────好き、なんでしょ?
────だれを?
────わかってるくせに。
真っ赤なルージュが詰まらなそうに尖る。
長い睫毛と揺れ動くカールヘア。
露出度の高いワンピースは自信の表れ。
カウンター脇を通り過ぎる男の大半は、その豊満な体へと視線を滑らせている。
どう見繕っても、大学生には見えない女。
馬鹿な男達をホイホイ引き寄せるのは昔から変わらない。
三杯目のモヒートはキンキンに冷えていた。
熱帯夜にはちょうど良くて、次も同じ物にしようと考えていた矢先、そんな言葉を投げ掛けられ、無性に苛立つ自分がいる。
わかってるくせに────
何を、分かってるって?
大学一年目───
無事進学出来ただけでもありがたい身の上。
あと四年間は、六人で馬鹿騒ぎが出来ると思っていたし、学生という免罪符の下、好き勝手暴れるつもりでもいた。
世界を冒険するにはまだまだ時間が足りない。
最悪、一年くらい留年しても問題ないと思っていた。
魅録の新しいバイクに跨がって夜の街を楽しんだり、美童がチケットを横流しするパーティに忍び込んで満足するまで食べ尽くしたり、女達だけで南の島も悪くないな。
遊びのプランなら山ほど思いつく。
この際、多少のトラブルもウェルカムモードで受け入れてやる。
清四郎にレポートを手伝ってもらうのは想定内で、そのためにヤツの望むような賄賂を支払うつもりでいた。
使えるものは使う───今も昔も変わらない。
その清四郎───
大学生活はとことん忙しいらしい。
教授に気に入られているからか、直ぐにお呼びがかかる。
学会、講演会、海外出張。
先輩方を差し置いて大きな顔で参加する。
男達からの妬み嫉みの視線は、日に日に増えているように思えた。
そんな忙しい男でも、六人の集まりには必ず顔を出したし、旅の計画なんかも積極的に立ててくれていた。
高校時代と変わらない、いつもの立ち位置でリーダーシップを発揮する。
あれは入学して二ヶ月目くらいだったと思う。
ヤツに纏わりつく一人の女。
絶対に気が合いそうもない上品ぶった顔で、清四郎の行く先々に現れる。
噂好きな学生達はすっかり、ヤツに恋人が出来たと信じ込んでいたが、清四郎が仲間内に紹介することも無かったから、それがただの噂だということは解っていた。
でも…………
なんとなく………鬱陶しい。
野梨子はあからさまに不機嫌。
可憐も同じ。
魅録はどこ吹く風だ。
美童は女の素性を調べ、「東英システムズの令嬢」と知るや否や、異様に羨ましがっていた。
最近、大きく飛躍しているIT企業の一つで、社長は長者番付の常連でもある。
一人娘をことのほか大事にしていて、業界でも有名な親馬鹿だ。
この間は世界で三つしかないサファイヤを落札して新聞を賑わせていた。
そんな女が清四郎に付き纏う理由───もちろん、言うまでもない。
「あいつ頭でっかちだし、恋愛なんてしそうもないし、のんびり構えてるのも解らなくはないけど…………いいの?トンビにさらわれちゃっても。」
「だから───何のことだよ!」
「自分の気持ちに気付いてるんでしょ?あたしの前ではさすがに嘘つけないわよ?」
可憐の探るような目が下から覗き込む。
あぁ、めんどくさい。
珍しく奢ってくれる、なんて言うから、ホイホイついて来たのに。
だいたい気持ちって何だよ。
気付いてるって、何に?
好き────って誰を?
言わない
言いたくない
気付かない
気付きたくない
あいつが選ぶタイプじゃないから
あたいより剣菱を欲しがるヤツだから
そんな男なんてこっちからごめんだ。
そんな男、友達で充分だ。
それなのに────
「ああ……悠理、もうそんなにも好きなのね………………」
可憐の慰める手が背中を撫でる。
自分の顔がどんなだか解らないけど、きっとくしゃくしゃの泣きそうな、情けない顔をしてるはずだ。
「………………あたいなんて、無理だよ。あいつはきっと………もっと上品で上等な女を選ぶさ。」
「そうかしら?あたしが思うに、あんただって充分上等な女よ。家の事を除いてもね。」
「とことん馬鹿なのに?大飯ぐらいで、下品で喧嘩が趣味で………迷惑かけまくってんのに?」
「まあ、否定はしないけど………でも一番大事な物持ってるじゃない。」
「…………………なんだよ、それ。」
確信ある瞳を輝かせる可憐はやっぱり美人で、普通こんな女を男は欲しがるんじゃないか、って思う。
「人を大切にする心。あんたってわりと、友達想いよね?」
「そ、それは別に………普通のことだろ?」
「あたし、覚えてるもの。本当は怖いくせに、必死で連れ戻そうとしてくれたこと。」
可憐が言うその事件は、もう随分前に感じる。
あの時下した決断が果たして正しかったのかは、今も分からないでいるのに。
「自信持ちなさいよ。あんたとあいつは………きっとこの世のどんなカップルよりも強くて、素敵な二人になれるわ。だから………まずは素直になってみて?」
「素直…………好きって、告白すんのか?」
「それは自分で考えた言葉を使いなさい。…………じゃ、頑張ってね。」
「え?どこ行くんだよ?」
香水の残り香を後に、カウンターから離れた可憐は、向こうからやってきた男と軽く言葉を交わし、消えていった。
「やぁ、悠理。飲んでますか?」
「せ、清四郎………」
いつもの落ち着いたジャケット姿は、客の目を惹き寄せる。
この場で誰よりも存在感を示す男。
清四郎から目が離せなくなるのは当然だ。
「可憐から交代してくれって頼まれましてね。ま、僕も多忙の身。たまにはこういう時間も必要です。」
残り香の後に、清四郎の匂いが覆い被さる。
「それはモヒート?」
「あ、うん。美味しいよ。」
「なら僕も同じものを。」
ど、どうしよう。
可憐め!
覚悟なんてちっとも決まってないのに!!
空になったグラスを手の中で弄びながら、ヤツの視線がどこにあるかを探ると、離れた客からのアプローチを苦笑いで断っていた。
───ほら見ろ。あたいたちは男女にすら見えない。
「…………別にいいんだぞ?誘われてんならあっちいっても。」
「面倒ですよ。僕はゆっくり酒を飲むために来たんだし。」
「でも………あたいと居ても………詰まんないだろ?」
「は?」
「……………酒のアテにするには、色気もないし。」
すると清四郎は目を丸くして、固まった。
な、なんだ、その顔。
あたい、変な事言った?
「驚いたな。………どうしたんです?おまえらしくもない。そんな台詞、今まで聞いたことありませんよ。」
「こ、これは一般的な意見で………その………どうせ飲むなら可憐みたいな女と……って思うのが普通じゃん?」
「“一般的な意見”、ねぇ?」
ヤツの探る目からは逃げられない。
どうせお釈迦様の掌で転がされる存在なんだ。
猿回しの猿なんかよりもよっぽど解りやすいんだろう。
清四郎から逃れるように視線を外し、慌ててモヒートのお代わりをする。
くそ、うまくいかないな。
このままじゃ…………バレちゃうよ。
「何を気にしてるのか知りませんが、色気なんてものは後からどーにでもなります。」
「え…………どーゆう意味?」
「たとえば、好きな男性と恋愛し、それによって少しでも相手に良く見られたいと思えば、自然とフェロモンは立ち昇ってくるんですよ。当然、色気に繋がります。」
「………ふーん。」
好きな男────
もし清四郎と恋愛したら、あたいも可憐みたいになるのか?
うーん想像出来ないな。
「………そんなことを気にかけるなんて、悠理もお年頃ですな。」
「………べっつに!」
「もしかして………好きな人でも出来ました?」
ドキン
あからさまに肩が跳ねる。
やばい、バレる。
どうしよう。
あたい、嘘吐くのヘタクソなのに。
熱を帯びてゆく顔が真横から覗かれている。
きっと、もう、真っ赤だ。
言い訳できないほど。
清四郎、見るなよ!
あたいはおまえなんて………
おまえなんて……
「……………スキ」
「……………え?」
「な、なんでもない!!!」
「………好き?誰を?」
くそ!地獄耳め!
「だから、違うってば!」
「まさか、僕?」
なんにも言ってないのに、なんでこいつは勝手に話を進めるんだ!
マイペースにも程があるぞ!
「………違いますよね?僕を好きになるなんて…………おまえに限って、あり得ない。」
「え…………?」
「あんなに嫌がられてたんです。さすがにそこまで自惚れてませんよ。普段から鬼、悪魔呼ばわりですし………まあ、気持ち理解出来ますが───」
清四郎の自嘲する顔がかすかに曇る。
その口は半分ほど残っていたモヒートを飲み干し、付き出しのアーモンドを齧る。
明らかに判る、落ち込み具合。
清四郎が落ち込んでる?
あたいに嫌われてるって?
だってそれは────大昔の話だろう?
「……………スキ………だよ。…………シロが。」
「………………え?」
深く息をのみこむ。
もう、ここで言わなきゃ始まらない。
これ以上、焦れったい思いはやだ!
変な女に持って行かれる前に、あたいのものにしなくちゃ!!
「清四郎が好き。」
たったこれだけの言葉なのに、伝える為には鬼のような勇気が必要だ。
駄目なら友人のまま。
上手くいけば…………いよいよ甘い関係?
「………………まさか、冗談じゃ……」
唖然とする男前は不思議と見飽きない。
綺麗な形の唇がポカンと開き、見開いた目が戸惑いに揺れる。
────さぁ、どう答える?
だんだん染まってゆくその頬が、果たして答えの証なのか。
渇いていた心が癒され、満ち足りてゆく。
清四郎が落ちる瞬間、あたいはきっと泣いちゃうだろう。
夢にも思わなかった現実に腰が抜けるかもしんない。
でも大丈夫。
ヤツが側にいてくれるなら………
この手に入ったなら…………
それだけでもう、人生は最高にエキサイティングなものとなるのだから。