突き付けられた銃口は鈍い光を放っている。
その冷たさは悠理を徐々にではあるが、冷静にさせていく。
カロリーを摂取したことで身体は温まり、さっきまでの苛立ちも少しは取り除かれた。
問題はこの窮地をどう切り抜けるか。
敵は一人。
大きな身体で覆い被る、残酷な男だけだ。
焦る必要はない。
きっと、助けはやって来るのだから。
手を縛られたままの悠理はそう固く信じていた。
「…………や、優しくして?あたい、初めてだから………」
いつか見た少女漫画をなぞり、媚を売る。
柄じゃないと解っていたが、今はそんなこと気にしている余地はない。
弱々しく微笑む悠理に、しかしヨギはクッと喉奥で嗤って見せた。
そしてその鋭い光を灯す目は、感心したように細められる。
「………最近の女にしては貞操観念がしっかりしてるんだな。」
「う、うん。」
良く分からないまま頷くと、男はいきり立ったモノで悠理の太股で擦るよう触れてきた。
「ヒッ!!」
明らかな違和感に身を竦める。
さっき嫌と言うほど目に焼き付いた男の欲望。
それが今明らかなる意思をもって悠理を襲おうとしていた。
殊更ゆっくりと顔を近付けるヨギ。
良く見れば小さな傷は顔のあちらこちらにも点在している。
「ふ。………悪いが、優しくしてやれない。さっきの強烈なパンチで火が点いてしまったからな。」
そんな男の言葉に、悠理は悉く自分の行動を呪った。
恐らくヨギは怒っているのだろう。
捕らえたはずの獲物に反撃され、冷たく激昂しているに違いない。
小刻みに震える手は、どう血祭りにあげようかと思案しているからだ。
背筋が凍るほどの恐怖。
悠理は戦慄く唇を恐る恐る開き、「………や、やだ…………」と首を振った。
しかし、乱暴に捲り上げられたシャツが強引に口へと突っ込まれ、助けを請う言葉すら奪われる。
露となった下着は簡単に押し上げられ、幼き胸はふるんと空気に晒された。
「んぐ!!!」
悪態を吐くことも出来ないまま、 武骨な指が白い肌を汚して行く。
誰も触れたことのない、なだらかな丘と淡い紅色の蕾。
ヨギの視線が残酷に嗤う。
「綺麗な身体だ。」
そんな褒め言葉にすら立ち上る悪寒。
悠理の反撃する気力が削がれていく。
「んっんっ!んんん!!」
最後の足掻きとばかりに大きく首を振るも、男の手は留まること知らない。
胸の真ん中を裂くよう長い指が滑り落ち、ヘソの辺りでようやく止まった。
「日本人の肌はきめ細かいな。」
事実、悠理の肌は美しく輝いている。
若さと満ち足りた食生活。
適度な運動。
それら全てが健康的な肌を保つ要因だ。
男の感心した声が胸を掠め、悠理は慌てて体を背けようとした。
しかし鋼のような腕は彼女を強引に押さえつけ、下腹部を汚ならしいものが何度も往復する。
「どこもかも舐め尽くしてやる。」
舌舐めずりするその表情は、いつか観た映画のマッドサイエンティストそのもの。
あまりの恐怖から、現実感が失われていく。
「んん!!!」
━━━━清四郎!!!魅録!!!清四郎!!
ピチャリ
耳を塞ぎたくなる湿音は、容赦なく悠理を襲う。
「柔らかいな。それに………甘い。」
チュパ………チュパ………
「んっんんん!!」
初めての感覚は、鳥肌を増やすだけ。
快感もなにもあったもんじゃない。
脚をバタバタとさせ抵抗するも、先端をカリッとかじられれば、その刺激にまたもや身が竦む。
肌を撫で回す手は湿り気を帯びていて、ヨギの更なる興奮が伝わってきた。
ナメクジが這うような不快感にいっそ気絶したくなった悠理だが、それを許す男ではないだろう。
意地を振り絞り睨み付けると、さぞ愉快そうに瞼を舐められた。
「…………やはり、いい目をしている。身代金なんかよりもおまえが欲しくなった。売りさばくのは止めて、俺の女にしてやろう。」
有り難くも何ともない提案。
涙目の悠理は思いきり首を振るも、次の瞬間、口にあったシャツが思いきり引き抜かれ、汚れない唇はヨギに奪われてしまった。
だが悠理は無遠慮に差し込まれた舌を、咄嗟に強く噛んだ。
どんな生き物とて此処は急所のはず。
「んぐっ!!!」
思惑通り怯んだ男を思いきり突き飛ばし、身を起こす。
縛られた手の紐を頑丈な歯で食い千切ると、海に面したデッキへ自慢の足で駆けだした。
銃口を向けるヨギの気配を背中で感じたが、止まることはしない。
あれ以上の気持ち悪さを味わうくらいなら、フカの餌になったほうがましだ。
ガラス戸を開けデッキに足を踏み出すと、潮風が頬を冷やしてくれる。
悠理は逃げ場である海を見下ろすため、一瞬だけ立ち止まった。
その時━━━━
ガゥン!!
耳を劈く銃声。
まるで熱い鍋に触れたような痛みが、二の腕を貫く。
それでも躊躇うことなく、デッキから海へと飛び込む悠理。
海面までどのくらいあるかなど、この際どうでもよかった。
しかし、海に着水した途端、傷ついた腕は火のような熱さと痛みを伴う。
塩水が傷口を焼くように滲みていくのだ。
それでも必死で夜の海を潜り、彼の銃口から逃げる為もがいた。
血が流れ出る。
急速に冷えていく身体。
いくら泳ぎが得意とはいえ、負傷したままではその能力は半減するだろう。
気は遠くなり、水面が徐々に遠退いて行く。
身体が重い。
水を掻いていた足はとうとうその動きを止めた。
━━━━清四郎・・・・
暗い水底へと吸い込まれる感覚に、抵抗することが出来ない。
…………会えないまま、死んじゃうのか。
いつもなら不屈の根性を見せつけるはずの悠理に、絶望が忍び寄る。
━━━━清四郎………もっと早く………云えば良かったな。
瞼を開けていても暗闇が広がる夜の海。
上っていた白い気泡もその数を少なくし、とうとう最後の一つが大きく吐き出された。
━━━━好き、だったよ。
・
・
・
・
ゴホッゴホッ!!!
どれほど気絶していたのか。
悠理が目覚めた場所はクルーザーのデッキだった。
そして視界いっぱいに広がる清四郎の姿。
「悠理!」
「せ………しろ?」
「よく戻ってきた。いい子だ……」
感極まった様子で抱き締められ、そこで初めて清四郎が濡れていることに気付く。
「あ…………助けて……くれたんだ。」
「…………間に合って良かった。」
あまりにも力強くて、息が出来ないと訴えれば、清四郎は慌ててその腕を緩めた。
けれど離そうとはしない。
肌を温めるよう腕の中に隠した。
「傷はそこまで深くありません。きちんと止血しておきましたよ。」
「…………あんがと。」
腕には彼のハンカチが巻かれている。
血は滲み出ているが、確かにそれほどの傷ではなさそうだ。
悠理が心からの感謝を告げると、清四郎は眉をしかめ苦しそうに息を吐き出した。
「悠理。」
「………なに?」
「…………ゾッとした。ゾッとしましたよ!あんな無茶、二度としないでくれ。」
「だ、だって…………」
だって、あんなこと我慢出来ない。
出来るはずがない。
好きでもない男に嬲られるくらいなら………舌を噛んだ方がマシだ。
「生きていればそれだけでいいんだ!たとえどんな目に遭おうと、僕は………僕は…………」
清四郎の目が潤み始める。
悠理はそれを信じらないとばかりに見つめた。
「おまえが居なくなることのほうが千倍も辛い!」
月明かりの下、激情が迸る。
いつもはクールな男が、その感情を閉じ込めることなく吐き出している。
悠理の心を揺り動かす激しい鼓動。
「………せぇしろぉ…………」
濡れた頬を涙が流れる。
悠理はそっと瞼を閉じた。
そうすることが正しかったと判ったのは、数秒後。
冷たい唇が彼女を優しく覆う。
それがやがて温もりを帯びるまで、二人はその場から離れようとしなかった。
・
・
その後、事件が一気に解決へと動き出したのは、ヘリに乗った万作が軍隊を引き連れてきたからだ。
近隣諸国に応援を呼び掛け、まるで私兵のように彼らを扱う。
それは魅録が目を丸くするほど壮観なものだった。
アパッチやコブラといった軍用ヘリが、夜空一面に広がっている。
ホバリングする音がけたたましい。
軍事訓練でも滅多にお目にかかれない光景に、彼は強く興奮した。
慣れた様子で甲板に下り立つ屈強な男たち。
可憐や野梨子の働きで動きを封じられていた男達は、一網打尽。
あの時、 魅録の指示により、二人はキッチンでわざと小火(ぼや)を起こした。
彼らをパニックへと引きずり込む為だ。
もちろん冷静さを失わない男が一人、その場を収めようとしたが、魅録は少しの隙も見逃さず、海賊たちの銃を奪い攻撃した。
いつもは陰に隠れている美童。
果敢に立ち向かうも、やはり戦力外。
すぐに転がされ、負傷する。
野梨子と可憐の容赦ない攻撃(熱した油をぶちまける等)で犯人達はとうとう観念する羽目となった。
それは魅録が驚くほど鮮やかな手並みで、とてもじゃないが真似出来ないと、後に思いだした彼は頭を掻いた。
清四郎が悠理を助ける為、スイートルームへ飛び込んだとき、ヨギは二度目の引き金を引こうとしていた。
しかし予想もしなかった邪魔者の登場に、数秒間気を取られた彼は、清四郎の攻撃をまともにくらい転倒。
見事、関節技を決められ、歩行能力を奪われた。
海に飛び込んだ悠理を波の隙間に捉えたのはそれから少し後のこと。
清四郎は即座に後を追った。
暗い海で方向を失えば、いくら悠理でも命はない。
焦りが募る中、必死で海の中へと潜る。
ヒラヒラと揺れるシャツが目印となり、清四郎は潜水する勢いを増した。
沈んでいく悠理など、過去一度も目にしたことはなかった。
まるで地獄の門へと引き摺り込まれるように、白い肌が消えていく。
その頃、ようやく雲の隙間から月明かりが射す。
それはまさしく奇跡的なタイミング。
薄らとした白い光だが、おかげで見失わずに済んだ。
悠理を片腕で捕獲した清四郎はそのまま水面を目指す。
限界を感じた頃、ようやく船の影が見え始め、顔を出したと同時にヘリの音が聞こえてきた。
それが救いの音であると知ったのは、少し後のこと。
魅録の手を借り、船へと引き上げられた悠理は、清四郎に的確な人工呼吸をされ、命を繋ぎ止めた。
「相変わらず、こいつは悪運が強いぜ。」
気を利かせた魅録はその場を立ち去る。
後片付けをするために。
・
・
「悠理!!」
「大丈夫ですの!?」
ヨギ、シバ、そしてその他の海賊達が軍隊に連行された後、クルーザーにようやく静けさが戻った。
負傷した美童の手当ても済み、6人+1人がリビングルームと称した丸い部屋に集まる。
「悠理!父ちゃんだがや!」
「父ちゃん?」
清四郎に抱えられたままの悠理は、万作の姿に頬を緩め、息を洩らした。
海水を多く飲んだ所為か、身体が思うように動かないらしい。
「無事で良かっただ~!!さすがは清四郎君、よくやった!!!」
感涙する父親に手を握られ、悠理は清四郎を見上げる。
「どうしました?」
「今なら、父ちゃんが何でもくれるんじゃないか?」
「え?」
「ほら、コンピューターとか、欲しいもんあるだろ?」
にやりと笑う娘に父は追随する。
「んだ!何でも言うがええ!」
自慢げに胸を叩く万作へ、清四郎が告げた願いはたった一つ。
「では、遠慮無く。お嬢さんを頂きます。」
「「「「え?」」」」
「なぬっ!?」
「せ、せいしろ!??」
静けさを取り戻したはずの船に、再び喧噪が舞い戻る。
その後、一足遅れて到着した百合子が、クルーザーの行き先をヨーロッパに設定したのは当然のこと。
「さあ!張り切ってウェディングドレスを作るわよ!!!」
「おばさま、あたしたちもご相伴に預かって良いかしら?」
「もちろんよ!カクテルドレスでも何でも好きなだけオーダーしなさい。ホホホホ」
船内に響き渡る高笑い。
ご機嫌なメンバー達を余所に、生まれたてのカップルは月空の下、何度も甘いキスを交わしていた。
「好きですよ………悠理。」
「あたいも………云えて良かった………………」
Pirate Panic、これにて終幕。