前編

※タイトル通り、三角関係!?


あれはいつだったか。

恐らくは、翌年に初等部の卒業を控えた晩秋だったと思う。
肌寒さを感じる中、銀杏並木が輝き、多くのカップルが肩を寄せ合い歩く。
平和で幸せそうな光景。

そんな街並みを眺めながら、僕は母に託された買い物を済ませ、一路本屋を目指していた。

その頃には医学書なんかにも興味を持っていて、出版したてのちょっとマニアックな本が並ぶ大きめの本屋に足を運ぶようになっていた。
父に言えば「まだ早い」と言われそうで、仕方なく自分で揃えることにしていたのだが。
小遣いが瞬く間に吹っ飛んでいく現実はなかなかに辛く───それでも溢れ出る好奇心を抑え込むことは難しかった。

休日の午後。
確か土曜日だったか。
封切りされたばかりの映画目当てに、街のシアターは大混雑。
ハリウッドの大作ということで、老若男女問わず、チケット売場に行列が出来ていた。
果たして並んでまで観る必要があるのだろうか。
もう少し………あと二週間も待てば、ゆったりと鑑賞できるだろうに。

そんなささやかな疑問に首を傾げていると、映画館から見知った顔が一つ、目に飛び込んできた。
プレジデントに入ってからというもの、彼女には妙に敵対視されている。
野梨子との確執は年々深まるばかり。
女という生き物は、よほど執念深いのだと分かる。
乱暴者と名高い彼女が満面の笑みで映画館から出てきたのだから、僕は当然足を止めざるを得なかった。

────仏頂面はよく見かけるけれど、あんな清々しい笑顔は初めてだ。

よくよく見れば一人ではない。
数歩遅れてやってきた少年を見れば、彼女より少し背は低いものの、恐ろしく綺麗な顔立ちをしていて、視線を引く。
まるっきり外国人のようでいて、ところどころ日本人的要素が混じっている気がするも、はっきりとしたことは判らなかった。

────見かけない顔だな。どちらにせよ、うちの学園の生徒じゃない。

彼は爽やかな笑顔を振りまきながら、彼女に差し出されたポップコーンをやんわり断っていた。

どうやら二人は映画を観た直後らしい。
追加で購入したのか、まだ残量の多いそれを彼女は興奮気味に頬張っていた。

───ふーん。あんな笑顔も出来るんだ。

警戒心の欠片もない開けっ広げな表情。
日頃、仏頂面しかお目にかからない“剣菱悠理”の素の顔を、僕はその時初めて見た気がした。

 

「さ、次はゲーセンいこーぜ!」

よく通る声が響きわたり、二人は雑踏に紛れ込む。
彼女にとって我が校の校則規則など全くの無意味。
確か先週も、夜の街を徘徊していて生活指導に怒られていたな───とその時の僕は苦笑いをこぼした。

彼らのあとをつけるつもりはなかったのだが、向かう方向が同じな為、自然とそうなってしまう。
ふわふわと揺れる髪が何よりの目印となり、僕は彼女に気付かれぬよう、10メートル近く離れた後ろを歩いた。

流れ来る楽しそうな声は本当に剣菱悠理のものなのだろうか?
あんなにも快活に笑うなんて、まるで二重人格だ。

変な話、僕はもしかすると別人なのでは?と疑っていた。
よく似た誰か。
世の中には三人居ると言われている。

「あ、悠理ちゃん!」

彼の呼びかけが大きく聞こえ、間違いなく“剣菱悠理”なのだと解る。
その時何故、すこし残念に思ったのかはわからなかった。

彼女が勢いよく駆け込んだ先は高校生たちが遊ぶ、わりと大きめのゲームセンター。

「サシャ!格ゲー(格闘ゲーム)しよう!」

“サシャ”と呼ばれた彼は辺りを気にしながらも、仕方なさそうに店舗へと入ってゆく。
そして僕もまた、少し遅れてその騒がしい空間へと足を踏み入れたのだ。
あれが初めてのゲームセンター。
耳慣れない騒がしい音楽と、ほんのり漂う煙草の香り。
通路は狭く、意外にもいい年をした大人達が目の前のモニターに夢中になっていた。

「サシャは赤色の方な!前に教えたから出来るだろ?」

「出来るけど………悠理ちゃん強すぎるから………面白くない。」

「ならおまえも強くなればいいだろ?じゃ、始めるぞ!」

ポケットから取り出したコインを入れ、強引にスタートを切る彼女に、彼は渋々コントローラーのスティックを握った。
目を輝かせる剣菱悠理は、とても財閥の令嬢とは思えない。
まるで巷の不良少年だ。
しかしその活き活きとした表情に、僕は改めてショックを受けていた。

 

それから30分──
ただひたすら彼らの対戦を陰から眺め、無意味な時間を過ごす。
最初こそ不満げだった少年も、次第に楽しくなってきたのか、無我夢中で攻撃を繰り出していて、どうやら彼女が望む手応えある対戦相手に成長しつつあった。

「あ、くそ!………その攻撃、ずっこいぞ!」

「ふふん。悠理ちゃんの真似しただけだよ。」

言いながらも、二人は楽しそうに笑い合う。
はじめは明確な立場の差があるのかと思っていた。
が、しかし、それは全くの誤解で、彼らはあくまで対等な友人だったのだ。

「げ……………小銭無くなっちゃった。」

「僕が出そうか?」

「ううん。なんか腹減ったから、パフェ食いに行こ!」

「………………はいはい。」

二人が去った後、モニターの前には熱戦の名残りだけが漂っていて、僕はどうしようもなく胸が掻きむしられる思いを感じた。

そう。
その時は分からなかったのだ。
あれは少年に対する“嫉妬”。
“剣菱悠理”と対等に笑い合える立場に居る“サシャ”への、激しい嫉妬だった。

さっきまで彼女が握っていたスティックに、そっと触れる。
まだほんのりと温もりが残っていて、僕は無意識のまま前後左右に動かしてみた。

────全く知らない。
このゲームのルールも、動かし方も、勝ち方も。
あんなにも彼女を熱くさせる世界。
それに自分も関わりたかった。
あの屈託ない笑顔と、遠慮のない距離を間近に感じてみたかった。

いつも───
いつも彼女が僕を刺激する。

思うがままに行動する奔放な姿が、僕の行く道にストップをかける。

その後、本屋には立ち寄らず、これまた初めて大手玩具チェーン店に駆け込んだ。
わりと痛い出費だったが、ゲーム機本体とソフト数本を買い込み、帰宅する。
姉が「清四郎。あんた、ゲームなんかするの?」と目敏く尋ねてきた為、「これからの時代はゲームだよ!」と言い放ち、自室にこもった。

馬鹿馬鹿しいと思っていたはずのそれは奥が深く、わりとはまりこんでしまったのだが、彼女が示したような高揚感までもは得られない。
もちろん負けず嫌いの性格が、完全攻略を目指したのは言うまでもないが。

すべてのソフトをクリアする頃、僕たちは初等部を卒業。
中等部へと進んだ。
相変わらずツンケンしている野梨子の手前、“剣菱悠理”に話しかけることは躊躇われ、何の手だても思いつかないままに月日が経っていった。
成績や教師の評価を維持しつつ、何か楽しいことはないかと考えるも、良家の子息子女にそんな発展的な思考があるわけもなく、「詰まらないな」と感じながら日々を過ごす。

そんな中、推薦で生徒会の一員になった僕は、二年にあがる頃にはあっさりと会長職を譲られていた。
前会長は胃腸の弱い人で、プレッシャーに堪えきれず学校を休みがちだったのだ。
果たして、中等部の会長ごときにそんな激しい重圧があっただろうか?
今もって不思議で仕方ない。

色々業務が増える中、耳に飛び込んでくるのは、意外と多い学校外のトラブルや事件。
特に柄の悪い近隣学校からのカツアゲ被害は後を絶たず、その都度教師たちはピリピリしながら指導していた。

だがいつからか、未遂になるケースが増えてきて、よくよく調べてみればその中心にはいつも彼女が居た。
もちろん今から考えれば、ただ暴れたいだけだったかもしれない。

しかしその時は、問題児ながらも我が校の生徒を庇い、喧嘩にもきちんとした理由があり、それらのほとんどが彼女に隠された正義感によるものだと分かると、僕はよりいっそう距離を縮めてみたいと思った。

以前と違い、興味のベクトルが激しく揺れる。
あの獣のような存在を………手懐けるのも悪くない。



中学二年生。
クラスメイト達は思春期真っ直中。
初めての恋や、アイドルの話で盛り上がる日常は、僕や野梨子にとって馴染まないものだった。

そんな頃、ESP同好会や囲碁研究会に誘われ、狭かった交友関係が徐々に広がりを見せる。
クセのある連中も、僕に備わった武道の実力を知れば、ヘタなちょっかいをかけてはこない。
そしてそんな奴等ほど一度親しくなると、とことん可愛がってくれた。

口うるさい姉には全てお見通しだったようで、「変な事件起こさないでね。」とイヤミたっぷりに忠告してくる。
当然、そんな愚行は犯さないし、品行方正な看板に傷をつけるつもりもなかった。

だが交友関係が増えると、必然的に面倒事も増えるわけで。
特に色事に関しては、まだ中学生の僕に教え込もうと、冷やかし半分で女性を勧めてくる輩も居た。
もちろん────きっぱり断る。
ヘタな女に手を出せば、輝かしい経歴に傷が残るかもしれないからだ。

興味がないわけではない。
ただ僕にも選ぶ権利があると思う。

その頃は明確な理想などなかったが、それでも初めての相手を朧気に思い描くこともあり、しかしその相手がどことなく“剣菱悠理”に似ていたことは墓場まで持って行くつもりだ。

とにかく───
学業以外の趣味を持つことで、僕の生活は一変した。
驚くほど楽しくなった。
更に、学園生活も同じように楽しく過ごしたいと望むようになった。

その為には友人が必要だ。
行動力があり、自分とはまた違った色の世界を見つめる友人が欲しかった。
だからこそ、“剣菱悠理”との接点を貴重に思っていたのだ。

子供のように真っ直ぐで、不当な力に屈することのない反骨心。
優しさと正義感を同居させ、どこか孤独を抱えながら学園に通う姿。
退屈そうなその横顔は、彼女に似つかわしくないとさえ思った。

あの時の屈託ない笑顔を見せて欲しい。
そしてその理由を自分の手で作りたい。

覚悟が決まった僕は、三年生のクラス替えに対し、少しだけ意見を述べた。
あくまで“学園きっての問題児を近くで見張る”───という名目で。

それが功を奏したのかどうかは分からない。
だが僕たちは上手い具合に同じクラスになれた。
野梨子については全くの誤算だったが、これを機に仲良くなれるのなら一石二鳥。
ただ思った以上に女同士の確執は厄介で、そこへ“黄桜可憐”までもが参戦した為、一時期は輪をかけて面倒に思えた。

小さなゴタゴタはあったけれど、良い方向に向いたのは確か。
剣菱悠理が有閑倶楽部の礎となり、その後、美童や魅録との縁をも繋ぐことが出来たのだから万々歳だ。

ただ誤算が一つ────

“友人”としての彼女を尊んだ所為か、互いの間に男女の空気は生まれなかった。
恐らくは僕自身、それを必要としなかったのだ。
楽しすぎたからかもしれない。
この距離こそが貴重だと感じていたからかもしれない。

大学部に進んでからも六人はいつも通りだったし、悠理の恋愛沙汰などお目にかかったことがなく、僕は油断しきっていた。

まさか────

悠理を意識する切っ掛けとなった男が、彼女の側に戻ってくるとは………想像もしていなかったのだ。

僕たちの関係を大きく揺るがすその男の名は───“サシャ”こと、『アレクサンドル・シャリアピン・デミドフ』。

実業家でもありロシア貴族の末裔でもある彼が、剣菱万作のお気に入りであることを知ったのは、大学二年の春であった。