剣菱悠理が生徒会長と交際中だって?
どこから洩れたのか、そんな噂が学園内を駆け巡った。
悠理のファン、清四郎のファン、それぞれが阿鼻叫喚の様相で嘆いている。
とはいえ、彼らほど個性的で類を見ないカップルはこの世にないだろう。
皆は’あの剣菱悠理を落とした男’として清四郎を称え、尊敬し、そして恐れた。
一体全体、どうやったらあの乱暴者を御せるのか?
そんなどうでもいい謎に包まれる学園は今日も平和である。
「悠理。」
「ふぁに?」
口いっぱい稲荷ずしを頬張る女が絶賛恋愛中だとは、俄かに信じられない魅録。
差し入れの多くは女生徒からの物で、皆、選りすぐりの名店なのだが、それを掻き込む悠理の姿は動物園の猛獣より遥かに下品であり、魅録はため息を吐く。
「おまえなあ、ちったぁ女らしくしろよ。清四郎だってそんな恋人嫌がるんじゃねーか?」
珍しく説教モードの魅録に、しかし悠理は反論する。
「飯ぐらい好きに食わせろ!だいたい今は清四郎居ないじゃんか。」
教師に呼び出され、あれやこれやの会議中であるはずの生徒会長は、たとえ恋人になったとしても、そんな悠理の行動を指摘したりしないだろう。
あまりにも今更のことだから、100%諦めている。
「達也にしろ、やっこさんにしろ、どこがいいんだかねぇ。」
「ふん、あたいだって知らないやい。でも、達也はあたいの顔が好きだったみたいだぞ。」
「あいつも奇特な奴だよな。でもそれを上回るのが清四郎、か。」
長年、悠理に想いを寄せてきたなんてだれが信じるだろう。
完璧主義者であり、ある意味潔癖な男。
色気と知性を母親の腹の中に忘れてきた悠理を選ぶだなんて、いまだに信じられない気分だ、と魅録は思う。
「あんまり虐めないでやってよ、魅録。」
助太刀したのは美童で、女性の気持ちに寄り添うスキルは世界一かもしれない。
「悠理にとっても初恋なんだから、これからきっと可愛い女の子になっていくと思うよ。」
「こいつが’可愛い’ねぇ…。想像できねーな。」
「そりゃ、魅録の前じゃヤンチャ坊主風情だろうけど、清四郎と二人きりの時は違うかもしれない。女の子は隠された顔がいくつもあるんだし、ね?悠理。」
目くばせされると同時、悠理の胸は跳ねた。
確かに清四郎と一緒の時は、ドキドキするし、キスだってするし、二人きりの時間が特別に思える。
他の仲間とは違う気持ちでワクワクする心。
清四郎に触れたくて、触れてほしくて、大人しく身構えるのも、他とは違う顔なんだろうか。
敢えて答えずとも、美童にはバレバレのような気がして、弁当に顔を戻す。
(こういうのってやっぱ恥ずかしいことなのかな?)
悠理の頭は軽く混乱した。
そこへやってきたのは可憐と野梨子。
どうやら家庭科室でケーキを焼いていたらしく、レモンクリームタルトが甘い香りを漂わせていた。
「さ、切り分けるわよ。」
可憐の号令でテーブルには小皿が用意され、その内の一つ、悠理のものは特別大きく分けられた。
「あんがと♡可憐!」
「いいのよ。清四郎に頼まれたんだから。僕の分も悠理にどうぞ、って。」
「え?あ、そなんだ……」
「ふふん♪優しい恋人じゃないの。あいつもなかなかやるわね。」
清四郎の優しさは友人の時と比べ、格段に変化している。
悠理の気持ちに寄り添い、旅を計画してくれた彼。
何かしらの下心を感じつつも、冒険心を満たそうとしてくれた清四郎が堪らなく好きだと思う。
「うん、優しいんだ。ほんと…」
思わぬ反応に全員が驚くも、悠理の素直な言葉が心に沁み、二人がとてもいい関係を築いていくだろうと安堵した。
甘酸っぱいチーズケーキは特別な美味しさを感じる。
清四郎のさりげない思い。
それを受けて心が優しくなる悠理。
学園がどんな騒ぎに包まれていようとも、彼らはすでに恋の道を歩き始めていた。
全ての授業が終わり、鐘が鳴る。
それは下校の鐘で、多くの生徒は迎えの車に乗り込み、自宅を目指す。
清四郎は夕暮れ時の渡り廊下を一人、歩いていた。
なんとなくだが、恋人が部室で待っている気がする。
もちろん腹が減って帰ってしまったかもしれないが、彼は一縷の望みを捨てきれないでいた。
そこへ──
「菊正宗君。」
声をかけられ立ち止まる。
それはすっかり包帯の取れた檜山澄恵(ひやますみえ)だった。
夕日を背にしているため表情は読み取れず、目を細めて見るも判らない。
「檜山さん、包帯取れたんですね。よかった。」
「ありがとう。色々お世話になっちゃってごめんね。」
「いいんですよ。クラスメイトなんですから。」
「・・・・・。」
彼女の沈黙が何を意味しているか分からない清四郎ではなかったが、一先ず口が開くのを待つことにした。
たった十数秒の間。
澄恵は思い切ったように顔を上げる。
「噂は聞いてるの。菊正宗君が剣菱さんと付き合ってるってこと。でもね、私、ずっと菊正宗君が好きだった。ずっと貴方のこと、好きだったの。」
恋焦がれるとは、ここまで切ない声を生み出すものなのか。
清四郎は驚いた。
自分の想いを殺し続けることは苦痛でしかない。
それは経験上わかっている。
悩み、苦しみ、渇望し、諦める。
その繰り返しを何年も経験してきた男だからこそ、澄恵の告白はあまりにも痛々しく、胸を打った。
「──檜山さん、ありがとう。だが噂通り、僕は悠理と交際しています。気持ちには応えられない。すみません。」
「・・・・そうだよね。分かってる・・・・・分かってた。だから諦めなきゃって、思ってるんだけど・・・」
自分を納得させるような台詞が寒々しさを呼んでくる。
正直、これ以上彼女の顔を見たくない、そんな風に清四郎は思った。
意識がほんの数秒飛んだ時だった。
足を引きずるような音が聞こえた直後、澄恵の体が体当たりしてくる。
清四郎より遥かに小さな背丈で、細い両腕をいっぱいに広げ、抱きしめるその姿。
「噂なら・・・・・私との噂のほうが早かったじゃない!なのに何故・・・!?」
彼女の慟哭が伝わってくるかのような抱擁に、清四郎は硬直した。
それほどまでに自分を恋うているのかと思えば、背筋が震える。
だが、これはいけない。
このような場面をもし悠理に見られたら・・・・・
「噂は、所詮噂なんだよ。」
遠くて近い、そして冷えた声が二人を切り裂く。
渡り廊下の端っこで、剣菱悠理が腕を組み、こちらを見ていた。
「悠理・・・・・」
「噂になったら何が変わるってんだ?だいたい本当のことなんてお互いしか知らないもんさ。そうだろ?清四郎。」
挑戦的な瞳がまっすぐに突き刺さる。
そしてその真っすぐな視線が二人の側に近付いた時、悠理は澄恵を引きはがし、清四郎の顔を引き寄せた。
「!!」
身長差15㎝。
高身長の悠理ですら思い切り背伸びしなくてはいけない。
黒髪の頭をかき抱き、乱暴な口付けをするためには・・・・
驚愕しつつも清四郎はその甘い誘いを受け入れた。
背中に腕を回し、よりしっかり体を密着させる。
たった数秒。
しかしそれは濃厚で愛情深いキスだった。
「これはあたいの男だ。奪いたいならあたいと勝負しろ。」
澄恵を振り返り、脅しをかける。
光る目は牙を剥いた野獣そのもの。
天下の暴れん坊、剣菱悠理にけんかを吹っ掛けて勝てるはずもない。
澄恵の心は急速に縮んでいった。
沸騰した頭を落ち着ける為、部室のソファに腰かけた二人。
清四郎のニヤニヤは治まらず、そんな恋人の姿に悠理はフンと鼻を鳴らした。
「いやはや、いい思いをさせてもらいました。」
「ばっ、ばっきゃろ。だいだいおまえだって悪いんだぞ!黙って抱きつかれるなんて、どんくさすぎて話になんない!」
「それについては謝罪します。」
「ほんとに悪いって思ってる?」
「ええ………」
じっと覗き込まれる目がいつになく真剣で、それ以上の追及が出来ない。
さっきまで触れ合っていた唇。
それを清四郎の指がなぞる。
「もう、キスすることに慣れましたか?」
「え?」
「悠理からしてくれるなんて想像もしてなかったから、本当に嬉しかったんだ。」
年相応の笑顔と言葉遣い。
彼の本音が伝わり、悠理はさっきまでの憤りを引っ込めた。
「慣れちゃいないけど………したいとは思うよ。何度でも………」
「悠理………」
抱きしめられた腕の中、嫉妬という小さな火種が消えていくのを感じる。
育ち続ける恋の花は時として醜くもなり、枯れそうにもなるだろう。
だが自分達はその苦難を乗り越えるだけの絆があると信じたい。
好き
言葉にしなくても聴こえる互いの想い。
肌を寄せ合い、触れ合うことの意味がようやく少しだけ解ったような気がする悠理だった。