伊織編

「伊織は良い男だねぇ。」

そんな評価を下されたのは、齢15の頃。
言った相手は、家に出入りしていた花屋の後家で、一回り以上も離れていた。
男好きする白い身体を使い、艶かしく誘ってくる。
年頃といえば年頃。
断る理由など思いつかなかった。一度知った味は、食べ比べることで本当に旨いかどうかがわかる。
次は自分から誘いをかけようと思い、町にある数少ない喫茶店を巡った。
背丈はあるほうだが、たかだか15の子供。
相手にされなくて当然。
これも経験だ、と扉を開く。

どうやら、世の中は退廃の兆しを見せているらしい。
昼間っからカフェする人妻がわんさかいて、その中には多少刺激的な何かを求める輩もちらほら。
驚くべき事に、たった一時間で相手は見つかった。

名前は『彩子』。
隣町に住む専業主婦だ。
年は30を過ぎたばかり。
美しい黒髪の女性だった。

何不自由ない生活の中、与えられた離れに彼女をこっそりと連れ込み、享楽に耽る。
学校はどうした?
そんなもの、行くも行かぬもこちらの自由だ。

「悪い子ねぇ?」

「………悪い女ですね。」

子を二人産んだ身体はほどほどに柔らかくて、むしろそれが心地よかった。
がむしゃらな動きに飢えているのだろう。
柔軟に受け止めてくれる。

それからは定期的に女を見繕うことにした。
母屋に住む父も叔父も、そして出張の多い叔父に隠れて、父と頻繁に同衾している叔母も、見て見ぬ振りをする。
幼い頃亡くした母は、父の女癖の悪さに泣かされたことだろう。
認知もしていない子が隣町には数多く居ると言うが、会ったことはない。
会おうと思ったことも。

名士と名高い男も、裏を返せばこんなものだ。
父の愚かな遺伝子は‘一人息子’へと着実に繋がれ、きっとこの家も絶え行くのみ。
其れで良い。

怠惰な生活は十数年に及び、数えきれない女達と浮き名を流した。
中には添い遂げてもいいな……と思う相手もいたが、そういう女に限って男がいたり人妻であったりと、非常に面倒だった為、こちらから身を引いた。

桜と光子。
こんな下らない人生の幕引きを手伝うこととなった彼女たち。
特に光子は情の深い女だと知っていた。
若さ故か、ひたすら一途。
どんな要求ものみ、こちらの好きなようにさせてくれた。

桜は見た目よりも遊び慣れた女だった。
勤めるや否や、奉公先の息子に見初められていたが、どうやら体の相性が悪いらしい。
呉服屋のボンボン。
そろそろ身を固めるつもりだったのに残念なことだ。

桜の気軽さはむしろ好ましかった。
光子が重い分、余計に。
しかし仲の良い二人の女中は、薄々気づいていたのだろう。
互いの体から、同じ香りがすることに。

チリチリと燃え始める嫉妬の炎。
それでも核心的なことは尋ねず、関係を続けていた。

若くて美しい女達が夢中になる。
それは何も持たない男の自尊心を昂らせてくれた。
町の人間の羨む視線が、その時は何よりのご馳走だったのだ。

とはいえ、毒を盛られていることはさすがに知らなかった。
愚かなことに。

かれこれ五年も付き合ってきた女は夫と別れ、こちらに執着の矛先を向け始めていた。
地味な顔立ちだが身体は抜群に良く、彼女が作る料理はプロも舌を巻くほど旨い。

「ねぇ、伊織。私だけと言って?嘘でも良いから。」

そんな嘘はけして楽しくないだろうに。
食事を終えた後、女は甘えるように寄り添ってくる。

一体自分の何がここまで彼女達を狂わせるのか。

容姿?
性格?
それともこのデカダンスな雰囲気?
生きながら死んでいる、この澱んだ魂に惹きつけられるのか?

ならば生を終えるその時まで、彼女達の欲望を満たしてやろう。
生きる支えとなるのなら、それも良し。
刹那的な関係に満足するのなら、いくらでもこの身を提供してやる。



胸に突き刺さった出刃包丁は雨に濡れ、鈍い光を放っていた。
血の匂いが広がる。
命の火が消え行く直前、光子はその若き頬を朱で染め上げてうっすらと微笑んだ。
それはもう、満足そうに。

「私も直ぐに………いくから。」

幸せなら━━━━━━其れでいい。

肉体から離れた魂が、その後に起きたもう一つの惨劇を目にする。
傷ついた桜の背後に立つ一人の男。
彼女の美しい首を黒い浴衣の帯で締め上げる。
口から溢れる呻き声は雨音に掻き消されたが、男は骨が歪な音を立てるまでその手を離さなかった。

血溜まりを作る女は見るも無惨。

━━━男の嫉妬も恐ろしいものだな。

そう話しかけようとした相手はしかし、闇の中に囚われたままとなっている。

光子、桜。
不条理な話だねぇ。
そうは思わないか?

いつしか視界は広がり、天より光の道が伸びる。
そっと足を踏み出せば、現世の記憶など瞬く間に塵へと還った。