬の気配を感じた。

「おはよう、悠理。今日は早いですね。一般教養は午後からだったはずですよ?」

「ん、わあってる。ちょっとさ、教えて欲しいことがあって……」

「英語?それとも選択のドイツ語?」

「ううん……違う。ここじゃなんだから……部室いこ?」

腕を絡め誘われた先には、僕が労せず手に入れた箱庭がある。
大学生活も半年が経ち、各が忙しくなる中、ここを訪れる回数も少し減ってきたように感じるが、悠理はいつも講義をさぼってこの箱庭を訪れていた。

テラス付きの旧音楽堂は秋の風をそっと室内に運んでくる。
ウッドデッキの外に敷かれた芝生の上には真っ白なアイアンテーブルとベンチが置かれ、そこは日常的にお茶を楽しむところだった。

僕は悠理をソファに促すと、自分もまたその向かいに腰を落ち着ける。
和やかで静かな空間。
胸の高鳴る音が聞こえやしないだろうか?

「どうしました?またトラブルにでも?」

沈黙に耐えかねそう聞けば、彼女はゆっくりと首を振る。
そわそわとした態度から事情を読み取ろうとするものの、悠理はなかなか口を開かない。
次第にじわじわと頬が赤らんでいき、膝に置かれた拳が微妙に震えているのが見て取れた。

「悠理?」

「せ、清四郎。あの……あたい……さ。」

「はい?」

「す、好きな男が出来た。」

そのナイフのような言葉は、僕の心臓をがっつりと抉り、鼓動を止めるのに充分な働きをしたように思う。

息が出来ない。
吸うことも、吐き出す事も。

瞼の裏が赤黒く染まり、それは絶望の色だと知っては居たが、僕は何度も瞬きをして現実ではないことを確かめようとした。

「す、好きって言ってもさ。まだあんまりわかんないんだけど……ほら、あたい馬鹿だから……」

照れる彼女にどす黒い感情が芽生える。

ああ、確かに馬鹿ですよね。
こんな相談を僕に持ちかけてくる時点で大馬鹿だ。

ずくずくと痛む胸を押さえるも、その背後から想像すらしなかった残虐な己が顔を出すのを感じ始めた。

「それで?何が聞きたいんです?恋愛相談なら可憐か美童が……」

かろうじて振り絞った声のトーンは、いつもより二段階は低かっただろう。
しかし鈍感で馬鹿な悠理は気付かない。

「うん……最初は美童と可憐に聞こうと思ったんだ。でもなんだろ……騒ぎ立てられるの苦手だから、おまえにした。」

「お門違いですよ。僕はそういった類の事には不向きな男です。」

「……そう、なのか?」

珍しいほど真剣な悠理の瞳には少しの邪気も見当たらない。
僕は自然を装い彼女から目を逸らすと、わざとらしい咳払いと共に頷いた。

「でもまあ、せっかく頼ってきてくれたのだし、窺うとしましょう。で、お相手は誰なんです?」

その名を聞いてどうするというのだ?
この世から抹殺したくなるほど羨ましいと思うその男の名を知って、おまえは正気を保てるつもりか?

「い、言わなきゃダメ?」

「出来れば聞きたいですね。ん?……まさか言えない相手じゃないだろうな?」

「どういうこと?」

「妻子持ちだったり、犯罪者だったり……」

「んなわけあるか!!」

彼女がムッとしたところで、僕の肩から少し力が抜けた。

「ではどんな男です?」

「んと……」

聞きたくない。
だけど聞きたい。
猛烈なジレンマが襲う中、握りしめた両手に爪が食い込むほど力がこもる。

「ちょっぴり難しい男。」

「難しい?」

「うん。性格が捻れてるっていうか、ひん曲がってるっていうか。とにかく普通の男じゃないんだ。」

「ほう……よく好きになりましたね。」

「だーかーら、まだよく解ってないんだってば。」

からかったつもりは無いが、長年のクセで言葉の節々にそれが表れてしまうようだ。
彼女の頬が膨れる。

「で?望み薄なんですか?」

「……うん。だってそいつ、あたいのこと…………女だって認めてないんだもん。」

「なるほど。」

確かに一般受けはしないだろう。
こんなにも可愛い女なのに。
ああ、やはり羨ましくて、憎らしくて、頭が破裂しそうだ。

そんな僕に気付きもせず、悠理は話を続ける。

「なぁ、あたいってさ、胸ちっちゃいだろ?こういうの手術でなんとかなる?」

「なっ!?」

馬鹿なことを言うな!
おまえのそのバランスのとれた美しい身体に、メス一本入れたくなんか無いぞ。

恋人でもないくせに、恐ろしいほどの独占欲が湧き上がる。

「胸の大きさなんかで判断する男を選ぶな。相手を好きだと思えば、たとえ醜い傷痕であろうとも愛しく感じるものなんだ。そういう男と付き合いなさい!」

思わず感情的な意見を吐き出してしまったが、当の本人は至って感動したように目を瞬かせた。

「もしかして、おまえ、好きなヤツいるの?」

「………え?」

「なんか、ふと思った。皆に内緒で恋人なんか作っちゃったり?」

「………居ませんよ。」

ただひたすら、報われぬ恋に溺れているだけです。

「そっか…………よかった。」

━━━━━━よかった?一体、何が?

僕の疑問は置いてけぼりのまま、彼女は突拍子もない話を切り出した。

「ハワイでさ、あたいの胸見て………どう思った?」

「ど、どうとは?」

邪な考えを見透かされたのか?
思わず吃ってしまったが、冷静さを取り繕う。

「………やっぱ、ダメ?女として見れない?」

「は?」

「おまえ、あん時、いつも通りだったろ?だから………あたいの胸なんて、男と変わりないのかなって……落ち込んだんだ。」

「ち、ち、ちょっと待ってください!!」

今度こそ取り乱した僕は、髪を掻き毟り、尋ねる。
波のように打ち寄せる期待を、果たして信じていいのか?

「おまえの好きな男って、まさか…………」

「ん…………せいしろ、だよ?」

桃のような頬が赤みを増す。
それを見た僕は気絶しそうになった。

嘘だ。

これこそ夢だ。

幻想だ。

悠理が僕を好き?

何かを勘違いしているだけで、後日、「あ、あれ、間違ってた」とあっけんからんと告げてくるはずだ。

でも

でも………このチャンスを逃してはならない。
欲望に忠実なもう一人の自分がそう忠告する。

逸る気持ちを抑え、僕は再び尋ねた。

「本当に、僕の事を……好きなんですか?」

「……好きになっちゃダメ?」

不安と恥じらいで涙目になった彼女はいつもより幼く、いつもより50倍ほど可愛かった。

浮上する身体。
汚れた精神が再び清らかな風に吹かれ、僕を正しい道へと誘う。

触れたい。
触れたくて仕方ない。

今すぐそのソファで目眩く世界を味わって、二度と泥濘に囚われぬよう、輝良との糸を断ち切りたい。

「せいしろ?」

それは焦がれた声だった。
甘くて、柔らかくて、僕に恋している声。
喉が焼けつくほど求めた声だ。

「僕で良いんですね?」

’こんな僕’で、良いんですね?

戸惑いながらもコクリと頷く悠理を見つめた後、僕はようやく想像もしていなかった幸せに身を横たえた。

幸福と背中合わせにある闇を心のどこかで感じながら……。


これは夢だろうか?

━━━━両想いになった現実を確かめる為、その日、僕たちは夜遅くまで二人きりで過ごした。
本屋に併設されたカフェで。
もちろん最初から甘いやり取りなどではなく、主にこれから先の相談であったが、僕たちにとっては重要な事である。

家族や仲間達に伝えるかどうか。

悩んだ末、悠理は「しばらくナイショにしよ?」と提案してきた為、それに合意した。

━━━━しばらくは秘密の関係で。

その甘い響きに酔い、言葉を噛み締める。

あれほど身の内を焦がしていた貪欲な性衝動もすっかり鳴りを潜め、健全で前向きな男女交際を目指し始めている自分に驚く。
それは、不思議な変化だった。
初めての恋を手に入れた達成感とでも言うのだろうか。
もちろんそういった関係になりたいとは思うが、今すぐでなくても我慢出来そうだった。

そう、今はこの甘酸っぱい幸福を少しでも長く実感したい。


彼女を迎えに来た名輪は、二人きりだった僕たちを少し不思議そうな顔で見ていたが、「レポートの手伝いをしていたんですよ。」と告げれば素直に納得し、「お疲れさまです。」と労ってくれた。

「んじゃ………また明日。」

たったそれだけの挨拶なのに、昨日までとは全く違う意味が込められているように感じ、胸が疼く。

「悠理!」

彼の手で閉じられる扉の隙間を狙い、「後でメールします。」と声を滑り込ませれば、悠理はポッと頬を赤らめた。

とても、可愛い・・・。

「なんで?」
などという素気無い返事ではなく、隠された想いをきちんと理解してくれたのだ。
そんな彼女の成長ぶりにも、非常に驚かされた。
¤
¤
¤
帰宅した僕はすかさず母に呼び止められ、「遅くなるのなら連絡なさい。せっかくすき焼きを用意していたのに。」と小言を聞かされる。
しかし足下が宙に浮いたように軽く、そんな彼女の不機嫌さは霞のように耳を通り抜けていった。

部屋に戻り、ベッドの上で何度も反芻する。
今日、この身に起きた幸せな出来事を。

悠理が恋をした。
この僕に。
あれほど嫌がっていたこの僕に。

カフェで。
どうしても確信が持てなかった僕は、珈琲を啜りながらもう一度尋ねたのだ。

「本当に僕で良いんですか?」

「…………え?」

「だって、おまえはあれほど………嫌っていたでしょう?」

自虐的に笑えば、彼女は吸い込んだクリームソーダのグラスを横にずらし、空いたそこに肘をついた。
そしてその上に顎を乗せ、こちらを上目遣いで見つめてくる。

とろり
甘い蜂蜜のように薫り立つ視線。
照明のせいか、ほんのり潤んで見える瞳。

悠理の美貌を改めて感じ、痺れるような戦慄が走る。
いつの間にこんな表情が出来るようになったのか。
恋が彼女を変えた?
それは即ち、僕が変えたということなのか?

胸に広がる充足感は言葉に出来ないほど大きく、ようやく結ばれた恋の実感が湧いてくる。

「…………清四郎こそ、あたいのこと、ほんとに好きだった?」

「言いましたよね?あのハワイでの出来事をきっかけにお前を意識し始めた、と。」

「ふん。やっぱ、おまえってムッツリなんだな。ちっともそんな風に見えなかったぞ?」

膨らんだ頬は瑞々しい桃のようで、ついつい笑ってしまう。

けれど、悠理━━━
おまえが僕の心を覗き見たら、きっと裸足で逃げ出すことだろう。
薄汚れ、歪に変形した欲望は既に爛れきっている。
複雑に縺れ合った欲情を血の通った人形で解消し、ただ純粋な部分だけをおまえに捧げたいと熱望するエゴイスティックな僕を、きっと受け入れてはくれないはずだ。

「好きです……。おまえの全てが僕にとって必要なんだ。」

その汚れなき精神と身体が。

「…………あたいは………おまえが側に居ないと泣きたくなるほど寂しい。」

「悠理…………」

「だから側にいて?ずっと…………」

そんな彼女の純粋過ぎる想いに応えたい。
真っ直ぐな恋心を胸に、光輝く道を歩きたい。
だからもう欺瞞に満ちた行動は止めよう。
心から欲した女を、ようやくこの手に入れることが出来たのだから。

その時、僕は輝良との決別を胸に誓った。

彼の思いがどう変化しているかなど、想像もせずに━━━━


ピチャ………ジュプ…………

耳慣れた湿音と、温かく濡れた感触に包まれ、確実に反応していると判る下半身。

━━━━悠理?

馬鹿な。そんなはずはない。
腰に這う導火線に火を灯すような技を、恋をして間もない彼女が知る由もないのだから。

夢見心地な快楽に揺蕩いながらも、重い瞼を強い意思で持ち上げる。

身体が重い。
それは明らかなる異常だった。
そして、ぼやける視界に飛び込んで来たのはやはり想定内の男だった。

━━━輝良(あきら)………何をして………?

戸惑いの視線を感じたのか、彼はゆっくりと首を上げ僕を見つめる。
ふわり、揺れる髪が見慣れたオレンジ色の光に透けた。

「あぁ、やっと目が覚めた?ほら見て?すごいよ。もうビンビン。」

どことなく揶揄された言葉に顎を引くと、薄いシャツの向こうに自らの屹立が見え、途端に混乱が始まる。

━━━ 一体僕は何故、こんな状態になっている?ここはどこだ?

必死に思い出そうとしたが、どうも頭がはっきりとしない。
靄(もや)のかかった曖昧な記憶。
それを必死に手繰り寄せる。

確か……
そう、確か「これきりにしよう」と六度目の約束を取り付け、金を渡す為だけにいつものホテルを訪れた。
しかし、彼は複雑な表情で受け取りを拒否し、「そんなことより……」と冷えた缶ビールを差し出したのだ。
それを何も考えず口にした僕は、「もう、手放したくないんだ。」
途切れる意識の途中、哀しげな呟きを聞いた気がする。
そこからの記憶がないということは、恐らく強力な睡眠作用のある薬を盛られたのだろう。
僕の鼻をもってしても判別出来なかったとは………彼に気を許していた証拠か?
自分の落ち度を恥じる。

いつものシンプルなシャツと淡いブルーの下着。
たったそれだけを身に着けた輝良はペロリと赤い舌を出し、再び僕のモノを咥え始めた。
慣れた愛撫は腰を疼かせる。
数多くの乱れた経験の所為か、彼は欲望を掘り当てるのが上手だった。

「く……っ、やめ………ろ。」

激しくなる口淫に呻くも、輝良は離そうとしない。
より深く、喉の奥にまで滑り込ませると、たっぷりの唾液と舌を絡ませ、上下に扱き始めた。

「ま、待て………待ってくれ!」

制止する言葉が聞き届けられ、一旦解放されるも、次の瞬間、僕は不意に別人の気配を察知し、慌ててそちらを振り向いた。

彼はクスクスと笑い始める。

「待つ必要なんかないだろ?彼女も見たがってると思うよ?あんたが乱れるところを。」

━━━━━彼女!?

ナイトスタンドの向こう。
ゆったりとしたワインレッドのカウチソファに横たわる人物は、間違いない。
つい先日想いを確かめ合ったばかりの恋人だ。

哀れにも口に猿轡を噛まされ、手足を何かの紐で拘束されている。
トラブルに巻き込まれる事の多い悠理のお決まりの姿だが、流石にこれは頂けない。

━━━どのくらい拘束されているのか?
そんな身動きの取れない姿ながらも、爛々と光る目だけはこちらを凝視していた。

「悠理!!」

悲鳴に近い呼び声を、輝良の手はそっと制する。
しかしそれに歯向かう僕は、憎しみを宿した表情で彼を見上げた。

「彼女に何をした!?」

「まだ、何も。あんたと同じ薬は飲ませたけどね。」

「いったい、何の薬なんです?」

頭の整理がつかない中、必死で薬の正体を辿る。
最悪、麻薬の類いを思い浮かべながら。

「覚えてる?二度目の夜、枕元で言ったよね?前の彼氏がサディストで、変な薬や道具を躊躇いもせずに使ってくるんだって。ま、俺もドMだし?悪い気はしなかったんだけど。」

確かにそんな話を耳にしていた。
彼の性癖にさほど興味は無かったが、現状を見ればその荒んだ過去は自ずと読み取れる。
危険性を諭すほどの愛情はもちろん持ち合わせてはいなかったが。

よくよく見れば、悠理の口に嵌められた其れはアダルトグッズなどで見かける禍々しさの漂う品。

━━━━そんな下品な物を彼女に!

言い様の無い怒りがこみ上げるものの、動こうとする身体は脱力感に見舞われ、ピクリともしない。
そのくせ下半身だけは力強く勃起しているのだから、一体何の言い訳が出来よう。

「動けないでしょ?結構、特殊な薬みたい。ほら、今流行りのセックスドラッグ。それもアメリカからの輸入物だよ?」

彼の無邪気な言葉に絶望が広がり、目眩を感じた。

「何て物を飲ませたんだ!下手すればアレルギー反応を起こして死ぬ可能性だってあるんだぞ!」

「大丈夫。そこまで危険じゃないよ。僕を含む仲間たちで試して、安全性は実証済みだしね。」

罪悪感の一欠片も見当たらない。
輝良はのっそり立ち上がると、悠理の側に腰かけ、その柔らかな髪を優しい手つきで撫でた。
途端に嫌悪感が走る。

「やっぱ、似てるよね?こうして並べば兄妹みたいじゃない?」

動けないのを良い事に頬をくっつけ、彼女の口から溢れる唾液を啜り取る輝良。
倒錯的な光景だが、僕の怒りはマグマのように燃えたぎった。

「彼女に触るな!」

「んんっんん!!」

恐らく悪態を吐いているのだろう。
悠理のくぐもった声が薄暗い部屋に響く。

「可哀想に。苦しい?でも今からあんたに特別なショーを見せてあげるから、楽しみにしといで。」

彼の残酷な言葉に、彼女は頭を振って激しく抗議する。
どうやら僕よりは動ける様子だ。

━━━━しかし何故、彼女がここに?

疑問を抱いたまま睨んだ先の彼は、見たことがないほど妖艶に微笑み、僕を上から見下ろした。
その表情はまさしく夜叉そのもの。
男と女の境界線に立つその危うい美しさに、圧倒される。

「彼女、やっぱり馬鹿だね。あんたの事で大事な話があるって呼び出したら、すぐ罠にかかったよ。ああ、そういえば付き合うことになったんだって?おめでとう。」

サイドテーブルにある僕の携帯電話。
恐らくはそれを使ったのだろう。

「でも、さ……」と続け、クッと喉で嗤った彼は自らのシャツを脱ぎ、あっさり下着を下ろすと、顔には似合わぬ立派な男根を僕に見せつけた。

「俺だって、あんたが欲しいんだ。金なんか関係なく、ね。」

「これは……最初から取引だったはずだろう?」

「うん、途中まではね。でもあんたが悪いんだよ。あんなにも情熱的に俺を抱くから……好きになっちゃったじゃないか。」

輝良はうっとりと目を細め僕の腰に跨がると、屹立した自分のソレを手慣れた様子で重ね合わせる。

「や、やめろ……」

「こういうの……したことなかったよね。そういえば俺、あんたの顔見ながらイッた事ないから、試して良い?」

「悠理!見るな!」

反射的に声をあげた。
だが、それでも動かぬ彼女の視線が頬に痛いほど突き刺さり、僕はやはり興奮の坩堝の巻き込まれていく。

見ないでくれ!

そう願いながらも、悠理に見られながら達してみたい。
そんな淫らで度しがたい欲望から逃れる事が出来ないのだ。

「すごいよ……こんなおっきいの初めてじゃない?やっぱ、彼女に見られてるからだよね。なんか悔しいな。」

ゆっくりと覆い被さってきた身体はやはり男の物で、女とは明らかに違う骨格に嫌気が差す。
当然のように唇を奪おうとした輝良から顔を背けると、彼は残念そうにそれを諦めた。
そして薬の所為か、全く萎えることがない二本の肉茎を、両手で包み込みながら扱き始める。

「くっ…………!」

不気味な感触。
しかし、ぬるぬると洩れ出す互いの先走りが潤滑油となり、スムーズな動きを彼の手に与えてしまう。
不快感の中に灯り始める官能の火種。
輝良のテクニックは恐るべきものだ。

恐る恐る悠理を振り返れば、怒りか、はたまた哀しみか、真っ赤な瞳で僕を見つめ続けていた。

「悠理!悠理…………見るな………あぁ、僕を許してくれ!」

断罪されることは怖くない。
彼女が軽蔑し、離れていくことの方がよほど恐怖だ。

「すご、………すごいよ。ね?気持ちいいんだろ?こんなにも濡れて………ビクンビクンしてる。あぁ、綺麗だね。あんたのここは本当に綺麗だ。」

擦り上げる手に力が加わり、とうとう切羽詰まった快感が怒濤のように襲い来る。
耐えようとすればするほど、興奮するのは男の悲しい性か?

悠理の視線に晒され続けるグロテスクな行為。
快楽に身を投じながらも、瞬き一つしない彼女の思考が気になって仕方が無かった。

「あ………あ………清四郎……こんなの見せられたら、もう………我慢できないよ。」

「頼む。もう…………止めてくれ。」

四肢の痺れを感じながら懇願するも、輝良は自ら受け入れる準備を整え始める。
使い慣れたローションで。

「なんで?あんたは俺の此処で何度もイッたじゃないか。たとえあの娘の代わりでも、俺の身体で快楽を貪っただろ?それとも今さら聖人面する気?ほら、彼女にも教えてあげないと。あんたがどれほど貪欲で、見た目よりもやらしい男か………。」

聞くに耐えない話だった。
全ては彼の執着に気付けなかった僕の落ち度。

全て、終わった。

天国から地獄へ。

絶望しか残らない。

そう思った。

だがその前に、悠理にだけは伝えておかなくてはならない。
どんなことがあろうとも変わらぬ、たった一つの真実を。

僕は再び彼女を振り返り、震える声で懺悔し始めた。

「悠理………こんな僕を軽蔑するだろう?何を言っても言い訳にはならないのは解ってる。だけど、僕はおまえとの恋をずっと諦めていた。一生叶わないと絶望していたんだ。だから逃げた。おまえに似た彼を抱くことで、不毛な恋から逃げようとした。だって…………まさか叶うとは思っていなかったから…………」

瞬間、悠理の瞼が震えたように見えた。

「だけど………好きだ。悠理だけが好きだ。おまえに与えられる罰ならどんな事でも受け入れる。だから………だから……………」

━━━━━捨てないでくれ。

情けない嗚咽が洩れる中、放置されていた輝良の怒りが限界を迎えたのだろう。
僕のモノを力強く握りしめ、猛烈な苦しみと痛みを与える。

「うぁっ!!!」

「そんなにも彼女がいい!?ねぇ?答えなよ。」

「…………くっ、あ………あぁ。悠理はこの世で二人といない………最高の女だ。」

「ふ、ふはっ!ははは!!」

ギリギリと締め付ける手は捻るような動きを見せる。

「あぁ!!!!や、やめろ!」

「使い物にならないようにしてあげようか?そうしたら俺のモノになるでしょう?大丈夫。出来なくなっても、大事に飼ってあげるよ?」

「なら……ない。僕はもう、悠理しか………欲しくない。」

涙と共に譲れない想いを伝えるが、彼の力は一向に衰える気配がない。

いっそ気を失った方が楽なのか?

吐き気がするほどの痛みの中、しかし耳に届いた異様な音は、気絶しようとしていた僕を現実に留まらせた。

ブチブチブチ!!!

霞む視線の先。
悠理が布の拘束具を力づくで解き、果敢に立ち上がる姿が見えた。
口に嵌められたプラスチック製のそれは瞬く間に取り払われ、その荒い嘶きはまるで猪が猛進してくる直前のようにも感じる。

「こんのやろぉ!!好き勝手しやがって!」

ようやく唾と共に吐き出された言葉はいつもの彼女を彷彿とさせ、こんな状況に置かれていても、僕はホッと胸を撫で下ろした。
弾丸の如く駆け寄る足に、薬の効果は全く見られない。
むしろ俊敏な野生の豹を思わせる。

事ここに至っても、彼女は常人との違いを見せつけるのか?

驚きに目を瞠った輝良は、僕の上からあっさりと消え去り、次の瞬間にはクリーム色の壁に打ち付けられていた。
飾られた額縁がカシャンと音を立て、無惨に砕け散る。

そこからの悠理は容赦なかった。
裸で目を丸くする彼を拳で殴り付ける。
自分に似たその顔を、その腕を、髪を引っ張り、何度も何度も。
そして、半ば気絶した彼の急所に足を伸ばした時、僕は突発的に叫んだ。

「悠理っ!!!」

ハッ
足は寸でのところで宙に浮いたまま。
我に返った表情で僕を振り返る。

「せ……しろ………」

まるで本物の獣だ。
輝良の返り血を頬に浴びた悠理は、それでも完璧な美しさを誇っていた。

「悠理……ここにおいで。」

穏やかな声で促せば、あどけない足音を立て、ベッドへと近付いてくる彼女。
僕は脱力したままの手に意識を集中させ、なんとか数十センチ持ち上げると、怒りに任せた傷ついた拳にそっと重ね合わせた。

「済まなかった………。気持ち悪くないか?」

それは薬の副作用を確かめたつもりだったが、彼女はくしゃっと顔を歪め、「気持ち悪い!!」と、本音を吐き出した。

「清四郎の馬鹿野郎!!変態!!気持ちワリィに決まってんだろ!!どスケベ!あんだけ言い寄ってくる男が嫌いだったくせに!!エロ魔神めーー!嫌い!嫌いだ!!!」

罵詈雑言は続く。
僕の胸板を容赦なく殴り付けるその痛みは、受け入れて当然のもの。
ぶつけられる正直な感情にむしろ感謝するくらいだ。

「それでも僕はおまえが好きだ!悠理だけが欲しい!許してくれるのなら何でもするから!」

「………なんでも?」

「なんでも、する。一生奴隷でもいい。」

「んなの………あたいが好きになった清四郎じゃないよ?」

さっきまで嫌いと言っていた彼女が可愛い顔で戸惑って見せる。
こういうところが堪らない。
身を焦がすほど愛しい。

「なら………どうすればいい?」

ゆっくりとさまよった瞳が、そっと僕に下りて来て、不機嫌に引き結ばれていた唇が小さく開いた。

「…………誓えよ。」

「誓う?」

「この先、ずっとあたいだけだって、誓え。」

「そんなもの………」

誓わなくても、と言いかけた言葉に彼女の鋭い声が被さる。

「早く!!」

「誓う………誓います!おまえだけだ。一生、いや、死んだ後だって。」

「し、死んだ後は………別に自由にしていい。」

「そんなつれないことを言わないでください。僕の心も身体も、魂までも…………おまえのものだ。」

「ほんと?」と見上げる悠理に応え、彼女の手をしっかりと握り締める。
手と手が繋がっただけなのにその高揚感たるや。
深い感動とかけがえのない幸せを僕に与えてくれるのは、やはり悠理しかいない。

涙が溢れそうになった。
自分の破廉恥な姿も忘れて。

目のやり場に困った悠理は、隣のベッドからシーツを剥いで、被せてくれた。
僕は未だ薬の影響でろくに動けない。

「悠理。」

「今、医者呼ぶから。」

「いや………魅録を。」

「え?」

「彼の友人を………こんな目に遭わせたのは僕ですから。」

「で、でも!これはあたいが!」

「良いんですよ。覚悟はしています。」



『ナニも聞かずに闇医者連れてきて。』

たったそれだけの電話で呼び出された魅録は、夜の街で評判の闇医者と共に現れた。
僕たち三人を見比べて、おおよその事態を把握したのだろう。

「悠理、やりすぎだぞ?」

と彼女を軽く小突いた後、気を取り戻した輝良の頬をパシンと叩いた。

「馬鹿な商売はするなと忠告しただろうが。何の為にあの店を紹介したと思ってんだ!」

男気のある魅録は輝良に真っ当な仕事を与えたかったらしい。
頬を腫らした輝良は、捨て猫のように項垂れた。

「おやおや!べっぴんが台無しだな、こりゃ。奥歯まで抜けちまって……魅録、わしの診療所に連れて帰るぞ。」

もぐりの医者はそう言って彼の状態をつぶさに確認していたが、「一週間もすれば良くなるだろ。」との最終的な診断を下した。
ホッと息を吐いた魅録は僕を振り返り、鋭い視線を投げつける。

「清四郎さんよ。今回の件、いつものあんたらしくないんじゃないか?」

「……返す言葉もありませんよ。」

「詳しく説明してもらわなくちゃ、な。」

その後、医者に「中和剤」とやらを打たれ、ようやく身を起こせるようになった。
輝良はどうやら、通常の3倍もの薬を混ぜ込んでいたらしい。
ビールの炭酸で麻痺していたのか、まったく気付かなかった。
それは僕が人並みの体力ではないことを踏んだ上での決断だが、決して笑って許せる行為ではない。



全てを白状した僕に、魅録は苦い顔で沈黙し、その場に同席した悠理はそっと手を握り続けてくれていた。

「聞けば聞くほど……あんたらしくないぜ。」

「解ってます。僕もそう思うくらいですから。」

「輝良は、ちょっと不幸な生い立ちなんだ。未婚の母が連れてきた男達に、姉共々性的虐待を受けて育ってな。親の優しさとやらは全く知らねぇんだよ。」

「そう……だったんですか。」

「二年前のヤツはとにかく荒んでたさ。手当たり次第商売して、ヤクザに目をつけられたところ、俺が助けたんだ。」

「なるほど……」

正直、彼の不幸な生い立ちにもそこまで心が動かされることはない。
それとこれとは、全く別次元の話だからだ。

「で?おまえらは上手くいったんだな?」

「…………はい。悠理を酷い目に遭わせてしまいましたが……」

「こんなことで動じるタマじゃねぇだろ?な、悠理。」

「あ、あったりまえだろ!あたいを誰だと思ってんだ!」

胸を張り断言する彼女の度量には、到底敵わない。
僕は握られた手を強く握り返した。

「なら、今回の話は俺たち三人だけの胸に収めるとしよう!以上!解散だ!」

僕が唯一敵わないと思う親友は、やはりかっこよかった。
ニヒルな笑顔を残し、部屋を去って行く。

扉を閉める際、

「お二人さん。きちんと避妊はしろよな?まだまだ6人で遊びたいからよ。」

とのありがたい忠告を残して。


残された僕たちは見つめ合い、そして笑う。

「悠理、ありがとう。」

「…………いいよ。もう。」

「抱き締めても良いですか?それ以上何もしないから……」

「…………う、うん。」

そっと、そぉっと、華奢な身体を胸に抱く。
いつもとは違う意味を込め、優しさと愛しさを全開にして。

「ああ……僕はこうしたかったんだ。おまえの温もりをこの手に感じたかったんだ。」

沈黙したままの悠理はくすぐったそうに身を捩るも逃げたりはしない。

「好きです……心から悠理が好きです。」

「……ん。」

照れる彼女の激しい鼓動が伝わってくる。
それは僕への想いが途切れていない証拠。

もう二度と自分を偽ったりはしない。

そして、彼女の幻影を求めたりもしない。

この腕にある世界で一番大切な存在の為だけに、僕の命を燃やし尽くそうと思う。

(完)