第五話

ニューヨークのど真ん中。
クラシカルなホテルのロビーは、賓客で賑わっていた。
宿泊客は一体何事だろうと首を傾げるも、その顔触れを見て、思わず目を見開く。
政界、経済界、ハリウッドスター。
煌びやかな、いつもはモニター越しに存在するはずの者達がご機嫌な様子で歓談しているのだ。
一流ホテルの客とはいえ、この状況は流石に驚くほかない。

大広間が開くと同時、そのゴージャスな集団はまるで吸い込まれるように大移動を始め、客たちは波に流されぬよう、壁際へと身体を寄せた。
胸の内では、その広すぎる会場でどのようなパーティが催されるのか興味津々である。

そんな中、これまた目を引く邦人達が到着する。
加賀友禅を見事着こなし、夫の袖を指先で掴みながらも清楚な立ち居振る舞いを見せる野梨子。
顔の造りだけ見ればまるで少女のようだが、アップにした髪型が成人女性であることをほのめかしていた。
色気あるうなじに、異国の男達は目を輝かせ、『ヤマトナデシコ』の七文字が頭を過ぎる。

そしてそんな花の横に立つ男。
ワイルドな顔立ちながら、スマートな身のこなしで妻をエスコートするのは、魅録だ。
背丈だけで言うならばアメリカ人にも引けを取らない。
鋭い眼光に年相応の色気を湛え、妻が進む足下を慎重に気遣う。
昔よりも格段、ブラックタキシードが似合う男へと成長していた。

彼らの数歩後から登場したのは美童だ。
まるでスポットライトで照らし出されているかのような目映さが辺りに広がる。
その右腕には、ここ数年ショーモデルとして活躍する女性の姿が。
プラチナブロンドの髪が肩越しに揺れ、耳朶には大粒のダイアモンドが輝いていた。
迫力満点の二人。
客達はトップスターを拝むかのように惚け続けた。

そして────

これまた見事な見映えの男女がエントランスロビーに現れる。
今や社交界で知らぬ者は居ないとまで言われるほど、その顔は看板となっている。

剣菱財閥の令嬢。
トップに立つは彼女の夫。
両親同様、おしどり夫婦と名高い二人だが、しかし今回はいつもと違うパートナーを連れていて………

「美童!」

「悠理!───とまさか、清雅(きよまさ)くんか?」

「ご無沙汰してます。美童さん。」

それは剣菱家長男、清雅の姿。
身体にフィットしたオーダースーツをぴしっと着こなし、まるで本物の夫婦のように寄り添う。
父親の風貌を受け継いだ彼に、美童とて三年ほどお目にかかっておらず、その成長ぶりには驚くほかない。
まだ高校を卒業していないはずの彼はさすがというべきか、遺伝子のいいとこ取りをしたような美男子で、持ち前のプライドがピリッと刺激された。
四十男の足掻きとも言える。

「いやはや、おっきくなったねぇ。それに随分と大人っぽいじゃないか。これまたダース単位の恋人が隠れていそうだよ。」

「こら。おまえと一緒にするな。」

「昔ならともかく、さすがに今じゃそこまでの体力はないさ。それより清四郎は?」

「外せない仕事が出来たからちょっとだけ遅れるってさ。それまでの間、こいつがあたいのお目付役。」

「夫婦は流石に言い過ぎかも知れないけど、………親子には見えないよ。悠理、おまえ、若過ぎ!」

美童の腕に居る彼女も、その二人が親子だと知った途端、ブルーの目を大きく見開いた。
どう見繕っても………姉弟が限度だ。

「そーいや、可憐とは久々なんだろ?」

「それが実は、五日ほど前に一度会ってるんだ。ブルックリンで開かれた写真展を訪れた時、少しだけね。」

「そうか。ならもう、散々アテられた後?」

「うーーん………まぁ、ちょっと違うけど………悠理達も後で話を聞いたげてよ。」

「??」

歯切れの悪い物言いをしながらも、隣の女に促されパーティ会場へと消えてゆく美童。
悠理は嫌な予感を感じつつ、それでも息子のエスコートで先を目指した。

「美童さんは素敵だよね。」

唐突な言葉に母は目を見開く。

「なんだ?おまえもあんな風になりたいのか?」

「うーん………そういうわけじゃないけど。でも女性に対してはいつも優しくありたいよ。」

高校生にしては大人っぽい息子だが、それは自分たちにも言えたことで───
知らず知らずの内に精神的な成長を遂げている彼の横顔を、悠理は眩しそうに見つめた。

「ふ、ん………清四郎も優しいけどな。」

「あの人は……母さんにだけ優しいんだろ?他に対しては最低限の礼儀しか振る舞ってないと思う。いつも目の奥が笑ってないからね。」

「………きっつ………ま、当たってるけど。」

親子は吹き出しながら華やかなパーティ会場へ足を踏み入れた。
天井から吊られた豪華なシャンデリアが光の粒を振りまいている。
悠理が大好きな食べ放題ビュッフェも、世界各国から取り寄せたワインも、この上なく贅沢なクオリティで揃えられていた。

開始時刻に数分遅れて、会場の扉は閉まる。
歓談の声が自然と小さくなって行き、壇上には煌々たるスポットライトが当たった。

現れたのはアメリカでも屈指の実業家『マーク・ブルームバーグ』。
老齢の紳士だが、その声には張りがあり、皆は彼のユニークな挨拶に聞き惚れた。
今回のパーティはアメリカに住む若手起業家達が企画した国際親善パーティ。
その中の一人に、可憐のパートナーが存在するらしい。
どうやら彼も自由の国で羽振りよく仕事をしていて、夜の定期連絡では華やかな生活の一端が垣間見えた。
まさに彼女が望んでいた世界。
本物のセレブに仲間入りしたわけだ。

「魅録、野梨子!」

「悠理……と、清雅じゃねぇか。久しぶりだな。おい、清四郎はどうした?」

一通りの挨拶が済み、それぞれが立食形式のテーブルに散らばる。
魅録の質問に先ほどと同じ返答をした悠理は、もちろんそちらへと意識を注いでいた。
可憐の姿を一応探すも、300人の招待客の中ではそう簡単に見つけられない。

 

「清雅、酒はイける口だろ?いいブランデーが揃ってるんだ。あっちで飲もうぜ。」

肩を回した魅録に、まだ高校生の清雅は困ったように笑った。
伝説の有閑倶楽部。
彼らには法律も規則も全く通じない。
飛び抜けてハチャメチャなのは自分の母だが、それを支えていた五人も相当なものである。

「魅録、程々にしてくださいな。」

常識的に見える野梨子も、実は誰よりも大胆だったりする。
清雅は軽い溜息を吐くと、「お手柔らかに」と呟き、二人は簡易に作られたバーカウンターへと消えていった。

残された悠理は野梨子を引き連れ、早速テーブルへと向かう。
各国の名物料理が並ぶそこは多くの人で賑わっていたが、もちろん悠理は素早い動きで入り込み、皿を山盛りにする。
野梨子の分もきちんと。

「えへへ。腹ぺこだったんだ!」

「………相変わらずですわね。」

「これでも少しはマシになったんだぞ?昔の半分くらいかな?」

「にしても、体型がちっとも変わらないのは本当に不思議ですわ。羨ましい。」

「そ?」

たくさんの料理をみるみる内に平らげてしまい、悠理は早速お代わりに回る。
そんな昔と変わらない光景は、野梨子の胸をほっこりとさせた。

昔────それはもう二十年以上も昔。
何の責任もない楽しい日々は、六人だからこそ味わえた。
常識では考えられない事件やトラブル。
お陰で根性は据わり、精神的にも成長を遂げた。

それでも───

今、こうして自分は、魅録との距離を計りかねている。
幸せならそれでいいじゃないか……と諦めようとしている。
本当は触れ合いたいのに。
男と女で居たいのに。

パートナーに求められる可憐が羨ましかった。
悠理に関しても同じ。

どうして?
魅録はもう───私に対し、欲望を抱かないのだろうか?

眠れぬ夜を何度も重ね、それでも朝になればにこやかに彼を送り出す。
もし他に誰かが居るのなら、決して見逃す自分ではない。
たとえほんの僅かに香る香水にも、きっと反応するだろう。
彼同様、直感には自信がある。

「あんたたち、ここにいたのね!」

「「可憐!」」

華やかな、それはもう華やかな薔薇色のドレスを纏い、可憐は優雅に現れた。

「お久しぶり。二人とも。」

艶のある肌は幸せの証。
片方の腕を悠理の肩へ、もう片方を野梨子へと乗せ、昔と変わらない笑顔で二人を迎えた。

「あんた、相変わらず食べてんのね。」

「とーぜん!」

「野梨子は?」

「わたくしも少しずつ頂いてますわ。」

大輪の花を思わせる三人が、顔を見合わせ笑い合う。
周りの男たちが色めき立つのも必然だ。

「あら、あいつらはどこ?」

「魅録は清雅君とワインコーナーに居ますわ。」

「清雅君?やだ、久しぶりじゃない。きっとカッコ良くなったでしょうね。早く会いたいわ。…………で、あんた、旦那は連れてこなかったの?」

「仕事に捕まってんだ。後から来るよ。それよりイケイケの旦那は何処にいるんだ?」

二つ目の皿を空にした悠理は辺りを見回し、そう尋ねた。

「今は挨拶周りで大忙しね。あの人が中心メンバーの一人だから。」

「素晴らしいですわ。こんな多くの著名人が集まるなんて。」

「そうね……お陰様でここんとこずっと別居状態よ。ふふ。」

軽口の割に、可憐の溜息は深かった。
電話の時よりもそれはずっと重く感じる。
悠理は強気な友人の肩をそっと叩き、「でも、このパーティが終われば元通りだろ?」と励ました。

「ええ…………きっとね。」

そんな二人のやり取りを見て、野梨子は幸せそうな彼女たちの中にある、それぞれの悩みを知った。

悠理だって清四郎の忙しさに何度不満をこぼしたことだろう。
涙を流したことだってあるのかもしれない。
そして可憐もまた、これから色んな局面に立たされ、歯がゆい思いをするに決まっている。
社交界には華やかさだけではない厳しさが、いつだって潜んでいるのだから。

だけどその都度、立ち向かう勇気がなければ、夫婦生活など成り立たない。
手と手を取り合い、理解し合う。
それがどれほど大事なことか。

あぁ、私はこんな基本的な事をせずに来たのだ。
寂しさを家族愛で補ったかのように見せ、本気でぶつかろうとはしなかった。

彼に何も────伝えてはいなかった。

 

野梨子は慌てて魅録を探した。
そして可憐と悠理が驚く中、小走りに駆け出す。
どれほど大勢の中にいても、夫を見失うことはない。
ワイルドな髪型に大きな背中。
きっと多くの酒を飲んでいても、職業柄、彼の全神経は四方八方へと散らばっているはずだ。

────言わなくては、はっきりと。きっとまだ遅くはない!

あと少しで夫の元へたどり着く………そんな時。

会場の端から叫び声が響きわたる。
直後に続くけたたましい銃声。
シャンデリアのパーツが散らばってくる。

「キャアアアア」

「銃を持ってるぞ!逃げろ!!」

警備は万全だったはずだ。
多くのセキュリティースタッフが会場のあちこちに配置され、怪しい人物は一人たりとも通されてはいない。
もちろん招待状のない輩も。

だがこれもまたよくある誤算。
彼らの内の一人が……テロ組織の一味なんて話、ハリウッド映画では大定番。
ようするに仲間が手引きされたわけだ。

「野梨子!」

「魅録!!」

混乱する招待客の波。
野梨子はあと少しの距離に手を伸ばせなかった。
逃げまどう人々に押されながら、夫や友人と離ればなれとなってしまう。

着物という動きにくい衣装も悪かったのだろう。
気付いた時にはテロリスト達の輪の中に閉じ込められ、おおよそ50人の人質の一人となってしまっていた。

辺りを見回すも、夫は愚か、可憐、悠理、清雅の姿もない。
ただ壇上に立ち話していた老人と、可憐の夫らしき人物はその目に捉えることが出来た。

そういえば昔はこんなこと────日常茶飯事でしたわね。

野梨子は脱げかけの草履をしっかり履き直し、恐怖に啜り泣く女性達の中、真っ直ぐと顔を上げた。

大丈夫。
あの人がいるのだから。
それに悠理達が必ず…………助かる道を探してくれる。

覆面を被った男達は約十人。
各の手には見慣れた散弾銃やライフルが握られていた。

野梨子は持ち前の根性で腹を括る。

────決して、こんな場所で命を落としてはならない。子供達の為にも。

こうして大都会ニューヨークの夜は、予期せぬ事態に喧噪を深めていった。
それはもしかすると、久々に顔を揃える仲間達への祝砲だったのかもしれない。