シャンデリアが煌めく一流ホテルのロビー。
今日は披露宴でもあったのか、着飾った男女があちらこちらに見受けられる。
豪華なホテルで挙式………ってのも悪くないわね。
王族だってこの可憐様にかかればイチコロなんだから、40過ぎの男一人メロメロにさせられなくてどうするの。
今夜はいつになく気合いが入っている。
腰ギリギリのところまで開いたドレスはディオールの新作。
わりと頑張っちゃったけど、こういう時にこそ役立ってもらわなくちゃね。
ルブタンの“クチュールコレクション”は最近のお気に入りで、シェイプアップした魅力ある脚を最大限に引き立ててくれる。
さっきからホテルのボーイもチラチラ見てくるくらいだもの。
ちょっと、色っぽすぎたかしら?
ふふ、残念だけどお呼びじゃないわ。
「やぁ、待たせたね。」
「このあたしを待たせるなんて───世界中探しても貴方だけよ?」
甘えるような流し目と共に腕を絡めれば、慌てて人目を気にし始める小心者。
これで本当に企業のトップなの?
でもその表情は喜びに満ちているから、可愛いと思っちゃうのよね。
「今日は特別綺麗だ。………女優顔負けだよ。」
「そう?あたしはいつだってマリリンモンローに負けてないつもりなんだけど。」
「ごもっとも。君の方が美しい。」
率直な賛辞を心地よく感じていると、次の瞬間、彼が硬直したのが判った。
「雄一郎さん?」
視線が向く先を辿るように見つめる。
ざわめく喧噪の中に一人の女性が佇んでいる。
オフホワイトのワンピースに淡い紫色のカーディガン。
自分なら絶対に選ばないであろう清楚系のブランドに身を包む美しき女性。
彼が一度だけ見せてくれた結婚当時の写真よりずっと若々しくて、とても四十路には見えなかった。
「由美子………」
「雄ちゃん………やっと会えた。」
「どうして……ここに?」
彼は戸惑いを隠さず、尋ねた。
「秘書の河井さんから無理矢理聞き出したの。どうしても会って話したくって………」
ウルウルと揺らめく瞳は野梨子に負けず劣らず大きくて、栗色のストレートヘアは肩口で上品に纏められている。
生粋のお嬢様───という噂は本当かもしれない。
もちろん新しい男と駆け落ちしたと同時、実家からはすっぱり勘当されているのだけど。
「困るよ。今夜は約束があるんだ。」
「10分でいいの!話を聞いて欲しい。」
「今更、何を───!君とヨリを戻すつもりはないと何度も言っている。」
「…………その人と結婚するから?」
矛先をこちらに向け、彼女はとうとう一滴の涙を落とした。
女優顔負け………とはこういう人のことを言うのだと思う。
バッチリ化粧を施した頬に、真珠のように転げ落ちる透明な雫。
か弱い美人がするからこそ見とれてしまう。
こんなの見せられたら、ふつうの男は勝てないわよね。
「結婚はともかく………今、僕が一番大切に思ってる女性だ。」
嬉しい告白だけど、“結婚はともかく”って何?
あたしはする気満々よ!
「ごめんなさい。でも一度くらい、私の話を聞いて?」
なかなか引き下がろうとしない元妻に、周りの客たちも興味を示し始めた。
さすがにゴシップになりそうなので、あたしは二人をロビーにあるカフェへと促す。
「先にレストランへ行ってるわ。お話、済ましてきてちょうだい。」
「………可憐。」
申し訳なさそうにしながらも、彼はホッとした表情を浮かべた。
誰かさんと違って、ポーカーフェイスとは無縁の人。
本当にこれで社長が務まっているのかしら?
不安になる。
あたしはエレベーターに乗り込むと、最上階を目指した。
五年連続三つの星が付いたレストランは、彼がコネを駆使して予約してくれたらしい。
到着したフロアはまるで宝石箱に浮かぶゴンドラのよう。
彼の名を告げると、一番奥まった場所にある最高の席へと案内してくれた。
東京の夜景は宝石箱だ。
何度も、色んな場所から眺めてきた景色だが、一緒に眺める相手によって色合いが違う気がする。
今日はどことなくブルーな感じ。
彼が居ないだけで………こんなにも寂しく感じるなんて───
「おや?可憐じゃないですか。」
聞き慣れた声に振り向けば、これまた憎らしいほどスーツの似合う男が一人………いや、その奥から彼がこの世で一番大切にしている女もまたウキウキした様子でやってきた。
変わり映えしない光景に、思わず頭痛がする。
「あ、可憐じゃん!なんだよ、一人?」
「んなわけないでしょう?失礼ね。あんたたちもデート?」
「ま、そんなところです。このホテルのオーナーと打ち合わせがありまして…………ひと仕事済んだと思ったらこいつが盛大に腹を鳴らしましてね。まったく。」
「ふーん……」
南国の海を思わせるブルーのミニ丈ワンピースに白いファーを纏い、悠理にしては珍しく長い足を見せていた。
それは恐らく清四郎の好み。
履き慣れないパンプスも全てこの男の為に選んだはずだ。
元来の性格からは想像出来ないかもしれないが、恋は人を作り変えてしまう。
ここのところ、悠理は周りが驚くほど女らしくなった。
特に清四郎の隣に立つ時は、年頃の女らしく、可愛い出で立ちで。
恋を知り、恋を楽しむ二人は、今までの青春を取り戻そうとするかのように互いを慈しみ合っている。
あたしにとってはそれこそが羨ましく、結婚を焦る理由となっているのかもしれない。
「お相手が見あたりませんが………どこに?」
「ちょっと野暮用なのよ。あ、そうだ、あんたたちもここ、座りなさいよ。どうせならシャンパンくらい付き合ってちょうだい。」
「まさか………“また”振られたんじゃないだろうな?」
相変わらず失礼な子!
自分が幸せだからって、その言い草はないでしょ!
「バカね!この可憐様が振られる訳ないじゃない。」
あたしたちは笑いながらグラスを鳴らした。
この子達と飲むお酒はとても美味しい。
もちろん一本十万円は下らない酒なのだから、旨くて当然なのだけど。
当たり前のように最高の酒が振る舞われる彼らの立ち位置。
いずれこの国の経済界に君臨するだろう男とそのパートナー。
たとえどんな困難が訪れようとも、二人なら難なく乗り越えていけるだろう。
それほど強い絆で結ばれている。
誰もが憧れるほどの愛情とともに。
時が過ぎ………二十分が過ぎた頃、若くてハンサムなウェイターがやってきて、メモ書きが乗ったトレーを恭しく差し出した。
イヤな予感。
小さな紙を開くと……………
“ごめん。ちょっと面倒なことになった。今日は一人で楽しんで欲しい。埋め合わせは近い内、必ず───”
心がひび割れるような内容に、顔が強ばる。
それをすかさず察知した二人が手を挙げ、シャンパンの追加を頼んだ。
「飲もうぜ、可憐。」
「ここは僕が持ちますから。」
「いいのよ。こうなったらあの人にツケてやりましょ。」
ぎこちない笑顔は、いくら上等の酒をあおっても元通りになることはなかった。
元妻の存在。
脅かされるあたしの立場。
彼が選ぶ女は一体どっちなんだろう。
不安に苛まれる胸がジクジクと痛む。
その夜は悠理と清四郎に感謝した。
旨い酒に酔っぱらい、グダグダに腰が砕けたあたしをそれなりの部屋へと連れて行ってくれたのだから。
めんどくさがり屋なはずの悠理が側にいて、一晩中世話をやいてくれた。
肌触りの良いシルクのパジャマも用意してくれた。
清四郎はお手製の薬を飲ませてくれたし、お陰でぐっすり眠ることが出来た。
あの人の夢を見ることもなく、深い眠りの中へと誘われ、優しいリネンの香りに癒された。
痛みが和らいだわけではないけれど、束の間の安らぎを得ることは出来た。
二人のお陰。
持つべきものは、全てをさらけ出せる友人。
あたしは本当に幸せ者だ。