日が暮れていく────
互いの想いを確認した二人は、静けさ漂う中、離れられずにいた。
ここは6人の部室で、普段は色恋など持ち込まぬ空間だ。
清四郎に抱きしめられ、涙をその制服にしみ込ませた悠理は、気恥ずかしさから少し身じろぐも、彼はよりいっそう強く抱きしめた。
安心感と充足感。
この二つは彼の腕の中でしか味わえない。
「やっと………手に入れた………」
「’やっと’………っていつからあたいのこと………」
「もう、思い出せないくらい昔ですよ。正直、結婚話が出たときはうれしかった。」
「よく言うよ。散々女に見えないって言ってたくせに。」
「じゃああの時、素直に告白していたら………応えてくれましたか?」
「………。」
それはきっとダメだったと思う。
あの頃の悠理は清四郎への想いに気付いていなかったし、たとえ告白されても受け入れることはなかっただろう。
友人としての清四郎は手放せないが、恋をする相手としては尻込みしていたはずだ。
「たぶん………出来なかった。」
「でしょう?」
結論は変わらない。
だが今は晴れて両想いの二人なのだから、過去に思いを馳せている場合ではない。
この先の未来を思い描かなくては。
「達也にはきちんと言う……。きっと怒らせちゃうだろうけど。」
「そう………ですね。」
本当は会わせたくなかった。それでもけじめは必要だ。
「殴られるかな………」
「好きな女を殴る男など居ませんよ。」
そう言って、清四郎は悠理の頬へキスを落とした。
その日の夜───悠理は初めて達也を家に呼び出した。
覚悟を決めて。
そわそわしながらやってきた彼は、剣菱邸の有り様に驚きを隠せない。
「ひゃあ………まじで大豪邸っすね。」
趣味の悪さはさほど気にならないのか、至るところに並ぶ骨董品や美術品たちに目を奪われているようだ。
10個ある応接室の一つに通された彼は、自分と悠理の格差を充分感じたようで、(やっぱ、どえらいお嬢さんなんだなあ)と溜息を吐いた。
和モダンな部屋の片隅にはジャガーの置物が鎮座しており、その迫力に度肝を抜かれる。
(いくらくらいするんだろう?)と庶民的な感想を思い浮かべる達也。
きっと彼の想像の10倍はするはずだ。
「飲み物、コーラでいい?」
二人のメイドが恭しくグラスを置く。見たことのないお菓子を添えて。
メイドが当然のようにうろつく家なんて初めての経験。
”世界の剣菱“がかけ離れた存在であることを、達也は改めて知る。
「いただきます。」
普段、怖気づくことのない達也とはいえ、さすがに緊張がにじみ出るらしい。
コーラを一気に飲み干し、チラリ悠理を見遣った。
背後にある虎の絵が描かれた建具は、彼女に見合っているような気がする。
「話があるんだ。………聞いてくれる?」
神妙な口調。
「もちろん。」
いつになく静かな悠理に緊張は増すばかり。彼の拳は固く握られたまま、汗ばんでいった。
そこから始まった悠理の話は、途中で遮りたくなるような内容で、達也の頭が次第に沸騰し始める。
自分との交際が、まさか他の男を忘れるために利用されたものだったなんて信じられない。
いや、信じたくなかった。
悠理を好きになった切っ掛け。
それは数年前、敵対するチームに因縁を付けられた時のことだ。
魅録の背中にピッタリと寄り添い、けんか相手を蹴り上げたその一瞬。
彼女の長い脚から繰り出される容赦ない攻撃と、晴れ晴れとした笑顔がたまらなく魅力的だった。
強くて、明るくて、美人で。
周りを渦に巻き込むような圧倒的存在感に、達也は惚れた。
もしかすると………
今回の相手が魅録なら、ここまで悔しくはなかったかもしれない。
尊敬と憧れの対象である彼ならば、歯を食いしばって我慢したかもしれない。
だがひとたび箱を開ければその相手は悠理が厄介とぼやいた男であり、
自分はただの当て馬で、驚くことにこの先二人は上手くいく様相なのだ。
歯ぎしりしたいほどの憤り。
悠理を好きだった分、怒りのボリュームは膨らむ一方だった。
「俺の事………ちっとも好きじゃなかったってこと?」
絞り出すような声は乾いていた。
悠理はそんな男になんと答えていいか解らず、足下を見る。
好きだったと思う。
友人として
遊び仲間として
だけど恋の相手にはならなかった。
なりようもなかった。
だって悠理の心にはたった一人の男しか住んでいないから。
彼女の全てに触れることが出来る男はただ一人。
清四郎だけだ。
「ごめん………全部、あたいが悪い。」
「………。」
達也の視界が暗転するも、悠理だけは白いオーラに包まれていて、(やっぱきれいだよなあ)と泣きたくなる。
「最初から片想いだったってことか。」
「達也、ごめん!ほんとごめん!殴っていいから、気のすむまで殴って………」
そう言い終える前、達也は風のような速さで悠理の目の前に立った。
そして、呆気にとられた彼女を抱きしめ、思い切りキスをする。
「んんっ??……んん!!」
梃子でも開こうとしない唇。
それを知った敗者は潔く諦め、乱暴に突き放すと、
「これでチャラっす!」
涙を堪えた笑顔で、悠理の元から立ち去った。
悔しさ滲む背中を見送る悠理。
もう彼に会うことはないだろう。
馬鹿みたいに騒ぐことも、
からかわれることも、
そして、笑顔を見ることも。
ごめん、達也。
あたいの狡さを許してくれて、ありがとう。
ごめん………
悠理はしばらくその場に立ち尽くし、彼の想いを弔った。
「おまえ………ほんと馬鹿だな。」
魅録の部屋は離れにあり、たとえ夜中に訪れようとも家人に知られることはない。
数台のバイクが並ぶガレージが併設された建物は、彼のタバコの匂いが染み付いていた。
心底呆れたような声で悠理を小突くと、魅録は深い溜息を吐く。
達也の心情を想像すれば、それはもう身を切り裂かれんばかりの辛さだろうと思う。
彼は義に厚く、時として潔癖なほど正義を好む。
だから悠理の話を聞いた時、達也の沈痛を想像し、怒りを覚えたのは当然のことだった。
それでも……
親友の心の葛藤を無視し、怒鳴り散らすわけにはいかず……
相手が厄介な男であることも考慮し、「ほんと馬鹿だな」 ──に留める事にとしたのだ。
「うん……知ってる。」
いつになくおとなしい悠理が、まるで小動物のように可愛く、魅録もそれ以上説教する気になれない。
「………で?清四郎とは上手くいきそうなのか?」
「たぶん………」
曖昧な返事をこぼしているが、その顔に浮かんでいる照れを見れば、余計なお世話だったな、と気付き、追及を引っ込めた。
魅録にとって清四郎は特別な存在だ。
時に互いのプライドがぶつかったりもするが、それはこの世で一番認めているという証でもある。
彼のことをよく理解してるのは、それだけ清四郎が優れているから。
切れる頭脳と圧倒的強さ。
それを日々の努力で維持し続けている。
多少やばい性格であることも承知しているが、胸のどこかで、ヤツには一生勝てないという思いがあった。
そんな男が悠理を選ぶ。
もしかするとずっと前から予感があったのかもしれない。
規格外の女と男。
二人が磁石のようにくっつけば、それはもう自然の理と言っても過言ではないだろう。
「にしても、あの男がねぇ……」
ずっと好きだった……か。
捻くれ者同士の恋愛など、これから一波乱も二波乱もありそうだが、それでも上手くいってほしいと心から願う。
二人は倶楽部の要。
彼らの綻びは仲間の終焉を意味するのだから、是非とも結ばれてほしい。
「魅録は……あたいたちが上手くいくと思う?」
いつの間にこんな表情を見せるようになったのか。
何の打算もなく、ごく自然に女の目で魅録を窺う悠理。
それは破壊的な可愛さを示しており、恐らくは清四郎への恋心が育てた結果なのだろう。
思わず腰が引けるも、悠理の不安そうな顔をそのままにはしておけず……
「上手くいってもらわなきゃ困るんだよ。……っていうか、清四郎に任せときゃいいだろ?おまえより遥かに色んなこと考えてるだろーしよ。」
「確かに……そうかも。」
「とにかく、よくケジメをつけたな。えらいえらい。」
背中をポンポンと叩かれた悠理は、ようやくいつもの晴れやかな笑顔を取り戻した。