※この作品は悠理とオリキャラが絡みます。いつもの寸止めではないのでご理解の上、お読みください。
大丈夫だ
絶対おまえは死なないから
飛行機が落ちようが
ビルから落ちようが
絶対 死なない
保証してやるよ
─────いつだったか誰よりも信頼できる声色で、“その誰か”は慰めてくれた。
記憶に残る、温かくて優しい手の感触。
大きな腕にそっと包まれた、数少ない記憶。
“せ………………”
喉の奥で彼の名を呼ぼうとするけれど、どうしても出てこない。
誰だった?
あの黒くて大きな影は。
今すぐにでもその記憶を手繰り寄せたいのに、何故か怖くて─────
震えるほど 怖くて─────
そうして毎朝、汗だくで目覚める。
不確かな場所で。
不確かな腕の中で。
自分よりも遙かに体温の高い男に包まれながら。
どうしようもなく不安な朝を迎える。
「ユーリ、今日はプールサイドで飯を食おう!」
「うん!」
南国の太陽の下で、大きな白い犬に懐かれ暮らすようになって、かれこれ二ヶ月ほど経つ。
白い犬の飼い主は褐色の肌をしているが、1/4は自分と同じ、日本人の血が混じっているらしい。
「アレク!ほら、行くぞ!」
訛りのない日本語。
しかし彼がゆうに七ヶ国語を扱うと知ったのは、つい最近のことだ。
白亜の建物。
椰子の木に囲まれたプライベートビーチと、それを見渡せる楕円形の大きなプール。
そこで何時間も泳ぐのが日課だった。
「うわぁ~!パンケーキだ。それも生クリームたっぷり!」
「食べたいと言ってただろ?レシピ通り作ってみたんだ。」
彼、‘ラファエル・ド・ルイ・ブランコ’は南米屈指の実業家………らしい。
年は32、妻も子もまだない。
普段は海外を飛び回っていて、同じ場所に三日と滞在しないのが自慢だと言っていた。
けれど今、彼は、このカリブ海にある小さな島に約二ヶ月間、腰を落ち着けている。
全てはあたいと過ごす為。
まるで長めのハネムーンかのように、贅を尽くした海辺の別荘でくつろいでいる。
「ガウンは無粋だ。ビキニのままで………」
ラタンの椅子に座った途端、後ろから剥ぎ取られた麻のガウン。
厳しい太陽に晒されることは苦じゃないけど、ラファエルのやらしい視線は別だ。
スイッチさえ入れば、彼は朝夕関係なく求めてくる。
場所も選ばず───貪り尽くされ、気が付けば夜、ということも多々あった。
「スケベ。」
「俺も少しだけ日本人だから、‘スケベ’で正解。」
そう悪びれずに言って、ラファエルは背後からキスの雨を降らした。
布面積の少ないビキニは、小さな胸には不釣り合いだと思うけど、毎日のように揉まれ愛されていると、不思議とそんな考えは消えてゆく。
「さぁ、召し上がれ。」
彼の自信作。
マンゴーやパイナップル、オレンジのソースがふんだんにかかったパンケーキは絶品だった。
────プロ顔負けじゃん!
と心の中で賛美する。
口に出せば調子に乗るから。
でも─────
あれはいつだっただろう?
“誰か”と食べたパンケーキ。
それには敵わない。
苺とバナナの乗った、甘い甘いパンケーキ。
山と積まれたそれを、“誰か”と仲良く分け合っていた。
シルエットだけが浮かび上がるけれど、顔は思い出せない。
黒くて大きな一人の影。
「ほら、トロピカルアイスティも飲んで。ミントをたっぷり入れてみたよ。」
ラファエルの料理の腕前は本物だ。
二ヶ月前、ここに連れて来られた時、口にしたローストビーフは最高に美味しかった。
どうやらあたいは、食べることが大好きらしい。
彼もそれを踏まえた上で、どんどんと腕を振るう。
『ユーリ』
記憶を失っているはずなのに名前が判明したのは、頭にあった髪留めから。
猫二匹のモチーフに小さくYuri と型押しされていた。
名字は解らない。
ただ、波打ち際に倒れていたあたいを、気の良い島の人は直ぐに助けてくれた。
通りがかったラファエルは、たまたまバカンスに来ていただけ。
医者を呼び、気付け薬を飲まされ、ようやく目覚めた時、身柄は彼の別荘へと運ばれていた。
白くてモダンな部屋。
ベッドも何もかもが白い。
190センチはゆうにあるだろう、長身のラファエルは、あたいが腹を鳴らすと面白そうに目を細め、仕込んでいたローストビーフを用意してくれた。
彼は何もかを1人でこなすらしい。
料理をはじめ、掃除、洗濯、庭の手入れまで全て。
広い家ながらも、他に人の気配を感じた事は一度もなかった。
デザートはオレンジ色のホールケーキ。
まさか全部平らげるとは思ってもみなかったのだろう。
目を丸くし、ひどく感心していた。
ラファエルは、記憶のない迷い猫を何故か気に入ったようだ。
毎日髪を洗い、ブラシをかける。
洋服は決まって白のワンピース。
その他は水着だけ。
「ワンピースより、水着が似合うな。」
そう口癖のようにつぶやいていた。
決まって、その瞳は何かを懐かしむように細められる。
彼にも大切な思い出があるのだろう、と朧気に感じた。
別荘での生活が5日ほど過ぎた頃、ラファエルはプールで泳いでいたあたいを水中で抱き寄せ、いきなりキス、してきた。
逃げられない腕力に為す術も無くて、仕方なく身を任せる。
水の冷たさを超える熱いキスは、失った記憶の欠片を思い出させるようで、正直怖かった。
「ユーリ………俺の側に、ずっと居て欲しい。」
水面から顔を出した途端、ラファエルの濡れ落ちた髪が、何故か心に引っかかる。
太陽の下ではコーヒー色をしているのに、水に濡れるとまるで『漆黒』だ。
鼻筋の通った、まるで神話に出てくるような顔立ちのラファエル。
きっとハンサムなんだろうな。
あくまで一般的な意見だけど。
その時、何故彼の言葉に頷いたのか?
心細さから?
それとも男の肌に触れて、記憶の断片にある温もりを思い出したから?
覚束ない足下の自分が唯一頼れる相手。
心の奥底では不安が嵐のように波立っていたけど。
あたいは覚悟したんだ。
今は流されてみようって。
ラファエルに抱かれたのは、その日の夜。
優しく、甘いセックスに溺れ、朝まで夢を見ることはなかった。