嘘も方便(3)

嘘も方便()(


剣菱の屋敷は夜でもそれなりの輝きを放っている。

厳重な警備体制に加え、家の主による装飾が一般家庭とはかけ離れているからだ。

やたらと広い玄関アプローチには、青銅で作られた龍が淡い光を浴びながらこちらを見つめている。

いつぞやの香港別邸を思わせるも、あまり良い思い出ではないため、敢えて視界から外した。

「これはこれは、菊正宗様。こんな時間にどうなさいました?」

「こんばんは、五代さん。夜分に済みません……少し悠理に話がありまして。」

老いてこそいるが、彼は有能な執事である。どれほど非常識な時間であれ、僕の訪問を否定することはない。

難なく悠理の寝室へ辿り着くと、立ちはだかる大きな扉はまるでホテルの会議場を思わせた。

念の為ノックを三回。

礼儀は守るスタイルだ。

「誰?」

いつもと同じトーンの声が耳に届く。いや、いつもより低い気もするな。

「こんばんは。」

扉を開ければ、ベッドに転がっていた悠理が目を瞠り、僕を見つめた。

「夜遅くに済みませんね……」

扉を閉めると同時、起き上がった彼女は、ほんの少し肩を震わせる。恐らくは異常事態を感じ取っているのだろう。

優れた野生の勘は未だ健在だ。

「な、なんだよ………?」

オドオドしながら立ち上がると、彼女は枕元の受話器を取り、飲み物とお菓子を運ぶよう告げた。

それこそこんな時間なのに──と思ったが、こいつの食欲は24時間年中無休だったな、と思い至る。

「体調はどうですか?」

「へ?体調?」

体調不良でズル休みを決め込んでいるくせに、その理由を忘れるとはさすが悠理だ。

一度うちの病院で詳しく脳を調べ、鳥頭の仕組みを解明しなくてはならないな、と本気で思ってしまう。

「……ま、それはさておき、話があります。」

「…………もしかして、あの日の続き?」

「悩ませてしまいましたか?」

「悩むっていうか………びっくりしたっていうか……とにかく、信じられないんだよ!」

プイとそっぽを向きつつ、こちらの反応を気にする辺り、決してこの会話を終わらせたいわけではなさそうだ。

「悠理。」

「な、なんだよ?」

覚悟を決めろ、清四郎。

この女を手に入れる為なら、どんな苦労も厭わないと決めたはずだ。

魅録の言葉通り、自分の心を正直にぶつける──

悠理が理解しやすいよう、何度でも噛み砕いて。

「おまえが好きです。嘘偽りなく、心から。」

「!!」

「僕の隣に立てる女はおまえしかいない。もちろん逆も然りだ。」

「せ、清四郎……」

「大事なんですよ、悠理が。この上なく………。気持ち、理解できますか?」

数秒間、目を泳がせる彼女がクッションを強く抱きしめる。

迷いと躊躇い。

それでも即座に否定する言葉が出ないことが、僕に自信を与えた。

「一生……おまえだけと誓うから……受け入れてくれませんか?」

男女の誓いをこんな場所で行うつもりはなかったが、今はそうも言っていられない。

悠理の心を掴む為には、全ての手札を使わなくてはならなかった。

緊張が走る。

背中を流れる冷たい汗は不快だった。

恐らくは歩んできた人生の中で一番、胸が張り詰めていると感じる。

「あ、あたい……馬鹿だぞ?」

ようやく開いた口が、ほんの少し震えている。形良い唇の滑らかな質感を早く味わいたいものだ。

「知っています。」

「下品だし、胸もないし、女っぽくもないし……大食らいだし……」

「ええ……。」

「おまえの話なんてちんぷんかんぷんだし、勉強も嫌いだし、説教もほんとに辛いけど………」

「………そうですね。」

目と唇をギュッと閉じた悠理は次の瞬間、覚悟を決めたように僕を真っ直ぐ見つめた。

「…………清四郎だから……信じるよ。」

「!!」

これはなんという感情だろうか。

『好き』と言われるよりも、満たされていく心。

嘘偽りない彼女の言葉が胸に突き刺さり、その傷口から全身に喜びが駆け巡る。

知らなかった──

きっと知らなかったんだ──

過去、幾度となく告白されたことはあるが、胸に響いたことは一度もなかった。

彼女(彼)たちが見つめる僕は、仮面をつけた空虚な器。

誰も心に切り込むような言葉を与えはしなかった。

それなのに今、悠理は僕への信頼を口にし、覚悟を決めた。

彼女は僕の醜さも欲深さも知っている。

多分誰よりもその本能で知り得ている。

そんな男に、”信頼“の二文字で飛び込む勇気は称賛に値するだろう。

いや、尊敬か?

僕は悠理を尊敬しているのか?

彼女の頬に掌で触れると、悠理はどこか諦めたように擦り寄ってきた。それは懐く猫のようであり、甘える女の仕草でもあった。

「悠理………好きだ………」

「う、うん……」

今はこれで充分。

彼女がいつか僕を愛してくれた時、熟しきった告白を聞こうじゃないか。

こうした経緯を経て、僕達は特別な関係に落ち着いた。仲間たちはこの事実をすんなり受け入れてくれたが、野梨子からは強く釘を刺された。

「わたくしは常に悠理の味方になりますわ。泣かせたら許しませんわよ。」

彼女の恐さは以前の平手打ちでよく理解している。

野梨子だけはいつも真っ直ぐ、僕の狡さを指摘し、正そうとしてくれるのだ。

貴重な幼馴染───

恋にはならなかったけれど、彼女もまた特別な人だ。

「せーしろーーー!飯食いに行こーよ!」

真っ白なワンピースとピンク色のレギンス。いつもより甘めのファッションで僕を誘惑する可愛い恋人。

無意識だろうが、悠理はほんの少し女っぽさを身につけた。

僕の前でだけ煌めくように笑い、その笑顔は間違いなく恋人にのみ向けるものだった。

あの日、咄嗟の嘘がきっかけで気付いた想いは、今もどんどん膨らみ続けている。

いつか大きな樹木となり、多くの果実をつけるのだろう。

恋が愛に変わるまで……

そしてその愛が永遠の絆となるまで……

僕達は嘘から生まれた真実を慈しみ、寄り添い続ける。