注意:清四郎と別の女との絡みが中心となる話です。
悠理と交際する前の設定なのですが、苦手な方は読まないでください。
雪がしんしんと降り積もる。
そう。
あの年のニューヨークも、こんな風に静かな速度で雪景色へと変わっていった。
鮮やかに甦る記憶。
その男は、私の上で汗一つかかず、ただただ女の乱れ行く様を見つめていた。
私はその逞しい腕にしがみつきながら何度も絶頂を味わい、啼き叫び、ついには気を失ってしまったというのに━━━。
初めてだった。
あんなにも浮遊感漂うセックスは・・・・。
朝を待たずに男は自分の部屋へと戻って行った。
連絡先も置かず、たった一つ官能的な香りだけを残して…………。
その日。
出張先のニューヨークで、予約したはずの部屋が取れていないと聞いた私は、軽くパニックになっていた。
慣れない土地。
一流ホテルのフロントは、何故ああも高飛車なのか。
空き部屋は無い、あっさりそう言われた。
クリスマス前のこの季節。
今から新しいホテルを見つける事は至難の業だ。
そんな風に困り果てていたところ、助け船を出してくれたのが彼だった。
撫でつけられた見事な黒髪は艶があり、切れ長の瞳はクールでとても利口そうに見える。
身に着けている物全てが上質で、すぐに彼が富裕層の人間であると気付いた。
私のように背伸びしてこのホテルを選んだわけじゃない。
だって彼がフロントに立つと、ジェネラルマネージャーが飛んで来て、腰を低くしながら挨拶を始めたのだから、きっと上客なのだろう、と私は感じた。
「お部屋、用意出来るそうですよ。」
微笑みながら、事も無げに鍵を渡され、さすがに戸惑う。
「え、でもさっきは・・・」
「少し良い部屋なら用意出来たみたいです。ゆっくり休んでください。では。」
彼は踵を返し、スマートに去って行く。
恩を着せることもなく、ただそれだけを言い残して・・・。
小さな荷物を恭しく運ばれ、案内された部屋は、‘少し’なんてものじゃない、立派なセミスイートだった。
私は慌ててボーイに伝える。
「こ、こんな部屋払えません!」
すると褐色の肌をしたボーイはにこやかに微笑み、告げた。
「予約された料金で結構ですよ。マネージャーからそう聞いております。」
━━━うそ、嘘でしょ?
取り乱しそうになるのを堪え、奥へと進めば、二つの天蓋付きベッドルームに二つのゴージャスなバスルーム。
そして大きなテラス窓からは、きらびやかなニューヨークの夜景が惜しげもなく飛び込んで来た。
こんな大きな部屋に泊まったことなど、もちろん一度も無い。
それも一人でなんて━━━。
多めのチップを渡し、先程の彼は何者かと尋ねる。
名前を教えることは出来ないが、学会の為、二ヶ月に一度は宿泊しているとボーイは言った。
学会?
となると学生?
さすがに教授クラスの年齢ではないだろう。
いくら落ち着いて見えるとはいえ、彼は確かに若かった。
私は丁寧に礼を言い、ボーイを下がらせると、再び部屋を見渡し自分の居場所を探す。
一人掛けのカウチソファはクリーム色のアンティーク。
それがとても気に入った。
荷解きは後にし、暫くそこで彼の顔を思い浮かべる。
上品で端正な顔立ちは、今時の日本人にしては珍しいと思った。
身長もゆうに180はあっただろう。
肩幅も胸板も程よくあり、ふわりとしたコートの上からも鍛えているだろうと判る。
見た目だけなら120点。
あの性格が本物だとしたら、150点は固い。
「なーんてね、何考えてんのかしら、私。」
明日は、勤務先である剣菱商事のニューヨーク支社で大切な商談があるというのに、こんな浮かれた気分でどうするというのだ。
直属の上司は今夜遅くの便で到着する。
さすがに時間も時間だ。
もう打ち合わせすら出来ない。
「さ、美味しいものでも食べて、仕事しましょ!」
三十路を前に転職し、更なるキャリアを積む人生。
今ここで転ぶわけにはいかない。
少しだけ場を意識した服に着替えると、再びエレベーターホールへと向かった。
それが一つの運命だったと、私は今でもそう思っている。
ホテルから出てすぐのストリートは、比較的カジュアルなレストランが立ち並ぶ、若者に人気のスポットだ。
いつもならきっとそちらを選んだ事だろう。
しかし、セミスイートに宿泊することとなった私は、気が大きくなったのか見栄を張ってしまい、気付けばホテルの一階にある高級フレンチへと足を踏み入れていた。
「ご予約は?」
「一人なの、ダメかしら?」
「少々お待ちを。」
さっと予約簿を確認したフロアマネージャーは、数瞬のち愛想良く微笑みかけた。
「ご案内致します。」
黒服にえんじ色のタイ。
ピシッと背筋が伸びた姿は、女なら誰でもうっとりする。
私は気分良く後ろを歩きながら、各テーブルをさらっと見渡した。
基本宿泊客が多いが、中には仕事帰りのカップルも居た。
皆一様にドレスアップしている。
それに比べ私は自分の格好が地味な事を知った。
『仕方ないわよね・・・こんなつもりじゃなかったんだし。』
そんな中、目は一人の男を捉える。
━━━━彼だ!
間違えるはずがない。
金髪碧眼が多い中、黒髪の彼はひときわ目立つ。
窓際の席で一人ゆったりワインを傾けているではないか。
━━━━本当に一人?
自慢できる視力を最大限に活かし、テーブルセッティングの数を素早く確認する。
やはり一人だ。
私は慌ててマネージャーに声をかけ、彼が知り合いであることを伝えた。
「ではあちらへ?」
「ええ、案内はいいわ。その代わりとっておきのワインを一本お願い。」
優秀な彼はすぐに理解を示し、素早く離れた。
緊張が走る。
ゆっくりと近付く私は、まるで獲物を狙うハンターだ。
「こんばんは。先程はありがとうございました。」
声をかけた時、彼は窓の外を見つめていた。
凍てつくような寒さに、身を細める人々。
それを何の感慨も抱かぬ様子で、ただただ見つめている。
「どうぞ。」
彼は私を向かいの席に促した。
こうなることを解っていたかのように・・・。
「部屋は気に入りましたか?」
「ええ、とても!驚きました。あんな良いお部屋、貴方のおかげです。あ……私、立花響子といいます。」
「菊正宗 清四郎です。立花さんはお仕事で?」
「ええ、出張です。菊正宗さんは?」
「僕はロスの学生でして、明日、行われる学会の為に、ここを訪れているんですよ。」
そんな当たり障りの無い話をしながら、到着したワインで乾杯する。
学生らしからぬ落ち着いた物腰。
心地よく響く低音の声。
ワインは確かに素晴らしくて、その芳醇な香りに酔いが回る。
『やだ、私、濡れてる?』
恋人など、五年は居ない。
時折、体だけの関係を持つ友人と適当に遊んではいたが、それもここ半年くらいはご無沙汰だった。
まるで褒美かのように、降って湧いた極上の男。
飢えた女にとって、彼はご馳走でしかない。
「仕事はどんなことを?」
「商社勤務なの。詳しくは言えないけど明日は少し大切な用があって・・・。」
「それは残念ですね。となると、早めに休まなくてはならない?」
言い慣れた台詞と、誘惑の視線。
それに抗うはずもなく、私はオーダーした肉を半分残し、彼の手を取って微笑んだ。
酔っていた。
その視線に。
求めていた。
彼の身体を強く━━━
たった一夜のセックスは想像以上の激しさで………。
私の腰はおかしくなり、半年ぶりの所為か、股間に違和感を覚えた。
それでも朝はやって来る。
仕事へ向かう為のタクシーをフロントに頼むと、ぎこちなく動く身体をよいしょと奮い立たせた。
乱れたシーツが情事の名残り。
もしあんなセックスを毎晩されたら、きっと気が狂ってしまうことだろう。
一晩・・・・そう、一晩で充分。
自分に言い聞かせながら、下着姿でストッキングを履く。
ふと、目の前の大きな鏡を見る。
あれだけ激しい行為をしておきながら、キスマーク一つ付けなかった男。
━━━そうよね。キスマークは独占の証。行きずりの女には必要ないわ。
彼の思惑が手に取るように解ったが、不快感など無く、むしろ鼻歌すら溢れるほどテンションが上がった。
三十路前の女をここまで感じさせてくれたら充分よ。
仕事にも気合いが入るわ。
それでも少し寂しく感じるのは、残された香りから。
「全く。昔の男と同じ香水は止めてよね。」
・
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・
・
あれから二年が経つ。
東京の空には珍しく大きな雪雲が停滞していた。
今、こうして雪景色を眺めていると、あの日の事がまるで夢のように感じる。
「ロマンチック、だったわよねぇ。」
「どうしたんだ?ぼーっとして。」
私の夢を引き裂くように、彼の声が耳に飛び込んできた。
「大樹、仕事終わったの?」
「あぁ、さすがに疲れた。寒そうだけど、飲みに付き合ってくれるか?」
「もちろん。」
彼は久々に出来た、同い年の恋人。
違う部署だけど、お互いの忙しさを良く理解しているから、過ごしていてとても楽チン。
「上の方針で随分とやり方が変わってさ。ったく、下々の者は大変だよ。」
「ああ、そういえば新しい人事が決まったのよね。いきなり重役が入れ替わるってすごくない?」
「優秀なヤツらしいぞ?何でもUCLA首席卒のイケメンで?それも会長令嬢と今年の内に結婚だとよ。……ったく、天上人は何考えてんだか!」
「UCLA・・・へぇ、何て名前?」
「えーと、菊正宗………なんだっけ?ちょっと古くさい名前だったな。」
思わず耳を疑った。
そんな珍しい名前は二人と転がっていない。
「…………清四郎?」
「おっ、それそれ!何だ、知ってたのかよ。」
ええ、知ってるわ。
名前と身体だけは、ね。
そう、彼ならしっくり来る。
剣菱の重役。
令嬢のお相手。
あれから二年の間に、より逞しく賢く成長したのかしら?
「響子、どうした?」
彼は不思議そうに尋ねる。
その’人の良い顔’はあの男と似ても似つかないけれど、私はこの顔が好きになった。
「ねぇ、今夜、泊まっていかない?」
「珍しいな。おまえからそんなこと言うなんて………」
「ふふ、たまにはね。その代わり、期待してるわよ。」
私は今夜、彼に抱かれながら違う男を思い出すのだろう。
━━━雪の一夜くらい許して頂戴、ね、ダーリン。
明日には必ず忘れるから………。
この続きは改頁で。