秋の夜長に……

※甘めのショート

 

 

 

静かな夜だった。

秋の夜長───いつもよりちょっとだけ夜更かししたくなる季節。

最近買ったばかりのサイドテーブルにお気に入りの推理小説を置き、母から貰ったジノリのカップに紅茶を注ぎ入れ、昨夜の続きを楽しもうとカウチソファに座る。
厚みある紺色のアートレザー。
一見無骨な装丁だが、これがまたいい味を出していて、本棚に並べた時重厚感を増す。
いつか自分だけの書斎を持った時、この本はきっとアクセントになってくれるだろう。

 

 

RRRRRRR………

この時間の電話はあまり良い意味合いを持たない。
たとえば親戚の急な不幸。
もしくは父親からの呼び出し。
だが携帯電話に表示された想定外の名前は、僕の心を浮き立たせる相手だった。

「悠理?」
「せぇしろ!起きてた?」
「ええ、まだ十時前ですからね。」
「あ!うん、そだな。」

飛びぬけて明るい声と、背後に流れる騒がしい音楽。
夜更かし好きな恋人は、どうやら新しくオープンした六本木のクラブに居るらしい。
この調子だと魅録や可憐も一緒か。
週末の夜、彼らと羽目を外すのは日常茶飯事であるからして。

「あのさ……」

まるで内緒話をするようなトーンに変化し、こちらも思わず耳を傾ける。

「さっき……おまえに会いたくなって………ちょっと困っちゃった。」

夜遊びに集中しているかと思いきや、まさかそんな可愛い気持ちを電話越しに伝えてくるなんて。
驚きと共に心が温まる。
というか感情が震える。

「嬉しいこといいますねぇ……」
「そう?」
「愛しくてどうにかなりそうですよ。」

素直な言葉で相手に報いると、二人の距離は離れているはずなのに、まるで肌が触れたような感覚を覚えた。

「そ、そんなこと………平気で言えるようになったんだ。」
「おや、口下手だと思ってたんですか?」
「別に。でも………まさか、他の女に言ってないだろうな?」
「そこまで器用な男じゃありません。僕の心は悠理にしか向いていませんから。」

盛大に照れているであろう彼女の顔が瞼に浮かび、嬉しくなる。
悠理への想いならどれだけ言葉にしても足りないほどだ。

「そっちはどうなんです?」
「え?」
「僕をどう思っている?」

照れ屋な彼女をここぞとばかりに追い詰める。
恐らくそれなりに酔っぱらっているのだろうが、それでもすんなりとは口に出さない頑固さ。
だからこそ強請ってしまうのかもしれないな。

「す………好きだよ。」

小声だがきちんと想いを込めた告白。
今すぐにでも抱きしめたくなる衝動を、目を閉じ、堪える。

「変な男に言い寄られてませんか?魅録の側から離れるんじゃないぞ?」
「あ、うん。でも、あたいに声かけてくるやつなんて居ないよ。」

巷でも有名な彼女の腕っぷしは、ある意味僕の安定剤となってくれていた。
普通の女、それも年頃の恋人を夜遅くまで放置する無神経な男にはなりたくない。
そういう意味で、魅録はありがたいボディガードだ。

「いいですか?おまえは美人でわりと隙があるんですからね。ちょっとでも怪しい絡み方をする輩がいたら、遠慮なくねじ伏せなさい。」
「それ、美人って……関係ある?」
「大半の男が騙されるほどの美人ですよ、おまえは。」
「!!」

どれだけ食欲魔人だろうが、傍若無人だろうが、野生児だろうが、黙って佇んでいれば極上の美人だ。
それに───恋を知ったからか、彼女の表情は更に豊かになった。
こちらが驚かされるほどに。

「なんか、おまえに言われると………照れるじょ………」
「本心ですから。僕は悠理の顔が好きです。もちろんそれだけではありませんけどね。」

電話のおかげか、思っていることがスラスラ口にのぼる。
普段の空気感よりもずっと濃厚な気がして、ここぞとばかりに大胆な誘惑を仕掛けたくなる。

「悠理………」
「なに?」
「何時でもいい。遊び疲れたら………タクシーで僕の家に来ませんか?」
「え?」
「裏口を開けておきます。」
「……………………。」

 

長い沈黙に被さる騒がしいダンスミュージック。
彼女の迷いは手に取るようにわかるが、次に開かれた口は想像より遥かに甘い言葉を吐き出した。

「今すぐ……行ってもいい?あ、コンビニでパンツ買うから……ちょっと遅れるけど。」
「パンツは家で洗濯してやるから、そのままで来なさい。」
「わぁった。じゃ、15分くらいで行けると思う。」
「待っています。」

しばらくの間、携帯電話の画面をぼうっと見つめる。
夜遅く、恋人を招き入れる大胆な自分。
そしてその誘いにすんなり乗ってきた悠理。

初めてだった───ここまで順当に歯車が噛み合うことは。

 

我に返り、ソファから立ち上がる。
推理小説は本棚に戻し、すっかり冷えた紅茶を台所まで持って降りる。
替わりに彼女の好きなフルーツジュースとちょっとしたお菓子をトレイに乗せたところで、寝室へ向かう母と出くわした。

「あら、珍しいわね。こんな時間にお菓子なんて。」
「今から悠理が来るので……」
「そうなの?また何か問題でも?」
「……ちょっとした相談事らしいですよ。」
「へぇ。ならそこの戸棚に名古屋の叔母様から頂いた羊羹があるから、切ってあげて。」
「それはいいですね。」

全幅の信頼を寄せてくれる母には申し訳ないが、僕たちは男女交際真っ只中。
一番幸せな時期と言っても過言ではない。

だからどうか許してほしい。
今夜、彼女と一線越えることを。

 

 

部屋に戻れば先ほどから10分費やしていた。
あと五分で悠理がやってくる。
シーツの皺を伸ばし、掛布団を整える。
予備の枕は…………僕の腕があればそれでいいか。
サイドテーブルの引き出しに大事な小道具を三つ。
抜かりなく準備する。

ゆっくり瞼を閉じ、精神統一を図る。
高鳴る鼓動といつもより激しい血流を穏やかにさせる為、軽く座禅を組んだ。

 

ようやく来るべき時が来た。
想いのベクトルが重なったこの時が───
この手に彼女の全てを抱く日が、ようやく来たのだ。

どれだけ精神統一を試みようとも、にやける口元はどうしようもなかった。
男とは愚かな生き物だ……それを痛感させられる。

(着いたよ)

小さな通知音と共に届いた短いメッセージ。
僕は彼女を迎えるため、勢いよく立ち上がった。

 

秋の夜は長い───

そして僕たちは新たなステージへと足を踏み出すのだ。