「なぁ………おまえ、もしかして剣菱?」
「ん?」
仲間達はそれぞれの意図を持って会場へと散らばり、夫もまた食べることに夢中となった妻を半ば呆れたように見限ったのだろう。
いつしか彼は、よそ行きの笑顔で顔見知りの間を行き来している。
片手にチキンを握りながらも、大きな口で手巻き寿司をかじる悠理は、そんな男の不躾な呼び掛けに、ムッとしつつも背後を振り返った。
「あ~やっぱり、剣菱だ!ほら、覚えてないか?俺、中等部ん時同じクラスだった二世古(にせこ)だよ。」
「’にせこ’?んなやついたっけ?」
中等部時代のクラスメイトなどあまりにもご無沙汰で、たとえ記憶にあったとしても顔と名前が一致しない。
10年も経てば、声だけでなく見た目も変わる。
自己紹介されたとて、脳内容量の少ない彼女に昔の面影など思い出せるはずもなかった。
「ひでぇ。剣菱とは二年間も一緒だったろ?最後の方はおまえの後ろん席に座ってたしよ。俺、三年になってから親の都合で転校しちゃったけど、忘れるなんてひでぇよ。」
悠理は食べる手を止め、ナプキンで口を拭う。
「ふーん………‘ニセコ’ねぇ。確かにいたかもなぁ。で、ここにいるってことは、うち剣菱の社員なんだろ?」
さすがにすっかり忘れているというのは気まずい為、曖昧に頷きながらも上手に話をすり替えた。
彼は一転、明るい顔でそれに答える。
「そう!無事狭き門を突破して、今は本社の海外事業部にいるんだ。そういやさっき見かけたけど、もう二人ほど俺らのクラスメイトがいたぜ?三浦みうらと白神しらかみ………って、やっぱ、そいつらのことも覚えてねぇか。」
肯定する悠理。
二世古の視線は自然と彼女の無防備な胸元に注がれ、彼は少しだけ頬を染める。
豊満な膨らみに目を奪われるのは、どうしようもない男の性だ。
場を誤魔化すよう咳払いした二世古は、
「………なんかさ、剣菱って雰囲気変わったよな。俺なんてそのまんまだってよく言われるのに。」
とぼやいて見せた。
確かに彼の言うとおり、悠理と同い年にしては幼い印象を受ける。
甘ったるいベビーフェイスに、真っ黒な坊ちゃん刈りがそう感じさせるのだろうか。
「そう?でも、この年なんだし……ちょっとくらい変わんなきゃおかしいだろ。」
「いや~、だからってその胸は反則だわ。昔は男よりも男らしかったくせに、今はどう見ても色っぺぇ姉ちゃんだもんな。おい、まさか……シリコンなんてこと………?」
「殴るぞ。」
「はは!冗談だって!やっぱ変わったよな、おまえ。あん頃は口より先に手が出てた。」
どこか懐かしい気分にさせられるのは、彼の砕けた口調のせいだろうか。
悠理はようやく、当時の二世古の顔を思い出そうと試みた。
ニ世古、にせこ、ニセコ………………約20秒。
「ん~~~、もしかして‘いがぐり頭のセコ’?よく宿題忘れて、担任に拳骨食らってた?」
「あたり!そう、‘セコ’。二世古圭介!やっと思い出してくれたか!」
「なーんだ!んなの久しぶり過ぎてわかんないってば!頭もイガグリじゃないし!」
「そりゃこう見えて社会人なんだから、さすがにイガグリはないだろ!」
時を越え、屈託なく笑い合う二人。
その距離が一気に縮まる。
そこへ・・・・
「ニ世古!」
二人の男達が近付いてくる。
「三浦、白神!」
軽く手を上げたニ世古を挟むように二人は立った。
三人三様の顔立ち。
しかし全員がかっちりとスーツを着こなすサラリーマン。
こうして揃ってみれば、自然と当時の面影が思い出されてくるから不思議だ。
その頃の記憶を朧気ながらも手繰り寄せた悠理は、ほっと神経を緩ませた。
良家の子息子女が集まる中、どこにでもイレギュラーな子供は存在する。
この三人は揃いも揃って弁護士の子供。
思春期だった彼らは、親の厳しい躾に嫌気がさし、当時少々悪ぶっていた。
もちろん悠理の足元にも及ばないが、クラスではそれなりに浮いた存在だったのだ。
「剣菱も久々だよなぁ。高等部に進んでからあんまり顔合わさなかったし。いや‘あのメンバー’で活躍してたのは知ってたけどさ。」
白神と呼ばれた七三分けの男は、悠理の上から下までを流し見て、フムフムと頷く。
「そういや結局、彼………‘菊正宗’と結婚したんだって?これぞ聖プレジデント学園に語り継がれる伝説だな。いや、七不思議?」
「どういう意味だよ!」
「よくもまあ、こんなじゃじゃ馬を貰い受けたな~って思ってさ。………彼もかなり物好きなんだね。」
「ほんとほんと。菊正宗ほどの男なら引く手数多だったろうに。あの白鹿さんじゃなく、まさか剣菱をねぇ。」
色白で地味な顔立ちの三浦も、嫌みを交えて白神に追随する。
そういえば彼は昔から野梨子に仄かな憧れを抱いていた。
もちろんその他大勢の内の一人だが……。
悠理は当時、この三人とそんなにも仲が良かったわけではない。
どちらかといえば女子からヒーロー扱いされることが多く、男子は皆、自分より弱いという認識があったため、敢えて接点を持つ必要はなかった。
女子にモテる悠理は、彼らにとって’やっかみ’の対象でもあったのだから……。
しかし10年の歳月は、そんな壁をも取り払う。
三人はシャンパングラスを鳴らし、久々の再会に高揚していた。
ミニ同窓会といったところだろうか。
話が盛り上がる。
酒も進んできたからか徐々に遠慮がなくなり、白神は悠理の胸元を見ながら感動したように呟いた。
「しっかし、よく育ったよなぁ。綺麗に化粧までしちゃって……女ってほんと化けるよ。」
他の女性が相手なら絶対に言えない台詞も、彼女には躊躇うことがない。
「かなり重そう。一体どのくらいあるんだ?」
「D………いやもうちょっとあるよな?」
「おまえらなぁ……!んな真剣に見るな。あたいはこう見えても人妻なんだぞ!?」
「いっちょまえに照れんなよ。柄でもない。」
「「そうそう。」」
声を揃えて野次る三人。
不躾な視線に邪な何かが滲み出した為、慌てて両腕を交差させ胸を隠すが、むしろ余計に強調されてしまい、彼らを喜ばせる結果となってしまった。
ゴクン……
唾を飲み込む音が聞こえる。
「そういや、今、アメリカに住んでるんだって?食べ物が違えばここまで膨れんのかな。」
「ははは!三浦、おまえ分かってるくせに惚けんなよ。旦那に揉まれまくってるに決まってんだろ。」
「うわぁ。ちょっと、いや……かなり羨ましいかも。」
タダ酒が回ってきたのだろう。
囃し立てる彼らの言葉がどんどんと卑猥さを増していく。
あれほど粗雑で女らしさの欠片もなかった同級生。
その美しき変貌ぶりにスケベ心が疼き出すのも、ある程度仕方の無いことなのだろうが……。
反して、下世話な会話に嫌気が差してきた悠理は、辺りを見回し仲間たちを探す。
どうせ夫はどこぞのお偉い方と歓談しているに違いない為、アテにはならない。
「あ、あたい………そろそろ……」
「なぁ、剣菱。」
逃げ腰の悠理に白神が言葉を被せた。
「菊正宗ってさ、ああ見えてやっぱスケベなの?お堅そうなのに夜は激しいってか?」
「なっ!!!!」
「言うねぇ、白神!決まりきってんじゃん。この胸だぜ?」
カラカラと笑い出す三人。
これには悠理の怒りも一気にマックスへと昇り詰める。
自分への揶揄ならまだ我慢も出来るが、夫を侮蔑するような言葉はさすがに不愉快だった。
たとえそれが的を射たものであったとしても……。
『こいつらぁ~。見てろ!ヒールで思いっきり蹴り飛ばしてやる。』
そう決意した悠理が、背後から腰を掠われたのは直ぐ後のこと。
一瞬、宙に浮いた身体が逞しい腕によって着地する。
「おやおや、見覚えのある顔がお揃いで……。」
「清四郎!」
涼しい声と冷えた視線。
いつから聞き耳を立てていたのだろう。
突如として現れ、妻を隙間なく抱き寄せた清四郎は、憤怒した赤い頬に軽くキスをした。
アメリカでの生活も長い。
これもまた身についた習慣である。
自然に寄り添う二人を見て、男達は一気に目を覚ます。
いや……原因はそれだけではない。
夫の眼光に顕著な怒りが見て取れたからだ。
「確か……’ニ世古圭介’君、’白神厚’君、そして’三浦成太郎’君、でしたね。ずいぶんとご無沙汰しています。社での評判は僕の耳にも伝わっていますよ。」
彼らは清四郎と同じクラスになった覚えはない。
当然、顔を知られているなどとは思いも寄らなかった。
まるで叱られる子供がフルネームで点呼されたように、ピンと背筋を伸ばす。
「僕も来年には本社に席を用意してもらうこととなります。社会人として先輩の君達には是非とも色々ご教授願いたい。今後ともよろしくお願いしますね。」
それはとても丁寧な挨拶だった。
もちろん声色こそ冷え切っていたが…………。
清四郎はスマートに片手を差し出し、無言で握手を強要した。
そうなると社会人として握らないわけにもいかず、まずはニ世古が恐る恐る応える。
「!!!」
込められた力は、握手なんて可愛いもんじゃない。
呻く事すら出来ないのは、彼の目がそれを許さなかったからだ。
そう。
清四郎は相当怒っていた。
妻に対する侮辱に。
そして、その好色さを隠そうともしない視線に。
三人の男達に囲まれている悠理を目にした時、嫉妬深い夫はすぐにでも駆けつけようとしたが、酒に酔った重役の一人に捕まり、それが不可能となってしまった。
苛々しながらも視力の良い目で見つめていると、妻が助けを求めるよう辺りをキョロキョロと見回し始めた為、
近くに居た豊作にお役目をバトンタッチし、その長い足で人混みを縫いながら素早く駆け寄った。
しかし近くにまで辿り着いた時、彼の地獄耳が下品な男達の会話をキャッチする。
いくら酒が入っているとはいえ、これを見逃すことは到底出来ない。
妻へのあからさまな視線も、自分を貶めようとする言葉も、彼の中に静かで昏い怒りを生み出す。
・
・
握手という名の暴力に、他の二人も、頭の血管が浮き上がるほどの痛みを堪えた。
「さあ、悠理。そろそろ行きますよ。あいつらが待ってます。」
もちろん彼女も清四郎の不機嫌さを痛いほど感じ取っている。
腰に回された腕はいつもよりも強く、怒りの波動が肌を通じて悠理に伝わっていた。
怯える三人に見送られながら、「やっぱり一発ずつ蹴り飛ばしときゃ良かったかな?」と考える悠理。
かといって、祝いの席で揉め事を起こすのはさすがに気が引けるため、夫の登場に少しだけ安堵する。
『あいつら、結構びびってたよな。へへ、あたいのせいしろちゃんは怖いんだぞ。』
呑気にそんな事を考えていると、いつしかパーティ会場の外へと連れ出されていた。
ここはグループの中でもとびきりラグジュアリーで、最上の美食と極上のホスピタリティが味わえると評判のホテル。
もちろん、多くのブランドショップも軒を連ねていた。
清四郎はその中の一軒に飛び込むと素早く視線を走らせ、一枚の白いショールを手に取る。
「これを。今すぐ使います。」
「かしこまりました。」
有能な店員が何も言わずタグだけを取り外し、悠理の肩にふわりとかければ、剥き出しとなっていた肌のほとんどが隠された。
「パーティが終わるまでこのままの格好でいなさい。」
「ふぁ~い。」
間延びした声で返事をする。
━━━もう、可愛いんだから、こいつってば。
夫の意図があからさまに幼稚であった為、悠理は素直に言うことを聞いた。
そして等身大の鏡でおとなしくチェックしていると、後ろから覗き込むよう清四郎が腰を屈める。
「やはりドレスのデザインには僕が口出しするとしましょう。」
「む?暑苦しいのはやだかんな。」
「我慢してもらいますよ。これからは男を惑わす不埒な胸を覆い隠すようなデザインしか作らせませんからね。」
「ば、ばか、……っん!」
たとえそれが人前であろうが構わなかった。
清四郎は妻の唇を自らのもので荒々しく覆うと、細いウエストを確かめるよう掌を這わせる。
店員は慌てて顔を背け、ストックスペースへと引っ込んだ。
気配がなくなったのを良いことに、さらに激しさを増すキス。
悠理が身を捩ろうとしても、敵わない力がそれを留める。
「………んんっ!!」
押し倒されてしまうかと思うほど情熱的なキスの後、彼は小さく囁いた。
「あいつら……………いつか左遷してやる。」
「!!」
独占欲に溺れ、怒りに身を落とした夫に反論出来るはずもない。
悠理は胸の中でほんの少しだけ同級生達を憐れんだ。
━━━━━ご愁傷さま。
・
・
・
二人が騒がしい会場に戻ったとき、三人の姿はすっかり消え失せていた。
恐らくは我が身の保身の為に・・・・。
代わりとして、四人の仲間達が集う。
「あら、悠理ったら、ショールなんか羽織っちゃって!せっかくのドレスなのに。」
「あ、うん。ちょーっと寒いかなって。」
「あんだけ飲み食いしてて寒い?おまえも年だなぁ。」
魅録の的外れな突っ込みに、美童が何もかもを理解した様子で笑った。
「まあまあ。よく似合ってるよ、悠理。」
「ええ。少々露出の高いドレスですから、そのくらいで丁度いいのかもしれませんわ。」
野梨子が適切なフォローをしたところで、清四郎が咳払いをする。
「可憐とは違ってこいつは男のあしらい方を知りませんからね。まだまだこんなドレスは早いということです。」
そんな剥き出しの嫉妬に四人は大爆笑。
「あんたって、ほんっと、悠理が好きなのねぇ。独占欲もほどほどにしなさいよ。」
「どれだけ姿なりが変わっても、こいつに本気で言い寄る男がいるとは思えねーけどな。中身を知れば裸足で逃げ出すぜ?」
「魅録、言い過ぎだってば。でも、ほんとそうだよね。見た目はこれでも、言葉遣いも立ち居振る舞いもちっとも淑女じゃないしさ。」
「清四郎が気にしすぎなんですわ。まともな殿方が悠理を相手するはずありませんもの。」
今度は悠理が怒り出す番であった。
「お、お、おまえら~!!!好き勝手いいやがって!見てろよ?もっと色っぽくなって、モテまくってやるかんな!」
売り言葉に買い言葉。
もちろん本気なわけではない。
「そ、そんなこと許すわけないでしょう!!!」
激怒する清四郎に、四人は再び笑う。
たとえ遠く離れていても、その堅い絆が変わることはない。
それぞれの道を歩く仲間達が、帰国した二人を交え有閑倶楽部を再結成するまで、あと一年。
果たして悠理の胸はまだまだ成長し続けるのか。
それとも・・・・・?