●設定
可憐×男
悠理×清四郎
魅録×野梨子
可憐の恋のお話
失恋を何度も繰り返せば、ある程度の耐性はついてくるもの。
あたしの恋愛運の無さは今に始まったことじゃないけれど、さすがに今回の件はずっしり堪えた。
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お相手はいかにもなIT企業のトップで、総資産は50億とも言われている。
もちろん、いつものように玉の輿だと思い近付いたわけだが、バツイチの彼はなかなかこちらの思うようにはならなかった。
40歳という年齢と、結婚への失望がそうさせているのかもしれない。
前妻は彼と同年代だったらしいが、三年前、年下の男と駆け落ちし、後日、一枚の紙切れだけ(離婚届)を送りつけてきたと聞いた。
子供が出来なかったから───
そう寂しげに笑う彼は、窓ガラスから見える夜景に何を思っていたのだろう。
望み描いていた家庭像はすっかり色褪せ、今は孤独を背負い込み、仕事に邁進している。
あたしは───
そんな彼の横顔に、どうしようもなく惹かれた。
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大学も四年目を迎え、いつものメンバーたちはそれぞれの恋に勤しんでいる。
あの男嫌いな野梨子が魅録と交際を始めたのは驚きだった。
もう五ヶ月も経つというのに相変わらずプラトニックな関係のまま。
“彼ららしい”といえばそれまでかもしれないが、今時流行らないんじゃ………。
そしてお釈迦様と孫悟空な関係の二人が正式に婚約したことも、ここ最近のビッグニュースだ。
いつの間に愛を育んでいたのやら………。
驚きを通り越して呆れてしまう。
美童は相変わらず女に弄ばれていて、たまに本気の恋をしても報われないことが多かった。
今、片恋している相手は五歳年上の女実業家で───いくらデートを重ねても最後の一線を越えられないと嘆いている。
だが、焦らされるほど恋は燃え上がるもの。
彼女はきっとそれを楽しんでいるんだろう。
結局は遊ばれているのだ。
あたしの恋も前途多難で───
人のことを言えた義理じゃないのは百も承知だ。
彼は年の離れた女子大生を娘のように可愛がっているつもりなのだろうが、こちらは本気も本気。
バツイチなんてなんの障害にもならない。
出来ることなら、あたしの愛で深く刻まれた傷を癒してあげたかった。
多忙な彼───“旭 雄一郎”は、分単位のスケジュールに追われている。
それでも週末のちょっとした時間をあたしとのデートにあて、最高のディナーでもてなしてくれる。
キスどころか手も繋いでこないなんて………
この可憐様相手に随分と“奥手”で笑っちゃう。
「大学生活は楽しい?」
「ええ、すごく。でもこうして雄一郎さんと一緒に過ごす時間の方が楽しいわ。」
リップサービスのつもりではないのだが、彼は信用してくれない。
「よく言うよ。君の周りには素敵なお友達が揃っているじゃないか。」
確かに奴らは“素敵な”友人だ。
でも今は互いの恋に夢中で、とりつくしまもないのが現状。
あたしだって恋多き女を自負してきた。
だからこの恋に燃え上がったとて、誰も責めたりはしないだろう。
「友達は友達だわ。あたしの心を捕らえて離さないのは貴方だけよ。」
本気で告げた言葉に、彼ははにかんだ微笑みで応えてくれた。
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「今夜は帰りたくない。」
こんな台詞が飛び出すなんて、あたしも大人になったものよ。
未だ誰も立ち入ったことのない砦を、彼になら崩されても良いと思っている。
雄一郎さんは一瞬驚き、しかし穏やかに首を横に振った。
彼は特別ハンサムではない。
整った顔立ちではあるけれど。
あたしは瞳の横に出来た、その優しい笑い皺がとても好きだった。
パパに包まれているような気になってしまう。
「君のことは好きだ。でも………まだそこまで愛せてはいない。」
真面目過ぎる男。
だけどそんな性格にも胸がくすぐられる。
「じゃあキスだけでも。」
魅惑の唇を突きだし強請れば、彼は困ったように口端を上げた。
「…………参ったな。君の誘惑に逆らえるほど枯れちゃいないんだが。」
「知ってる。」
知ってるわ。
貴方がどれほど魅力的で、女を惹きつける男なのか知ってる。
あたしと出会う前、付き合っていた女の顔も、別れの理由も───知ってる。
灯りの落ちたレストランの前で、彼の唇の温度を初めて知った。
優しくて思いやりのある口付け。
でもその隙間に確実な情熱が潜んでいて、あたしは加速度的に膨らんでゆく想いを止めることが出来なかった。
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「よっ!」
最近の悠理が我が家に来るのは本当に珍しい。
だいたい清四郎と二人きり───もしくは彼女の両親に連れられ、ヨーロッパを巡っている。
理由はただ一つ。
母親のこだわりである究極のウェディングドレスを作るためだ。
今のところ10回ものお色直しが決まっていて、そんな派手婚が出来る財力を持つ彼女を素直に羨ましいと思う。
とはいえ本人は苦虫を噛み潰した顔。
でもあのおばさまに逆らえる人間はこの世に一人としていないのだから、悠理も泣き寝入りするほかない。
あたしが真に彼女を羨ましいと思うのは、その無駄のないスタイルだ。
どんなパターンのドレスも素敵に着こなしちゃって、どれもこれも悔しいくらい似合っている。
送られてくる写メの全てが、悠理の性格を上手に隠し、上品なレディに見せてくれるのだから不思議だ。
清四郎のおかげか、最近では足りなかった胸もややふっくらとしてきた。
ま、元からスレンダーで手足も長いわけだし、粗野な行動さえ慎めば、来年の今頃には眩いばかりの花嫁が出来上がることだろう。
「どうしたの?珍しいわね。」
「家に居たら、フランス語の家庭教師がうるさいんだよ。日常会話もフランス語で喋れって!」
無駄だと思うのだけど、彼女は清四郎との婚約を決めてから語学の勉強をさせられている。
もちろん結婚したら、あの男は剣菱の重役に加わり、世界を股にかける企業戦士となるわけで────
当然、妻となる悠理にも行く先々で社交的に振る舞わなくてはならない。
勉強嫌いな彼女にとって、なかなか高いハードルだ。
美童が用意したフランス語教師は金髪碧眼の優しげな美女だったが、笑顔の裏に隠されたスパルタ精神を見抜けるほど、悠理は賢くなかった。
英語もままならないのに、同時進行で仏語。
相変わらず懲りない男よね、あいつって。
愛がなきゃ、とっくの昔に悠理は逃げ出していると思う。
「ふふ。待ってて、今ケーキを切って上げるから。」
趣味と実益を兼ねたお菓子作りも、今じゃプロ並み。
時々料理教室も開いていて、上流階級のお嬢様方と親しく交流している。
噂話には事欠かない。
それが役立つことだって多いわけで───
「そういや可憐の男………旭なんとかって言ったっけ?」
「“雄一郎”よ。なに?珍しいわね。あたしの交際関係なんて興味なかったくせに。」
大きめに切り分けたガトーショコラにフォークを突き立て、悠理は舌なめずりした。
「いや………その人、夕べ、うちに遊びに来たんだよ。今度、剣菱のIT部門と提携して、新しいサービス作るみたい。父ちゃんがすっげぇ張り切ってた。」
「あら、そうなの?初耳だわ。」
「まだオフレコ段階だから。……てか、ケーキうめぇ!うちのシェフに負けてないじょ?」
素直に感動を伝えてくる彼女にアップルティを差し出しながら、夕べの彼の顔を想像する。
きっとあの破天荒な家族を前にして、度肝を抜かれたことだろう。
彼はとても常識的な人だから。
「ドレス選びはそろそろ落ち着いてきた?」
「まっさかー。母ちゃんのダメ出しが酷いんだよ。このレースは安っぽいとか、生地の光沢が足りないだとか。はぁーー。………ったく、誰が着ると思ってんだ。」
「いいじゃない。一生に一度なんだし、おばさまの願望を叶えてやりなさいな。今まで親孝行らしい親孝行もしてないでしょ?」
あたし自身、これは耳の痛い話だ。
玉の輿に乗ると言い始めてかれこれ十年。
早くママに楽させてあげたいのに、なかなか思うようにいかない。
金を持つ男はだいたい女が居て、独身の場合、特に遊んでいる奴が多い。
既婚者、マザコン、束縛ッキー。
ストーカー付きのモテ男なんてもってのほかだ。
選り好みしていたらあっという間にこの年で、悠理にまで先を越される始末。
正直言えば悔しい。
でもそれよりも喜びが勝る。
「そうそう。あたしが担当する『サムシングブルー』が決まったわ。」
「あぁ………そういや、んなもんあったな。何?」
「ブルートパーズのヘアピンよ。すごくいい石が手に入ったの。今、加工中だから楽しみにしてて。」
豚に真珠───とまで言わないが、悠理にとっては興味の欠片にすらならないだろう。
当日の献立構想には必死で食らいつくくせに。
「野梨子の『サムシングオールド』はおばさまから譲り受けた帯締めみたい。色打掛の時に使って欲しいって。」
「はぁ~~。アレ重いんだよなぁ。肩凝って死にそう。」
「仕方ないでしょ。おじさまの意向も無視出来ないんだし。神前式だって素敵よ?贅沢過ぎるほど贅沢だわ。」
世の女子がどれほど羨むか、この子は解ってないのよね。
世界中から選りすぐりの物を手に出来て、かつ誰からも祝福されるなんて、最高級の幸せよ?
「とにかく、今は赤ちゃん出来ないように気をつけなさい?ドレスを仕立て直すのも大変なんだから。」
「バカヤロ!この年で妊娠なんかしてたまるか!!」
どうかしらね。
相手は清四郎だもの。
あんたに逃げられないよう、ありとあらゆる手段を使うかもしれないわよ。
────とは言えず、「ならいいけど」と話題を流した。
「可憐って、あんな男がタイプなのか?」
「………なによ。文句でもあるの?」
本当に珍しいわ。
悠理が興味を示すなんて。
「うーん………何て言うか………面白くない男だよな?」
そりゃあ……あんた達に比べたら面白くないでしょうよ。
でも今あたしが求めてるのは癒し。
リッチで安定した豊かな生活。
「面白くなくてもいいの!あたし“だけ”に優しくしてくれたら。」
「ふーーーん。」
奥歯に物が挟まったような顔に、イヤな予感が過る。
「なに?何か言いたいことあるの?」
「…………あのおっさ………いや、男、元奥さんに復縁迫られてるらしいぞ?」
「────え!?」
「夕べ、何回も電話かかってきてて、父ちゃんが尋ねたらそう言ってた。困った様子だったけど、照れ隠しかもしんないし………」
元妻?
あの若い男に走って家から出て行った?
嘘でしょう?
どの面下げてそんなこと出来るわけ?
怒りの感情をコントロールするのは難しい。
だからデザートフォークをガトーショコラに突き刺してしまったのも当然だと思う。
「か、可憐?」
「その話、本当なのね?」
「あ………う、うん。」
怯える悠理から目を逸らし、腹を据える。
こうなれば、待っているのは女の戦い。
どんな理由にしろ、一度捨てた夫にしがみつくなんて許せるはずないじゃない!
あたしは奥歯に力を込め、彼をこの手に掴み取ることを胸に誓った。